第10話
「体調は治ったのか」
注射の準備をしながら問いかけた。
「はい。ご迷惑をおかけしてすみませんでした」
女がしおらしく謝ってくる。
「急に酒を飲んだのにはびっくりしたな」
「すみません。あの時は意識が朦朧としてて……」
恥ずかしそうにしている。嗜虐心がくすぐられるけど、グッと堪えた。
「あれだけ熱があったらそうだろうな。俺が期限切ったせいで無理させたか」
「いえ、違うんです」
女はそれを否定した。
「もっと早くこちらに伺うこともできたんですけど、あの、自分へのご褒美にしたくて……」
途中から声が小さくなって、よく聞き取れなかった。
「ご褒美?」
聞き間違いかもしれないと思って確認したら、女は頷いた。
「あの日は、試験があって、終わったら先生のところに行こうって……」
「ああ、高卒認定試験か。悪い、鞄ん中見たからさ」
「いえ、いいんです。そうなんです、私、ちゃんと高校卒業してなくて」
「それは分かるけど、ご褒美って何だよ」
焦れてそう尋ねると、女は俯いて言いにくそうにした。
「まさか、注射をご褒美だと思ってんのか?だとしたらあんたも相当変態ーー」
「違います!先生に、会いたくて」
顔を上げた女の顔が、赤く染まっていく。
「は?俺に?」
会いたいと思わせるようなことをした覚えはない。俺がこの女にしたことは、キスをして、予防接種を餌に家に呼んだだけだ。
「すみません、急にこんなこと言って。でも、私にとっては特別で。ずっと先生のことを考えてしまって」
それはつまり。
「俺にキスの責任を取れと言いたいのか」
女がぶんぶんと首を横に振った。彼女が頭を動かす度に石鹸の匂いが香ってくる。興奮しそうになるからやめてほしい。
「そうじゃないです。私、久しぶりだったんです。先生は私に、丁寧にワクチンの仕組みを教えてくださって、家政婦だからってぞんざいに扱ったりしなくて。人からあんな風に優しくしてもらうの、すごく久しぶりだったから……」
そう話す女の目が潤んでいるのを見て、俺は自分が罪を犯したことを知った。
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