第19話 お願い 舞視点

 メッセージに気付くのが遅れた。

 マスクを着けた状態で走る私は、ゼェゼェと息を切らしながらそのことを強く後悔していた。


 今日私はお昼を食べた後、自分の部屋でゴロゴロしていた。

 何をするでもなくただただ時間が過ぎるのを待っていた私は、通知が来ていたのでラインを開いた。

 朝比奈さんや斑目くんからのメッセージではない。この二人からの通知は、不登校になってからは切っているからだ。

 私に来た通知の正体はクラスラインだった。文化祭が近々行われることで、クラスで出店する店をどんなものにするかのアンケートがきていた。

 たい焼きにたこ焼き、綿菓子といった祭りや縁日に出てくる屋台のようなものが並び、無記名投票だったので私もたこ焼きに一票を投じた。

 投票を終え戻るボタンを押すと、当たり前のようにトーク一覧の画面になった。

 ライン公式からのスタンプやミュージックの販促目的のメッセージ以外には、二人からのメッセージが溜まっていた。

 遅れて参加したクラスラインからいつの間にか送ってきていた朝比奈さんからの未読メッセージは二十五件。

 気晴らしに確認をしてみると、毎日の同じ時間に同じ様な内容で、私からの返信を待っている様だった。

 悪いことをしているとは感じつつも、今から何を返すんだと思い既読だけを付けて放置した。


 私にメッセージを送ってきていたもう一人は斑目くんだった。

 未読の件数は十件。一瞬少ないかと思ったが、朝比奈さんだけが異様に多いだけだろう。

 一昨日か三日前に家に来ていたが、そのときの私は不安からくるストレスにより彼に強くあたってしまい、理不尽な思いをさせてしまう結果になっていた。そのことから、私は今斑目くんのメッセージを開くのは少し怖く思っていた。

 しかし開いてみれば、そこに書かれていた内容の方が怖かった。


『今週の日曜、初デートで行った公園でまたピクニックしない?』

『12時にはブルーシートを広げて待ってるから、気が向いたら来てよ』


 私はすぐに送られた日付を確認した。

 一週間以上前の内容だったら理解はできた。書いてある言葉の節々は彼が送るようなメッセージだとは思えなかったが、偽の恋人を演じていた時期だったのなら私をデートに誘うのも納得出来る。

 しかし送られた日付は今から二日前、それも夜の七時だった。時間からして、確実に私が彼に強く当たった後なのがわかった。


「…何なのこれ?」


 彼は一体どうしたんだ?今この状況で、私にこんな内容のメッセージが送れるほどの無神経さを持つ人間が存在するのか?

 いるとすればその人間は、アニメや漫画から出ることは出来ないはずだ、でなければこの底抜けな明るさは説明出来ない。それほどまでにこの文章は異様だ。

 もしや彼は、壊れてしまったのではないか。

 私から受けた理不尽に耐えかね、強いストレスを感じて精神が崩壊したのではないか。

 そんなはずは無いと自分に言い聞かせながらも、浮かんだ想像はひどく現実に起こりえそうなものに思えた。

 彼はそもそも対人恐怖のようなものを持っていた。だからこそ私は、協力してもらう上で私が彼に提供出来るものとして『訓練』に目をつけたのだ。

 結果として、訓練の回数を重ねる毎に改善が見られ、私としても自分が提案したことで彼が成長していくのを見ることは少なからず気持ちが良いものだった。

 しかし私は、あの日まで続いていた協力関係の終わりを伝えて、言い縋る彼を拒絶してしまった。

 そのストレスによって彼が不安定な状態にある可能性は十分にある。


 私はしばらく送られてきたメッセージに恐怖しており、その内容の理解を拒んでしまっていた。

「今週の日曜………今日じゃん!?」

 慌てて画面上のデジタル式の時計を確認する。

 時刻は既に三時半を回っていた。

「とっくに過ぎてる…!」

 今からでも行くべきか。だが三時間も経っていれば普通なら帰っているだろう。いやしかし、今の斑目くんは普通の状態ではない。

 もし何かあってからでは遅い。

 私は急いで支度をした。

 服を着替え髪を直し、歯を磨いて財布を手に取る。最低限の準備を済ませ玄関に向かう。

「舞、どこかに出かけるの?」

 リビングに居たお母さんから話しかけられた。

「ちょっと用事があって…行ってくるね!」

「あらそう?フフッ…」

 お母さんは焦った様子の私を見てなぜか笑っていた。

「楽しんできてね」

 何と勘違いしているかは知らないが、こっちは緊急自体なのだ。

「いってきます!」

 私は走った。普段は四六時中マスクをしているためこんな風に走ることは大嫌いなのだが、状況が状況だ。

 私は息が荒くなり、マスクの中が自分の吐息で湿気っていくのを感じる。

 大きく息を吸い込めば、マスクが口に張りついてきて呼吸を邪魔してくる。

 息苦しい、鬱陶しい、だから走るのは嫌いなんだ。

 しかし、ここまでひどいものだっただろうか。

「はぁ…!はぁ…あっ…!」

 そこで私は、自分が間違えて普段家で着けている布製のマスクをしてきてしまったことに気付いた。

「あぁ…もう…!」

 このマスクは洗うことの出来る素材のため繰り返し使えるが、紙のものと比べ通気性が悪く着けながら走っていると息が苦しくて仕方がない。

 普段出掛ける際は着けているマスクとは別に、バッグの中にオーソドックスな紙製の白いプリーツマスクを何枚か常備していたのだが、バスに乗るための財布を片手に、何も持たずに出てきてしまったのでこの状態のまま急ぐことになる。


 息を荒くしながらも何とかバスに乗り込み、シートに座り呼吸を整える。

 日曜の昼過ぎということもあり、バスの中は家族連れの乗客が何組か見えた。

「ハァッ…!ハァッ…!フゥ…」

 私から見て右側に座っていた子供は、車内で荒く呼吸をする私を不思議そうに見つめていた。

 そんなに苦しいなら取ればいいのに、なんて思っているのだろう。

 目立たないよう下を向き、呼吸が声に出ないようにしていた私は、斑目くんのことを考えていた。

 彼は本当に、今も待っているだろうか。

 私としては既に帰ってくれていたら楽なのだが、帰るなら帰るで斑目くんなら追加の連絡を送ってきそうなものだ。

 今からでもまだ待っているかどうか、確認のためのメッセージを私から送ってみるか?

 そう考えていた私は思い出す。

 そもそもスマホが無い。


 バスを降り、あの日の緑地公園まで再び走って向かう。

 ようやく着いた公園は、随分と寂しく感じられた。

 同じ日曜日であるはずだったのに、あの日と比べると訪れていた人が圧倒的に少なかった。

 空を覆う曇り空のせいだろう。こういった際には下調べをちゃんとする斑目くんが誘ったということは、今日は別に雨は降らないのだろうが公園で遊びたいと思わせてくれない空模様だった。

 人がいない。遊ぶ子供も、ウォーキングをする高齢者も、散歩をする犬もいない。

 だからこそ、この広い公園で横になった彼はとても目立っていた。

 私は斑目くんの敷いたブルーシートまで近づいていった。

 彼は二つ並んだ弁当箱の横で体を丸めて眠っていた。

 今日は風が強いせいか、めくれたシートの端が背中に掛けられており、毛布のようになっていた。

 私はめくれていたシートを直して、彼の体を揺すって起こそうとする。

「ねぇ、斑目くん」

 肩を軽く揺らした程度では起きなかった。

「もう…起きてよ」

 私は本腰を入れて起こそうとする。横を向いて眠っていた彼を仰向けにして、顔をペチペチと叩く。

「…関口さん?」

「やっと起きた…」

 目を覚ました斑目くんは上体を起き上がらせて周囲をキョロキョロと見回していた。

「今って何時…?」

「…後ちょっとで四時ってところ」

スマホを持ってなかった私は、大体の時刻を言ってみた。

 遅れた事実を伝えることに躊躇して、私の声は随分と弱気な声になった。しかし彼は特に怒っている様子は無く、口角を上げ私に笑顔を見せてきた。

 彼は軽く伸びをしながら言った。

「本当に嬉しいよ、よく来てくれた」

 斑目くんの言葉に私はどこか安心を覚えたが、私をここへ誘ったメッセージのことを思い出し警戒心を強めた。

 「なんで私をこんな所に呼び出したの?」

 斑目くんは嬉々とした表情で私に言った。

「関口さんと話がしたかったから。俺が家まで行っても相手してくれないでしょ」

「…あの文章は何だったの?」

「おかしかったでしょ?あぁ書けば、関口さんが来てくれるかと思ってね」

「…」

 良かった良かったと声に出して笑う彼が、とても憎たらしかった。

 あの奇妙なメッセージは、私を誘うために考えたものだったのだ。

 私は彼の考えにまんまと引っ掛かり、ここまで息を切らして

 だが少なくとも、斑目くんがストレスで頭がどうかしたとか、記憶自体が無くなっていたというわけではないようだ。

 嫌な想像から開放されたことと、ここまで走ってきたこととが重なり、私もシートに腰掛けて休むことにした。

「私が来なかったらどうするつもりだったの…」

 呆れた私は小さくため息をついて言った。

「日が暮れるまでは待つつもりだったよ。そしたらまた次の金曜にラインして、日曜日にこの公園でピクニックして、同じことを関口さんが来るまでずっと繰り返すつもりだった」

 私の隣りにいる彼は、思ったよりも早かったと続けて笑い続けていた。

「…日曜が雨の日だったらどうするつもりだったの?」

 私は頭に酸素が回っていなかったせいか、少しズレた質問をしてしまった。

「雨天決行!…と言いたいけど、雨の日のピクニックは俺も心が折れそうだからなぁ。別の屋根がある所にしたかな」

「たとえば?」

「関口さんの家とか」

 言われた瞬間に、その場面を想像をして私の眉間にしわが寄った。

「…なら、来て正解だったのかな」

「俺としても、早めに来てもらえて嬉しいよ」

「それは…」

「あっ、待って」

「先にお昼食べながらで良いよ。斑目くん、ずっと待ってくれてたんでしょ?」

「助かるよ」

 そう言うと彼は背中を見せる。

「あっ…ゴメン、私お昼食べて来ちゃってて…」

「あぁそっか、もう四時だものね」

 彼は私に向き直り、かいた胡座の上に弁当箱を乗せる。

 私は今回は流石に悪いことをした自覚はあるので、気持ちだけでもと正座で彼と向き合った。

「…それで、話ってのは?」

「俺に…関口さんのマスクの下を…見せてもらいたいんだよね」


「…………は?」


 何を言っているんだ、この男は。

「いやさ…前に顔見たら破局だって言ったよね?」

 なんだ?別れたいのか?別れたいからここまで走らせたのか?

 上等だ、今すぐに別れてやろう。

「破局もなにも、この関係は破綻してるでしょ」  

 男は、何を今更と言いたげな顔をした。

 何を冷静ぶっているんだ?

 本当に冷静な人間なら、人の言ったタブーは決して侵さないよう慎重にものを考えるだろう?

「じゃあ絶交する、二度と連絡してこないで」

 私は言いながら立ち上がる。とんだ無駄足だった。

「絶交って言っても、この一週間の俺達は大体そんな感じだったでしょ」

 またも冷静ぶった顔で返してくる。

 斑目くんは見上げながらも、わがままを言う子供に大人が言い聞かせるような調子で私を諭してくる。

「ラインは未読だし、家に行ったら帰れって言われるし、味方なんかじゃないって言うし…」

 話しながら指折り数えて見せてくる。

 私の怒りを煽っているのか?

「後、約束をすっぽかした」

「…!」

 なんだ、やっぱり怒ってるんじゃないか。

「…今日のは――」

「昼休みの話だよ」

「…!?」

「関口さんが学校を出て行ったあの日、俺はあのモミジの木の下で、今日みたいに弁当に手を付けずにず〜っと待ってたんだよ?」

「…それは、悪かったけどさ」

 ここに来て、痛い所をついてきた。

 私だって、あの日のことで罪悪感を感じて無かった訳では無い。

 今思えば、家まで来た斑目くんを玄関に上げたのも私がどこかでこの事を申し訳なく思っていたが故に出た行動だろう。

「…そもそも、何で見たいわけ…自分で言うのも何だけど、見て得する顔じゃないよ…」

「関口さんのことが、好きだから」

 またそれか。

「…好きならなんで見たいのよ?傷のある顔見て、今ある気持ちを忘れたいってことなの?」

「そうだ、って言ったら?」

「…喜んで見せてあげるわよ。いい加減、あんたに好き好き言われるのもウンザリだもの」

「見てもまだ好きかもよ?」

「…それはありえない」

 私が一番よく知ってる。

 しばらく、二人の間にに沈黙が流れた。

「まぁ、最初から受けてくれるとは思ってなかった部分はあるからいいさ。それよりも、実はもう一つお願いがあるんだよ」

 私はうんざりとした顔を見せた。

「まだ…あるの?」

「まぁ座ってよ。話を聞いてくれるってならさ」

 そう言われて私は、立ち上がった状態から渋々座る。

「文化祭…出てみない?」

「文化祭?」

 確かに、今日クラスラインで連絡が来ていた。

 うちの高校では十一月の終わり際という遅い時期に開催する文化祭。私自身これを楽しみにしていなかったと言えば嘘にはなる。

 私はずっとクラスに復帰するタイミングは決めかねていたが、そういった行事には参加するというのは良いかもしれない。

「そりゃあ私も、出店とかは楽しみだし」

「あぁいや、違うよ」

 私の頭にハテナが浮かんだ。

「…違うって何が?」

「文化祭で、踊ってみない?」


「………………………は?」


「いや、文化祭と言えばでしょ。体育館で皆の前で歌ったり踊ったりして、その後の学校生活がガラッと変わるのは定番でしょ?」

 本当に、今日の斑目くんは一切私に物怖じしないんだな。

「本来はダンス部だったり軽音部みたいな部活単位で出るものだけど、それらに所属してない個人でも生徒なら応募は出来るみたいでさ。だから――」

「ねぇ」

「……」

「知らなかったら悪いんだけどさ…私踊ったりはもうしないって決めてるの」

 どこで私がバレエをしていたことを知ったんだ。まぁおそらく、朝比奈さん辺りだろう。

「それを文化祭で?全校生徒の前で?冗談じゃない、絶対に嫌だから」


「なんで私が…」

「自信を持ってほしいから」

「関口さんが凄い人だって、知ったからさ」

「…!あれはっ…!」

 正当な結果じゃない。真面目な目で審査をしなかったおじさんおばさんのお遊びだ。

「…私の実力じゃない。勝ち取れたものじゃないの…」

「それでも、関口さんは凄い人じゃないか」

 目線が下がり、辛いことを辛いものとして話す私に、この男は尚も食い下がってくる。

「俺に出来ることなら何だってするからさ」

 私の気持ちも知らないで、煽てて褒めれば舞台や木にでも登ると思ってる。

「関口さんに必要なサポートはいくらでもする、辛くなったら俺に好きに当たってくれて構わない」

 口先だけで、私を動かそうとしている。

「だから――」

「じゃあさ……!」

 こちらも条件を出す。

「…上がってよ」

「何に…?」

 俯いた私の顔を覗き込む、その顔に腹が立つ。

「私と二人で、舞台に上がってくれるって言うなら考えてあげる」

「……!」

 無理だろう。今までのテンパる様を見ていたら、今までの発言が後先考えずに言ったことだと分かる。

「…わかったよ」

「…テキトーなこと言って、どうせ口だけの癖して…」

「何でもやるって言ったんだ。一番近いところで、関口さんのために手伝うからさ」

 この男は、どこまでも真っ直ぐな目を向けてきた。

「…飽くまでも考えるってだけ、舞台で踊るなんてまだ一言も行ってないから…!」

 私の言葉に、今日の彼は最後まで笑顔を崩さなかった。

「それでも、嬉しいよ」

 私は煮え切らないまま家に帰った。

「おかえり〜」

 リビングからお母さんが出迎えた。

 ただいまも言わずに玄関で突っ立っている私を、お母さんは心配した様子で見つめる。

「舞?どうしたの?」

 実に、五年ぶりか。

「…お母さん、私ね――」

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