第二幕 五年後
第13話 再会
……
カーテンの隙間から漏れる光で目を覚ます。夜が明けた。隣で眠る彼を起こさないようにやんわりと彼の手をどける。こいつと来たら、本当に寝相が悪い。同棲してまだ半年だけれど、早くも寝室を別室にしてやろうかと考えるようになった。だらしなく緩み切った彼の寝顔に、それでもやっぱり、なんてことを考えてしまう。こっちの顔もふっと緩んでしまうので非常に困る。摺足で寝室を出て、リビングに向かう。カーテンを開けた。朝日が眩しい。麗らかな春の陽光を浴びて一日を始める。休日なのだけれど、なぜか張り切って早く起きてしまう。目覚ましを掛けずとも起きられるのだ。この早い時間に一人の時間を作るのが最近の至高である。二人でいるのもいいけれど、少しばかりは孤独を愛したい。そうでなきゃきっと息が詰まってしまうだろうから。彼もそれを分かってくれているので、その点においてはできた夫である。コーヒーを淹れる。高校生の頃から何ら変わりない手付きでこなしていく。ちろりちろりと溜まってゆく美しい琥珀色にうっとりする。抽出された液をカップに注ぎ、高さのあるスタイリッシュな丸机に置く。イヤホンをつけて、やっぱり変わりない趣味の歌手の曲を流す。これまで歩んできた道を思い出す。僕は変わっていった。それでも、あの春からちっとも変わらないものもある。楽しかったなんて言葉で終わらせられるようなものばかりじゃないけれど、そうしたものたちが絡まり、縺れて、今の僕を作っている。あの春を彩り、ぶち壊した先の延長線に、僕は立っている。
その日、珍しく母から電話がかかってきた。そういえば、一ヶ月ほど連絡をとっていなかった。定期的な安否連絡の類だろう。
「シュン、元気してる?」
やっぱり。
「うん、こちらは相変わらずだよ」
電話の向こうで彼女は動いているらしく、時々ガサガサと雑音が入った。特に話すこともないし、また今度そっちに帰るよ、というありきたりなセリフを言って電話を切ろうとしたその時だった。母が言った。
「珍しくあんた宛に封筒が入ってたのよ。ついさっき来たの。手紙かしらね、中身は見てないから。また取りにおいでよ」
「分かったー。誰からの手紙?」
さしずめ同窓会か何かの報せだろう、と思っていたのだが。
「ユイ、さんから」
その言葉に絶句した。ユイ、から——?久しぶりに聞いたその名前に戸惑いを隠せなかった。
「それ、ほんと?」
思わず真偽を疑ってしまった。彼女から、手紙が来るわけ、そんなわけない。そんなことが、あるわけ——。
「うん、裏側に名前だけ。住所も何も書かれてないけれど」
本当に、ユイかもしれない。ユイが、僕に手紙を——。どうして、今——?頭がいっぱいになりそうだった。
「待ってて。今から取りに行く」
そう言って電話を切った。コートを羽織って早足で駅に向かう。春風に逆らうように、僕は歩みを進めた。
*
町並みはあの頃と殆ど変わっていない。変わったものと言えば、向かいの家のブロック塀が取り払われたくらいである。夕日が開けた土地をオレンジに染め上げているのが見えた。呼び鈴を鳴らすと、彼女がドアを開けた。
実家の様子は殆ど変わっていなかった。ここに帰ってくると、懐かしさを覚える。あの頃に戻りたいかと言われるとそうでもないけれど、でも確かに、楽しい日々だった。
母が「お茶、淹れるね」と言ってキッチンに行こうとするのを止めて、例の手紙は、と問う。テーブルの上よ、と彼女は言った。何もそんなに慌てなくとも、と彼女は言うけれど、僕にとっては、一刻を争うことだった。
薄茶色の封筒が、そこにあった。手に取って裏側を見るとやはり、ユイ、という二文字しか無い。そして表を見て、僕の身体に衝撃が走る。消印がない。彼女が自分で、このポストに投函したのだ。これは今日届いたもの。ということは——まだ彼女は近くにいる。ユイに、会える——。僕の身体は動き出していた。こんな手紙を渡すということは、探しに来いと言っているようなものじゃないか。彼女がいるとしたら、どこだろう。そう考えた時、一番に思い浮かぶのは、あそこしかなかった。
行こう、あの場所に――。
コートを脇に抱え、封筒だけ持って外に出た。
電車に乗り込んで、がら空きの席の一つに座る。そして、持ってきた茶封筒の封を切る。丁寧に三つ折りされた便箋が入っていた。僕は息を呑む。彼女が、僕に何を伝えようとしているのか。想像がつかなかった。この先に、答えがある。彼女が、いる——。僕は便箋を広げた。
【続】
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