第10話 暗幕の向こう側へ



 咲が連れていかれてしまった後。


 目を覚まさない雫を連れた海は医務室へ。高松先生は職員室へ向かい、残った凛月と日織は再び教室へと戻ろうとしていた。


「だいぶマズいことになったねぇ……」


「うん……」


 事の展開が想像以上に早い現状に、凛月のいつも通りの飄々とした態度は、引っ込んでしまっていた。


「多分、今日はまともに帰れない。家への連絡は必須かなぁ……」


「そうだね……」


 2人揃って、大きくため息をつく。


 怒られることが分かっていながら、なお避けられず、安全択もとれないなら、感情をどこかに吐き出すしかない。


「ひとまず先に、師匠に一報入れとこうか……」


 そう言いながら、凛月が手元のスマートフォンで電話をかける。


 少し長めにコール音が続いた後、繋がった向こう側の音声が少し聞こえてくる。


『んー、どうした急に』


 電話口の向こうから、利輝の軽めの言葉が聞こえてくる。慣れ親しんだ、いつも通りの彼の口調に少しだけ安心して、電話をした凛月が口を開く。


「あの、実はですね……友達がラビット・ウェールズの総帥に連れてかれちゃいまして……」


『何?』


 電話口の向こうの声が、一瞬で険しさを帯びる。


『思った以上に事が早いな……。もう少し様子見かと思ってたけど、これだけ早いとこっちも動きようがない』


「ですよね……」


『ひとまず、ご両親には俺か真家から連絡しておく。多分、そういう意味も込めた電話だろこれ』


「そうです。多分私から言っても、電話口で心配されるだけなんで……」


『そりゃそうだわ。俺は在学中全然そういうこと家に言わなかったけど、当時は夏梅の家言って俺と先生で平謝りしたからなんとかなったしな……』


 蒼水魔法学院に入学したからといって、すべての生徒が非日常に巻き込まれることを良しとしているわけではない。


 ある程度の危険と隣り合わせになる可能性があること、それらに対して可能な限り教師陣が対処することなどは入学時に了承しているものの、今回の凛月たちのように主立って戦うことになるのは非常にレアケースである。


『まぁ、バックアップとしてこちらも向かいます、くらいには……ん?』


 言葉の最後の最後だけ、利輝の声の向き先が明確に変わる。電話口の向こうのやりとりは、凛月たちには漏れてこない。


 やりとりが数秒間途絶えた後、


『ちょっと離席するんで待っててくれ』


 利輝のその言葉から間もなくして、保留状態を示すメロディーが電話口から流れてくる。




 少しして保留のメロディーが切れると、


『悪い。ちょっと所用が出来た。電話に関しては確実にしておくけど、多分実際にはそこまで早く動けないだろうし、ちゃんとそっちでもご両親に一報入れておいてくれ。それじゃ、健闘を祈る』


「ありがとうございます」


 お礼の言葉を日織が凛月が返した後すぐに電話が切れる。


 その様子を見て、凛月と日織が顔を見合わせる。


「なんか師匠、慌ててそうだったね」


「うん」


 最後の急いだ感じの言葉から、何かあったのだろうかと少し勘ぐってしまう。


 約束したことは必ずやることは知っているが、それでも、利輝の急ぎ口調は少しばかり不安を煽り立てた。


「……じゃあ、本命に電話かけますかぁ」


 その状態で、まだ自分たちにやることがあることを思い出して、凛月がしぶしぶながらもう一度スマートフォンを操作する。


 もう一度耳に当てると、今度は程なくして通話が繋がる音が聞こえてくる。


「もしもし、お母さん」


『どうしたの凛月』


「……今日の帰り、ちょっと遅くなりそうなんだ」


『あら、何か用事?』


「……」


 凛月の表情が、少し曇る。いつもほぼ見せない迷い、悩んでいる姿。


 それを見た日織が、


「お姉ちゃん電話貸して」


「日織!?」


 言葉と同時に凛月の手からスマートフォンを奪い取り、凛月が驚く間に電話を耳元に当てて、


「あのねお母さん。今日、多分帰れない」


 そう、いきなり言い放った。


『え、日織? 急にどうしたの?』


「お友達が一人、さらわれちゃったの。一応、師匠たちがバックアップしてくれるとは聞いたけど、私たちも行かなくちゃいけないの」


『…………』


「ごめんけど、行かない選択肢はなさそう。そりゃあ少し怖いし行きたくないけど、そしたら多分、他の子が――『ダメです』……」


 これまでのただ聞いている様子とは正反対の、明確な否定の言葉。いつもより強めの語気に、言葉を受けている日織は口を閉じる。


『お母さんもお父さんも、何かあればその師匠さんたちが動いてくれるから何も心配しなかった。でもその前提条件が崩れるのであれば、話は変わってくる』


「うん……そうだね」


『とにかく、2人とも帰ってきなさい。そっちは、その道のプロに任せた方がいいじゃない』


「…………」



 母親の言葉に何も反応しないまま、日織がスマートフォンを耳元から遠ざけて、その画面を無表情で見つめながら電話を切った。


 凛月が戸惑いながらも日織を見る。


 日織は、ひったくったスマートフォンを凛月に差し出しながら口を開く。


「怒られるのも、向かうのも、助けるのも、全部、私が一緒にいる。だから、そんな顔しないでよ」


「……」


 らしくない姿に励ましの言葉をかける日織。


 少し遅れて、凛月の表情も再び緩む。


「うん、ありがとうねー、『お姉ちゃん』」


「『どういたしまして、凛月』」


「「……ふふっ」」


 凛月主導で、一時的にお互いの口調を真似して、2人はそれがおかしくなって少し笑っていた。



 そうしているところに、今度は高松先生がやってくる。


「あ、先生」


「ご連絡は済んだのか?」


「はい。正直に話したら色々言われちゃいましたけど、素直に従っちゃうとついていけないので、途中で切っちゃいました」


「……そうか」


 言葉が出る前の、明らかな間。


 言いたいことが他にもあったのだろうと推測できるその言葉には、明らかに申し訳なさが溢れるほど乗せられていた。


「一応入学時に万が一に同意する、とはあったものの、いざそうなれば心配するだろうしな……。白崎家、篠崎家含め、後で俺が出向いて謝っておく」


「それでも怒られると思うので、フォローよろしくお願いしますね」


「善処しよう」


 そういう高松先生の表情は、固いままだった。


 しばらくはほぐれなさそうなそれを見つめる間もなく、高松先生が背を向け、その背中越しに2人に呼びかける。


「今から医務室に向かう。ついてこい」


「「はい」」


 凛月と日織の了承の言葉の後、3人は医務室へ向かった。






* * * * * * *







 内部の会話は、その手前辺りから聞こえ始めていた。


「とりあえず落ち着いて」


「でも!」


 おそらくは焦っている雫を、海が一生懸命に宥めているところか。


 海が宥める理由も分かるが、この状況では厳しいものがあることも、凛月や日織にはよく理解できていた。


「落ち着けって言う方が無理だよ、白崎君。私も日織も、お互いにそうなったら落ち着いてられないから。この前の日織なんかいい例でしょ」


「凛月さん……」


「でも、余裕を失くしたら、必ず致命的な隙を生む。だから、常に誰かのやりとりに、不真面目な返し方が出来るようにしておけ。これ、師匠の名言なんだ」


 凛月さんが私の肩をポンと叩く。それを見てゴホンと高松先生が咳払いをして


「そういう訳だ。とりあえず時間が無いから説明するぞ。これからの事を」




 その言葉を聞いた雫がベッドから起き上がったとほぼ同時くらいで、高松先生が説明を始めた。


「まず、この学院の他の生徒や教師の力は借りられないだろう」


「え……」


 そう絶句したのは海。そのまま先生は言葉を続ける。


「時間帯的に生徒の人員を割くのが難しい上に、教師陣にも確認命令や派遣要請が届いていてな。恐らくは亮の仕業だろうとは思うが、どれも真偽が分からない以上は、人員を割くしかない」


「あ、じゃあ師匠たちも……」


「一星の想像通り、お前らの頼りの師匠たちも北海道から要請を出されたみたいだ。元々対魔法戦闘が主な対応で、しかも直近で出たとなると、この対ラビット・ウェールズでは直接のサポートは望めないだろうな。恐らくそれも計算に入れて、昨日の今日で宵星を連れ去ろうとしたんだろうな」


「そんな……」


 日織が肩を落とす中、高松先生は先ほど得たカードをかざす。


「これには『本日0時までに新宿の廃墟街の劇場CLUBGeetに姫、宵星雫様のチームでおいでなさい。さもなければ貴女の大切な人は永遠に人形のまま……』と書かれてる……」


「先生……?」


 読み上げ終わった後の高松先生の表情が、明らかに辛そうな顔だった。普段ならまずありえない程に、無力感で歪まされた顔だった。


「お前たちにこんな事を言うのは間違いなのかもしれない。だからあえて言うぞ。俺の生徒を救ってくれ……」


 高松先生の言葉が、どれだけの非常事態であるかを、この場の全員に再認識させる。


 利輝や陽羽伝いに聞いたことではあるものの、高松先生が学院どころか日本でも5本の指に入る程の戦闘人員であることを、凛月と日織も知っている。


 そのこともあり、いれば戦闘面では確実に心強い味方ではある。


 だが、相手の指示に背くことは、相手にイレギュラーな対応をさせることにも繋がる。特に、厄介なユニーク・エーテリアである『三月ウサギの懐中時計』の使用回数は、凛月の記憶間違いでない限りは後1回だけ残っている。日付が変われば制限がリセットされてしまう上に、その1回を相手が能動的に使う状況になってしまえば、それは確実な詰みだ。


「私は……」


 凛月と同じ考えに至ったのか、雫の表情は、険しさと苦しさが同居していた。凛月と日織よりも確実に戦闘慣れしていない以上、それは仕方のないことではある。


 逆に凛月と日織があまりにも慣れ過ぎている、というのを分かっているからこそ、状況を少しでも緩和していくことが役割であると、そう考えることが出来た。


「雫ちゃん。ほら、スマーイルスマーイル」


 雫の肩を叩いて自身の方を向かせて、凛月は口に両手の人差し指を当てて、笑顔を作るような仕草をする。


 その後で、医務室の入口に向かって歩くと凛月さんはくるっと綺麗にターンする。


「なーんにもなければ確かに不安だけどね、凄く幸運なことに、雫ちゃんには私たちがついてるんだよねー。こーんな見てくれからは想像できないかもしれないけどね」


「はい、大丈夫ですよ。私とお姉ちゃんのコンビネーションは、百人力ですから」


 少し離れたところで話しながら、途中くるっと綺麗に一回転した凛月と、そんな姉の言葉に同調するような言葉を口にする日織。2人揃って、優しい笑みを雫に向ける。


「俺も大丈夫! しず姉より魔法は使ってるし。一応! 成績優秀だからね! 少しは力になれるよ!」


「そっかー。一応なのかー」


「えっ」


「ちょっとお姉ちゃん!」


 海もそう言って自分の魔導装器を握るも、凛月の横槍で締まらない形になる。それを日織が窘めた後で、全員の視線が、雫に向く。


 決断を待つ意味での視線を向けられて、雫は少し悩んでいたが


「先生。私……行けます」


「宵星……」


「『闇の中でも光を見つける』……お父さんの言葉を証明してみせます」


「……頼んだぞ。お前ら」


 高松先生は真面目な顔で、雫の肩を叩くと、ポケットから車の鍵を出した。


「新宿まで送る。そこから先は頑張ってくれ……!」


 高松先生のその言葉を聞いて、雫も自身の魔導装器である『Flower』を握りしめた。

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