【習作】ラスト・ヴァルキリー

一升生水

ラスト・ヴァルキリー プロローグ

「あおくんはさ、大人になりたいと思う?」


「私も昔はそうだったよ。いや、子供ってみんなそうなんだろうね。未来とか大人って単語にキラキラしたものを感じて、憧れる。でもその時が来たら、心が脱皮したみたいに変わっちゃうんだ」


「大人になったら辛いことだらけ」


「大人になったら責任だらけ」


「大人って我慢ばっかりの生き物。だから、みーんな子供に戻りたがっちゃうの。あの頃は良かった。あの頃に戻りたいって。私だって、そうだから」


「大人になれば努力は沢山できる。でも、大人になっても努力が報われない事もあるのは変わらない。平気で裏切るんだよ?酷いよね、折角人生を割いているのに、さ」


「大人になるって、未来ってそんなことが沢山なの。割りになんて合うわけがない。それでもあおくんは、本当に大人になりたいと思う?」


「………うん、そうだよね。だったら―――」



「私が叶えてあげる。その願い」




 ラスト・ヴァルキリー




 空気が大きな刃に切り裂かれ、ごうごうと悲鳴を響かせる。人の大声も上から塗り潰されて聞こえづらくなる騒音も、機内では随分と勢いが落ちる。飛ぶ鳥堕ちるとまでは行かないが、少なくとも人が就寝できる程度には。

 聴き慣れた雲より高い大気の金切り声を背景に微睡みから目覚めたのは、ただ1人の少年じみた若々しい男。ある意味では場の雰囲気に似つかわしくないとも思える、鋭く中性的な容姿の人物だ。


 窓を一瞥して、未だ目的地は先だと目で思考し理解する。横長の窓、その先の光星と黒と灰色の層で成る世界へと。

 彼の素性は果たして旅人だろうか。それも間違いでない。はたまた行商人の類だろうか。そのどれも、あながち間違ってはいない。旅の寝床はここで、商売道具とは彼自身に他ならないのだが。


 ふと前方より声が響いた。歳若そうな女性の、落ち着いていながらもどこか朝焼けの明るさを思わせる声。一言、起きたの?というそれが彼の耳に届くが早いか、即座に薄笑みを浮かべてそっちは寝てなかったのと同じく一言。眠れるわけないでしょとの抗議を聞き流しながら、猫のような伸びをして本格的に目を覚ました。

 彼女はリン。訳あって家名と家を捨て、今はコックピット後方の予備座席で寝ていた彼と共にある会社を運営している女性だ。


「辛いならもう1人くらいパイロットを雇うべきでしょ。そんなに取り分減らしたくない?」


「うるさーい。私はお金のかかる生き物なの。それに代表はアタシなんだから、文句言わないのアオ」


 独裁体制にしたのは間違いだったなあとアオは1人語りながら溜め息を吐く。無論聞こえているので向こうからは抗議が追加。こんな事は仕事場への移動の度の風物詩だ。


 どれくらいで着きそう?そんな質問が話の腰を折ってアオの口から飛び出す。あと30分。そんな回答がこの小型人員輸送機の機長座席に座する社長から帰ってくる。意外と早いねと言えばそれはアオが何時間も寝てたからよと話が若干蒸し返される。


「というか、いつもの事だけど普通に後ろの座席で寝ればいいのに。コックピットが好きよねアオは」


「リンも借りた金を踏み倒すの好きでしょ?折角治ってきてるんだから耳を揃えて返そうね」


「そっちは関係ないでしょッ!?」


 痛い所を突かれたとばかりの声色をよそにアオは若干憮然とした表情となる。

 実質的に自分の取り分引かれてるようなものなんだよなぁとか、でも借金で首が回らなかった時よりはこれでもマシなんだよなぁとか、そんなことを思っている彼はリンの浪費には真剣に悩まされている人間であった。


「まあ、今はおとつい新しく作ったヤツだけでもいいよ。仕事は第二地区総督からのやつ?」


 そうよ、あの『仏のイーラン』からよ。

 リンからため息混じりにそう答えが返ってくるのは分かっていたという様子で、アオは記憶に刻まれた麗しの黒貴婦人の姿を思い出す。実際風貌も性格もやさしいと多くが感じるであろうその女性を。

 彼らが向かう場所はその居城にして、白と黒のぶつかり合う最前線の一つ。未だ雲の裂け目から見えるのは海だが、もうじき建物の色にまだらに染まった陸地が見えてくるのだろう。


「"第二地区近海にてランク2相当のアゼロ種と思われる怪獣の活動が観測されたため、至急これを駆除されたし"………見た感じ、向こうでも撃滅できそうだけどね」


「いいじゃないの、割りのいい仕事なんだから」


「まあそうなんだけどさ、これ僕明らかな過剰戦力でしょ?態々雇うこともない気もするんだけど」


「そんなの今更でしょ。怪獣は討ち取れば誉、地位も名誉も思いのまま、なーんてのはもうとっくに御伽話の世界。軍だって手続きとか補償とか色々面倒だって文句を言う。だったらって遂には私達みたいなのが使いっ走りにさせられてる。世知辛いわよねぇ」


「でも、お陰で僕達みたいなのが人殺ししなくても食い扶持を得られるって訳か。僕は好きだ、そういうの」


「………そうね。私も好きよ、アオのそういう所」


「どういたしまして」


 顔は見えずとも想像の中で笑い合う。そして、実際に互いに笑みを浮かべている事だろう。

 これから戦いの場へと赴くというには会話に悲壮感はない。途切れた言葉のキャッチボールにも、気まずさを感じている様子はない。それは信頼の現れか、或いは死神の鎌の上に立つ事も既に日常だということか、はたまた過激で刺激的な旅という感覚なのか。何れにしても、彼らは自分を維持するために戦おうとしていて、それに涙するような悲しさを覚えてはいない。


 主観的には迅速に、星の視点ではゆっくりと、雲を道路にするように空を翔ける機械の羽イルカは確実に目的地へと近づいていた。少しの間だけ、沈黙を愛する2人の魔人を内に納めて。

 このまま何事も無ければ、或いは片割れの居場所は思考の海ならぬ夢の海だったかもしれない。

 だが、この世界にもこういう言葉がある。「私が知り得るのは、明日の雲は占い通りに行かない事だけ」。言い換えれば、「想定外は必ず起きる」だ。


 再びボールが投げられたのは、そろそろ見えてきたわと、どこか恥ずかしさを誤魔化すようなリンのお知らせから。

 輸送機の窓を再び覗き込んだアオの視界には、確かに陸の都市の光がぼうっと映っていた。まるで、光虫の群れのようだった。光虫は夜になると波打つような光のエンターテイメントを提供してくれるものだが、同じように付いたり消えたり眩い光が波を作っていた。

 いつ見ても第二地区は都会だなぁ、占領地だけど。というか、第一地区は何もあんな収容所だらけにしなくてもいいのになぁ。などとアオは若干脱線した思考を抱く。しかし、リンの思考はそうした呑気さとはまったく別の訝しげなもので、遅れて違和感に気が付いたアオもそのようになった。


 両者が抱いた共通の疑問とは、都市の光とはあのように波打つものだろうか?というもの。いや、波打つというか、ついたり消えたりを繰り返しているのだ。ゆらゆらと影が動くように光のない領域が蠢いていた。

 ねえアオ。アタシなんだか嫌な予感がするんだけどと発言が飛び出せば、奇遇だね、僕もそんな予感がしているよと返ってくる。リンが別所へと通信を入れ、ちょっと待っててと断りを入れて機内通話を一旦切ったのはそんな時で、アオがひょっとしたら出番かなと心の準備をし始めたのと時を同じくしていた。


「―――アオ!」


「いきなり叫ばないでくれないかな。脳が揺れそうだよ……その様子だと出番?」


「ええ、いくつか依頼の訂正が来ている。まず、怪獣は複数体だそうよ。中にランク1相当がアルファとして混ざってるって」


 まあ時々あることだね。それで、まだあるんでしょ?と続きを促すアオ。リンもランク1も入り混じった怪獣複数体という、普通であれば非常な難関のミッションをアオがしくじると思っていない。だから、本命は後者の方にあった。


「……それで、【現在は侵攻を水際で阻止中。そちらのヴァルキリーを直ちに発進されたし】、だって。やっぱりあれ戦闘光だったのね」


「妙に条件が良かったのはこれを見越してか………やっぱり美味しい依頼なんてそうそうはないね」


「なあに、アタシがその分ふんだくって来るから、大船に乗ったつもりで出撃しなさい」


 アオがそれは頼もしいねと返し、内心で調子に乗らないように後でリンの口座から引き落としておこうと考えた頃、今まで雲より少し低いくらいを飛んでいた羽イルカががくりと高度を落とし始めた。機体か魔力供給源たるリンの不調だろうか?いや、それがまさにアオと、その愛機が出撃すべき合図だ。


 徐に、機内に冷たい空気が騒音と共に入り込んでくる。見やれば、側面に大きな穴。まるで機体の表面を何かに切り取られたようにも見えるが、乗機用のドアが自動で開いたのだ。

 風に髪と服をはためかせ、その前に立つ人影。アオだ。


 風の音がやかましく鳴り響く中、ありったけの大声でリンが激励を叫んだ。


「武運を!!」


 それに対してアオが口にした感謝は、風音にかき消されてリンには聞こえなかった。

 そしてその直後、アオの身体は浮遊感と共に未だ暗い空の只中へと放り出されていた。

 ごうごうと高度を下げ、重力に引かれる先の死が確実に近づく中でも、アオの顔に恐怖はなく。その右手にいつの間にか握られていた、小さなキューブのようなものを徐に片手で捻った。



【Awaken!!】



 唐突に、覚醒を告げる電子音声が響く。

 それと同時に、アオの身体……否、その手に握られたキューブを中心にして、エネルギーの波のような光が発せられる。


【Who's the face under the mask?】

 

【Who's the face under the mask?】


 電子音声は未だ止むことなく、何かを問いかける文言を、壊れたラジオのように繰り返し続ける。それが彼の、アオの愛機を待つ待機音声なのだと理解できる者は果たしてどれほどいるだろうか。


 そうしてアオは、キューブに現れたスイッチを押し込むと同時、それを手放した。

 キューブが宙を舞う。それはバラバラになり、膨張し、組み替わり、蠢き、アオの身体をその内に取り込みながら、一つの形を成してゆく。翼の生えた、女性的なシルエットを持つ人型機械の姿へと。


 それは、選ばれしものの代名詞。

 それは、この世界での最強の称号。

 それは、アオ・カザマの剣。


 戦乙女が、顕現する。



【She's the Masked Maiden!】


【GRIMGERDE!!】


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