第20話 バレエ教室
デートを終えて次の日の月曜日。
俺は朝に登校してから席について、何をするでもなくボーッとしていた。
朝の日課と化していた読書も、図書室から借りていた小説は昨日の内に読み切ってしまっていたため、この空いた時間にすることが特に思いつかなくただ座って呆ける選択肢以外に無かった。
すると登校した朝比奈さんが教室に入ってきた。
「おはよう、斑目くん」
俺も朝比奈さんと同じように朝の挨拶を交わす。
「おはよう朝比奈さん」
彼女は自分の机に荷物を置き、すぐに俺の席に戻ってきた。
「金曜のあの後って…どうなったの?」
さて、どう話したものか。
『家にいた関口さんからは大きく突き放されたが、その後に彼女の母親から気に入られ関口さんの過去の話が聞け、日曜にデートに誘い顔を見たいと言って断られたが、文化祭で一緒に踊ることになったんだ』
こんなことを言っても信じてくれるだろうか。
それに、お母さんから伝えられた関口さんの過去について俺から第三者に話すことは気が引ける。
とりあえずで『思ってたより元気そうだったよ』と伝えてみるか。
「それがね………」
いや待った。
しかしあの日朝比奈さんは、自分も行きたがっていた関口さんの家に行く権利を俺に譲ってくれ、その上に直前までの道案内もしてくれた。
本気で関口さんをどうにか助けたいと思っているんだ。それなのに俺は、大した理由も無しに教えないというのは正直どうなんだ。
「斑目くん?」
俺は悩んだ末、関口さんのお母さんが話した内容の一部を伏せた以外はそのままの事実を伝えた。
朝比奈さんは終始俺の話す内容に驚きつつも、俺の選択を責めたりは決してしなかった。
「いや〜斑目くん、思い切ったね」
「それは…主にどこらへんが?」
「日曜に呼び出したとこ。普段の斑目くんなら舞に拒絶されたら、それだけでポキって心折れそうなのに」
「まぁ実際、あの後お母さんと会えなかったら危なかったね」
朝比奈さんは急にニヤニヤとし始めた。
「それにしても、高校生でもう親公認の関係かぁ…やっぱりもう心の中では、舞のお母さんを字が違う方の『お義母さん』って読んでたりするの?」
「やめてよ朝比奈さん…」
「フッフフフッ…イイじゃんちょっとくら〜い」
彼女はそれからもしばらく笑った後、すっと真顔になった。
「でも、あの娘が舞台かぁ…」
「…やっぱり難しいと思う?」
朝比奈さんは腕を組んでウーンと唸っている。
「そりゃあねぇ…実力もあって楽しめていたバレエを中学になったらすぐに辞めたくらいだし、顔の傷以外にもあの娘には相応のなにかがあったんじゃない…?」
「…そう、だよね」
俺はその『相応のなにか』を知っている訳だが、朝比奈さんの手前知らない振りをした。
「でもまぁ…良いんじゃない?」
「良いって…何が?」
朝比奈さんは組んでいた腕を解いていた。
「斑目くんがあの娘にとっての地雷を本当に自分踏み抜いてたんなら、舞のことだから言われた瞬間に帰ってただろうし、心の中でどこかバレエに未練を感じてたってことでしょ」
「なるほど…?」
朝比奈さんの言ったことにも一理あるのかもしれない。
俺としては、関口さんか俺を一緒に舞台に上がらせるという一見無理な条件を加えたことから、関口さんは心の底から嫌がっているんだと感じてどこか悲観的になっていた。
しかし朝比奈さんの考えを聞いて、まだ僅かに可能性が残っているように感じられた。
「いや〜それにしても、踊る舞が久々に見られるのかぁ〜!」
「楽しみなの?」
俺の言葉に朝比奈さんは「そりゃあもう!」と返した。
「小学生の時以来だから。あの頃はテレビの録画でしか見れて無かったけど、五年ぶりに私が憧れてた姿の舞を見られるんだもの」
嬉しくもなるよと、朝比奈さんは言った。
「そこまで喜んでくれたなら、関口さんを誘った甲斐があったよ」
俺は自分がしたことでここまで喜んでくれた朝比奈さんへ感謝を伝えた。しかし、彼女はどこか不満気な顔で俺を見た。
「…なんか斑目くんスカしてない?」
「どういうこと?」
「斑目くんだって、舞の踊る姿が見たいから誘ったんでしょ?」
「そりゃあまぁ…あるけど…」
「だったらさぁ…そんな興味ありませんって顔してないで一緒に嬉しがろうよ」
朝比奈さんからの提案に俺はとりあえずで喜んでみる。
「…バ、バンザーイ…!」
「そうそう、それでいいの」
これでいいんだと思い、上げていた手を戻す。
「後は…アレね」
「アレ?」
朝比奈さんはもう一度「後は」と言って続けた。
「後は…斑目くん自体が大勢の前で緊張しないことよね…」
「それなんだよね…」
いつの間にか俺達は、二人して腕を組み首を捻っていた。
水曜日。相変わらず関口さんは学校には来てなかったが、彼女から接触があった。
お昼休みに昼食を、赤く染まりだしているモミジの木の下で食べ終えスマホを触ろうとすると、関口さんからのメッセージが届いていた。
『今日学校終わったら私の家に来れる?』
『文化祭のことで話があるの』
思ったよりも早かった。日曜と同じく、それが俺の感想だった。
『了解』
放課後、先週に朝比奈さんに教えてもらった道を辿って関口さんの家の前まで来れた。
俺は家の前まで来ると自分の服装に乱れが無いかを確認し、チャイムを鳴らす。
中から「は〜い」と返事が聞こえ、ドアを開け出迎えてくれたのは関口さんのお母さんだった。
「いらっしゃい、斑目くん」
「どうも」
家に招かれた俺は、あの日と同じ様にリビングでお母さんと一対一で話している。
「驚いたわよ、家に帰るなりあの娘ったら文化祭で踊るんだって言ってね…何がどうなってるのかわからなくなっちゃった」
久しぶりに関口さんが踊りのことを口にしたからか、朝比奈さんの様にお母さんの言葉には節々に喜びの感情が表れていた。
「それで…僕は今日どうすれば…」
お母さんは俺に、紙に書かれた住所を差し出した。
「これは?」
「舞が小学生の時に通っていたバレエ教室なんだけど、私そこの先生と個人的に仲良くさせて貰っててね。今回斑目くんと舞が文化祭で踊りたいと思ってることを話したの」
お母さんは終始笑顔で語る。
「そしたらその先生、受け持ってる子どもたちのレッスンが無い日は自分の教室を使ってくれて構わないって言ってくれてるのよ」
「本当ですか…!」
「えぇ、だからこれからあの娘と二人でその先生の教室まで行ってきてくれない?」
トントン拍子に話が進んでいることを感じながら俺は、「もちろんです」とOKした。
話していると、二階から扉を開いた音がした。
「準備出来たみたいね…」
お母さんはうわ言の様に独りごちた。
リビングの引き戸が開かれ、デートの日の様な服装の関口さんが顔を出した。
「それじゃ…斑目くん、舞、いってらっしゃい」
玄関からお母さんに見送られ外へ出る。
「…じゃあ、行こっか」
そう言われて俺達は、二人並んで歩き出した。
「先生ってどんな人だったの?」
俺は日曜のこともあって、少し気不味く感じながらも話しかけた。
「どんな人って………いい人かな」
「今日の関口さん元気なさそうだけど…大丈夫?」
「…あんまりいい思い出じゃないから」
「…そっか」
お母さんから聞いた話だと、コンクールの出来事によりバレエから逃げるように教室を辞めたんだったか。彼女からすれば、どこか堪えるものがあるのだろう。
「…ここだね」
十五分ほど歩くと、目的の場所まで着いた。
「ここが…」
教室は黒くて四角いジムのような施設と、『先生』が住んでいるであろう一階建ての住宅が一体化していた。
ジムのような施設は黒一色の外壁に『バレエスタジオ MINEZAKI』と書かれた白い看板が掛かっていて、4枚貼られたガラスのドアから廊下までが見えていた。
極々普通に見える住宅の外には、『先生』の自家用車と思われる白くてカクカクした車が一台駐まっていた。
関口さんは黒い外壁の方の建物ではなく、一般的な住宅に見える建物の方に歩いていった。
彼女は、少し躊躇った素振りを見せた後にチャイムを鳴らす。
ピンポーン
家の中からガチャリと扉を開ける音の後に、ギシギシと床が軋む音を鳴らして住人がこちらに近づいてくるのが感じられた。
扉の鍵と、扉がゆっくりと開かれて女性が顔を出す。
中から出てきた女性は髪を茶色く染めており、少し化粧が濃く感じられた。
ぱっと見た印象では三十歳前後に見えるが、化粧の濃さから見方によってはもう少し若くも見えるし、もっと老いても見える。
「あなたが舞ちゃん…よね?」
女性は隣に立っていた俺に一瞥すらくれることなく、ただ真っ直ぐな視線を関口さんに送っていた。
「……お久しぶりです、峰先生」
言い終わった瞬間、峰先生と呼ばれた女性はドアノブに掛けていた手を離し、関口さんを上から包み込むように抱きしめた。
「…!あっあの…」
「あぁ…あぁ…!本当に…こんなに大きくなって…!」
抱きしめられた関口さんはどうしていいかわからず、手を横でバタバタとしていた。
ひとしきり抱いた後に、そのままの体勢で首から上を横に突っ立っていた俺に向けた。
「あなたが斑目くん?」
俺は少しギョッとしたがそれでも頷く。
それを見た峰先生はニコッと笑い、抱きしめた関口さんを解放して俺達二人と向き合う。
「舞ちゃんに斑目くん、今日はよく来てくれたわ」
歓迎の言葉に、俺はどうしていいかわからず「どうも」とだけ言って頭を下げた。
「どうぞ、中に入って」
家の中へ入っていく峰先生についていく形で俺達は扉を跨いだ。
「「…おじゃまします」」
俺達が通された部屋は一言で言うと、おしゃれな部屋だった。洋風というかアンティークというか、紅茶とケーキが似合う空間だ。
テレビだったり冷蔵庫などの現代的な家具もたしかにあったのだが、それらが視界に入っていても、この部屋の雰囲気というものは綺麗に統一されていると感じられた。
俺と関口さんは赤茶色の革でできたソファに並んで座る。
出してくれた飲み物は紅茶…ではなく、果汁百パーセントのオレンジジュースだった。
峰先生は、俺達のソファと同じブランドであろう一人掛けの椅子へ腰掛ける。
「じゃあ自己紹介ってことで…初めまして、私は峰崎宏美です。ここ…というか隣のダンススタジオで、小中学生の子たちにバレエだったりを教えてます」
俺は座った状態のまま背筋を伸ばす。
「斑目宗二です。関口さんとはクラスメイトで………僕から関口さんに、一緒に文化祭で舞台に上がらないかって誘いました。よろしくお願いします」
隣に関口さん本人がいるため滅多なことが言えず、微妙と言わざるを得ない自己紹介をした。
「うんうん、舞ちゃんのお母さんから詳しく聞いています。それと、大体の事情もね…」
そう言って、峰先生は一瞬だけチラリと関口さんを見た。
峰先生のそれは、それ自体に嫌味だったりの意味は特に無く、口に出した上でつい反射的に見てしまったのだろう。
隣の関口さんがその視線に気付いたのかどうかはわからないが、ひどく居心地が悪そうにしていた。
顔を伏せ、両膝をくっつけ、その上から手を添えていて、全体的に体を小さくまとめていた。その様子を見て俺は、万引きがバレた不良学生のようだと思った。
教室を辞めたことに対する後ろめたさや、過去に親しくしていた人に現状を知られたのが響いたのだろう。
「練習する場所が必要なんでしょ?ここのレッスンがやってない日…水曜日と日曜日は、私に一言伝えてくれたら好きに使って構わないし、生徒さん達が帰った後…大体夜の七時以降からも練習してて良いからね」
「ありがとうございます」
「ありがとう…ございます、峰先生」
これで練習場所の確保が出来た。何の目処も立ってなかった目標に、大きく近づけた感触がした。
だが俺は、この先生に対してもう一つ頼みたいことがあった。
俺はソファから立ち上がり、峰先生に目を合わせた。
「あの…少しだけ話せますか?」
「…?もちろんいいけど…」
「あっじゃあ廊下の方で…」
俺は峰先生と二人で部屋から出る。
「斑目くん、どうしたの?」
「実はもう一つお願いがありまして、舞台で踊る上で峰先生にレッスンの方をお願いしたくて…」
俺の頼みに、峰先生は笑顔で応えてくれた。
「それはもちろん、手伝わせてもらいます」
「…!良かった、助かります…!」
「それで、斑目くんって何のダンスをやってるの?」
「えっ…」
「私はバレエ以外だと社交ダンスの初歩的な所くらいしか経験無いし、貴方達がやろうとしてる舞台によっては出来るアドバイスは限られてくるけど…」
「いや、あの…」
「やっぱり最近だと、ダンス部に入っての創作ダンス?それとも意外とヒップホップとか?男子バレエも増えてるし、舞ちゃんと同じくバレエの経験者だったり―――」
「未経験です…」
「…え?」
沈黙、互いに深い沈黙が流れた。
峰先生のその反応に俺は、なんとも居た堪れない気持ちになった。
峰先生は部屋にいる関口さんの方向を一目見た後、俺に小声で言った。
「舞ちゃんって、本当に小学生の時からバレエはやっていないのよね…」
「…はい、少なくともお母さんからはそう聞いています…」
峰先生は、少しだけため息をついた。
「やるなら…基礎からね…」
そう口にした峰先生は、部屋に入り関口さんの方を向く。
「あっちょ…」
「ねぇ舞ちゃん、貴方達二人で舞台に立つって言っても貴方にはブランクがあるし、相手役の斑目くんは未経験なんでしょう?」
関口さんは頷いたり、肯定にあたる言葉を発したりはしなかったが、それは確かな事実だった。
「それなら…舞台の構成だったり、着る衣装を貴方達二人だけでどうにかするって言っても、その舞台は学芸会レベルのものにもならないと思うのよ…」
俺も関口さんも、峰先生の言葉に黙っているしかなかった。
「だから…私が手を加えてもいい?」
「「え…!?」」
「舞台の全て…具体的に言えば音源や衣装、構成にダンス自体の方向性、何一つ決まってないのなら私に任せてくれない?」
「それは…」
とてもありがたいことではある。しかし良いのか?あれだけ何でもすると関口さんに言ったのに、彼女の先生に全て丸投げというのは。
悩んでいる俺に対し、関口さんの考えは決まっていた。
「お願いします…」
「…!関口さん…?」
彼女は、迷いの無い目をしていた。
「峰先生に任せよう、斑目くん。先生なら上手くやってくれるから…」
峰先生は部屋の空気を取り仕切る為か、パンパンと手を叩いて自身に俺達の視線を注目させた。
「決まったようね、隣のレッスンルームに行きましょうか」
俺達三人は峰先生の家から出て、隣の黒い建物に入る。
ガラス戸から見えた廊下を通り、レッスンルームという部屋に入る。
その部屋は壁の一面がガラス張りであり、ガラスには階段の手すりのようなものが付いていた。
ガラス張り以外の壁は真っ白で、部屋には椅子や机などは無く、レッスンだけをする部屋だった。
部屋に入ると、峰先生は俺達、ではなく関口さんに向き直る。
「とりあえず舞ちゃん、今の貴方がどれだけ動けるのか見たいから踊ってもらいたいのだけど…出来る?」
「…はい、もちろんです」
「良かった、ウェアがあったはずだから更衣室を探してちょうだい。黒い衣装ケースの下の方に大きめのがあったから自分に合うのを着てね」
「わかりました!」
そう言って関口さんはレッスンルームから外へ飛び出した。
生徒として習っていた頃を思い出したのか、峰先生の言葉に対しハキハキとした返事をしていた。
「後…斑目くん、貴方は…」
「はっ…はい!」
名前を呼ばれ背筋が伸びる。
これから受けるレッスンに対して緊張が走り、顔が強張っていく。
「今日は…正直、教えられることが無いのよ…」
「………え?」
峰先生は両手を顔の前で合わせ、申し訳無さそうな顔をした。
「本当なら基礎的なステップだったりは教えないとマズイんだけど…どんな舞台にするかも決まってない段階だし、それを決めるには今の舞ちゃんのレベルを知らないとだし…」
峰先生は次々と理由を述べ、その度に「だし」と繰り返している。
「悪いんだけど、今日は帰って…」
「はっ…はい…」
俺は情けない返事をし、関口さんが通ったレッスンルームの扉から出ていく。
「…あぁ、いや待って斑目くん」
扉を跨ぐ直前、俺は呼び止められる。
「帰る前に一つ、聞きたいことがあるんだけど――」
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