きつねの嫁入り【完結】
@Marikos
再会
第1話
年老いた男性が、縮こまりながら調剤薬局に入ってきた。持っている傘から大量の水が滴っている。自動ドアの向こうでは、激しい雨音とともに木々が暴風に身をしならせている。気象予報士によると、大型の台風は当初から描いていた予報円とほぼ同じ軌道でこちらに向かっているらしく、この一帯の雨風は十九時頃にピークになる見込みとのことだ。十五時現在、すでに外は薄暗くなっている。
処方箋の処理がひと区切りついて事務室に向かうと、中から薬剤部長の大野さんの声が聞こえてきた。
「それじゃあ車で迎えに来てくれるんだ。良い旦那さんじゃないの」
「そんなんじゃないわよ」
食い気味に答えているのは杉浦さんだ。彼女は旦那さんの悪口を言うのを日課にしている。
「台風来てるから車使わせてって言ったのよ。そしたら旦那が、俺が送り迎えしてやるよって。何なの、やるよって。恩着せがましいこと言って、どうせ自分が車使いたかっただけよ」
杉浦さんが、いつもの調子で旦那さんをこき下ろす。
「まあまあ。土曜日だからね」
大野さんが旦那さんのフォローにまわる。歳が近い二人はこんなやり取りばかりしている。
「ああ、横峯さん」
事務室のドアを開けたら、大野さんがわたしに気付いた。
「横峯さんは歩きだよね」
大野さんの横の小型テレビが、台風の様子を映している。荒れ狂う黒い海を背景に、雨合羽を着たキャスターが懸命にリポートをする、おなじみの光景だ。
「今日はもう上がってもらったらいいじゃない」
わたしが答えるより先に杉浦さんが言った。
「この台風じゃ患者さんも来ないだろうし。あ、大野さん車でしょ?ご自慢のレクサスで家まで送ってあげたら」
そう早口でそう捲したてる。
「ああ、そうだね」
杉浦さんの言葉に、大野さんが頷いた。
「今日は早めに閉めようかと思っていたんだ。今日はもういいよ。家まで送っていこう」
わたしに口を挟む隙を与えないまま、あれよあれよという間に話が進んでいく。
「ありがとうございます」
早退については素直に従うことにした。独身のわたしを気遣ってくれているだけでなく、労災の観点での判断だろう。
「ですが、家まで歩いて十分もかからないので、自力で帰れます。お気遣いありがとうございます」
送ってもらうのはさすがに遠慮すると、
「中年オヤジの車には乗りたくないって」
と、杉浦さんが返しに困る軽口を叩いて、ケラケラと笑った。
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