第4話 文箱の中身

「やっ……」


 やっぱりアレだ、とうっかり言いそうになった自分の口を手で押さえた。

 間違いない。これは今朝、私が勝手にのぞいてしまったものと同じ文箱ふばこだ。〈まがひめ〉と書かれた白い封筒が、の死体のように折り重なっている。


 背中に冷や汗が伝うのを感じつつ、目線だけ動かして弓丸の表情をうかがう。幸い、私が前にこれをのぞいたことがある、という事実には気づいていないようだった。むしろ、その瞳には私を心配するような色が浮かんでいる。


「大丈夫か? こういうの、苦手だろう。悪意のかたまりだ」

「……確かに、得意じゃないけど。今はそれよりも、この封筒の中身が気になる、かな」

「そうか。それなら、どれでも好きな封筒を取るといい」


 弓丸は箱を両手でつい、と押し出して私の方に寄せた。三十センチ四方に満たないはずのサイズの箱が、妙に大きく見えてしまう。隠し事をしている、という罪悪感がチクチクと胸を刺してくるけれど、今は「この封筒の中に何が入っているのか」ということが気になって仕方なかった。

 どれにしようか迷いつつも、私は一番上に置かれていた封筒を手に取る。百円ショップに売っていそうなごく普通の紙の手触りだ。すでに封は開けられている。一応、弓丸がこの中身を確かめてあるのだろう。

 

「中も見てもらって構わない」

「あ……うん。分かった」


 封筒に指を入れ、中に入っていたメッセージカードを引っ張り出す。そこに書かれていた文字を見た瞬間、心臓がドクン、と大きく跳ねた。


「ちょっと、何、これ……!」


 思わずカードを握りつぶしそうになり、あわてて手を開く。何度見ても、書いてある言葉に変わりはなかった。


 ——『歩道橋から飛び降りて死ね』。


 それだけだ。他には何も書かれていない。不気味なほどに乱れのない筆致ひっちで、このカードにはそんな言葉が記されていた。


「弓丸……」


 どう声をかけていいかわからないまま、カードから顔を上げて弓丸を見た。彼は何も言わず、ただ唇をきつく結んで箱の中へと視線を落としている。

 私は、引き寄せられるように他の封筒へと手を伸ばし、次々と中身を確かめ始めた。


『歩道橋から飛び降りて死ね』

『歩道橋から飛び降りて死ね』

『歩道橋から飛び降りて死ね』


 あぁ、もう——ひとつ残らず、全部。


「合計百通……君に出会うまでの百日間、これがずっと届き続けていた。最初は、何かの悪戯いたずらかと思って、気にしないようにしていたんだが……この”願い事”が、毎日、毎日、届くから。だんだん訳が分からなくなってきて、ふとした拍子に、その言葉が耳の奥で聞こえるようになって」


 弓丸の言いたいことは、分かる。このカードを見ていると、自分の意識が根こそぎ持っていかれてしまうような感覚にとらわれるのだ。これもマガツヒメの持つ特殊な能力なのだろうか。それとも単に、この言葉の暴力性によるものだろうか。どちらにせよ、重要なのはその結果だ。

 あの歩道橋の上で私と出会ったとき、やっぱりこの子は。


「気がついたら、歩道橋の欄干らんかんに立っていたんだ。そして君は、僕の手をつかんだ」


 私はバッと腕を広げて、弓丸の体を思いっきり抱きしめた。

 あぁ、小さな肩だ。この肩に、これほどの重荷おもにがくくりつけられていた。誰に相談することもできないまま、一人で抱え込んで、追い詰められて。

 弓丸は一瞬驚いたように身じろぎをしたが、それ以上動こうとすることはなかった。ただ私の腕を受け入れて、ぽつりぽつりと話を続ける。

 

「どうせ止める人もいないんだし、あの手紙の言う通り、ここから飛び降りてみればいいんだ、と思った。美命も、そうだったんだろうな」

「……そっか。じゃあ、あの〈保健室〉で稀瑠れあるのことを締め上げてしまったのは、そのときのことを思い出したから、だったんだね」

「ああ。おたよりランキング、だったか? 稀瑠れあるはそんなことで人が死ぬか、と言って自分の行いを軽んじていた。だが、人は〈そんなこと〉で向こう側に誘われてしまうんだ——僕は、身をもってそのことを知っていた、から」


 彼の背に回した腕に、もう少しだけ力を込める。歩道橋に立つまでの百日間、どれほど心細くて、怖くて、つらかっただろう。

 あの〈保健室〉で、普段穏やかな彼があんな行動に出たときは驚いたけれど、そんな経験があったのなら納得せざるを得ない。


 私は弓丸の体を離し、散らかしてしまった封筒の山に手を置いた。これは、差出人は違えど、美命を死に追いやったものと同じものだ。自分は姿を現さず、一本一本小さな針を刺していく。なんて卑怯ひきょうで、みにくいものか。そのやり口が、美命のときと似ているのも気持ち悪い。


 いったい、〈まがひめ〉——而葉しかるばさんは、何のためにこんなことを。弓丸のことは信じるな、と言っていたけれど、こんなものを見せられたらどちらを信じるべきかは明確だ。


 ふつふつと腹の奥底が静かに煮えるのを感じながら、封筒の中にカードを入れて箱に戻していく。そうやって少しでも気持ちを落ち着けようとしていると、弓丸が私の前にしゃがみ込み、ちょいちょいと私の服を引っ張った。


「なに? どうかしたの」

 

 それから弓丸は、たわむそでを品のいい所作で払って、どういうわけかじゃんけんの「チョキ」のポーズを取る。まさかここで、唐突とうとつにピースサインを繰り出そうなんてことは考えないはずだ。困惑しながら私が首をかしげると、弓丸はその手をずいっと私に突きつけた。


「二つだ。実は、君に伝えたいことがあと二つある」


***


 弓丸は文箱ふばこを棚の上に片付けて、私の隣に腰を下ろした。あぐらを組み直し、その足首をグッと握って、うつむきがちに何やら思案を巡らせている。窓の外で風が吹いて、オレンジ色に透けた木の葉がさざなみのような音を立てた。そろそろ日没が近づいているらしい。


「あの……もし言いづらいんだったら、無理しなくても大丈夫だよ」

「いや、やはり君にだけは、特別に教えておきたいと思う。またいつ禍者かじゃたちが襲ってくるとも分からないし、説明が必要になった場面で落ち着いて話せる保証もない」


 私は、なるほど、と手を打ってむしろの上に座り直した。確かに彼の言う通りだ。もし二人で共有しておいた方がいいことがあるなら、この機会にまとめて聞いておいた方が良いだろう。マガツヒメ——而葉しかるばさんは、手紙こそ送りつけていたものの、直接この場所に近づくことはしていない。弓丸の縄張りだから入れないのか、それとも自分の正体に気づかれたくないからかは分からないが、この機会は生かしきっておく方がいい気がする。今度ここに来ようとしたとき、邪魔されないとも限らないのだ。

 私の聞く体勢が整ったのを見て、弓丸は話し始めた。


「もう察しているかもしれないが、僕の体は、ほぼ不死身と言っていいほど回復力が高い。実のところ、普段の状態なら、歩道橋から飛び降りたってせいぜいケガをする程度だ。ちゃんと着地すればそもそも無傷で降りられるし、骨折や出血は数分から数時間そっとしておけば治る。かかる時間はケガの程度によるけどね」

「えっ、そ、そうなのっ?」


 さっきの話とつながりがあるどころか、前提からひっくり返してしまうような発言だ。どうやったら弓丸が死ぬのか——それは、あの〈保健室〉で〈もう一人の私〉が質問していたことではあるけれど。


「僕の霊力れいりょくみなもとは、この体に流れる特別な血だ。極端きょくたんな話、仮に爆弾でバラバラになったとしても、かけらを寄せ集めて置いとけば数日で元に戻ると思う。逆に言えば、ドクロ蜘蛛にあのまま食われて消化されてしまったら、さすがにどうしようもなかったかな。毒とか呪いを含まない、単純な物的ダメージにはかなり強い方だ」

「なっ、だ、だったら!」


 思わず弓丸の腕をつかんだ。まさかそこまで強い不死身性を持っているなんて、言われなきゃ分かるはずもない。そんなに回復力が強いなら、もしあの歩道橋で彼が飛び降りてしまっても、死ぬことはなかった……んじゃないだろうか。

 混乱する私を置いて、弓丸は冷静な様子で続ける。


「だから、僕が敵に攻撃を受けたとしても、そんなに心配しなくて大丈夫だ。と、言いたいところなんだが」


 そこでいったん言葉を切って、弓丸は少しの間沈黙する。


「ある条件を満たしている時に、致死量のダメージを食らったり、限界まで力を使ったりしたら、僕は二度目の死を迎えることになる。君にあの歩道橋で声をかけられたとき、そうなる条件はそろっていたんだ」

「じょ、条件……?」

「藍果はなんだと思う」


 弓丸のんだ瞳が、私の心をのぞき込もうとするようにジィッとまっすぐ見つめてくる。ほぼ不死身と言っていいくらいの彼の回復力が、全く役に立たなくなる条件。そんなこと聞かれたって、急には思いつかない。


「うーん……睡眠不足のとき、とか?」

「当たらずとも遠からず、だ」


 弓丸はそう言って、視線を少し下に落とした。次の言葉をつむごうとする、その口がなかなか動かない。そうだ——〈本当のこと〉を話すのは、相手の前に一糸いっしまとわぬ無防備な姿をさらけ出すのと同じことだ。

 それでも、弓丸は細く息を吐き出して、小さな声で打ち明けた。

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