Ⅷ Dark brown with Gold

 紳士を乗せた馬車が通りすぎると砂埃が舞う。この日に限ってカラリと晴れた空気が地面を乾かしていた。

「こほっこほっ」

 少しくせっ毛のブロンドヘアの少年が道端に座る。まだ8歳になったばかりの子どもでも生活費を稼ぐために働ける者は働く。たとえ学校へ行きたくとも生きていけないなら意味はない。当たり前の日常だった。

 空咳をしている少年に大人の影が二つ覆いかぶさった。ブロンドヘアの少年が顔を上げる。目の前に現れたのはセオドアとミューシェだった。

「やあ、はじめまして」

 セオドアが少年に手を伸ばす。すると少年は無言のまま宣伝用のチラシを差し出した。そこには靴磨きの料金が書かれている。セオドアがチラシから視線をはずすと少年ににこりと微笑んだ。

「俺たちは君に話が聞きたくて来たんだ」

「……」

 答える事無く少年は怯える様に俯く。それにはセオドアとミューシェも困ったと顔を見合わせる。

「あの、俺たちは怖い大人じゃなくて、その」

 セオドアがもう一度こちらを向いてもらおうと少年に手を掛けようとした。すると向こう側の道から子供がもう一人、物凄いスピードでこちらへ走ってくる。そしてセオドアと靴磨きの少年の間に割って入った。

「おいお前ら! 何の用だ! 大丈夫か、エリオット」

 靴磨きの少年をエリオットと呼ぶと、まるで守るかのように両手を広げセオドアの前に立ちはだかる。こちらは濃い茶色の髪を短髪に切りそろえた少年。背格好や年齢はエリオットと同じくらいに見える。二人とも着古された服だが、丁寧に手入れされ清潔感がある。身寄りのない子どもと聞いていたが、一見では分からない程だった。

「客じゃねえのか? こいつに何かしたら俺が許さねえ!」

 いきり立つ少年の後ろでエリオットがおろおろと狼狽えている。あまりの威勢のよさにセオドアが頭を搔きながら困り顔になった。

「すまない驚かせてしまって。じゃあ、せっかくだから靴を磨いてもらおうかな」

 2足10ペンスと書かれた文字に少しためらいながら、セオドアがエリオットの横に設けられた椅子に座ると靴を差し出した。

 客となれば怖い顔を向けるわけにもいかず、短髪の少年がしぶしぶと引き下がる。

 しかし靴を磨いてもらう間も毛を逆立てた猫のような視線がセオドアを刺す。セオドアを監視する少年の顔をミューシェがのぞきこんだ。

「君たちはお友達? 仲いいんだね」

 柔らかく笑うミューシェと目が合うと、少年の頬が赤く染まる。

「君、名前は?」

「リ、リアム」

「僕はミューシェ。そのお客さんの友達だよ」

「お、俺がエリオットを守ってやってるんだ」

「そっか」

 リアムが鼻息荒く腕を組む。ミューシェがふふっと笑う。ふんわりとした空気がリアムの緊張を解いたようだった。

 その様子に一安心したセオドアがふと何かに気付く。エリオットとリアムの胸元に向け目を凝らした。

「それ」とセオドアがエリオットの胸元を指さす。そこには「London Shoewhite Brigade」と書かれた勲章のようなバッジが付けられている。エリオットがこくこくと頷いた。

「君たちはショーホワイト伯爵に雇われているんだね」

「雇うのとは少し違う」とセオドアの言葉にリアムが答えた。

「あの方は俺らに職と住居を提供して、勉強も教えてくださっている。そういう慈善活動をされているんだ」

「そうか。安心した。ちゃんと君たちを守ってくれる人がいたんだね」

 セオドアの優しさに気まずそうにそっぽを向く。きっとリアムは大人の親切に慣れていないのだろう。より生きることを自分に強いているのではないかとセオドアが思った。

「ねえ、ちょっと話さない?」

 リアムにミューシェが声を掛ける。どうして自分たちに構ってくるのかと訝しむリアムだったが、自分が知る嫌な大人ではないと感じてくれたらしい。ミューシェの提案に「いいよ」と素直に応じた。


 ミューシェとリアムが公園を散歩する。セオドアと来た時とは反対の道へと歩いていく。そこは公園内に作られた池に添うように作られた道。風が通る気持ちのいい散歩道だった。

「リアムたちはショーホワイト伯爵が与えてくれる住居に住んでるんだ」

「そうだよ」

 リアムは大人のような返事をする。それはリアムが張った境界線であり、壁であった。まだ同じ目線では話してくれない。それでもそんな壁はミューシェが遠慮する理由にはならない。

「だからエリオットは家に帰ってないんだ」

「Shoewhite Brigadeの家が俺らの家だ」

「そうだった」

 ごめんと眉を下げて笑むと、リアムが「気にしない」と大人びた返答をする。

 ミューシェがどう切り出そうかと迷っていると、リアムが先に口を開いた。

「ミューシェたちは本当はエリオットに用があるんだろ?」

 前を向き歩いたままリアムが問いかける。

「するどいね」

 ミューシェが無邪気に驚くと、当たり前だとリアムが得意げな顔をする。その表情に、ようやく少しばかり子供っぽさを感じた。

「僕はね、ある絵画を探しているんだ。友達からエリオットの家に眠った絵画があるって聞いて、見せてもらえないかと思ってるんだけど」

「ある絵画って何の? それを見つけてどうする?」

「うーん、僕が僕を知るために必要なんだ。上手く言えないけど」

「ふーん」とリアムが相槌を打つ。それ以上追及してくる様子はない。

 リアムが静かに相手の言動を洞察する。感情をぶつけて相手を知ろうとするミューシェとは正反対で、怜悧でひねた少年だった。

「リアムは何か知らない? エリオットに見せてもらえるように頼めないかな?」

 リアムが嫌な顔一つせずに、ただ前を見据えて歩いていく。しかしふと遠くの空に視線を移したかと思うと立ち止まり池の方を眺めた。

「あいつはさ」

 エリオットの顔を思い浮かべながら、リアムが口を開いた。ミューシェは静かにリアムの横に並ぶ。

「あいつも前は喋ったんだ。でも親がどっかいっちまって、家に一人残されて、俺が見つけた時には言葉を話さなくなってた」

 暗く埃っぽい部屋に一人、うずくまっていた姿をリアムは思い出していた。

「特に大人を信用しなくなった。ショーホワイト伯爵が会いに来たときもなかなか組織に入ろうとはしなかった。みんなで説得して、ようやく」

 リアムの瞳が少し伏せられる。思い出に蓋をするように。見ていることが辛いから、まぶたを閉じてしまったかのように。しかしまた目を見開くと、今度は力強い瞳をミューシェに向けた。

「だからあいつが嫌いな家の事には触れたくない。思い出させたくない。あいつが隠してるなら、俺はそれを掘り起こしたくない」

 ミューシェがその瞳にふっと息を吐く。優しく、リアムの気持ちを受け入れた。

「分かった。でも僕が探しているものは僕にとってもとても大切なことだから。僕を信じてくれている人へ応えなきゃいけないから。僕は僕が出来ることをやってみるよ」

 諭したつもりだったのに、ミューシェの失われることのない瞳の熱にリアムが驚いたように目を丸くしている。

 ミューシェが微笑む。

「もちろん、エリオットを傷つけない方法で」

 雲間から射す光、掛けられた花冠に授けられた恵愛の口づけ。リアムには、そんな光景が浮かぶような笑顔だった。

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