第十章 二度死に戻りぶりに会えたから
少しだけ怯えながらも、子ども時代に亡くなってしまった父親に会いたいという気持ちは抑えられなかった。
「お父さま!」
公爵家のエントランスに入ってきた父親はコートを侍従に預けているところだった。
まだ外の空気をまとった父親に、カトリーヌは勢いよく抱きつく。
「おやおや、うちのお姫様はこんなに甘えん坊だったかな」
ぎゅうっと抱きついたカトリーヌを父親――メディシス公爵はやさしく抱きあげてくれる。
(お父さまだ……本当にお父さまだ)
久しぶりに嗅ぐ煙草の匂いすら懐かしい。
まだ三十代の父親は見た目は若々しく、建設大臣の任務を担っていて忙しい。
少し前から西の国境にできた新たな堤防を視察に出かけていたのを思いだす。
脚に抱きついた小さな娘を父親はやさしく抱きあげてくれた。
祖父と違い、父親は一人娘のカトリーヌを溺愛して、甘やかしてくれていた。
だからこそ、父親から皇太子との婚約の話を持ちかけられたとき、カトリーヌには断るという選択肢がなかった。
大好きな父親が持ってきた話なら間違いがないだろうと疑いもしなかったのだ。
(今回もまた皇太子との婚約話を持ちかけられる可能性はあるけど……断ろう。わたしが断ればお父さまも断ってくれるかもしれない)
覚悟を決めて拳を握りしめるカトリーヌに対して、父親は予想していたのとはまったく違う話を切りだした。
「おまえはユージン皇子殿下とお茶をしてきたと聞いたが……カトリーヌは彼と親しいのかな」
「え? ユージン?」
腕に抱っこされた状態でやさしく問われ、ぱちぱちと瞬きする。
「親しい……といえば、親しいと思いますけど……お父さま、どうしてそんなことをおたずねになるんです?」
(親しい……はずだ。多分……皇子の中では一番)
いまだに前世の記憶のほうが生々しく、十才の記憶がおぼつかないカトリーヌは父親の意図を探ろうとして問いに問いを返した。
「いや、まぁ……カトリーヌも十才になるからそろそろ婚約者の話が持ちあがるころだろう? 先にカトリーヌの好みを聞いておいたほうがいいと思って……もちろん、婿養子をとってメディシス公爵家を継いでくれるのが一番だが」
ちゅっと挨拶のキスを頬にされ、くすぐったい気持ちがわき起こるとともに、内心では驚きを隠せなかった。
(婿養子!? いやそうよね……わたしは一人娘なんだし……)
皇太子と婚約が決まってからの皇后教育が忙しくて、婿養子の話なんて頭から吹き飛んでしまっていた。
両親が死んでからは特に祖父から強く言い聞かされていたこともある。
――『最初の男児は皇室の跡継ぎにして、二番目の男児を公爵での後継ぎにする』
そう言われて、カトリーヌ自身、祖父の言葉に囚われていたらしい。
(そうか……お父さまが生きているなら別に皇太子と婚約しなくてもいい……)
――わたしは一人娘ですので、婿をとって公爵家を継ぐため、皇太子とは婚約できません
そう言えば、婚約そのものを断れることにいまさらながら気づいた。
どちらにしても最初の死に戻りのときはすでに婚約した状態だったから、婚約を阻止することはできなかった。
そもそも婚約破棄しか道がなかったのだ。
(でも、確かわたしと皇太子の婚約は皇帝からの勅命だったはず……)
以前と同じ条件で皇帝からぜひ皇太子妃になってほしいと言われたら、その誘いを公爵家は断れるのだろうか。
(でも、それこそがわたしが十才に死に戻った最大の理由だとしたら……)
――皇太子との婚約を阻止しなくてはいけない。
ぐるぐると思考の罠に捕らわれたように、皇太子との婚約という問題が頭のなかで浮かびあがっては消え、また浮かびあがっては消える。
あるいは、婚約話が持ちあがる前に先に誰かと婚約してしまうのはどうだろう。
いやそれだとまたその人と婚約破棄しないと魔法学校に行けない。
(……待って。お父さまが生きていてわたしが公爵家を継ぐなら、やっぱりわたしは魔法学校に行けないのでは?)
だんだん混乱してきた。
しかしカトリーヌが考えこんで回答しないのを、父親は違う意味に受け止めたらしい。
「ふむ……ユージン皇子殿下は北部の大公だが、カトリーヌは北部に行っても平気なのか? 寒いのは苦手だろう?」
「お、お父さまなにを言って……仲がいいと言っても、そういう意味ではありません!」
「なんだそうか…皇子殿下では婿養子に来ていただくわけにはいかないし…ちょっと焦ってしまったよ」
父親から水を向けられた形ではあるけれど、ユージンと婚約というの悪くないのではという考えがふと沸き起こった。
(彼が最終的にわたしを殺そうとしにくるかどうかはさておき、皇太子の婚約者候補から外れたあとで婚約破棄すればいい……彼ならわたしと婚約破棄したあとでもほかの令嬢も手を挙げるだろうし)
そこまで考えて、これはもう内々に皇太子からの婚約の打診があったという話なのだろうかということが気になった。
「お、お父さま。わたしはまだ十才ですけど、なぜ突然婚約の話なんてなさったのです?」
「ん? 今日のカトリーヌはずいぶんと大人びた口調で話すのだね」
父親の腕のなかで、ぎくりと身が強張ったのを気づかれたのかどうか。
カトリーヌは慌ててとりつくろった。
「そ、そうですか? わたしだってもう十才ですし、ちゃんと淑女らしい振る舞いをしなくてはおかしいでしょう?」
子どものころは自分なりに大人びていたと思っていたが、父の目から見たらやはりもっと子ども子どもしていたらしい。
つい殺される前の感覚で父の意向を探ろうとしてしまった。
(危ない……お父さまったらお祖父さまと違って、見た目はのんびりして見えるのに、意外と鋭いんだから……)
カトリーヌがドキドキとしているのさえ、本当見抜かれているのかもしれない。
それにしたって、十才から人生をやり直すというのはなんで難しいのだろう。
父親と話すだけで冷汗が流れてくるなんて。
「そういえば、その……お父さま、わたくし、弟が欲しいですわ」
父親の視線が強くて、とっさに思いついたことを口走っていた。
自分が公爵での跡を継ぐ必要がなければ、心置きなく魔法使いへの道を選べるのにという気持ちが心の底に残っていたせいだ。
「そうだなぁ…カトリーヌがユージン皇子殿下と結婚するなら、我が家は養子を迎える必要があるかもな」
うっと言葉に詰まった。
どうやら父親は、ユージンとお茶をしたという事実をそれなりに重く受けとめているらしい。
もっとも、カトリーヌはこのころすでに自分は皇太子妃になるかもしれないという意識があり、同級生と言えども、男子の誘いは断っていた。
いくら親しいとはいえ、ユージンの誘いに乗ったのは父親の目にはかなり特別に見えたのだろう。
(別にユージンのことが好きなわけじゃないけど、アンリと婚約しないためにはユージンを盾にするほうがいいのも事実だし……)
どうでもいいことを心の中で言い訳していると、顔を近づけられたときのユージンの顔を思い出して勝手に顔が熱くなる。
(なにを考えてるのよ……わたしはユージンに殺されたんだから!)
「違うから! 本当にユージンのことなんてなんとも思ってないのよ、お父さま!」
カトリーヌが必死に言い訳すればするほど、なぜか父親がにこにこと笑みを深くしている。
「あなたたち、エントランスでなにを話し込んでいらっしゃるの?」
抱っこされたまま真っ赤になっているカトリーヌと満面の笑顔の父親がエントランスを夫妻でいるところに、母親は帰ってきた。
「家族の団欒も結構ですけど、着替えて居間でするほうがこの屋敷の主人としての品格が保てると思わなくて……あなた」
「そ、そうだな。カトリーヌ、じゃあ一緒に着替えに上がろうか」
「そうですわね……お父さま」
母親の迫力に二人してうなずくしかなかった。
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