第2章 ドクロ蜘蛛の傷痕

第1話 パンドラの文箱

「弓丸、いるんでしょー?」


 鎮場ちんば神社のお社前。しめなわけられた戸をドンドンとたたきながら、わたしは弓丸を呼んでいた。前にた時は雨のせいで気づかなかったが、お社の裏からはかすかな水音が聞こえてくる。


「ねぇ、大丈夫だいじょうぶなの? てるんなら起きてよーっ」


 返事はない。おとといとはうってかわって、さっぱりと晴れた空、賽銭箱さいせんばこに降りそそぐ木漏こも呑気のんきな鳥のさえずりだけが、私の呼びかけに答えていた。

 ヤドリづたの一件以来、私は弓丸に会えていない。と言っても昨日きのう丸一日姿を現さなかっただけ……ではあるのだが、どうにも不安でこの場所まで来てしまった。


「弓丸ってば。今日も居留守いるす使うのー?」


 相変わらず返事はない。というか、気配も感じない。

 洞穴ほらあなからした後、瀬名せなは家と学校に連絡れんらくを入れ、むかえに来た車に乗って帰っていった。日向ひなたさんは不思議そうに首をひねりながら去っていき、アヤは私からかさを受け取って自宅にもどった。


 そして弓丸。本当は短刀の中に入ってもらうつもりだったのだが、とある事情でそれが難しくなってしまった。あの洞穴からは、私の家より鎮場神社の方が近い。そういうわけで、寝こけてしまった弓丸をおんぶにっこでこの場所まで連れて帰ったということだ。而葉しかるばさんも鎮場神社まで付き合ってくれて、私の荷物を運んでくれた。


「返事しないなら勝手に開けるよー……?」


 ——弓丸を除くほうじょうの人間全てが、皆殺みなごろしにされた場所。


 彼は、あの洞穴に入ることに強い拒否反応を示していた。それはそうだろう。あの〈己をつらぬくための覇矢はや〉を使わなければ、戦うことはおろか、入ることさえままならなかった。芳帖家の嫡男ちゃくなんとして生まれた弓丸にとって、ここは最もまわしい場所に違いない。


 でも。


 その記憶を「忘れていた」というのは、一体どういうことなのだろうか。普通、そんな出来事があれば、忘れたくても忘れられないはずだ。

 やはり彼には謎が多い。一つ何かが分かっても、また分からないことが増えてしまう。


「弓丸さーん……?」


 ゴトゴト、と戸を細く開けて首をみ、中の様子をうかがった。はちじょうほどの空間に外の光が差し込んで、ふわりと中が明るくなる。そこにも、弓丸の姿はなかった。


「……困ったなぁ」


 あの、例のガラガラ鳴らすすずがあれば、簡単に訪れを知らせることができるのだが。この神社では片付けられているらしく、外にも内にも付いていない。私は小さく深呼吸をし、軽く礼をして中に入った。 


「お邪魔じゃましまーす……」


 このおやしろは、どうやら拝殿はいでん本殿ほんでんが一体となった造りであるらしい。おくの方は暗くてよく見えないが、手前の壁際かべぎわにはたなが一つ置かれていた。くるくると巻かれ、立てかけられたわら敷物しきもの、その側には鹿しかの毛皮。棚には文箱ふばこや縄、編まれたカゴなどが収納されていて、例のガラガラ鳴らす鈴もここにあった。


「……ん?」


 棚の二段目。文箱のフタが中途半端ちゅうとはんぱかぶせてあって、半分だけ開いている。


「なんだろ、これ……」


 たくさんの白い封筒ふうとうと、紙切れのはし。何が書いてあるのかまでは、よく見えない。


「や、勝手にのぞくなんてサイテーだよね」


 手をばしかけてっ込める。秘密主義の弓丸のことだ、きっと知られたくないことだってあるにちがいない。

 そう考えて棚に背を向けたとき、ギュッと胸がしぼられるようなするどい痛みが体を走った。


「い……っ!?」


 否応なくその場に倒れ込み、うめきながら横を見た。散らばったいくつもの封筒と、ひっくり返った文箱。

 ギリギリと心臓をめつけられるような痛み。どうしてこんな、いや、その前に。


「はぁ、はぁっ……もど、さなきゃ……」


 むねさえながらも体を起こし、散らばった封筒へと手を伸ばす。


 その手が、止まる。


「え……」


 封筒の表には、すべて同じ筆跡ひっせきで「ほうじょう弓丸様」と。そして、裏に書いてあった差出人の名は。


まがひめ……」


 さすがに中身を確かめるほどの勇気はない。ゆうに三十通はえていた。

 

 なんとか封筒を拾い終え、残っていたもう一枚の紙切れへと手を伸ばす。


「こ、れも……何……?」


 和紙のようにざらざらとしていて、厚みのある、画用紙を破り取ったような紙片しへん。そこには、何やら難しげな文章がすみで書きつけられていた。


 いわく、「此者已屠芳帖、而以呑喰岐依邪神也」と。


 読めない。読めないのに分かる。これは、見てはいけないものだった。


 他の紙束もあわてて拾い、フタをして元の場所に戻す。痛みは引いたものの、心臓は激しく脈を打ってまない。びっしょりとあせれた手をパタパタとってかわかしながら、板の間に寝っころがった。


 うん。

 とりあえず、当面は見なかったていで通そう。


 だってだって、どう切り出せばいいというのか。ただでさえ何を考えてるのかよく分からない相手なのに、こんな明らかに深刻そうなこと聞けるわけがない。もし、もしも、逆上ぎゃくじょうされたりなんかしたら。


 おとといの、日向さんの件を思い出す。あの時、弓丸は確かに命をうばうことはしなかった。でも、私に矢の力をせたままあの矢を使って、日向さんに巣食った化け物を記憶きおくごと消し去った。


 こわい。

 という感情は、少なくとも高校生の私にとって、完全にコントロールできるものではない。弓丸が何もかも話してくれるオープンな性格なら、もう少し気楽に接することができるかもしれないけれど。あの秘密主義とそっけない性格が、どうにも色々と困る。そこが魅力みりょくであるとはいえ、関わり方がつかみにくいのは難点だ。


 天井てんじょうはりを見つめながら、ゆっくりと息をき出す。さっき感じた、め上げるような心臓のいたみを思い出す。


「——弓丸にもらった血が、原因なのかな」


 腹に手を当てれば、当たり前のように伝わってくる肉体の感触かんしょくと温もり。

 穴が空いた腹部を修復させるためにもらった血の量は、足の怪我を治したときよりもずっと多い。何らかの副作用……あるいは拒絶反応きょぜつはんのうが起きたとしても、全く不思議ではない。


 甘く見ていた。普通に考えて、何も影響えいきょうがない方がおかしい。このことについては、弓丸にもちゃんと伝えておくべきだろう。でも。


「もう少し……だまっておこう」


 こんなことを伝えたら、きっと弓丸は自分を責めてしまう。あのさく提案ていあんしたのは私だ。これ以上、弓丸に重荷を負わせたくはなかった。一過性いっかせいのものなら、少しえればむことだ。


「それにしても、私……なんで、あんなこと思いついたんだろう。別に、瀬名みたいに頭がいいわけでもないのに。自分を、まるでこまか何かみたいに……」


 あの時、私は迷うことなく自らの体を差し出した。自分の身を簡単に傷つけた。目的を達成するための解決策かいけつさくになるのなら、自分の血が流れることを拒まない。


 弓丸がやっていたことと同じだ。


 私の怪我を治したとき、〈化生けしょうのモノ〉の足取りを追ったとき、洞穴ほらあなに入れなくなったとき。彼もまた、簡単に自分の血を流してきた。


 そんな弓丸の姿を見るたび、やめてほしいって、簡単に傷つけないでほしいって、あんなに思っていたはずなのに。どうしてだろう、私も同じことをしている。自らの身をかえりみない自己犠牲じこぎせいは、自傷行為じしょうこうい、あるいは自罰的じばつてき行為と表裏一体だ。


「もしかして、私と弓丸は、何か根本こんぽんの部分で似てる……?」


 考え込んでいると、開けていた戸の隙間すきまに小さなかげが差した。


「あれ、藍果あいか。来てたのか」

「えっと、うん。お邪魔してまーす……」


 お社に入ってきた弓丸は、水干を身につけていなかった。襦袢じゅばんのような、うすく白い着物だけを羽織っていて、帯もルーズでしどけない。ほどかれていたかみは水に濡れ、きらきらとした艶めきを放っていた。なんというか、そこはやはり神様の神様的ゆえん、ということだろう。

 弓丸は、私があの文箱の中身を見てしまったことには気づいていないようだった。何となく気まずくて、そっと目を逸らす。


「すまない、裏の滝壺たきつぼで水浴びをしていたんだ。昨日は寝てたから、身を清めたかったのもあるし。それで、藍果は何の用?」

「何の用って……そうだなぁ」


 マガツヒメ、と日向さんが言った瞬間しゅんかん、ヤドリ蔦がれ落ちていったあの現象。その直後、かれの額に突きさった弓丸の矢のこと。禍者かじゃとは何か、マガツヒメとは何者なのか。弓丸が、どういう思いで矢を放ったのか……禍ツ姫とはどういう関係なのか。そして、弓丸の今までと、これからについて。


 きっと全部は聞けない。けれど、知りたいことがたくさんある。


「おいしいお茶屋さんがあるんだけど。一緒いっしょに行かない?」


 そして、現在進行しているらしい〈旧五年一組メンバー失踪しっそう事件〉に関しての情報。どうしても、相談しておきたいことがあったのだ。

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