熱狂的ファン
第31話 ジョセフィーヌ
コロロンとまたドアベルが鳴る。
やはりクリスマスウイーク。平日でもお客様の入りは格段に多い。
「いらっしゃいま────」
「
ふわん、と香るフローラル。舞う花弁のように美しく店内に入ってきた金髪ロングのウエーブヘアのその外国人さんは、満面の笑みをたたえて迷うことなくカウンターにいた翔斗さんの胸に飛び込んだ。
翔斗さんは驚きつつも受け止めはせずにただ抱きしめられている。
「……ジョセフィーヌ」
聞き取れたのはそれだけで、あとは外国語……最初に「ボンジュール」って言った気がしたからたぶんフランス語だと思う。
うわ、翔斗さんってフランス語ペラペラなんだ。……ってそこじゃないよね。
これはまた女性に勘違いさせたパターンなのかな。凄腕販売員なのはともかく、しょっちゅうこうでは大変だ。
「『どうしてキミがここに?』
『あなたを探して遥々来たの!』
『一体なにをしに来たんだよ』
『会いたくて眠れなかった。片時もあなたを忘れることはなかったわ』
『大袈裟だよ、送別パーティーの時だってキミは平気な顔をしていたじゃないか』
『してないわ! 必死に堪えていたのよ!』」
「……って悠大くん!?」
気づけば悠大くんがショーケース裏に屈んでボソボソと同時通訳をしていた。
たぶん仕上がったケーキをお店に出しにきたついでに留まったんだろう。さっきまでなかった〈苺のミルフィーユ〉が出されていたから。
「フ、フランス語わかるんだ?」
「小学生の頃ね。母さんと一緒に一時期住んでて」
それにしても。と言いながらすっくと立ち上がり、店の隅に移動した翔斗さんと美人外国人さんを横目に見る。
「グローバルモテ。凄すぎだなあの人ほんと。発音とかも完全にフランス人だし」
「そ、そうなんだ」
フランス語をよく知らない私には微妙な違いなんてわからないけど、本当に完璧なんだ。
「しかも選ぶ言葉がやっぱ完全に『王子』。そりゃ相手も勘違いするよ」
「あ……あは」
せがむ美人外国人に仕方なしといった様子でぎゅう、とハグをしてからその手を取ってするりと撫でる。
って、それもう接客の域を超えてますよね?
「ちなみに他にも数ヵ国の言語が話せるらしいよ。この前はドイツ語の手紙来てたし。まじで世界中に女がいるんじゃね?」
うおう……。世界を股に掛ける王子様? 一体なんなのだろう、それは。
「『女』ではなく『ファン』と言っていただけますか? 悠大」
いつの間にか美人外国人さんを言いくるめてご帰宅(ご帰仏?)させた翔斗さんがにっこり王子の笑みのままでカウンター内に戻ってきていた。
「ね、なにサボってんの? 締め出されたいの?」
ふおおお! 暴言を吐く冷徹王子の笑みを前に悠大くんは「やべ」と顔を青くして慌てた様子で厨房に引っ込む。あまりの迫力に私まで背筋が寒くなった。
「し、翔斗さん……」
「ああ、気にしないで。ああいう人もたまに来るんだ」
言いつつカウンターの死角で消臭スプレーを身体に振りかける。それから手洗い場で指先から肘まで石けんでしっかり洗って……ええっと、飲食物販売業だし当然なんだけど、少々なんとも言えない気持ちになった。
「翔斗さん、フランスに住まれてたんですか?」
気を取り直して訊ねてみると「まあヨーロッパのあちこちに」と。その視線はさっき悠大くんが置いていったと思われる〈苺のミルフィーユ〉に向いていた。
「それも、販売員の仕事を学ぶために、ですか?」
絶対そうなんだろうな、と思いながら訊ねてみると。
「そう」
珍しく『素』の顔で微笑んで答えた。これはこれで『王子モード』とはまたちがう破壊力があるんだよね。
「パティスリー(ケーキ店)にショコラトリー(チョコレート専門店)、工場勤務や研究員、それから材料屋や農業、酪農も齧ったけど、目的はすべて『販売員』という仕事に活かすため。わかるでしょ。普段の俺を見てれば」
「はい」と大きく頷いた。普段の翔斗さん。それはもう九十九パーセント以上『洋菓子販売』のためにあると言っても過言ではない。
わかるけど。同時にここまでにはどうやったってなれないな、とも思う。
本来の自分をすっかり無くしてまですべてにおいて完璧に整えられたその存在。
知識、技術、身なり、言葉遣いに立ち振る舞い。この人はきっと交友関係でさえ『販売』や『集客』を意識して広げているんだろう。
それはもしや『婚約者』さえも……?
そんな人生ってどうなんだろうか。そんなにも仕事にすべてを捧げてしまってもいいものなんだろうか。
思うものの、さすがにそんなことまで訊くことは叶わずクリスマスウイークのご来客と接客に追われて時間と日々はあっという間に過ぎていった。
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