18.レーベルク領主評議会 ③

 村長たちは息を呑み、一斉にセリーヌの出方を伺った。

 しかし、セリーヌは微動だにせず、微笑みを崩さないまま柔らかな声で応じた。


「そうですわね。旦那様が魔獣をたくさん討伐してくださったので、その労をねぎらうのは妻として当然の務めでしょう。それに、領民も領主のものでございましょう。領主のものを領主のものに分け与えて、一体何が問題なのでしょうか?」


 ヴォルフの眉が一瞬ピクリと動いた。

 そのわずかな変化を見逃さず、セリーヌはさらに言葉を続ける。


「さらに申し上げますと、かなりの量を冒険者ギルドに渡しております。市場を通じて流通させることで、市井の皆さまの誰もが平等に買う機会はあると認識していますわ」


 広間がざわつき始める。

 セリーヌの説明に、村長たちは何度か頷く様子を見せたが、ヴォルフは声を荒げた。


「だから、それが肉屋の売上を奪い取っているのでしょう!」


 ヴォルフの怒声に、広間のざわつきがさらに大きくなる。

 だが、セリーヌは毅然とした表情で静かに応じた。


「もちろん、このままでは肉屋は路頭に迷うでしょうね」


 ヴォルフの目が細まり、広間に一層の緊張が走る中、セリーヌはあえて微笑みを深めた。


「それを避けるためにこそ、冒険者ギルドと併合して農業協同ギルドにすることで一括管理するのですわ」


 セリーヌの提案に、広間が再びざわついた。

 村長たちは驚きと期待の入り混じった表情を見せるが、ヴォルフは険しい表情を崩さないまま、冷ややかな声を投げかける。


「一括管理、ですか……。そのような仕組みで、鮮度が命の肉を適切に流通させることなど可能だとお考えですかな?」


 セリーヌは微笑を浮かべたまま、冷静に答えた。


「もちろんですわ。そのために、保存方法や流通の仕組みを改善する計画も進めております」


 しかし、ヴォルフの表情はさらに険しくなった。


「保存方法? 簡単におっしゃいますが、現実はそう甘くはありません。解体から販売まで、時間との戦いです。それを一括管理などすれば、遅延が生じ、結果として腐った肉が出回るのは目に見えています」


 ヴォルフの声が次第に熱を帯び、最後には広間全体に響き渡る怒声となった。


「腐った肉を領民に食べさせるおつもりか!」


 広間に緊張が走る。

 村長たちは不安げな視線を交わし、一部のギルド長たちはうなずきながらヴォルフの言葉を支持している様子を見せた。

 だが、セリーヌは落ち着いたままだった。

 わずかに首を傾げながら、優雅な声で問い返す。


「なぜ腐るのかしら?」


 予想外の質問に、ヴォルフは思わず眉をひそめた。


「はぁ? 何を言われる。肉を放置していたら腐るのは常識でしょう! 子供だって知っている!」


 広間にわずかな笑い声が漏れる中、セリーヌは柔らかな微笑みを浮かべた。


「旦那様の話では、目に見えない妖精がせっせと働いて、お肉を腐らせているそうですの」


 その場にいたほとんどの人が耳を疑ったようだった。


「普通に置いていると、その妖精が悪さをして肉を腐らせるそうですが、氷で満たされた環境では、その妖精が凍えて動けなくなるとか。ですので、氷室を利用すれば、腐る心配もなく保存が可能になりますわ」


 ヴォルフの顔が険しくなる。


「氷室、ですか……。一体どこにそんな都合の良いものがあるのです? 魔獣討伐が得意な男爵夫殿が、ドラゴンの住む山頂から氷をせっせと運んでこられるとでも?」


 皮肉めいた言葉にも、セリーヌはまったく動じない。

 それどころか、まるで楽しむかのように微笑みを深めた。


「そうですわね。それが良いですわね。そうしましょう」


 ヴォルフの目が見開かれる。

 周囲も驚きの声を上げる中、セリーヌは軽やかに言葉を続けた。


「旦那様なら、きっとそれくらい造作もないことですわ。なんせ、商人のギフトをお持ちですからね。ドラゴン相手に商売だってお手のものでしょう。ドラゴンは黄金が好きとも聞きますし」


 ヴォルフが声を荒げた。


「ドラゴン相手に商売……? 何を馬鹿なことを。まるで勇者様のおとぎ話ですな!」


 セリーヌはくすりと笑い、瞳を輝かせた。


「ふふ……勇者にできて旦那様にできないことなんてありませんわ。それほどの方を夫に持つのが私の誇りですから」


 その言葉に広間がざわつく。

 ヴォルフは苛立ちを隠せない様子で再び挑発する。


「そんなに自信がおありなら、氷室を用意していただきましょうか」


 セリーヌは優雅に頷き、穏やかな口調で応じた。


「そうですわね。実物を見せる方が早いでしょうから。旦那様がイシュリアス辺境伯領から戻ってきたら相談してみましょう」


 その言葉に、広間が一瞬ざわつく。

 村長たちの間に驚きと期待が交錯する中、セリーヌは微笑みを浮かべながら内心でくすりと笑った。


(ふふ、すでに後宮御殿の調理場には冷凍庫……とかいう氷室があるのに)


 そんなことを知らないヴォルフは、ここぞとばかりに声を張り上げる。


「それが出来なかった場合は、この案は廃案ということでいいのですね!」


 広間全体が緊張に包まれる中、セリーヌは微笑を崩さず、毅然とした声で答えた。


「えぇ、良いですわよ。もしできた場合は、肉屋ギルドは解体いたしますわ」


 その言葉に広間が息を呑む。

 ヴォルフでさえ一瞬動きを止めた。

 セリーヌは視線を彼に向けたまま、冷静に言葉を続ける。


「互いに責任を伴う条件での約束、これでご納得いただけるでしょう?」


 ヴォルフの顔に苦々しい表情が浮かぶ。

 彼は低い声で絞り出すように答えた。


「あぁ、男に二言はない……」


 その言葉を確認すると、セリーヌは軽やかに微笑み、広間を見渡した。


「さて、他にご相談がある方はいらっしゃいませんか?」


 彼女の澄んだ声が広間に響くと、ざわめきは徐々に収まり始めた。

 村長たちは互いに顔を見合わせ、ギルド長たちも重い沈黙の中で身じろぎする。


(これで、少しは市場の歪みを正せる足がかりができたかしら)


 セリーヌは内心で安堵しながらも気を緩めることなく、広間全体に優雅な微笑みを向けた。


「特に行商ギルド長ハンザ様、毛織物ギルド長ライヒバッハ様。貴方方はこの改革案にいくばくかの不安を抱いていらっしゃるのではないかと思います」


 名前を呼ばれた二人の肩がぴくりと動く。

 ハンザは眉間に皺を寄せ、ライヒバッハは一瞬だけセリーヌと目を合わせたが、すぐに視線を逸らした。

 広間全体が二人の反応を注視する中、セリーヌは柔らかな声を重ねる。


「どうぞご安心ください。皆さまの働き先や役割は、きちんと確保しておりますわ」


 セリーヌの言葉に、ハンザが疑念を隠せない様子でわずかに顔をしかめる。

 その様子を見たセリーヌは、微笑みを深めながらさらに言葉を続けた。


「行商ギルドには、領内外の交易を支える重要な役割をお願いしたいと考えております。パサージュ……新たに設置する市場の運営管理など、行商ギルドの経験を存分に活かせる仕事です」


 ハンザの眉が動く。

 目を細め、考え込むような表情を見せた。

 広間の視線が彼に集中する中、セリーヌはその様子を見逃さずに言葉を重ねる。


「そして、毛織物ギルドには、これまで培ってこられた技術をさらに発展させる新たな挑戦をお願いしたいのです。絹織物――高級品市場を開拓するこの事業に、ぜひ貴方方の力をお貸しいただければと」


 ライヒバッハが驚いたように顔を上げる。

 その反応にセリーヌは優しく頷いてみせた。


「絹織物の技術は新たな挑戦となるでしょうが、それだけに高い収益と発展が期待できますわ。毛織物ギルドの皆さまがこれまで培ってこられた技術と経験を活かせば、きっと素晴らしい成果を上げられることでしょう」


 ライヒバッハは一瞬戸惑いの表情を見せたものの、すぐに眉を引き締めて前を向いた。

 その様子に、セリーヌは微笑みを深める。


「もちろん、設備の導入など、領主として全力で支援いたします。貴方たちの力を信じておりますわ」


 その言葉に、ライヒバッハの表情がわずかにほころぶ。


「確かに、領主様がそこまで支援してくださるのなら……挑戦してみる価値はあるかもしれません……ですが……考えさせてください」


 ライヒバッハに続くようにハンザが短く咳払いをして口を開いた。


「私も……考えさせていただきます」


 その言葉には慎重な響きがあったが、セリーヌには十分な手応えがあった。


(まだ完全にはこちらに引き込めていないけれど……これでヴォルフの影響力を減らせるんじゃないかしら)


 セリーヌは内心の計算を終えると、広間全体に向けて優雅な微笑みを振りまいた。

 それからタイミングを見計らった様に宰相が席を立ち、静かに咳払いを一つする。

 広間に再び静けさが訪れ、全員の視線が彼に集まった。


「それでは、本日の評議会をここで締めさせていただきます。領主様の改革案についてのご意見を賜り、大変有意義な議論となりました。各位、引き続きご協力をよろしくお願い申し上げます」


 宰相の凛とした声が広間に響くと、村長たちやギルド長たちはそれぞれ席を立ち、頭を下げた。

 セリーヌも優雅に立ち上がり、締めくくるように穏やかな声で語りかける。


「皆さま、本日はお忙しい中お集まりいただきありがとうございました。この改革が皆さまにとっても、領地全体にとっても良い未来をもたらすよう、全力を尽くして参ります。どうかこれからもよろしくお願いいたします」


 広間を包んでいた緊張感が少しずつ和らぎ、村長やギルド長たちはそれぞれの思惑を胸に抱きながら退席していく。

 セリーヌは、退出する一人一人の姿を静かに見送りながら、心の中で次の手を思案していた。

 その時、列の最後尾にいるヴォルフの大きな背中が目に留まる。

 広間を出る直前、ヴォルフはふと足を止めた。

 そしてゆっくりと振り返り、鋭い目つきでセリーヌを見据える。

 ヴォルフは何も言わず、再び背を向けると、その堂々とした歩みで広間を後にしたのだった。

 静寂が広間に戻ると、セリーヌはわずかに息を吐き、背筋を伸ばしながら心の中でつぶやく。


(これで少しは道筋が見えてきたかしら。でも、ヴォルフの抵抗はまだ続くでしょうね。油断は禁物ね)



◆◇◆ お礼・お願い ◆◇◆


ここまで読んで頂きありがとうございました。


セリーヌさん素敵!!

と思ってくださいましたら、

https://kakuyomu.jp/works/16818093086711317837

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