第16話 殺された半身

「前の冬、吹奏楽部の件でインタビューしてもらった時以来よね? 早我見さがみさんもお元気そうで何より。さっきまでおなかに穴が空いてたみたいだけど」


 しかるさんは、そこで一旦いったん言葉を切ってわたしの腹部へと目を向けた。破れてしまった制服の生地きじ一瞥いちべつし、スッと紅の差す口元をゆるめる。もがれた果実が身を割られ、かおり立つかのようなみだった。


「治ったんなら問題なさそうね」


 ぞくり、と全身の毛が逆立ち、首筋に寒気が走る。

 物腰ものごしやわらかいのに、夜中出くわす不良男子にも引けを取らない圧迫感あっぱくかん。数々の舞台ぶたいをくぐりけ、結果を出してきたがゆえだろうか。彼女かのじょなら、きっとう火の粉だって花火のようにながめる……そんな風にさえ思えてしまった。


 豪胆ごうたんさと、たおやかさ。その両方を持ち合わせた、まるで、そう……薙刀なぎなたのような女。


「こ、ここは……おれは……」


 そこで男の声がして、全員がその方向へと視線を向けた。ヤドリづたおかされ、凶行きょうこうに走った加害者であり被害者ひがいしゃ——日向ひなた瑛一郎えいいちろうが、うろたえた様子で体を起こす。不安げに周囲を見回し、思いがけない言葉を口にした。


「この洞穴ほらあなくずれる」


「……は」

「俺のじいちゃんが昔言ってたんだ。ほら」

 日向さんは岩くずを拾い、その側の岩壁がんぺきを指差した。細かな破片はへんがパラパラと落ちてきていて、そういう箇所かしょがいくつもある。言われてみれば、あれだけ好き勝手暴れておいて崩れない方がおかしい。


「ここで何やってたかは知らねぇが、あんたらも早く出ろよ。ったく、なんでこんなところに」


 じゃ、と言って日向さんはふらつきつつも立ち上がる。まるでさっきまでのことは一切いっさい忘れてしまったかのようないだ。どうしても納得なっとくできなくて、外へと向かう後ろ姿に呼びかけた。


「日向さん!」

「……俺、お前に名前教えたことあったっけか?」

「これだけは教えてください。マガツヒメってだれなんですか」

「マガツヒメ? なんだそりゃ」


 日向さんの、ぽかんとした表情がれる灯火にかびがる。かべを転がり、少しずつ増えていく小石の音。


「な、なんだそりゃって……」

「俺はあんたの名前も分からん。もういいか、おじょうちゃん」


 私が呆然ぼうぜんとしていると、而葉さんがハッと顔を上げて日向さんの元へとった。


「立ち入った質問、どうかご容赦ようしゃを——これまでに経験したいやなこと、一つでいいので教えてくださらない?」

「嫌なこと……?」


 日向さんが浮かべた表情は、戸惑とまどいでもなく渋面じゅうめんでもなかった。味が消え、みょうな食感だけが残ったガムをめたような顔で。


「ない」


 はっきりと、そう言った。

 そして洞穴が崩れはじめる。転がる石の大きさは次第しだいに大きくなり、足元からかすかな振動しんどうが伝わってくる。


「弓丸、まさかあの矢は」

「……命はうばってない」


 頭を木槌きづちなぐられたような衝撃しょうげき。落ちてきた石が当たったらしく、割れた皮膚ひふから伝った血が目に入る。


「あの矢は、き物を全て奪う〈落とし矢〉だ。〈化生けしょうのモノ〉とそれにまつわる記憶だけじゃない、過去のトラウマ、嫌な思い出も全てき物に含まれる。だから安心しろ、あの男は救われたんだ」

「で、でも、こんなのって」

「太刀で一刀両断すれば、あいつは化け物として死んだはずだ。他に方法はなかった」


 早朝にいた露草つゆくさ、その花をかざ水滴すいてきのような弓丸のころもに、視界の赤が混ざってにじんだ。確かに、忘れた方が楽なことだってあるだろう。けれど、それを勝手にすべて奪ってしまえば——人を半分殺すことと同義だ。


「ほら藍果あいか、早くここ出るよ!」

「弓丸さんも行きましょう、めるのは後でもできます」


 瀬名せなとアヤの言葉で、今ここの危険な状況じょうきょうに意識がもどされた。いかに回復できようと、つぶされてまるなんて御免ごめんだ。


「ねぇ、後で」

「あっ……ぐっ……!」


 私が視線を戻そうとしたところで、弓丸はうめきながら顔をおおった。指の隙間すきまからのぞく目やまゆは苦痛にゆがんでいて、崩れちるようにひざをつく。

 開いた瞳孔どうこう、浅い呼吸。弓丸の様子は、この洞穴に入る前の状態とよく似ていた。


「さきに……行って……て」

「何言ってんの弓丸、ちょっと、……あぁもう!」


 もしかすると、洞穴に入る前に打っていた矢の効力が切れてしまったのかもしれない。とてもじゃないが、動ける状況にはないだろう。

 だったら、私がすることは決まっている。


一緒いっしょに行くよ」


 弓丸の膝裏と背中にうでを回し、き上げて走った。一つ、また一つと岩が落ち、転がる灯火、追い立てるように舞う砂と石の粉塵ふんじん。それから、腕の中の確かな重みと、燃えるような弓丸の体温。


 考えてみれば、弓丸は明らかにおかしい体調を〈己を貫くための覇矢はや〉とかいう道具で無理やりおさみ、ヤドリ蔦と戦った上、多くの血を私の治療ちりょうに費やしたのだ。早い話がドーピング。あの矢の効力は一時的なものだと言っていたし、思いのほか反動が出たのだろう。


「っはぁ……!」


 洞穴を抜け、全員そろってれた草地にたおれ込んだ。土のにおいと、胸がすく草きれの青い香り。崖崩がけくずれのような地響じひびきと共に、洞穴の通路が岩屑いわくずの山へと変わっていく。上を張っていた木の根も、すべり落ちるようにかたむいて枝のあちこちが折れてしまった。土砂降どしゃぶりだったはずの雨は霧雨きりさめへと移ろい、のぼ土煙つちけむりは水のつぶらわれる。


「藍果……」


 私の腕の下で、弓丸がうっすらと目を開けた。霧雨のしずくをその顔に受けながら、どこか遠い場所でも見ているかのようにひとみから力を抜く。


「思い、出したんだ。この場所とぼくとのかかわり、過去に何があったのか」


 消え入るようなささやき声で、弓丸が打ち明ける。


「この洞穴は、僕を除くほうじょうの人間全てが——皆殺みなごろしにされた場所だ」


 それはきっと、弓丸にとっての〈忘れてしまいたいほど嫌な記憶〉で。

 私を凍りつかせるには、十分すぎる内容だった。


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