月光の丘より星屑の君へ(2)

「ねね」

 笑いすぎて上がった息を整えた彼女が、目線は星をとらえたままに、声をはずませる。

「今日って何の日か知ってる?」

 急すぎる問いに、俺は頭を悩ませる。

 なぜいきなり、と思うが、彼女の場合単なる思いつきだろう。

 俺は彼女の要求に応えるべく、記憶の奥底から聞いたことがあるものを掘り出した。

「たこ焼きの日、とか」

「ブー」

 なるほどそういう形式か。

 彼女は俺の回答に少し食い気味になって、よく聞く不正解の音を再現している。

 実は、その口を突き出した顔がおもしろかわいいのだが・・・。変えてもらっては困るので言わないでおくことにする。

「ほらほら、次は?」

「えー、姉の日」

「ブー」

「栗きんとんの日」

「ブー」

「お菓子の日」

「ブー」

 テキトーだから当たり前だが全然当たらない。

 俺もだんだん、真剣に考える気分になってくる。

「んー。愛と希望と勇気の日」

「ブー てか、何その日。ほんとにあるの?」

「あるよ。たしか1月くらいに」

「今11月だけど」

 彼女の批難するような視線を避けるようにそっぽを向くと、彼女はため息をひとつ吐いて諦めたように星空を見上げた。

「本当に分からないの?」

「分かりません」

 そう答えたとき、一瞬彼女の顔が悲しさも含んだ寂しげな表情を浮かべたことに、俺は気づかなかった。

「もうっ、しょうがないなあ」

 俺が彼女の方を見やると、彼女はぱっと花が咲いたように笑っていた。

「正解はねー、・・・しし座流星群の日」

 しし座、流星群・・・

 なんだろうか。どこかで、聞いたことがある気がする。

 とても、とても大事なことだったと思うのだが・・・。

 俺はもやもやと胸に広がる気持ち悪い感覚に眉をひそめる。

 思い出しそうで思い出せない、消化の悪いものを飲み込んだような違和感。

「うふふ、実はねー、私1回だけ見たことがあるんだよ。すごいでしょ」

「どこがすごいんだ」

 どやっと胸を張る彼女に反射でツッコむ。

 抱えていた違和感が頭の隅へ追いやられていく。

「えー、だって君、見たことないんでしょ」

「・・・いや、見たことはある、と、思うんだが」

 今一度思い出そうとして、ツキンと頭が痛んだ。

 ちらちらと星空のビジョンが浮かんでは消える。

『わああああっ、すごいっ、きれい。夢みたい・・・』

 思い出せ、忘れるな、と誰かがささやいている。

『約束しよう。わたし、がんばるから、がんばって生きるから』

 ――あれは、誰だ?

 瞬間。俺の脳内には、過去の記憶が堰を切ったように溢れ出していた。


 ~~~~~~~~~~~~


 俺――のぞむは、7歳の時、足の骨折で入院したことがあった。

 あの日は、毎日続く検査と診察が退屈で、なんとか逃れようと病室を抜け出したのだ。


 臨はどこでもいいから隠れなければとあたりを見回した。

 そろそろ臨が病室を抜け出したことがバレているはずだ。

「ここだ!」

 臨は手近な扉を開け、そこに飛び込む。

 音が出ないように急いで、静かに戸を閉める。

 そこでようやく臨ははあっと息を吐いた。

「だあれ?そこにだれかいるの?」

 突如響いた声に臨はびくりと身を震わせる。

 ようやく慌てて周りを見ると、どうやらここは誰かの病室らしかった。

「ねえ、だあれ?」

 また声がかけられる。

 声の主は布でしきられた向こう側、ベットのところにいるらしい。

 臨は逃げようか、と考えるが、声があまりにもかわいらしかったので、一度だけ、と布の中をのぞき込んだ。

 ぱちりと、ベットから身体を起こした女の子と目があった。

 お互いに目を見開く。

「きゃっ、だれよ、あなた!」

「ご、ごめん。すぐでていくから」

 臨が急いで病室を出ようと背を向けると、女の子は焦ったように声を上げた。

「まって!」

 臨は言われたとおりにピタリと止まる。

「ご、ごめん。出ていかないで。1人で、つまらなくて」

 臨はぱっと振り返った。

「つまらないの?」

「うん。つまんない」

 じーっとお互いに見つめ合う。

 臨はいそいそと女の子のベットの傍らにあるイスに座った。

「わかった。おれもつまんないから、はなしあいてになってやる」

 どーんと腕を組んでそう言うと、女の子はぱああっと満面の笑みを浮かべた。

「じゃあ、じゃあねえ。わたしは”かおる”だよ」

「おれは”のぞむ”だ」

「えへへ、これからよろしくね。のぞむくん」

「うん」

 臨は女の子――かおるの笑顔にどきりと胸が高鳴った。


 この後、臨は看護師さんと親に発見され、大目玉を食らわせられた。

 かおるが一緒に謝ってくれたから少しですんだが、鬼の形相とはこのことだな、と思った。

 それから臨は定期的にかおるに会いに行くようになり、2人は日に日に仲良く、打ち解けていった。


「ねえ、のぞむくんはりゅーせーぐんって見たことある?」

「りゅーせーぐん?」

 11月に入り、風が冷たくなってきたころ、かおるはそんなことを口にした。

「見たことないけど、どうして?」

「きのう、テレビでやってたの。ほんとーにきれいなんだって」

「ふうん。見たいの?」

「見たい・・・・けど、むりだよ。わたし、びょーきだし」

 かおるがすっとうつむく。

 その顔が今にも泣きそうに見えて、臨はたまらなくなった。

 この場にいるのがむずがゆくて、今すぐ動き出したい衝動にかられる。

 臨はばっといきおいよく立ち上がった。

「のぞむくん?」

「かえる」

「えっ」

 かおるを傷つけてしまうことはわかっていたが、臨は逃げ出すようにその場を立ち去った。


 それから数日後、臨はかおるの病室を久々に訪れた。

 突如現れた臨に、かおるはぽかんとしていたが、じわじわと目に涙がたまっていく。

 臨はぎょっとした。

「う、う、うわーん」

「え、ちょ、かおるちゃ」

「のぞむくんのばか!もうこないかもっておもっちゃったじゃん!」

「ごめん」

 臨が素直に謝ると、かおるは涙をふいて首を振った。

「ううん、でも、よかった。もうあえなかったらどうしようっておもってたから」

「あえないなんて、そんなわけないだろ!」

 臨が思わず力強くそう言うと、かおるは悲しそうに笑った。

「あのね、のぞむくん」

 かおるは一度言葉を切ると、深呼吸する。

「わたし、もうすぐしんじゃうみたい」

「へ・・・・?」

 臨はかおるが何を言っているのかわからなくて、頭が真っ白になった。

 そして、半ば無意識に言葉を紡ぐ。

「な、なにいってるんだよ。そんなこと」

「あるよ。ママもせんせいもいわないけど、わたし、わかる。たぶん、もうたすからない」

「そんな、そんなこと、いわないでよ」

 臨がかおるの手を取りそう言っても、かおるは力なく微笑むだけだ。

 かおるはもう、あきらめてるんだ。

 それがわかると、臨はぐっとこぶしを握り込んだ。

「行こう!」

「え?」

 脈絡のない言葉にきょとんとするかおるに、臨は目をまっすぐ見つめて力強く訴えた。

「りゅーせーぐん、見にいこう!!」

 かおるは、臨が言っている意味を理解し、狼狽する。

「なに、いってるの。そんなこと、できるわけ」

「できる!あさってのよる、ししざりゅーせーぐんがくる!!だから、むかえにくるから。おれは、いっしょに行きたい」

「それ・・・しらべて、くれたの?」

「ま、まあ」

 かおるの瞳が揺れるのを、臨は見た。

 ・・・・何秒、経っただろうか。

 2人は見つめ合い続けている。

 かおるの目から、一筋の涙がこぼれた。

「いきたい・・・・・・・」

「え」

「いっしょに、いきたい・・・・・・っ」

 臨は気持ちが晴れ渡っていくのを感じた。

「行こう!ぜったい!」

「うん!」

 2人は額を合わせて笑い合った。


「はあはあ」

 しし座流星群の日、臨とかおるは手をつなぎ、病院を抜け出していた。

 病院から離れ、森の入り口のところで立ち止まる。

 臨とかおるは顔を見合わせ、どちらかともなく笑い出した。

「ふ、ふふ」

「あはは」

「やっちゃった。でてきちゃった!」

「うん。きちゃった」

 2人でもう一度笑い合うと、一度笑みを引っ込め真剣な顔でうなずきあう。

「かおるちゃん、こっち」

「うん」

 臨はかおるの手を引いて森の中へと入っていった。


 暗い森を2人で手を繋ぎ進んでいくと、突如木がない空間が現れ、夜空が一面に広がる。

「わあああ」

 きらきらと輝く星空にかおるは瞳を輝かせた。

「すごい、すごい!わたし、こんなにきれいなほしはじめて!」

「うん、じつはここ、おれのひみつきちなんだ」

「そうなの!?すごい!」

 興奮して声高に叫ぶかおるを前に臨は得意げに胸をはる。

「たぶん、もうすこしで」

「あ、あれ!」

 かおるが夜空を指さす。


 しし座流星群が降ってきた。


「わああああ、わあああああ」

 かおるは興奮しきったようにキラキラと目を輝かせ身を乗り出している。

 臨も流星群に見入っていた。

「わああああっ、すごいっ、きれい。夢みたい・・・」

 しばらく、2人は流星群だけを見ていた。

 なにが、きっかけだったのか、ふとかおるが臨の手を引いた。

 そして、意を決したように口を開く。

「約束しよう。わたし、がんばるから、がんばって生きるから」

 臨は思わず息を止め、かおるの言葉を聞き逃すまいと耳をすました。

「だから、またここで、りゅーせーぐんをいっしょにみようっ」

 臨は胸に迫る歓喜に打ち震えながら、無我夢中でうなずいた。

「うん。約束。ぜったいに」

 臨の答えに、かおるはゆっくりと口角を上げる。

 ――この時の、かおるの笑顔を忘れることはないだろう、と思った。


 ~~~~~~~~~~~

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