第3話 穏やかな時間

「よいしょ……」


 ザクッ。ザクッ。


 舗装ほそうされていない砂利じゃり道を、一歩一歩踏みしめるようにしてのぼっていく。石段の前までたどり着くと、小さな鳥居をくぐってしげみの中に入った。この先に鎮場ちんば神社じんじゃがある。


 さっきの件については、明日、学校帰りに図書館に寄って調べることになった。瀬名に「今から図書館で待ち合わせってできる?」とメッセージを送ってみたところ、「ごめん、無理そう。明日の放課後なら可!」と返信があったからだ。瀬名はヤドリ蔦の件で二日前に帰ってきたばかりなわけだし、おいそれとこの時間帯には外出させてもらえないのだろう。私の家は割と放任主義な方だからイメージしづらいけれど、瀬名の家は少し過保護のがある。行方不明になったなんて、それはもう散々心配されたはずだ。


 そういうわけで、私はアヤと別れ、弓丸の元へと向かっていた。手には弥永やながのおばちゃんから持たされたお土産。実はこれ、注文したまま食べそこねていたわらびもちである。あのとき注文したのと同じ二人分、わざわざ保冷剤と一緒に袋に入れて渡してくれた。


「ふぅ……」


 石段を一つ、また一つ上がるたびに、置いてけぼりにしていた色々なことが次々と浮かんでは混ざり合っていく。


 律乃さんのこと。

 さっき目にした惨状さんじょうを、私は忘れないだろう。彼女は、美命のために全てを投げ打って、できうる限りの復讐ふくしゅうげた。けれど、彼女の本当の願いは、美命の成長を見守ること……だったはずだ。


 今さら、何かができたとは思えない。美命はもちろん、律乃さんだって、あのときすでに人としての命をなくしてしまっていた。それほどの覚悟であり、悲しみだったのだろう、と思う。


 私たちは、美命を殺し、さらには律乃さんまでをも死なせてしまった。その上、律乃さんは先生たちの命を奪っている。旧五年一組のクラスメイトだって、全員が戻ってこれたかどうかは分からない。


「う……」


 改めてその事実を受け止めれば、心臓の周りにびた鉄がこびりつき、じわじわと食い込んでくるように感じた。胃の下の辺りがしくしくと痛み、足取りが重くなる。膝から下に、泥かコールタールでもまとわりついているかのようだ。


 せめて、美命だけでも生き返らせることができたなら。もしもそれが、自分の命と引き換えに叶うとしたら……そんな益体やくたいのない妄想もうそうが頭の中にふくらんで、私はぶんぶんと首を振る。


 死んだやつは生き返らない。だから、あんまり昔を振り返らないでこれからを生きろよ——あのとき稀瑠が言っていたことは、まるっきり正しくないわけじゃない。生きていくためには、それくらいの身軽さが必要だ、ということも理解自体はできる。


 もう一度鳥居をくぐり、境内けいだいに足を踏み入れた。水の止まった手水舎ちょうずやと、年季が入ったおやしろ。相変わらず、参拝客は私の他に誰もいない。


「弓丸ー?」


 それと、もう一つ気になるのは而葉しかるばさんのこと。

 彼女は自分をまがひめなのだと明かした。人を呪い、世界を呪う人間に〈化生のモノ〉の力を与え、その代わりに弓丸と戦わせていた。彼女が言うには、弓丸は芳帖家ほうじょうけほろぼして封印されてしまった、悪い神様なのだという。そして、私が〈鎖の少女〉であるとか、どうとか。


 何か引っかかる。に落ちない。

 

 具体的な指示はされていないし、行動を制限されているわけでも監視されているわけでもない。弓丸のことを信じるなとは言われたけれど、それだけだ。いて言うなら、泳がされている……かのような。


 参道の石畳いしだたみを進み、古びた賽銭箱さいせんばこの裏に回って、しめなわけられた戸を軽く叩いた。が、特に反応は返ってこない。中にいるのか、それともまた水浴びでもしているのか。


「弓丸、開けるよー?」


 そっと戸を開けてのぞいてみると、前に来たときとは打って変わって、室内は柔らかな光で満たされていた。左右の格子窓こうしまど蔀戸しとみどが開けられていて、少しかたむいてきたひかりが板の間に差し込んでいる。


「お邪魔しまーす……」


 後ろ手に戸を閉め、靴を脱いで板張いたばりの拝殿はいでんに上がった。むしろや座布団、棚、参拝用のガラガラ鈴、それから文箱ふばこ——壁際に置かれた雑多な物品は、ほとんど場所が変わっていない。

 そして、これまでは暗くてよく見えなかった拝殿の奥に、一段高くなっている畳敷たたみじきの空間があることに気づいた。御簾みすで仕切られてはいたが、その向こう側には小さな影が横たわっている。


「弓丸?」


 軽く呼びかけながら、抜き足差し足で御簾みすの方へと歩み寄った。これだけ近づいても、彼から反応は返ってこない。御簾みす越しに、弓丸の肩がゆっくり上下しているのが分かる。すうすうと呼吸の音も聞こえるし、彼はただ深く眠っているだけのようだった。


「弓丸、来たよ」


 持ってきたお土産を袋ごとわきに置き、もう一度声をかけてみる。すると、弓丸はもぞもぞと頭を起こし、横から御簾みすをちらりと開けて眠たげな顔をのぞかせた。帯を緩め、水干から袖を抜いて、少し涼しくした状態で寝ていたらしい。細めた目をゆっくり一回まばたきさせて、気だるげに口を開く。


「……なんだ。藍果か」

「だから、さっきから何回も声かけてたでしょ。もし来たのが敵だったらどうするの?」

「そういうときは、ちゃんと、起きる……」


 なんだか昼寝を邪魔された猫のようだ。思わず笑いそうになると、弓丸は決まり悪そうに御簾みすの後ろに引っ込んだ。少し衣擦きぬずれの音が聞こえてきて、御簾みすに髪を結い直す姿が映る。


「君なら勝手に御簾みすをめくることもあり得るかと思ってたけど。そこまで遠慮なしじゃないらしいな」


 身支度を整えて、弓丸は板の間の方に出てきた。声にはまだ幾分いくぶんか眠気を帯びているが、目はパッチリと開いている。いつも通りの聡明そうめいそうな顔だ。


「あの、弓丸……」

「心配なら必要ない。一つめの鳥居を超えた時点で、気づいてはいたんだ。でも、君だったから別にいいかと思って」

「うーん……休みの日に鳴る、一回目の目覚ましアラームみたいな?」

「……よく分からないが、多分そんな感じだ。それで、急にやってきてどうしたんだ? 何か、伝え忘れたことでもあったのか」

「せっかく休んでたのに、邪魔しちゃってごめんね。体調が気になってたから、お見舞いに来たの」


 私は、さっき脇に置いた袋からわらびもちを取り出した。アイスコーヒー用のプラスチック容器に、ぷるんと透き通った四角形のお餅がたくさん入っている。ストローを差し込むところには代わりに竹串が刺さっており、きな粉とあんみつの袋は容器の外側に貼り付けてくれていた。お土産というか、代金はきっちり払わされているのだけれど。


「これ、さっき食べそびれたやつ。弥永のおばちゃんが持たせてくれたんだ。二人分あるし、一緒に食べよう?」


 わらび餅を見せると、弓丸の表情がパッと明るくなった。私の手の中に視線をロックオンさせたまま、髪の毛を伸ばして壁際のむしろを引っ張り出す。それを床に敷いて、その上に座った。なんだろう、せっかくの能力が無駄づかいされている気がする。

 私は容器のフタを開け、きな粉とあんみつをわらび餅にかけた。それを丸ごと彼に渡そうとしたのだが、ちょっとした名案を思いついてその手を引っ込める。おあずけをくらってわずかに不満げな表情を浮かべた弓丸の前に、竹串でわらび餅を一個取って差し出した。


「はい。どうぞ」

「……僕は、もうそんな歳じゃないんだが」

「いいの。甘えられる時に、甘えた方がいいよ」


 竹串をもう少しだけ弓丸の唇に近づける。

 彼は観念したように目を伏せて口を開き、つるりとわらび餅を口に含んだ。初めての味に驚いたのだろうか、一瞬目を見開いてから慎重に咀嚼そしゃくし始める。その独特な食感に目を丸くしつつも、ややあってこくりと飲み込んだ。

 私も自分の分を取り出し、おばちゃんお手製のわらび餅を味わう。口に入れた瞬間ふわりと広がる香ばしいきな粉の風味、優しい黒蜜の甘さとひんやり冷たい食感。昔から変わらない、小学校に上がる前から親しんできた味だ。弓丸に視線を戻すと、彼はもう待ちきれなさそうに二口目を待っていた。


「というか、もうその容器ごとくれないか。気は済んだだろう」

「ふふ。からかってごめん……はい、おそなえいたします」

「そういうのも別にいいから」


 私からわらび餅を取ると、今度は二切れのわらび餅を竹串に刺して頬張った。よほど気に入ったらしい。それにしても、弓丸がこんなにわらび餅が好きだとは知らなかった。


「そういえば、弓丸はなんでこれを注文しようと思ったの?」

「……一度食べてみたかったんだ。僕が人として生きていた頃、こういうものは帝くらいしか口にできないような高級品だった。普通のお餅は、祝い事のときに何度か食べたことがあったけど」


 彼は一息置き、残っているわらび餅をもぐもぐと食べる。あっという間に食べ終わってしまって、弓丸は少し気恥ずかしそうに私を仰ぎ見た。


「柔らかくて、ひんやりしていて、見た目は氷みたいで……普通のお餅とは全然違う。すごくおいしかった。ありがとう、藍果」

「ううん。いつも助けられてばかりだから、これくらいのお返しはさせてよ」


 弓丸の嬉しそうな表情に、私まで気持ちが明るくなる。今度こそ、お店の中でゆっくり好きなものを味わってほしい。おばちゃんにも感謝を伝えておかないと……そう思いながら、私も残ったわらび餅を食べ終えた。


「そうだ、藍果——せっかくの機会だから、君に黙っていたことを教えてあげる。他にこのことを知る者は一人しかいない。今回の〈ドクロ蜘蛛〉の件で、落ち着いて話をできることは当たり前じゃないってことがよく分かった。だから、今伝えておくよ」


 そう言うと、彼は立ち上がって棚の前へと歩いていった。そこから何かを取り出してきて、私の前に置く。

 どこか見覚えのある、木でできた文箱ふばこ。これは確か、今朝ここにきたとき勝手に開けてしまった、あの。


「どうして僕が、我を忘れて稀瑠に掴みかかってしまったのか……それもきっと、君なら分かるんだろうと思う。そしてこれは、君と初めて会ったとき、僕が歩道橋にいた理由でもあるんだ」


 弓丸は文箱のフタを静かに開け、私の前に差し出した。そこに入っていたのは大量の手紙。


 それはどれも——〈まがひめ〉からのものだった。


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