離婚記念日 男女2人用台本

ちぃねぇ

第1話 離婚記念日


登場人物

女:南川奈美子(みなみかわなみこ)44歳。

男:南川修一(みなみかわしゅういち)47歳。


(M表記はモノローグ(心の声、独り言)を指しますが、ナレーション寄りなセリフも混在します。少しむずかしめな台本となりますので、上演時、演じやすいように変えていただいて構いません。)






side男



女:離婚しましょう


男(M):妻に離婚届を突き付けられたのは、母の四十九日が終わったその夜だった


男:(戸惑ったように小さな声で)どうして


女:(優しく凛とした声で)わかっているでしょう


男(M):私の発した問いかけに、妻は優しく笑った。わかるわけがなかった。ただただ寝耳に水状態…いや、本当はわかっていたのかもしれない。妻と私の母は折り合いが悪かった。妻の家事に母があれこれと口を出すのが原因だったと思う。初めのうちは母をいさめようとしたが、妻がそれを拒否した。「大丈夫だから」と。そして私はそれを言葉通りに受け取って勝手に安堵(あんど)し、そのうち二人の仲裁に入ることもやめてしまった


女:長かったわ


男(M):妻の言葉に、自分の仮説が正しかったことを知る。彼女はもう長い間ずっと、耐えていたのだ。結婚当初から同居生活で、うち3年は自分に手厳しい事ばかり言う義母の介護付きだった。彼女の頭に白いものが混ざるようになったのはいつからか。44にしては随分(ずいぶん)と老いてしまっていた


男:そう…だな


男(M):声が震えないように気を付けたつもりだが、果たしてうまく返事が出来ただろうか。まさかこんな形で捨てられてしまうとは…。「文句があるならもっと早く言ってくれればよかったのに」と叫びたくなるのをぐっとこらえて、私は書類を受け取った。その薄い一枚だけの緑の紙が、私にはやけに重たく感じられた。それでも、最期の最期まで母を懸命に介護してくれた妻のたった一つの願いならば、叶えないわけにはいかなかった。彼女を解放する、それだけが私にできる最後の恩返しだった


男:今までありがとう。世話になった


女:こちらこそ


男(M):妻の笑顔がズンと胸に突き刺さった



side女


女:長かった…長かったわね、ほんと


女(M):机に置かれた書類に私はそっと手を触れた。南川修一と書かれた夫の欄は既に埋まっている。あとは妻の欄に自分の名前、「南川奈美子」を書いて出してしまえば、それで終わり


女:南川…嫌だったわぁ、この名字。なみなみばっかり。でも…馴染んでるのよねもう。前の名前なんて今更、呼ばれてもパッと反応できないわ


女(M):この書類を夫に突き付けた時の彼の様子を思い出す。とにかく驚いた顔をしていた。けれど、私の突拍子もない提案を彼はすぐに何も聞かずに承諾した。それはそうだろう、願ってもない幸福が突然舞い込んできたのだから


女:今でもあの人には敵わないのね…バカみたい


女(M):私たちの結婚は親同士の会社のための政略結婚だった。当時、夫には他に好きな人がいた。私がそれを知ったのは入籍してすぐのことで、しかもその相手は偶然にも、私の通っていた大学の同期だった。お節介にも教えてくれた知り合いを、私は今も恨んでいる。それでも私は、彼のことを手放したくなくてその事実に蓋(ふた)をし、知らず存ぜずを通した。そうしていれば、彼がいつか本当の意味で私を愛してくれる日が来るんじゃないかと夢見てしまったのだ


女:バカね、ほんとバカ


女(M):彼女を見かけたのは本当に偶然だった。夫とふらっと立ち寄った花屋に彼女はいた。私と同い年とは思えないほど若々しく美しい彼女の姿に、私は思わず顔を伏せた。隣の彼がどんな顔をしているのか見られなかった。それからちょくちょく、彼は花を買って帰ってきた。すべて私の好きな花だったけれど、私はぎこちなく受け取ることしかできなかった。「この花はどこで買って来たの?あの人のお店にはよく行くの?あの人のことがまだ好きなの?」そう聞く勇気が私には無かった。そうこうしているうちにお義母さんが病で倒れた。厳しいけれど真っすぐないい人で、私はお義母さんが好きだった。介護が必要だとわかった時は嬉しかった。だって、私には介護という役割が与えられたのだから。まだこの家にいていいのだと、免罪符(めんざいふ)をもらえた気がした


女:でももうそれもお終い。お払い箱ね


女(M):1週間前、私は見てしまったのだ。宝石店で微笑み合う、彼とあの人の姿を。彼とあの人がいつからそのような関係になったのか、私は知らないし知りたくもない。怒りとか憎しみが湧き起こればまだよかった。けれど、私に湧き起こった感情は悲しみと、そしてなにより申し訳なさだった。政略結婚を仕掛けたのはうちの方だった。私が釣書(つりしょ:お見合い写真のこと)を見て「素敵だ」と呟かなければ、親は見合いを組んだりしなかった。私がいなければあの二人はもっと早く結ばれて、幸せになれていたはずなのに。私は彼から20年という長い長い年月を奪ってしまったのだ


女:もう、開放してあげなきゃね


女(M):これが長い間、私を大切に扱ってくれた彼に対して私ができる最後の報いだった



side男


男(M):『一緒に出しに行かないか』と提案した時、妻はしばし固まった後小さく「そうね」と呟いた。私の最後のわがままを聞いてくれたのだ。やはり妻は優しい人だ


男:寒くなってきたな


女:そうね


男:もう10月だから当然と言えば当然か


女:ついこの間まで真夏のように暑かったのにね


男:急だな


女:そうね


男:……


女:……


男(M):一番話が続かない話題を振ってしまった。案の定沈黙が流れる。私は普段彼女と何を話していたのだろう


男:窓口は何階だったかな


女:2階みたいよ


男:そうか


男(M):今更ながら自分の無神経さが嫌になる。私なりに妻を大切にしてきたつもりだったが、実際のところ何もできていなかった。彼女がこんなにも降り積もらせるまで、私は彼女の心持ちを全く想像できていなかったのだから


女:先にお手洗いに寄ってもいいかしら


男:ああ、待っているよ


女:ありがとう


男(M):私は彼女の後ろ姿を、未練がましく見送った



side女


女(M):夫と離れ私はトイレに駆け込んだ。急いで個室のドアを閉めた瞬間、目から大粒の涙が溢れてきた。間一髪だった


女:ダメ、泣いちゃダメ


女(M):この書類を出したら私たちの20年が終わってしまう、そう思ったらこらえきれなかった。穏やかな彼のことが本当に大好きだった。子供には恵まれなかったけれど、それでも十分に幸せだった。一生傍にいたかった


女:ダメ、ダメよ


女(M):私から言い出したことだ。覚悟も出来ていた。…つもりだった。最後なのに。彼と過ごせる最後の日なのに


女:お願い止まって、止まって


女(M):あまり長い事こうしてはいられない。私は懸命に涙をぬぐい必死に上を見上げた。止まれ、涙よ止まれ



side男


男:遅いな


男(M):彼女がトイレに向かってから随分経った。市役所のトイレでもやはり女性の方は混むのだろうか、それとも腹でも下しているのか、薬でも買って来るべきか


女:お待たせ


男(M):近くに薬局はあったかなと思案していると、彼女がゆっくりとこちらに向かってきた


男:遅かったな


女:混んでいたの


男:そうなのか


男(M):一瞬納得しかけて、けれど私は気づいてしまった。彼女のアイラインがにじんでいることに


男:泣いたのか


女:え


男(M):よくよく観察すれば、彼女の瞳も濡れている


女:あ、いや、違うの、これは目薬で


男:泣いたのか


女:…


男:君は嘘が下手だな


女:ごめんなさい、なんだか少し感傷的になってしまって


男:そうか


男(M):どうして…どうして君が泣くんだ


女:ダメね、ほんと。…修一さん


男:なんだ


女:幸せになってね


男(M):妻の言葉に凍り付く。私は十分に幸せだったのに


男:君がそれを言うのか


女:え


男(M):ダメだ、言ってはならない。わかっているのに


男:意地が悪いなぁ、君は


女:修一さん?


男(M):やめろ。今更こんなことを言って何になる。笑顔で送り出してやるのが私にできるたった一つの償いなのに


男:君がいなければ


男(M):口が止まらない


男:君がいなければ、私は幸せになんてなれないよ


男(M):ああ、なんて私は愚かなんだろう



side女


女(M):今見ているこれは、私にとって都合の良い夢なんだろうか


女:何を言っているの


男:すまない忘れてくれ、どうかしている


女(M):どうして?これから幸せになるはずのあなたがどうしてそんなに悲しい顔をしているの?


男:こんなことを言うつもりじゃなかったんだ、本当に。すまない。私も顔を洗ってくる


女:待って!


女(M):咄嗟に彼の腕をつかんだ。今ここで彼を行かせてしまったら、私たちは何か重大なものを掛け違えたまま終わってしまう気がする


男:離してくれないか


女:嫌


女(M):初めて彼に反抗した


男:奈美子


女(M):彼に名前を呼ばれたのはいつぶりだろうか。くすぐったさに何も言えないでいると、彼が突然がばっと頭を下げてきた


男:今まで本当にすまなかった


女:え


男:母さんのこと、家のこと、全て君に押し付けた。君がこんなに追い詰められているだなんて考えもしなかった。君はいつも笑っていてくれたから、その笑顔に甘えてしまった。大丈夫なんだと気にも留めなかった


女:…


男:……


女:それだけ?


女(M):思った言葉が、そのまま口をついてしまった


男:謝っても許されることじゃないと思う、でも私は


女:待って待って待って。そういうことじゃないの


男:え


女(M):どうして言わないの。この期に及んで隠すほど、あなたは汚い人ではないはずでしょう?


女:あの人は?


男:あの人?


女(M):どうしてそんな、何も知らないみたいな顔をするの?


女:あの人のことよ、知ってるのよ


男:待ってくれ、話が見えない


女:だから、希美(のぞみ)さんのことよ!


男:希美?希美って…田口希美さんのことか


女:それ以外誰がいるって言うのよ


男:どうして今ここで田口くんの名前が出るんだ


女:どうしてって…あなた希美さんと一緒になるんでしょう?


男:待ってくれ、本当になんの話かまるでわからない


女:なんのって。今更隠さなくてもいいから


男:隠してなんかいない、本当にわからないんだ


女:なんでよ


男:なんでと言われても…まいったな


女(M):なんでよ、なんであなたがそんなに困った顔をするのよ。…あぁ、職員さんたちこっちを見てるじゃない。トイレの前で…もう、何やってるのよ私


女:とりあえず場所を変えない?


男:え…あ、ああ、そうだな


女(M):私たちはいい歳して、こんなところで何をやっているんだろう



■公園のベンチにて



男:すれ違っていると思う


女:え


男(M):公園へ来る道すがら、妻の言った言葉の意味をずっと考えていた。しかし私にはまるきり答えが見つからなかった


男:まず、これだけははっきり言っておきたい。私と田口くんの間には君が気にするようなことは何一つない


女(M):きっぱりと言い切った夫を、信じられないものを見る目で見てしまった


女:だったら、あのお花は


男:花?


女:花屋であの人と再会してから修一さん、ちょくちょく花を買ってきてくれたじゃない。あれは彼女のお店で買って来たのでしょう?


男:確かにあの花は田口くんの店で購入したものだ。だけど、私が花を買っていたのは彼女に会いたいからじゃなく、君に贈りたいと思ったからだ


女:嘘よ、だってあなた結婚してからずっと花なんて私にくれたことなかったじゃない


男:だからだ


女:え


男:反省したんだよ。あの日、田口くんに言われただろう、「奥さんにプレゼントですか」と


女(M):何の話?


女:いつ


男:だから、二人で彼女の店を訪れた時だ


女:うそ


男:聞いていなかったのか


女(M):あの時、本当に?思い返してみても、二人が何を話していたかなんてまるで思い出せない


男:私はその時、ひどく恥じたよ。結婚してからずっと花の一つも贈らなかった自分に。言い訳になってしまうが、花を贈るっていう発想自体がなかったんだ。私自身花をもらっても嬉しいと感じたことがなかったから。だから、後日彼女の店を訪れた。君に花を贈りたいから見繕ってくれと頼んだ。そしたらまた私は自分を恥じるハメになった


女:どうして


男:「奥様がお好きな花はなんですか」と聞かれたんだ。そんなもの、知るわけがなかった。考えたこともなかったから


女:…


男:だから私は、適当に黄色いものをと頼んだ。君は黄色が好きだろう


女:え


男:まさか、違ったのか。君はいつも黄色い服を好んでいたからてっきりそうかと


女:あ、違うの、黄色は好きな色だけど


男:そうか、よかった。どの花を渡しても君はあまり笑ってくれなかったから、もしかして全てを間違えていたのかと


女(M):だから毎回、黄色いお花だったの


女:聞いてくれたらよかったのに


男:え


女:好きな花よ、それくらい、聞いてくれたらよかったのに


男:聞けないよ


女:どうして


男:20年一緒にいるんだぞ。今更妻の好きな花すら知らない男だなんて知られたくなかったんだ


女:そんなの、カッコ付け過ぎよ


男:そうだな、反省してる。もっと素直になるべきだった


女:…じゃあ、本当に彼女とはなんにも無いの


男:誓って、無い


女:私見たのよ、あなたと彼女が宝石店で楽しそうに品物を見ているところを


男:ああ、それは…(手提げから小さな包みを取り出し)これを買っていたんだ


女:なあにこれ


男:開けたらいい


女:いいの?


男:君に渡そうと思って買ったものだ


女:私に


男:本当は今度の誕生日にでもと思っていたんだが…まさかその前に離婚を切り出されるとは


女:(包みを開けて)ネックレス


男:田口くんにこの間、君があまり喜ばないから花は好きじゃないのかもしれないとこぼしたら、アクセサリーはどうだと勧められた。自分の妹がショップの店員をしているから、一緒に行けば多少の割引を受けられると。割引にも惹かれたが正直、どんなものを選んだらいいのかわからなかったからアドバイスをもらえるかもしれないと同行をお願いした。本当にそれだけだ、誓って男女の関係とかそういうものは無い


女:そうだったの


男:信じられないか


女(M):じっと見つめてくる夫の目に嘘はないと思った


女:いいえ、信じるわ


男:ありがとう


女(M):でも、それでも私は


女:あなたは


男:ん?


女:あなたはあの人のこと、好きだったのよね


男:なぜそれを


女:結婚してから知ったの。あなたお見合いを受けた時、彼女のことが好きだったんでしょう?


男:参ったな、そんなことを知られていたなんて。君と彼女に接点があったことにも驚いているのに


女:私たち、出身大学が同じなの。彼女綺麗だから大学の中でも目立ってたわ。話したことないから向こうは私のことなんて知らないけど


男:そうだったのか


女:あなたと希美さんは同じ会社だったのよね


男:ああ、私が教育係を務めた。彼女はすぐにやめてしまったけれどね


女:好きだったんでしょう?


男:…確かに好きだったよ


女:やっぱり


男:誤解をしてほしくないんだが、その時だって彼女との間にはなにもなかったよ


女:でも好きだったんでしょう


男:ほんのりとだ。ほんのりと好ましいと感じていた程度だし、食事に誘うこともなかった。もし恋仲になっていたのなら、見合い話なんて受けなかった


女:だったら…どうしてすぐに離婚話を承諾したの?


男:それは…君を解放してあげるべきだと思ったからだ


女:私を解放?


男:君には今まで苦労を掛けたから、君が望むならもう解放してあげなければと思ったんだ。家庭のことは全て君任せにしていた。母が介護が必要になった時だって、ろくに手伝うこともせず全て君任せ。バチが当たったんだと、いや、今までのツケが回ってきたんだと思ったんだ


女:ツケって


男:君は母のことが苦手だっただろう


女:(驚いて)いいえ、好きだったわ


男:(驚いて)そうなのか?嘘をつかなくてもいいんだぞ


女:好きだったわよ、お義母さんのこと。口調はきつかったけどまっすぐで色んなことを教えてくれたし。介護中もあなたのこととか色々教えてくれて、私とても楽しかったもの。お義母さんがお母さんでよかったって、今でも思ってるわ


男:知らなかった


女:もっと話せばよかったわね


男:そうだな、私ももっと話せばよかった


女:バカね、私たち。こんなことでから回って


男(M):まだ、まだ許されるなら私は


女:まだ、間に合うかしら


男:え


女:(離婚届を取り出し)これ、今ここで破いちゃダメかしら。これからも修一さんの傍にいちゃ、ダメ?


男:…いいに決まっているだろう、私から言い出すつもりだった


女:気が合うわね


男:もう20年も一緒にいるからな。…帰ろうか


女:そうね。今日は何を食べましょうか


男:なんでもいい…あ、いや


女:ん?どうかした?


男:君の好物を教えてくれ。私はそれが食べたい


女:(笑って)ハンバーグよ


男:そうか、ハンバーグは私も好きだ


女:煮込みハンバーグ?


男:どちらかというとおろしかな


女:知らなかったわ


男:そうか。これからはもっとたくさん話そう


女:もっともっとたくさん、教えて頂戴ね


男:君も話すんだぞ?


女:わかってる


男:本当かい?


女:あら、じゃあ早速話してもいいかしら


男:お、なにかな


女:(ネックレスを見ながら)もちろんこれも素敵なんだけど…もしも今度なにか、私に贈り物がしたくなったら、別の人とじゃなくて私と一緒に買いに行ってくれますか


男:あ


女:すっごく妬いたのよ


男:すまなかった


女:謝ってほしいわけじゃなくて


男:そうか、じゃあ言葉を変えよう


女:ん?


男:この20年間と同じように、君だけを愛していくと約束するよ


女:まあ!そんなこと今まで一度だって言わなかったくせに


男:もっと話すと約束してしまったからね


女:もう、顔が熱いわ


男:君からの言葉ももらえると嬉しいんだが…


女:愛していますよ、今までも、これからも


男:なんだかこっぱずかしいな


女:ほんとね


男:まあなんだその…これからもよろしく


女:こちらこそ

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