目が覚めたエレノア

「今日はよく屋敷を抜け出せたね。いつも、家のことを手伝わされているんだろう?」

「えぇ、いつもメイドみたいなことをさせられているわ。でも、今日は早起きしてやらなきゃいけないことを全部済ませてきたから、クロネリー男爵夫人からはなにも言われなかったわ」

「可哀想に。僕がエジャートン公爵になったら、クロネリー男爵家から救い出してあげるよ。今よりずっと大きな屋敷に住まわせて、使用人をたくさん雇ってあげる。キャリーはもうメイドみたいなことをしなくていいんだ」

「本当に? 私、いつかエジャートン公爵夫人になれるの?」

「そうさ。エレノアと一度は結婚するけど、エジャートン公爵にさえなってしまえば、あとはエレノアと離婚して、キャリーと結婚するよ」


 エレノアは悲しみや怒りを通り越して呆れる。デラノは貴族との結婚を、まるでわかっていなかったからだ。向かい合うように座っていたベッカムも、笑いをかみ殺して肩を震わせていた。この国の平民と貴族との結婚は、デラノが思っているような展開には、決してならないことを知っていたからだ。

 

「デラノ様。私たちほど気が合う恋人同士はいないと思うの。私はあなたにずっとついていくわ。デラノ様の支えになると誓うわ」

 

 「おいおい。エレノアみたいなことを言うなよ。エレノアは僕を支えるなんて言っているけど、ただ美しくなった僕を縛りつけたいだけなんだ。恩着せがましく食事管理とかしてきてさ。頭にくるよ。エレノアと結婚したら、エジャートン公爵夫妻には隠居してもらいたいな。どこか遠くに行ってもらって、僕は好きなように暮らすんだ」


 「そうよね。事故死とか病死なんてしてくれたら最高よね。夫婦揃って……あっ、一番いいのは、エジャートン公爵夫妻とエレノア様が一度に亡くなってしまうことよねぇ……」


 キャリーが楽しげに笑った。エレノアが耳をふさぎたくなるような会話が続く。


 (これがお父様に我が儘を言って、平民を婚約者にした私の愚かさが生んだ結果なのね。恋人に裏切られたというより、人間的に最低な男性に騙された気分だけれど、それも自分に見る目がなかったからなんだわ……)


 エレノアは静かに涙をこぼし始めた。ベッカムはそっとハンカチを差し出すと、優しくエレノアを促してカフェを後にし、馬車に乗り込んだ。もうこれ以上、デラノたちの会話を聞く必要はないと判断したのだ。

 ベッカムは何度も優しい声でエレノアを慰めた。彼はエレノアがまだデラノを愛しているのではないかと思い、彼女が傷つかないよう慎重に言葉を選んでいた。しかし、エレノアは静かに首を横に振る。


「今流している涙は、裏切られて悲しいからじゃないわ。あんなクズに夢中だった自分が、情けなくて仕方ないのよ。お父様たちの死を願うなんて、最低にもほどがあるわ。だって、お父様は毎月、デラノが私の婚約者としての品格を保てるように支援金まで渡していたのよ。あんな男と結婚したら、きっと毒入りのケーキでも私に食べさせようとするに違いないわ」

 

「そうだね。しかし、エレノアが死んでもデラノにはなんの得もないことを、デラノが知らないとは驚きだな。この国の法律を勉強していないよな。私も全ての法律を把握しているわけではないが、自分に関係してくると思われる法律は目を通しているよ」


 貴族は領地や財産、家業を管理するが、女性が爵位を直接継承することは許されていない。一方で、女性が財産や家業を継ぐことは認められていた。これは、特に公爵家のような有力な家系で、経済的な繁栄を維持するための手段であり、女性が家業を管理することで家の繁栄を支える役割を担うことが認められていたからだ


 婚姻と爵位の継承は、貴族向けに一冊の本になっているくらい細かく法律で定められていた。公爵令嬢のエレノアと平民のデラノが結婚した場合、デラノは「エレノアの夫」という立場でのみ、名目的な爵位を名乗ることができる。しかし、デラノが得る爵位には実際の権力や領地の管理権は伴わない。これは、貴族の血を一滴も持たない平民には、実質的な権限が与えられないという貴族社会の鉄則に基づく。


 もしエレノアが亡くなったり、二人が離婚した場合、デラノは当然に爵位を失う。エレノアが男子の子どもを生んだ場合も、その子どもが正当な後継者として爵位を名乗ることになる。実権を手にするのも、成人したエレノアが生んだ子のみである。つまり、デラノは名目的な爵位を享受している間も、家業や領地の管理には関与できず、単にエレノアの伴侶としての立場に留まるだけで、お飾りのようなものなのだ。


 しかし、エレノアがエジャートン公爵家の遠縁であるノールズ伯爵家のベッカムと結婚した場合、状況は大きく異なる。ベッカムはエレノアと結婚することで婿養子となり、爵位を継ぎ公爵領の管理にも実質的に関わることができる。この場合、ベッカムはエレノアと協力して領地の運営や家業の管理を手伝うこともできるし、王家の騎士として王宮内の仕事に就くこともできる。エレノアの死後もその実権を引き継ぐ権利を持つのは、エジャートン公爵家の血が混じっているからだ。

 もちろん、エレノアが男子の子どもを残した場合、その子が公爵家を正当に継ぐこととなり、ベッカムはその後見人としても影響力を持ち続けることになるのだ。


 このように貴族同士の結婚と、一方が平民である場合とはまったく異なった結果になるし、貴族同士の結婚であっても、婿になる者が婿入り先の血筋を引いているかいないかで、異なる法律が適用される。




 エレノアとベッカムは馬車に乗りながら、デラノたちがでてくるのを待った。ふたりはカフェを出たところで抱き合い、軽くキスを交わした。

「やっぱり、僕はエレノアといるよりキャリーといるほうが、ずっと落ち着くよ。君とずっとこうしていたい」

 そんなデラノの甘い囁きまで、エレノアたちは聞くことができた。エレノアは心のなかでつぶやく。


(だったら、そちらと結婚したらいいでしょう? 王家主催の学期末祝賀パーティで盛大に婚約破棄してあげるから覚悟しなさいよっ!)


 デラノに尽くして幸せを感じていたエレノアはもういない。エレノアは祝賀パーティまでデラノとキャリーには、今までどおりに振る舞うことにしたのだった。

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