第30話 亀……ですか

「先程河北さまが佐野さまをお見かけしたとお話されていかれまして。心配していたんです」


 え、心配してた? と横目に見るけど私とは絶対にその目は合わない。


「翔斗くん、亀が好きな食べ物ってなにかしら!?」


「亀……ですか」


 えっ、空飛ぶ……亀?


 翔斗さんは即座にスマホを取り出して検索を始める。なるほど守備範囲内、ねえ。


「葉物野菜など……でしょうか。ペットでいらっしゃる亀ですか」


「シュークリームじゃダメ……よね?」


 気が動転しているのか会話もままならない。『素』の翔斗さんだったら舌打ちしてしまいそうなところだけど『王子』の翔斗さんはもちろん絶対にそんなことはしない。


 カウンターから出て佐野さまのそばに屈むと検索した画面を見せつつ優しく寄り添った。


「シュークリームは向かないかと。パンでさえ専用のものがよいようですし」


 力及ばず申し訳ないです、と残念そうに述べる。


「あの、バナナとかはどうですか」


 控えめに言ってみると、二人揃って「あ、なるほど」と頷いた。


 佐野さまは翔斗さんから「特別に」と手渡してもらった一本のバナナを手にお店を出て、十五分ほどしてから明らかにホッとした顔をして戻ってきた。


「本当にありがとうございました。娘からクリスマスプレゼントにもらったばかりの亀さんが家から逃げ出してしまって。亀なのに本当に速いの。頑張って追いかけたんだけど、あっという間にベランダから降りてしまって」


 にわかには信じ難い話だったけど疑う余地もない。


「おびき寄せるのにバナナは最適でした。本当に名案で」


 佐野さまは嬉しそうに語って、最後にこう締めくくった。


「翔斗くんと笹野さんのお陰ね」


 名前を呼んでいただけると思っていなくてすごく驚いた。そうか、名札を見てくださったんだ。


 すると翔斗さんが「彼女のことは親しみを込めて『ゆっちゃん』と呼んであげてください」とにっこり笑む。


 佐野さまは「あらかわいらしい」と微笑んで、ついでに、とケーキを三つお買い上げくださってお帰りになった。




「ゆっちゃん」

「あ、はい」


「バナナの案、ありがとうございました。とても助かりました」


「い、いえ!」


 お客様がお帰りになってからも『王子モード』のままなのはそのほうがお礼を言い慣れているからだろうな、なんて邪推する。


「ゆっちゃん」

「なんでしょうか」


 すると翔斗さんはすっと笑みを消して『素』の顔に戻るから私は思わず身構える。


「少し勘違いしてるようだから教えておくけど」

「は、はい?」


「俺は『素』だろうと『仕事中』だろうとお客様のことは本気で大切に思ってるし本気で心配もしてる」


 心を読まれた気がしてドキリとした。まあ「王子モードで言ってみてください」なんて言ったりしたもんね。


「蒼井さまのオタマの件も、『素』だったとしてもとった行動は同じだよ」


「本当ですか……?」


 訝しむように訊ねてみると「本当だよ」と淡々と返す。ふむ。


「『お客様を喜ばせること』それだけのために俺は生きてる。大袈裟じゃなく」


「じゃあ……どうして『守備範囲外』だなんて言ったんですか?」


 その考えなら佐野さまのもとへ様子を見に行ってもよかったのではと思うけど。まあ今回は向こうから来てくださったからよかったけど。


「蒼井さまの件ほど切迫したものを感じなかったからだよ。このくらいのことで俺たちがいちいち外出していたら店は回らない。俺たちは【便利屋】じゃなくて【販売員ヴァンドゥーズ】でしょう。不在の間にご来店があったらそのお客様へのおもてなしはどうなる? もしも遠方からわざわざ訪ねてくださった方だったら? 『おひとりずつ大切にする』っていうのはそういうことだよ」


「は、はあ」


「だから見くびらないでよ」

「みっ、見くびってなんか」


「まだまだ修行が足りないね」


 翔斗さんは『素』のままで「ふ」と笑って、ぽふん、と私の帽子に触れてからさっさと仕事に戻った。


 唖然として少しだけその場で動けなかった。



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