第二話 虎になってしまう前に
『お疲れ様。大学で創作サークルを作ってるんだけど、月都の動画、思い出してさ。月都にも入ってほしいんだけど、どうかな?』
『いいけど、条件がある。もしよければ、明日、俺と遊びに出掛けてくれると嬉しい』
勇気を出して送信すると、間髪入れずに既読が付いた。しかし、しばらく待っても、返信は返ってこない。諦めて送信取消しようとしたとき、ようやく返信が来た。
『私、月都は好きになれないから、デートしても進展しないよ。あと、力弱いし、何かされたら怖いから、サークルの女友達にもついてきてもらう。それでもよければ行けるよ』
どうやら自分への信頼は薄いらしい。月都は苛立ったが、仕方なくOKのスタンプを送った。その後、待ち合わせの場所や時間も決めて、月都はアラームをセットした。
土曜日の昼。月都は遊園地の入り口で、ふたりを待っていた。今日の月都はいつもより念入りに髪型を整えた。金髪のセンターわけ。高校卒業と同時に美容室に行き、憧れだった金髪に染めた。その日から、鏡に映る冴えない自分が、垢抜けて見えるようになった。
「月都、おはよ!」
声を掛けられ振り向くと、そこにはいつもの紺色キャップを被った美咲と、背中まで伸びた黒髪の女子が立っていた。美咲がはつらつとした声で、彼女を紹介してくれる。
「こちらが、同じサークルに入る朱村ひばりで、音楽部分を担当する予定」
「まだ未熟な部分が多いけど、全力で作るので、虎山くんもよろしくね!」
軽やかにお辞儀する朱村ひばり。この子も華奢で可愛いな、と考えていると、美咲は察したのか付け足した。
「ひばりのことは私も狙ってるから。返事待ちだけど、告白もしたし」
「美咲、そういうのは他の人の前で言うものじゃないよ」
月都は他人の恋愛事情に詳しくないが、最近では、女子同士で仲のいい関係もあるらしい。朱村さんは誤魔化すように、「行くよ?」と入り口付近にある券売機へ歩いた。
「虎山くんは動画作ってるんだっけ?」
券を買うのを待っている間、朱村さんが興味津々に話し掛けてくる。
「まだ聴いてないけど、俺の動画は朱村さんみたいにクオリティ高くないよ」
「そう? 私、ユーチューブの作品見たけど、完成度高かったから、ひばりにも勧めたいよ」
「ユーチューブはダメだ。再生数もチャンネル登録者も、たった二桁で面白くない。どうせ俺は底辺クリエイターだよ」
「楽しむために遊園地来たんだし、暗い話しないでよ。それに、結果だけが全てじゃないと思うよ。じゃあ、券も買えたし行こうか」
美咲が財布をポケットにしまう。月都たち三人は園内に入り、近くのアトラクションから選んでいった。最初に三人が選んだのは、フリーフォールだった。ここの待ち時間でも、美咲と朱村さんは、やけに楽しそうにしていた。遊びに誘ったのは月都だし、そもそも朱村さんは来ない想定だったのに、なぜ自分は妬ましいものを見せられているのだろうか? 順番になったとき、月都は突然、列を抜けた。
「月都は乗らないの?」
「やっぱ俺、今日は見てるだけでいいよ。その辺のベンチにいるから、ふたりが遊ぶのに飽きて、帰るときになったら教えて」
それからふたりはフリーフォールでの時間を過ごした。機械が止まり、次のアトラクションも遠くから眺めていようと考えたとき、美咲が月都たちに背を向けた。
「私、やっぱり帰るね。ひばりには悪いけど、ちょっと気分が悪くなってね」
「俺もつまらないから帰ろうかな」
すると、美咲は刺すように睨んできた。
「月都はあの頃から何も変わってない。周りに合わせるのが苦手で自己中心的。それに、初対面のひばりがいる前で、ネガティブ発言するのは、どうかと思うよ?」
「美咲だって自己中だろ? 俺はふたりきりで出掛けたいって希望したのに……」
「今みたいなところよ。わがままばかりで子どもみたい。私、ほんとに帰るからね」
今度こそ、遊園地を去っていく美咲。月都は何事もなかったかのように「次はどれ乗りたい?」と朱村さんに声を掛けた。
「自分に非があるとは思わないの?」
呆れた声が返ってきて、月都はようやく自分が間違っていたのだと気付いた。
「……ごめん。俺、昔から場の空気を読むのが苦手でさ」
「そうなんだ。謝ってくれたし、虎山くんの気持ちもわかるよ。この後、一緒にお昼食べない? 悩みがあるのなら聞くし、過去に美咲と何があったのか知りたい」
月都は「お昼代奢るよ」とカバンから財布を出した――。
まだ大学に入学したての頃、月都には気になる人がいた。月都は毎朝、電車で登校するのだが、いつも大学の最寄り駅のひとつ隣の駅で、紺色キャップを被った茶髪の女学生が乗車する。彼女は決まって三車両目に乗り込むので、初めから同じ車両を選び、例の駅に着くと目で探すという一連の動作が、気付けば月都のルーティーンになっていた。
ある日、月都はアラームをかけ忘れ、寝坊してしまった。慌てて普段より一本遅い電車に乗り込む。すると、驚いたことに例の駅で、紺色キャップの彼女も乗車した。月都はためらったが、勇気を振り絞って話し掛けた。
「おはようございます。実は毎朝会ってるんだけど、俺のこと、わかる?」
「はい。よく見る顔だなと思ってました。でも、今日は遅刻したのにどうして?」
「うっかり寝坊しちゃってさ。慌てて一本遅いのに乗ってきた」
「私も同じです。もうすぐ一時間目始まっちゃうので、駅に着いたら急がないと」
そのとき、駅員が次の駅に近付いたことをアナウンスした。月都はポケットからスマホを出すと、LINEを立ち上げた。
「君も神無学園大学の人なんだよね? あの、俺、一年の虎山月都っていうんだけど、連絡先交換しない?」
「神無の一年だけど、急にどうして?」
「早くしないと駅着いちゃうからお願い!」
すると、彼女はコードを読み取った。画面には「蒼谷美咲」の文字。まもなく電車が最寄り駅に到着し、彼女は早足で降りていった。
その日の夜、月都は蒼谷美咲に初めてのLINEを送った。
『お疲れ様。朝は急にLINE催促してごめんね。あの後、授業には間に合った?』
待っていると、『間に合った』と返信が来た。
『よかった。いつも会うのは電車だけど、朝イチは一時間目から受けてるの?』
『月火木は一時間目。水金は三時間目』
さっきから彼女の文面が淡々としている。会話が続きにくくなったので、月都はLINEを閉じ、ユーチューブを開いた。月都はユーチューブに自作の動画を投稿している。しかし、昨夜投稿した新作は、まだ四十数回しか再生されていなかった。
月都の脳内に何度目かの「才能」の二文字が浮かび上がる。母は「勉強も頑張ってほしいよ」と言うけれど、月都にとって動画制作は、最後の砦だった。というのも月都は昔、スマホのアプリで音楽を作ろうとしたことがある――結果は惨敗だった。どうやら自分に音楽の才能はないみたいだし、次は動画に挑戦してみよう。月都は潔く気持ちを切り替え、今度は動画制作の練習を頑張った。
こうして月都は動画制作の腕を磨いていった。動画でも数字は伸びなかったが、音楽のときとは違って、確実に自分に力がついている実感があった。しかし、ずっと二桁のチャンネル登録者数を見ていると、そろそろ諦めるべき時期な気もした。母の話す通り、創作で売れる夢を追い掛けるよりも、勉強して堅実な職に就く未来のほうが妥当な気がする。月都は曇った顔でスマホの電源を切った。
次の日も月都は、朝の電車で美咲と顔を合わせた。美咲は会釈だけで済ませようとしたが、月都は構わず声を掛けていった。
「おはよ。蒼谷さんは今日もお洒落だね」
「ありがと」
「蒼谷さんって呼び方だと固いから、下の名前でもいい? 俺も『月都』でいいから」
「いいけど」
「よっしゃ! 美咲ってユーチューブ見る?」
「たまにね」
「実は俺、動画を投稿してるんだけど、後で俺の作品も、LINEで送るよ」
「さっきから近すぎない? しばらく距離を置きたいから、明日から自転車で登校するね」
車内アナウンスと同時に、美咲は月都に背を向け、そそくさと降りていった。
その夜、月都は美咲のLINEに、ユーチューブのリンクを送った。美咲は『完成度高いね』と褒めてくれたが、宣言通り、翌日からふたりが電車で会うことはなくなった――。
食べ物屋さんの屋外テラス。月都が話を終えると、向かいに座った朱村さんが「そんなことがあったんだね」と相槌を打った。
「事情はわかったけど、それでも周りの気持ちを考えられない人は嫌われるよ? 今後も美咲と関わるのなら、接し方を変えないと」
「わかった。これからは本当に気を付けて、言葉じゃなくて態度で示すよ」
月都はもう一度、深く頭を下げた。朱村さんが「大丈夫だよ」と手を横に振る。
「話にも出た通り、俺は昔、曲作りに失敗してる。だから、音楽を作れる朱村さんは、血の滲むような努力をしたんだと思うよ」
「長く続けるにはコツが必要でね。クリエイターには持っておくべき心構えがあるの。それは、常に今を通過点だと思うこと。虎山くんは現在地をゴールと捉えてるから、今、満足のいく作品を作れていないのなら、動画制作に向いていないと、感じてるんじゃないかな? でも、実際の今は通過点に過ぎないから、実力も再生数も今こそ理想と違うけど、これからも練習を重ねていけばいい」
そのとき、遊園地に強い風が吹いた。明日は明日の風が吹く。朱村さんが話してくれたように、目の前のことだけ頑張って、後は成り行きに任せてしまったほうがいいだろう。
「ありがとう。俺、サークルに入るよ。そのために、まずは美咲と仲直りしないと……」
そこまで話したとき、後ろから「月都!」と美咲の声が聞こえた。
「ひばりから戻ってくるように連絡が来たの」
「美咲、さっきは本当に悪かった。俺、美咲にフラれたことを受け入れるし、もっと余裕のある人になれるように頑張るよ」
すると、朱村さんが「虎山くんならなれると思うよ」と微笑んだ。
「ふたりは付き合えないけど、虎山くんにとって、美咲との出会いはただの通過点」
「そうね。適度な距離感がわかったのなら、安心して関われるし、月都には次に好きになった子を幸せにできるように、私を人付き合いの練習台にしてほしいな」
「じゃあ、虎山くんも入部決定だね。次に探すのはイラストレーターかな」
月都と朱村さんが立ち上がる。午後の遊園地には賑やかな音楽が響き、柔らかい初夏の風が三人の肌を撫でていった。
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