第3話 穏やかな時間
「よいしょ……」
ザクッ。ザクッ。
さっきの件については、明日、学校帰りに図書館に寄って調べることになった。瀬名に「今から図書館で待ち合わせってできる?」とメッセージを送ってみたところ、「ごめん、無理そう。明日の放課後なら可!」と返信があったからだ。瀬名はヤドリ蔦の件で二日前に帰ってきたばかりなわけだし、おいそれとこの時間帯には外出させてもらえないのだろう。私の家は割と放任主義な方だからイメージしづらいけれど、瀬名の家は少し過保護の
そういうわけで、私はアヤと別れ、弓丸の元へと向かっていた。手には
「ふぅ……」
石段を一つ、また一つ上がるたびに、置いてけぼりにしていた色々なことが次々と浮かんでは混ざり合っていく。
律乃さんのこと。
さっき目にした
今さら、何かができたとは思えない。美命はもちろん、律乃さんだって、あのときすでに人としての命をなくしてしまっていた。それほどの覚悟であり、悲しみだったのだろう、と思う。
私たちは、美命を殺し、さらには律乃さんまでをも死なせてしまった。その上、律乃さんは先生たちの命を奪っている。旧五年一組のクラスメイトだって、全員が戻ってこれたかどうかは分からない。
「う……」
改めてその事実を受け止めれば、心臓の周りに
せめて、美命だけでも生き返らせることができたなら。もしもそれが、自分の命と引き換えに叶うとしたら……そんな
死んだやつは生き返らない。だから、あんまり昔を振り返らないでこれからを生きろよ——あのとき稀瑠が言っていたことは、まるっきり正しくないわけじゃない。生きていくためには、それくらいの身軽さが必要だ、ということも理解自体はできる。
もう一度鳥居をくぐり、
「弓丸ー?」
それと、もう一つ気になるのは
彼女は自分を
何か引っかかる。
具体的な指示はされていないし、行動を制限されているわけでも監視されているわけでもない。弓丸のことを信じるなとは言われたけれど、それだけだ。
参道の
「弓丸、開けるよー?」
そっと戸を開けてのぞいてみると、前に来たときとは打って変わって、室内は柔らかな光で満たされていた。左右の
「お邪魔しまーす……」
後ろ手に戸を閉め、靴を脱いで
そして、これまでは暗くてよく見えなかった拝殿の奥に、一段高くなっている
「弓丸?」
軽く呼びかけながら、抜き足差し足で
「弓丸、来たよ」
持ってきたお土産を袋ごと
「……なんだ。藍果か」
「だから、さっきから何回も声かけてたでしょ。もし来たのが敵だったらどうするの?」
「そういうときは、ちゃんと、起きる……」
なんだか昼寝を邪魔された猫のようだ。思わず笑いそうになると、弓丸は決まり悪そうに
「君なら勝手に
身支度を整えて、弓丸は板の間の方に出てきた。声にはまだ
「あの、弓丸……」
「心配なら必要ない。一つめの鳥居を超えた時点で、気づいてはいたんだ。でも、君だったから別にいいかと思って」
「うーん……休みの日に鳴る、一回目の目覚ましアラームみたいな?」
「……よく分からないが、多分そんな感じだ。それで、急にやってきてどうしたんだ? 何か、伝え忘れたことでもあったのか」
「せっかく休んでたのに、邪魔しちゃってごめんね。体調が気になってたから、お見舞いに来たの」
私は、さっき脇に置いた袋からわらび
「これ、さっき食べそびれたやつ。弥永のおばちゃんが持たせてくれたんだ。二人分あるし、一緒に食べよう?」
わらび餅を見せると、弓丸の表情がパッと明るくなった。私の手の中に視線をロックオンさせたまま、髪の毛を伸ばして壁際のむしろを引っ張り出す。それを床に敷いて、その上に座った。なんだろう、せっかくの能力が無駄づかいされている気がする。
私は容器のフタを開け、きな粉とあんみつをわらび餅にかけた。それを丸ごと彼に渡そうとしたのだが、ちょっとした名案を思いついてその手を引っ込める。お
「はい。どうぞ」
「……僕は、もうそんな歳じゃないんだが」
「いいの。甘えられる時に、甘えた方がいいよ」
竹串をもう少しだけ弓丸の唇に近づける。
彼は観念したように目を伏せて口を開き、つるりとわらび餅を口に含んだ。初めての味に驚いたのだろうか、一瞬目を見開いてから慎重に
私も自分の分を取り出し、おばちゃんお手製のわらび餅を味わう。口に入れた瞬間ふわりと広がる香ばしいきな粉の風味、優しい黒蜜の甘さとひんやり冷たい食感。昔から変わらない、小学校に上がる前から親しんできた味だ。弓丸に視線を戻すと、彼はもう待ちきれなさそうに二口目を待っていた。
「というか、もうその容器ごとくれないか。気は済んだだろう」
「ふふ。からかってごめん……はい、お
「そういうのも別にいいから」
私からわらび餅を取ると、今度は二切れのわらび餅を竹串に刺して頬張った。よほど気に入ったらしい。それにしても、弓丸がこんなにわらび餅が好きだとは知らなかった。
「そういえば、弓丸はなんでこれを注文しようと思ったの?」
「……一度食べてみたかったんだ。僕が人として生きていた頃、こういうものは帝くらいしか口にできないような高級品だった。普通のお餅は、祝い事のときに何度か食べたことがあったけど」
彼は一息置き、残っているわらび餅をもぐもぐと食べる。あっという間に食べ終わってしまって、弓丸は少し気恥ずかしそうに私を仰ぎ見た。
「柔らかくて、ひんやりしていて、見た目は氷みたいで……普通のお餅とは全然違う。すごくおいしかった。ありがとう、藍果」
「ううん。いつも助けられてばかりだから、これくらいのお返しはさせてよ」
弓丸の嬉しそうな表情に、私まで気持ちが明るくなる。今度こそ、お店の中でゆっくり好きなものを味わってほしい。おばちゃんにも感謝を伝えておかないと……そう思いながら、私も残ったわらび餅を食べ終えた。
「そうだ、藍果——せっかくの機会だから、君に黙っていたことを教えてあげる。他にこのことを知る者は一人しかいない。今回の〈ドクロ蜘蛛〉の件で、落ち着いて話をできることは当たり前じゃないってことがよく分かった。だから、今伝えておくよ」
そう言うと、彼は立ち上がって棚の前へと歩いていった。そこから何かを取り出してきて、私の前に置く。
どこか見覚えのある、木でできた
「どうして僕が、我を忘れて稀瑠に掴みかかってしまったのか……それもきっと、君なら分かるんだろうと思う。そしてこれは、君と初めて会ったとき、僕が歩道橋にいた理由でもあるんだ」
弓丸は文箱のフタを静かに開け、私の前に差し出した。そこに入っていたのは大量の手紙。
それはどれも——〈
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