罅入る心臓

速水ひかた

箱庭の蓋が開く

 ――冬よ来たりて くひとのかげ


 連なる山々から届くような透明な歌声が庭園を包み込む。それは、冬の冷たい息によって、衣擦きぬずれに溶け込むほど静かに紡がれていく旋律だった。


 ――いざ帰りこむ ほのお灯る我が家へ


 淡々としたことばが、まるで雪が降り積もるように耳へと染み込む。爪弾かれた竪琴たてごとの弦が、最後のはかなく震わせたかと思うと、その振れはすっと止まる。硝子がらすに囲まれた庭園は、まるで世界から切り離されたかのように静まり返っている。


 窓から見下ろす景色は、遠く遠く離れていて、手が届かないものだ。

 曇った硝子がらすに白い指を滑らせる。つぅとれた向こうでは、豆粒のような人影が止まることなく忙しく動き回っている。


 王都は冬支度を始めていた。

 収穫祭が終わり、もうしばらくすれば冬至を迎える。


「これが王都で流行はやっている歌?」


 身を乗り出して問いかけるアレクシアの声には好奇心が混じっていた。豊かな青い髪を耳にかけ、琥珀色こはくいろの瞳をきらめかせて楽師に目を向けた。


 楽師ジルドは、軽く目を伏せ答えた。面を上げてもそのうるわしい顔の半分は黒い眼帯に覆われている。アレクシアが幾度乞うても隻眼を細めて、明かしてくれなかった秘密だ。


「そうです、殿下。

 冬の寒さとわびしさを歌い、春を待ち望む……そういった歌になります」


 雪解けを待ちわびる王都の民の思いを乗せたという。

 アレクシアは、ちらと部屋の隅を見やる。暖炉の炎は尽きることなく盛んに燃え、寒さに身震いすることなどない。整然と並ぶ花壇にはいろとりどりの花が咲き乱れている。目の前に広がるのは冬の寒さもわびしさも無縁の景色だ。


「へぇ……そんなに寂しいものなのね」


 遠い、見たこともない異国の話を聞いているように現実味がない。


 アレクシアは、そっとてのひらを前に差し出した。

 白く傷一つない指先に、身の内から湧く魔力を静かに流し込む。固く閉じたつぼみがその力に応えるように、ゆっくりと赤く花開き、庭園はさらに色彩を増していく。冬の訪れを歌った旋律とは裏腹に、この場所だけは永遠の春が続いているようだった。


「また綺麗きれいな花を咲かせたね、アレクシア」


「お父さま!」


 穏やかな声が背後から聞こえて、顔をほころばせながら振り返った。

 そこには白髪を柔らかく揺らし、目元に深いしわを刻んだ父、エルンストが立っていた。流れる水のような優しさをたたえ、微笑ほほえんでいる


 ぱたぱたといとけなく父の元に駆け寄った。そばに寄れば、よわいを重ねしわの増えた手が伸ばされる。アレクシアの髪に絡みついていた小さな葉を優しく摘み取られた。そのまま頭に手を置いて、柔らかな髪をでつける。


「どうかなさったの? お忙しいと聞いていたけれど」


 しばしぬくもりに目元を緩ませていたが、ふいに目を開ける。父の目の下にくまがくっきりと表れ、顔に宿る疲れに気づいた。少しやつれているようにも見える。胸の奥がちくりと痛んだ。民を守り、国政を担う父の負担がどれほど重いか、アレクシアには想像もつかなかった。


「ねぇ、お父さま。私にも何か手伝えることはない?」


 かつては王たる母の補佐に尽力し、今は亡き母に代わって政務を一心に背負う父。王女たるアレクシアは、王位継承権を持っているものの、まだ即位は早いと止められ、ただ静かに穏やかな日々を送っている。


 父の力になりたいとずっと思っていた。それを断られ続けていたけれど。


「あぁ、お前に『エレシスの瞳』を取り戻してほしいのだ」


 だから、初めての頼み事に少しだけ面食らってしまった。


「……『エレシスの瞳』?」


 アレクシアは、父の言葉を鸚鵡おうむ返しにしながら、眉を寄せた。

 何だっただろうか、と記憶を辿たどる。耳にしたことがあるような響きなのに、その意味がすぐには浮かんでこない。


「あ。お母さまが肖像画でお持ちになっていた綺麗きれいな丸い宝石?」


 ふいに、鮮やかな絵が頭によみがえる。

 空の玉座の背後に掛けられた母の肖像画。戴冠式での一幕を描いたその絵の中で、母は右手に王笏おうしゃくを握り、左手に琥珀色こはくいろの宝石を乗せていたような気がする。絵画であるというのに、宝珠はそのうちに揺らめく炎を宿していた。

 それが『エレシスの瞳』という名ではなかったか。


「あぁ。そうだよ、よく覚えていたね」


 エルンストの声は、どこか驚きと喜びが混ざっていた。彼の大きな手が、優しくアレクシアの頭をでる。そのてのひらから伝わるぬくもりに、アレクシアは自然と目を細め、満足げな声を漏らしていた。


「きちんと宝物庫に仕舞しまっていたはずなのに、いつの間にかなくなってしまってね。大切なものだからアレクシアに見つけてほしいんだ」


「宝物探しね。任せて、お父さま」


 アレクシアは笑顔を浮かべ、父の頼みに胸を張った。

 宝物探しという響きが、子供心をくすぐる。幼い頃、こっそりと王宮の裏庭を探検し、秘密の小箱を見つけたときの高揚感がよみがえる。けれども、今回の宝探しはその比ではない。王の戴冠式にも用いられる宝珠を探すのだ。

 わくわくとほおが緩む。


「あぁ。お前も、もう十三になる。外の世界を知るにもちょうどいいだろう」


「そと」


 アレクシアの海のような深い青の瞳に、夢見るような輝きが宿る。己が知る世界は、王宮の庭や廊下、それに箱庭の狭い範囲だけ。広大な世界の一端しか知らない己にとって、〝外〟は未知であり、憧れだった。

 だからこそ、外について話すジルドに懐き、歌と話をいつも楽しみにしていた。

 外にはどんな景色が広がっているのだろう?

 どんな人々が暮らし、どんな物語があるのだろう?

 考えるだけで胸が躍る。


「だが、王宮とは随分勝手が違うゆえ、ジルドを付かせる。

 あやつがいけばお前も安心だろう?」


 いつの間にか部屋の隅にたたずんでいたジルドに父が視線を向ける。それを受けて、ジルドはうやうやしく胸に手を当て深く腰を折った。


「お任せください。命に代えましてもお守りいたします」


 さらりとした黒髪が、彼の顔を隠してしまう。けれど、強く言い切ったジルドにアレクシアは胸をでおろした。彼とならきっと大丈夫だろう。

 楽しみではあるけれど、不安もあったから。


「えぇ、ありがとう! お父さま、必ず取り戻してくるわ」


「あぁ、頼んだぞ」


 父の声は笑みに満ちていたが、その姿は逆光に隠れなぜかはっきりと見ることはできなかった。


「ああ、そうだ。ここを出る前に一つ花を」


「あぁ、お母さまにね?」


 庭園を少しだけ歩いて母の墓前に添えるべき花を選ぶ。きっと、白くりんとした花が似合う。選んで渡せば、父は眉間みけんしわを緩ませ、微笑ほほえんだ。






 せばめられた視界が開け放たれた。

 初めて触れた〝外〟はあまりにも多くの刺激に満ちていた。


「さぁ、こちらですよ」


 防寒着として渡された分厚く重たい布で作られた大きな外套がいとう。その風防フードを脱げば、目に飛び込んでくるのは鮮やかで豊かな色と、視界に収まらないほどのひとの群れだった。


 ぽかんと口を開けたアレクシアの前を歩くジルドが、振り返って先を示す。けれど、アレクシアはあまりにも多くの情報を処理するので精一杯だった。


 みちの左右にずらりと並ぶ露店をいろど日除ひよけの布。焦げた甘辛いたれの、鼻をくすぐるにおい。そこら中から聞こえるひとの声に、彼らが身に着ける耳飾りが陽光を反射してちかちかとまたたく。

 視界はうるさく、混ざりあった匂いが脳裏に焼きつく。氾濫する音が耳の中で反射していつまでも小さくならない。


 目が、耳が、鼻が。アレクシアの許容量をはるかに超えた刺激に、ふわりと体の制御が利かなくなる。


「大丈夫ですか?」


 目がくらみ、倒れかけた体が止まる。

 細く頼りないジルドの腕が、けれどしっかりとアレクシアを支えていた。

 慣れた暖かな体温が頭の中で渦巻く情報を落ち着かせてくれる。


「ありがとう。ちょっと、ふらついただけよ」


「そうですか。ですが、まだ被っていた方がよろしいかもしれませんね」


 彼の助言に、こくりとうなずいて深く風防を被りなおした。

 視界は半分ほどに狭くなり、厚手の布は些細ささいな音を遮断する。匂いは防げないけれど、それだけでもアレクシアを襲っていた鈍い頭痛は軽くなった。いつの間にか詰めていた息を吐き出して、二、三度呼吸をしてしまえば、きっといつも通りだ。


 何度も空気を取り入れていると、アレクシアを誘う香ばしい匂いに気づいた。


「これから協会に向かいます。市井に降りるのなら、彼らに紛れるのが一番ですから」


「協会……。狩人かりうどたちの?」


 正解だと教師のように笑むジルドに安堵あんどして、いつの日か読んだ歴史書を脳裏に開く。

 

 アレクシアが王女として生まれたデュウォル王国。


 かつて大国に追われ、逃げ延びたひとびとが作ったとされる王国は、カデンステラ山地にぽつりと孤立して存在している。生命力に優れ他の獣よりも狂暴な魔物が数多く巣くう、魔の山岳地帯。ひとが住むにはあまりにも険しい環境。


 ゆえにこそ、デュウォルの民は魔物を狩って、日々の糧にせんとした。

 狂暴な魔物がなんだというのか。

 ってしまえば数も減り、食料にもなる。


 そう考えたひとたちが国の始まりに多くおり、今もなおその精神は健在である。

 

 そう。

 今、アレクシアの面前で焼かれている肉も狩人かりうどたちの成果であるに違いない。


 拳ほどの大きさに切り分けられ、串に刺され、くるりくるりと回されながら、揺らめく炎にかざされる肉。

 滴り落ちる油に炎の勢いが増し、燃え上がる炎がより一層表面を焦がす。


 ごくりと唾を飲む音がした。

 茶色く、湯気の上がる姿から目が離せない。


「店主。串をふたつ、いやひとつ」


「まいど」


 動けないでいるアレクシアを置いて、ジルドが慣れたように店主に注文する。串が炎の上から引き上げられ、店主の手元で串がくるりと反転した。


 硬貨と引き換えに串を受け取ったジルドが大きく口を開ける。歯と舌を覗かせながら串肉にかじりついた。美しい礼をした当人と思えない行いに、思わず口元を覆って漏れそうになった悲鳴をとどめた。けれど店主も道行くひとも、誰一人としてジルドの行動を気にしていない。きょろきょろと自分だけが視線を彷徨さまよわせていた。


 二つ刺さったうちの一つが抜き取られる。口いっぱいに頬張ほおばりながら、ジルドが串をアレクシアに差し向けた。

 粗暴、と言ってしまえるほどに豪快に肉を食らったジルド。面食らっていたアレクシアは、彼の持つ串の意味が分からずに手を胸の前でまごつかせる。


「とても美味です。是非どうぞ」


「え、うん、ありがとう」


 促すような言葉に、ようやく意図をつかんでアレクシアは差し出された串をつかんだ。


 細く削られた木で出来た串。そこに刺しこまれた拳ほどの塊肉。

 表面は浮き出た脂でつやめき、ところどころに黒い焦げが焼きついている。ひっくり返して裏も表も、日に透かしてめつすがめつ観察していれば、冷めちまう前に食ってくれと苦言を呈された。


 冷める前、ということは温かいうちに食べるものなのか。

 アレクシアにとって食事とは冷え切ったものであったが、店主が言うのなら間違いはないはず。現にジルドも冷やさずに食べていた。


 彼の食べ方を思い出し、けれど同じように口を開け広げることはできずに、串肉に小さくかじりつく。

 途端、熱が口内を襲う。吐き出しかけ慌ててみ千切り、咀嚼そしやくする。

 あふ肉汁にくじゆうに溺れかける。む度に旨味うまみが口に広がり満たす。


 見開いた目をそのままに、ジルドと店主を交互に、何度も見てしまう。

 こんなにも美味おいしいものがあったなんて。


「いい反応する嬢ちゃんだなぁ。王都は初めてか?」


「えぇ。今日初めて連れてきまして。一番初めですから、良いものを食べさせてやりたかったんです」


「いい兄ちゃんじゃねぇか! ほれ、こいつも食ってけ!」


 もぐもぐと美味を堪能していると、ジルドが店主から小さな黄色の果実を受け取っていた。小さな、それこそ親指の先ほどしかない大きさの、ころんと丸みを帯びた果実。四つ五つと落とされた果実が、アレクシアの手の内の串と交換に渡される。


 先程まで口の中を占領しようやく飲み込んだ肉の代わりに、果実を放った。

 人前で口を開けることへの抵抗はすこしだけ薄れ始めていた。


 表面に味はない。わずかに弾力のある実を、ぷちとむとぱちぱち弾けて、柔らかな酸味が広がった。脂がさっぱりと洗い流され、もう一度串肉を、と思ってジルドを見れば、すでに彼の腹の中に収まっていた。


「さ、行きましょうか」


 差し出された手の、その反対に握られた空の串をどうにか視界から外して、アレクシアはジルドの手を取った。




 協会は大通りを抜けた先にあるらしい。

 刺激に程度ていど慣れたアレクシアには、目に映るものすべてが新鮮だった。


 甘い匂いを漂わせる蜂蜜酒に、きらめきを内包した水晶。並べられた魚と芋の揚げ物。それに色鮮やかな羽で作られた髪飾り。


 興味をかれて遅くなってアレクシアの足取りに、はじめはジルド合わせてくれていた。けれど、髪飾りに吸い寄せられるように手をすり抜けてれてしまってからは、余所見よそみ厳禁と言わんばかりにしっかりと手を握り歩みを早めてしまった。

 つややかな銀がアレクシアの青髪をいろどり、いつかジルドから習った歌を口遊くちずさみながら歩いていく。


 そうして、狩人かりうど協会に辿たどいた。

 木壁には幾年もの雨や汚れが染みつき、苔生こけむした石造りの土台に幾重にもつたが巻き付いている。

 表面が削れて丸みを帯びた石段を登り、ジルドが押し開いた扉を潜る。


「わぁ……!」


 そこは、大通りなど比べ物にならないほどのひとの熱気にあふれていた。アレクシアよりも頭二つほど高いひとの壁が作られ、協会内を奥まで見渡すことはできない。けれど、二階部分が取り払われているためか、圧迫感は感じない。

 この一員になるのだと、心が湧きたった。


「それでは私は狩人かりうどとしての登録をしてまいりますので、こちらで待っていてください」


「それなら、私も一緒に」


「いえ、たくさん歩いてお疲れでしょう。ここでお待ちください」


 着いていこうと思っていたアレクシアであったが、ジルドににっこりとした笑みで封じられる。疲れてはいないつもりであったアレクシアだが、椅子に腰かけた際に思わず深いいきをついた。疲労感が全身を薄雲のようにおおい、煙るような眠気が頭をぼんやりとさせる。自分よりも自分を見ている、と笑みをこぼして、先ほど買った蜂蜜酒入りの果汁に口を付けた。


 秋の花の蜜を集めたものらしい。口の中で散る花のように消える甘さを追いかけて、ちびりちびりと唇を潤した。


 協会の中はひとで満ちている。

 アレクシアの待っている場所にはいくつもの机と椅子が並べられ、待ち合わせや作戦会議に使われているようだ。反対側には背丈よりも大きな掲示板が飾られている。いくつもの紙が貼り付けられ、三人組が一つを破り取っていった。


 ジルドがいるのは入り口正面に設けられた受付である。背筋に定規を差し込んでいるかのごとくぴんと伸びた姿勢で、流麗に筆を走らせている。いつも通りのジルドなのに、どうしてか周りの視線を集めているようだ。

 ぼんやりと、浮き立つような気分でアレクシアは待っていた。


「アリー! どこにいる!!」


 ふいに、自分の名前が呼ばれた。正確には、使おうとしている偽名だ。

 市井に溶け込むにあたり、本名では目立ちすぎるとジルドが言ったのだ。けれど、馴染なじみのない名前ではきっと反応できない。だから、アレクシアを短くしたアリィを名乗ることにした。

 今、その名が呼ばれている。


 声の主は知らない人間だった。

 無造作むぞうさに伸びた髪を、痛みも気にしないようにきむしっている。少し血走った目の下には薄いくまがある。アレクシアは小首をかしげ、呑気のんきに声を上げた。


「アリィは私だけど、どうしたの?」


 返答にずかずかと粗野な男が近づいてきた。彼の眉間みけんには深いしわが刻まれ、切れ長の目は鋭く細められている。見たことのないその男は、アレクシアをにらみつけ、犬歯をしに怒鳴り声をあげた。


「貴様か!! どこで道草を……いや、いい。そんなもの後だ。さっさと来い!」


 座っていたアレクシアを、男は乱暴に腕を引いて立たせた。その強引な動きに、顔から地面へ転げそうになり、慌てて足を踏み出した。


「どこへ行くの? 待っていないといけないのだけど」


「だから迎えに来てやったのだろうが! 全く、手間をかけさせやがって……」


 そうなの?

 自信満々に言う男に、そういうものなのかと思ってしまう。


 男は盛大に舌打ちをし、アレクシアの腕をさらに強く引っ張った。ずんずんと協会の扉を抜け、通りへと向かって歩き始めた。アレクシアは、その勢いに引きずられるように、足を急がされる。


「やっと雑務を押し付けられるやつがいたというのに、最初から約束を反故ほごにするなんて、本当にこいつで大丈夫なのか? だが、早く任せてしまいたい。全く無駄な時間を過ごした。この時間で魔物の解体がいくつ進んだことか……」


 ぶつぶつと文句を言い続ける男の言葉を右から左に抜けていく。アレクシアの興味は、銀にきらめく冬蝶に向けられていた。


「ねぇ、何処どこへ行くの?」


「研究所に決まっているだろうが!」


 男の足取りは速くなり、腕をつかむ力も強くなっていく。

 通り過ぎていく景色は、王都から降りたばかりの逆回し。けれど、先程は見なかった露店を見つけた。香りもしない花が飾られている。あとでジルドと共に見に行こう。

 ふわふわと浮き上がる思考は、揺れる片腕を取られてぱちりと弾けた。


「あやしげな男が女の子連れてるって聞いたんだけど。何してんの? オリス」


 振り向けば、赤毛が風に揺らし、鋭い瞳でにらみつけるのは狩人かりうどの少女――ヘデがいた。さながら獲物を捕らえるたかのような眼差しまなざしで、アレクシアと彼女を引っ張る男を見据えている。節の浮かぶ左手に弓を持ち、背負う矢に手を掛けている。空気がぴりりと緊張をまとう。

 オリスは、ふんと鼻を鳴らしながら立ち止まった。その眼差しまなざしには、ヘデに対する軽蔑の色が見え隠れしている。


「どうして俺がそんなことをする必要がある。

 こいつはうちの新しい助手だ。随分呑気のんきだがな」


 アレクシアの腕をつかんだまま、オリスはぶっきらぼうに言い放った。


「アリーだ」


 彼が付け加えると、ヘデはさらに怪訝けげんな顔つきでアレクシアに視線を向けた。緑と青の瞳が交差し、アレクシアは無邪気に手を振って微笑ほほえんだ。


狩人かりうどになると聞いていたけど、貴方あなたの助手をするの? 頑張るわ!」


 酒精の影響か、地に足付かぬ感覚のままアレクシアは明るく答えた。その言葉に、場に雷が落ちる。ぴしゃりと体を固まらせた二人はこわごわ顔を見合わせた。


「ほんとにこの子が助手なの? 絶対違うくない?」


「……いや、さすがに」


 ヘデが眉をひそめて尋ねた。


「……商家の三男で、華奢きやしやだと聞いている。荷運びにも役立たないと評判だがな」


「いや、え、女の子じゃない……?」


 二対の視線を受けて、アレクシアは小首を傾げる。ヘデが目の前で腕を広げて見せたから、真似まねをする。ジルドの外套がいとうを借りたから、とても大きくて丈が余っている。

 表と裏をじろじろと観察されていたが、オリスが大きくいきをついた。


「人違いだったようだな」


 オリスは疲れた声でつぶやき、素早く身を翻し、通りのひとごみへと去っていった。

 アレクシアは、何が起こっているのかよくわからぬまま、ぽつんとその場に残された。隣で同じく残されたヘデが、大きく溜め息をついた。


「ごめんね、悪いやつじゃないんだけど……」


「うん? 大丈夫よ」


「え、いやいやいや、オリスのこと知らなかったんだよね!? 危機感持ちな?」


 声を大きく張り上げたヘデに目を向け、そして、アレクシアの視線は彼女の横にいる大きな生き物に釘付くぎづけになった。


 そこにいたのは、アレクシアよりも大きな一羽の鳥だった。くりくりとした真ん丸の目がこちらを見て、おもむろに頭を近づけてくる。てのひらに収まらないほどのくちばしほおに寄せられ、甘えるような鳴き声が発せられる。澄んだ青空のような天色あまいろの冠羽とつややかな白縹色しろはなだいろの体毛。思わず伸ばした手に触れたすべすべとした毛並みが、アレクシアを魅了して手を離さなくさせる。


 広げればアレクシアなど優に包んでしまえる両翼の付け根には、革で作られたくらが取り付けられていた。


「ねぇ、その子って奔鳥カロフェン?」


 興味のおもむくままの話題転換に一瞬目を丸くしたヘデだったが、彼女は軽くうなずいた。


「え、う、うん。そうだよ。私の相棒。初めて見るの?」


「えぇ!」


 アレクシアはその答えにうれしそうな笑顔を浮かべ、まるで幼い頃からずっと憧れていたものを初めて手にしたかのように、奔鳥をじっと見つめ続けた。


「……乗ってみる?」


 頬を掻くヘデの提案に、アレクシアは目を輝かせ大きく頷いた。

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