第5話 図書室

 男としては、隣に年の近いの女子がいるとなると出来るだけ自然に見えるよう格好をつけたくなってしまうものである。

 教室を出た頃は、図書室には好きな漫画のノベライズや学校の七不思議、都市伝説等のオカルト本を目当てで来ていたのに、いつの間にか通り過ぎて普段なら絶対に読まないであろう推理小説のコーナーに来ていた。


 ズラッと並ぶ本の山に目を奪われるふりをしながら、それとなく話を切り出す。

「…それで、『告白ゲーム』とは違うってどういうこと?」

「やること自体は変わらないんだけどね、損をする人が違うの」

 朝比奈さんも後ろで手を組みながらじっと本棚を見つめている。

「あなたに告白する娘の舞なんだけどさ、イジメられてるっぽいんだ」

「…」

「本人は一切認めないんだけどね。告白も強制されてて、あの三人からすれば罰ゲームってことなんだろうけど、全部とってつけた言い訳。遊び道具にしか思ってない」

 淡々と語る朝比奈さんからは、あの三人に対しての確かな怒りが感じられた。

「何人にもやってるっぽくて、クラスの男子をダーゲットにしてるの。私が初めて見たのは六月辺りかな」

「…何回か見てるの?」

「うん、五回は見てる。終わった後に何回か声かけて、親か先生に相談するように言ったんだけどまるで話を聞いてくれない」

「それで、転校してきた僕にターゲットが向いてこの遊びが再開になったと」

「まさか転校してきた初日にやり始めるとは思わなかったんだけどね」

 朝比奈さんは呆れた様子で話す。今思えば、先ほど教室でで話しかけていた三人組の笑みからはおもちゃを前にした子供のように無邪気さすら感じられた。それほどまでに、この遊びを面白がっているのだろう。

「それで告白についてなんだけど、途中までは本当に普通。最後まで普通のときもあった」

「普通っていうと?」

「舞が男子に『付き合ってください』って言って、断ったらそれで終了」

「…OKしたら?」

 朝比奈さんは途端に言い淀んだ。返事が無いことを不思議に思い隣を見ると、彼女の目線は明らかに下を向き、憂いを帯びていた横顔をしていた。

「…舞の顔にはさ、傷があるの」

「…!?」

「小学生のときにできた切り傷。手術は流石にしてるんだろうけど顔の肉が削がれたのか、明らかに『足りない』ように見えるの。…口の両端から頬にかけて、酷い切り傷だった」

 マスクをつけてるのもを隠すためと話す彼女はとても苦しそうに見えた。よほどひどい傷なのだろう。

「…見たことあるの?」

「小学校の時に。本人は見せたがらなかったけど、給食食べるときとかはどうしても外さなきゃだから。流石に皆ジロジロとは見てなかったけどね」

 朝比奈さんの何処を向くでもない視線は、当時の関口さんの痛々しい姿を回顧しているようだ。

「仲良かったの?」

「まぁ仲が良かったってのも間違ってないけど、昔のあの娘は…キラキラしてたの。バレエのコンクールで何回も賞を取ってて、教室にテレビのカメラが来てたこともあったから」

「賞っ!?そんな有名人だったの!?」

「有名人…かはわからないけど、何ていうか憧れてたの。別に私がバレエをやってたとかじゃないし、やりたいとも思って無かったんだけど、同じ教室に凄い人がいて、その人が威張りもせずに接してくれてるのが…何だか凄く立派な人に見えてて、しきりに話しかけたりして仲良くなろうとしてた」

「ちなみに関口さんは今バレエって…」

「やめちゃったみたい。顔の事で色々あったんだと思う」

「…もったいないね」

「傷の処置が終わって退院してすぐも落ち込んでるように見えなかったし、変わらずバレエのレッスンには行ってたみたいだけど…」

 だけど…の後は続かなかった。踊ってる姿の美しさで競う競技な以上、残酷だかビジュアルの面で差が開くのは仕方のない事なんだろう。

「…それなのにあいつらは、何が気に入らなかったのか舞のことを『口裂け女』だって馬鹿にしてる」

「というと…」

「告白にOKを出したら、あの三人が『これでも』って言いながら後ろからマスクを剥ぎ取るの。あの娘、普段は絶対にマスクの下は見せないようにしてる分インパクトもすごいっぽくて、間近で傷跡を見ちゃった男子全員が驚いて腰抜かしてた」

「…ひどいな。何が楽しいのやら」

 朝比奈さんはハァーっと大きくため息をつく。

「断ろうが受け入れられようが、あいつらにとっては面白くて仕方ないんだろうね。舞ってマスクつけてるとすっごい美人だし、そんな娘が告白断られてるだけでも、あの娘たちには笑えちゃうんでしょ」

「それで…俺は教室でなんて答えれば良い?」

 ここが一番重要なところだ。一見正解のないこの告白に対して俺はどのようにして立ち回れば正解なのか。俺は朝比奈さんの方へ向き直り、先ほど廊下でした質問を今一度彼女へ投げ掛ける。

 しかし、こちらに顔を向けた朝比奈さんは、向き直った俺に対してバツが悪そうに目を逸らす。

「それは………うん。……なんて答えればって…」

「……」

「………………」

「…どうしたら良いかわからない?」

 朝比奈さんはコクリと困ったように頷いた。

 俺は思わず頭を抱える。

「どうすんの…約束の時間までそんなに余裕がないし、今から返事考えてちゃ間に合わない」

 時間の確認のため、図書室にある時計を探す。


 入口の扉近くにあった壁掛け時計は、あの教室を出てから十分の経過を知らせてくれた。

 廊下の時点で朝比奈さんの言った『私もまだどうして欲しいかはわからないけど』という言葉が彼女自身の声で今まさにフラッシュバックしてきた。

 朝比奈さんが廊下で語った『十分で終わる話』というのが今まさに語ったもので全てであり、残りの時間で一緒にどうすれば良いのか考えてほしいというお願いでもあったのだ。

 これから、俺たちは何をどう答えても不正解になりそうなこの難題に、残り十分で回答を出さなければならない。

「つまり、今から十分のうちに告白の返答について一緒に考えようと…」

「しょうがないじゃん!またあの遊びがされるのだってついさっき知ったことだし、その前だって舞にいくら言っても聞かなかったんだから!それに…される男子の方に声かけるのだって今日初めて思いついたんだもの!」

 正直言うと俺は、つい先程まで朝比奈さんに対して話しかけてきたときの強引さや、三人から関口さんへのいじめについて語っていたときの静かな怒りといった要素から、軍師というか司令官というか『従っていれば絶対に間違いない』と思わせてくれる力強さを感じていた。俺を、弱きを助け強きを挫くヒーローへと導いてくれる人間だと思っていた。

 しかし、それは大きな見当違いだったらしい。

 行き詰まれば極端に口数が少なくなり、かと思えば大きく取り乱しギャーギャーと騒いでいる。これが素の彼女なのだろう。

 極端な緊張によりあがった自分と重なり、親近感すら湧いてくる。

 だがノープランなことを明かしてここまで狼狽えているということは、少なくとも考えることの丸投げをするために俺に話しかけてきたわけではなく、考えに考えたうえで俺と二人で慎重に動かざるを得ないと結論付けたのだろう。

 私だってねーっと連呼し続けている朝比奈さんを横目に、図書室に備え付けられた席に座る。

「わかった、わかったよ。残りの時間で何とか考えよう」

 俺の言葉を聞き、朝比奈さんは荒い息を整え向かいの椅子に座った。

「ありがとう。私としてはあの三人が全く面白がらなそうな方法を考えたいの。今後毎回とは言えないけど、今回斑目くんにしたみたいに私から先回りしてどう答えるかを教えられたらと思ってる」

 朝比奈さんが気を取り直せたようでひとまずは安心した。

「とりあえず、一番丸そうな『断っちゃう』ってのは無しなんだよね」

「うん…それじゃ解決しない。それにあの娘平気そうにしてるけど、何回も断られてくると流石に参っちゃうと思う」

 関口さんからしたらこんな告白何とも思わなそうなものなのに、告白して断られるというのはやはり堪えるものなのだろうか。

「…正直言うと、こんなことまともに取り合う必要ないんだし『帰ってもらう』のもありではあるんだけどね…」

 朝比奈さんは疲れたようにそう答えた。確かにいじめに加担させられているとわかっている現状、それも丸そうには見える。しかしそれではダメだ。

「そしたら…次の日にまた呼び出されるだけだと思うよ。それに、声かけた男子全員が何度もすっぽかし続けてたら、いずれ朝比奈さんが声掛けてるのがバレるでしょ」

 朝比奈さんはまぁそうかと納得してくれたようだが、クラスカーストの高そうなあの三人からの呼び出しに対して俺なんかがろくな連絡もなしに無視し続けるというのは大変印象が悪い。

 俺としては、これ以上クラスの中であるかどうかもわからない居場所がなくなるような真似は避けたい。そのためにも、この呼び出しに対しては絶対に向かわなくてはならない。

「そうなってくると、告白に対して『OKする』のが前提になってくるわけだけど…」

 ここまで話したところで朝比奈さんは天を仰いだ。

「…どうしようか」

「…」

 返事が返ってこない。

「…『顔を見たうえで驚かない』のはどう?まだ見てないから何とも言えないけど、傷があるって知っていたらどうにか抑えられるかも。『存外気にならないよ』とか言えば信じてくれない?」

「…バレると思う。別に斑目くんの演技力がどうとかじゃないの。あの傷が酷いものだってことは舞が一番よく知ってるだろうし、なんていうかお世辞とかが嫌いな娘なの」

 そうかと返事をしたきりお互いに意見が出なくなってしまった。


 時間がない。

 時計の針は残り五分を切っている。それなのに話し合いは互いに沈黙という平行線を保ったまま変化が無い。俺自身の思考はだんだんと「早く断ってしまえば楽になるのではないか」という方向に傾いていった。

「…ここまで話して言うのは何だけど、本当ならもっと早く先生とか、あの娘のお母さんとかに相談すればよかったんだけどね…。私が話しかけても大抵スルーするあの娘が、先生とかお母さんのこと口に出しただけで必死に止めてくるものだから、踏ん切りがつかなくて…」

 机を見つめ嘆くように話す朝比奈さんに対して俺は「もう行かなくちゃ」と言った。

「そう…ついてくよ。私は勘付かれちゃいけないから、廊下の端で待ってる」


 図書室を出てからも俺達二人の間の空気は重かった。

「…それで、なんて答えるつもりなの」

「…信じてくれるか分からないけど、OKした上で『気にならないよ』って言うつもり」

 隣で小さくそっかと聞こえたが、会話はそれ以上に続かなかった。

 どうするべきか、関口さん本人も顔を見られる事自体は望んでないことだしいっそのこと断ってしまおうか。それともやはりOKをするべきなのか。考えがまとまらない、有耶無耶にしていい問題では決して無いはずなのに。

 本物の口裂け女が出す理不尽な二択も「ポマード」と繰り返していれば解決するのに、今回に関しては天地がひっくり返っても絶対に口にしてはいけない言葉だろう。こんなことを考えてる時点で、自分は最低な人間なのかもしれないと思い気分がどんどん沈んでいく。

「じゃあ、頑張って」

 朝比奈さんは階段を登り終えたところで壁の近くで座り込んだ。

「応援してる」

 軽くため息をつきながら俺は言った。

「…上手くやるさ」

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