第二章「徽章」
◆
私の家から徒歩で数時間。
「さて、ここが我が家だ! 遠慮なく入るといい」
私の家も、結構な山奥だと思っていたが。まだまだだったようだ。
隣町の奥にある雑木林の奥地に、家はあった。皮の剥がれた丸太を使って作られた中くらいの家。家の付近だけ不自然に木が少ないことを鑑みれば、そこに生えていたであろう木を用いてこの家が建てられたと思うのは自明である。
私の家と同じく、林を出た所には少し大きな村があった。ここより歩いて数十分の位置である。曰く生活用品は定期的にその村で購入しているそうだ。毎度村までおりるとなると、さっさと引っ越してしまった方が楽だろうが、他人との交流をなるべくしたくないという彼女にとっては、この環境が丁度いいのだろう。
◇
「お邪魔します…………」
整然としていた。埃の一つも落ちておらず、幾つかの靴も棚に並べられている。全部で四足。サイズ的にアザミさんのものだと思われる靴が二足。あとは、それらよりも小さめの男物の様にも見える靴が二足。男の人と住んでいるのだろうか? しかしそれにしては少し小さい気もする。子供用と言われた方が納得できるサイズであった。
靴を脱いで中に入ると、どうやらこの家は一部屋のみで構成されているのだとわかる。入って右に食卓とキッチン。正面には本棚やピアノ、左にはベッド二つがあった。本棚の中には、一般書と児童書が少し。あとは専門書と楽譜が大量にあった。ピアノの上にも、楽譜が散乱している。手書きのものも幾つか見られた。
風呂やトイレはキッチンより奥にあるそう。
「我が家へようこそ!」
両の手を大きく広げながら歓迎してくれた。軽く会釈した後、靴を揃えて上がる。
「…………外も暗くなってきたし、早速だがご飯にしようか」
確かに、陽も傾いてきていた。お腹も空いてきた気がする。
「私が作っておくから、エリカさんは好きなところで寛いでいてくれ」
そう言ってアザミさんはキッチンへと消えて行った。
しかし寛げと言われても、家の中にいても少し気まずかった。
「少し、外を歩いてきても……」
「あぁ、全然大丈夫だよ! 三十分くらい経ったら戻ってきてくれたら」
「わかりました」
私は再び靴を履き、外へ出た。
◇
空が赫々と燃えていた。西空に浮かぶ陽が家の背から照る。ここの木々も、紅葉と緑葉の混ざっている。夜風のような冷風がやはり心地よい。隣町くらいなら全く気候は変わらない。不思議と落ち着く。
……一本、家から林の奥へと続く獣道が見つかった。
まだ外は明るい。陽が沈むまで数十分はかかりそうだった。
興味の赴くままに、私は獣道を進んでいった。
段々と、家の方から聞こえていた調理の音が薄く霧散してゆく。夜風も感じられなくなっていった。葉の擦れる音も消えてゆく。まるで、凪である。夜凪である。
不気味だ。悪感を抱く。あまりにも静かだからかもしれない。耳鳴りがする。
その時、目線の先に一つの影を見つけた。
地面には落ち葉が積層していたが、それにしても不自然な突起があったのだ。近づくと、それが人の頭くらいの大きさの岩であると分かった。
「……お墓?」
その岩の前には、一輪の
……一体誰の…………?
「遅いと思って来てみれば」
「ホワァッッッッ!!」
突然背後からアザミさんに話しかけられた。
「もう三十分経ったよ」
「すみませんすみません……」
心臓が未だに飛び跳ねたように鼓動している。
「ほら、もうご飯もできたし、戻ろうか」
「…………あの……この、お墓は……?」
気付けば訊いていた。
「…………」
アザミさんが黙り込んだ。訊いたのは失敗だったかと、顔に出さないように後悔した。
「すみません! 帰りましょう」
「いや、いいんだよ」
先程までとは打って変わって、落ち着いた、また夜凪の様な風体であった。沈む日を体現しているかのような、また不気味な雰囲気である。また、妖艶である。
「……この墓はね。私の息子の墓なんだよ」
アザミさんは、しゃがみ込んで馬酔木を眺めながら話した。
「息子と言っても、養子なんだがね。あの子が七歳くらいの頃に孤児院から引き取って、この家で共に暮らしていたんだ。それから十年経って。十六歳の誕生日の一月前に、国から徴兵の命令が下されて、それはあの子も例外でなかった。そのまま、昨年に終わった戦争へ駆り出されて、つい最近、あの子の胸にあった徽章が届いたのだ。ずっと待って、待って、待っていたのに。結局、用意していた部屋の装飾も、捨てる羽目になってしまったよ」
一度馬酔木を持ち上げて、再び墓石の前に戻した。
「この花はね、あの子が昔から好きだった花なんだよ。ここから少し離れたところに馬酔木が多く咲いている場所があってね、そこから摘んできたのさ」
気付けば月光が馬酔木をより白く照らしていた。
「…………言ってはいなかったが。私、昔から持病があってね。持ってあと半年なのだそうだ」
「えっ…………?」
アザミさんは、ぎこちない笑顔を私に向けた。
「私は思うようにしてるのだ。『きっとあの子がこのまま生きていても、私が死ねばきっと独りにしてしまう。独りにしないで済んだのだ』と。しかし、そう思えてしまう自分が嫌いだ。全くあの子を愛せていなかったのかとさえ思ってしまう。だからかもしれないな、自分が自分を解らなくなってしまったのは」
「…………そんなこと……」
否定しようとしたが、果たして私がアザミさんの何を知っているというのか。こんな奴に意見されたとして、不愉快なだけだろう。
「だからこそかな。そんな私だからこそ、死なば最期は好きに書いて終りたいのかもしれない」
アザミさんは立ち上がり、家に向かって歩き始めた。
「お願いがあるんだが」
アザミさんの背を眺める。落ち葉を踏みしめる二人の足音が、静謐な林の中を駆け巡った。
「エリカさんの、思ったままの
「……そんな、私には…………」
「書ける。絶対に。自信を持って。どんな詩でも、私は全く受容する」
家の灯りが見えた。暖かい。
「見せてほしいな。君から見た私が、どんな私なのか。思うのだよ。己の本質など、全くもって自分では解り得ないのではないのかと」
足を止めた。
月を眺めてみた。
心の
「自分を知りたい。果たして今の私は、あの子に誇れる私なのか」
アザミさんの声が、震えている気がした。
「……もう、やめます」
「え?」
「私なんかにこの詩は務まらないと思うのを、やめます」
正直、荷が重い。胃が痛い。今すぐ誰か別の人に頼んで逃げ出してしまいたい。しかし、ここで逃げ出しては、物書きから逃げ出した今までの私と同じだ。
「なので、どんな駄文でも、文句言わないでくださいよ!」
「ハハッ、勿論だよ」
再び歩き始めた。
晩御飯の美味しそうな香りが鼻腔を巡った。
「それじゃあ、これから
「……はい、よろしくお願いします」
再び、夜風が吹き始めたのだ。
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