②ヤンキー、怪物と対峙し
ヒトシはなにもない空間に閉じ込められていた。
なにも見えない。なにも聞こえない。なにも匂わない。なにも感じない。なにも味がしない。
世界が消失し、ただ自分の意識だけが頼りとなっている。
(うーんどういうことだ。これは夢? それとも俺は死んでいる……のか?)
——不意に世界がもとに戻った。昼間の明るさだ。ヒトシが寝っ転がっていたのはどことも知れぬ山林のただなか。ゆるい坂道の途中に放置されていた。
(おかしい)
ヒトシは立ち上がる。
彼の主観において数分前まで
(珍しく外で遊んでいたらこんなことになった。「卒業式の帰りくらい付きあえ」って言われたら断れなかった……)
ヒトシは前方に広がる風景に目をやる。
山の中腹から見下ろす麓の光景。平原、細い未舗装の道が一本だけ伸びている。建物の一つも目に入らなかった。
彼が住む川崎市周辺にこんな自然は残されていないはずだ。
まだ夕方までは時間がある。
ともかく山の頂上まで登ろう。川を見つけて下流までたどっていけばこの山から降りられるはずだ(ネット知識)。
遭難して死ぬなんて終わり方は避けられる。
遠くから鳥の鳴き声が聞こえる。樹々の間からは木漏れ日が。人の手が余り入っていない山のようだ。人気の観光地というわけでもないらしい。
(少なくとも市内ではないだろうな。昼間にしては人がいなすぎる。誰が俺をここまで運んだ?)
(理由は……殺して埋めようとでもしたのか? 殺されるほど人に恨まれることしてきたか? 俺……)
割と思い当たる節があるヒトシだった。
誰かを虐めたり金を巻き上げた経験はない。
その手のことをしたら学校の奴は制裁——最低でも
そういうダサいことはしない空気が黒龍にはある。
高校に入ってからしばらくすると、ヒトシの強さが周囲に知れ渡り、数えるほどしか喧嘩は売られてない。
が、そのとき相手を完膚なきまでブチのめしてきたことはあるのだ。再戦なんて挑まれたら面倒だから。
——倒した相手に恨みを買われていた可能性は十分にある。
(客観的にみて俺は不良だからな。仕方ないっちゃ仕方ない)
ポケットを探る。意外にもスマホと財布は無事だった。悪意ある人間に連れ去られた可能性は低くなる。しかしスマホはつながらない。
(先週始まったジャンプの新連載、早く読みたいのに。さっさと読んで感想漁りてぇ……)
黒龍高校の面々なら誰もが知ることだが、ヒトシは伝説的な強さを誇る不良でありながらかなり重度のオタクでもあった。特にマンガは大体のメジャーな作品をほとんど読破しているガチ勢。
インドア派なのに抜群の運動神経を有しているのは自分でも謎だ。
ヒトシは考えるのをやめ10分ほど歩き続ける。
(なんだかハイキングにでもきた気分になってきた。たまには体を動かすのも悪くないか)
道の片側が崖に変化した。
ヒトシはそこから落ちないように気をつけながら進む。
(……人が通る道はあるんだ。誰か人を見かけたらすぐに助けを求めないとな)
ヒトシが周囲を見渡し、意識して耳を澄ました瞬間、その声が聞こえた。
「あ、あなた……。どこからきたんですか?」
頭上である。
ヒトシは足を止めた。
数メートル離れた位置に生えた大木、その枝に腰を下ろしている少女の姿があった。
「おーいるじゃんホモ・サピエンス。俺の名前はヒトシ。さっきむこうの林の中で高校の制服姿で倒れているところを発見されたそうだよ」
「誰が発見したの?」
「俺が」
「なにそれ……」
(初対面の女の子にギャグをかましている場合か? ←俺)
目が覚めてから初めて人と会ったことでテンションが上がってしまっているヒトシである。
樹上に座っている少女がかわいらしい見た目をしていることもその原因の一つか。
(10歳くらい……か? 白いワンピース。白人っぽい容姿。特徴は大きな目。それに長いまつ毛がビシバシ。年齢的にストライクゾーンは外れっけど、将来きっと美人になるだろうな。髪は赤紫色……。親に頼んで染めさせてもらったんだろ)
ヒトシは相手を怖がらせないよう優しく話しかける。
「ここはどこなの? 俺は川崎にいたん——」
そこまで口にして気づいた。ヒトシは日本語を使っていない。これまで聞いたことのない言語を使い話をしている。
そしてこの少女も俺と同じ謎の言語でコミュニケーションをとっていた。
(マジのマジのマジで?)
ヒトシは血の気が引くのを感じた。
「連れ去られたわけじゃない? ここは俺がもといた世界じゃないのか?」
「……聞いたことはあるわ。こことはまるで違う『別世界』から現れる転移者が現れると。あなたのような変な服(学ラン)を着た人は見たことがないし。……私の名前はギギよ」
「ギギ……『ルール』を教えてくれ。まず転移者……そういう作品には触れたことがあるから耐性はあるんだけれど」
「?」
「こちらの言語が使えることはわかったよ。非常にありがたい」
「転移者は私たちがいる大陸のどこかに数年に1度現れるらしいわ。そして1人の例外なく魔術師としての才能がある」
「魔術師? ファンタージやメルヘンじゃあないんですから。なんつぅかありがち……」
「なにがどうありがちなのかわからないけれど、魔術を使える人間はすごく強いのよ。人口あたり0.01%くらいしか現れない才能。私だって使えない。特にその人しか使えない魔法の種類によっては、並の兵士1000人以上の戦力になると言われているわ」
「ゲーム脳だなぁ。別に戦う力なんてもらっても嬉しくねぇよ。俺元から強いし」
「魔術師はすごく尊敬される仕事なのよ。魔物を狩ったり、新大陸で村を開拓したり」
「……見た目の割に大人っぽい喋り方するねギギちゃん。君はここの人? それとも旅行にきてるとこ?」
「この山に住んでるわ。家はもっと低いところにあるの……」
「ふぅん。ところで元の世界への戻り方ってあるの? 存じ上げない?」
「……私は知らない」
「希望があるのかないのか。んー、ところでどうして君はその木に登ってたの? そこに木があるから?」
「朝、ちょっとしたことでお父さんと喧嘩したのよ。私のお父さんは猟師をしているの。3時間くらい前に家から出て……」
「家出か。でも山から降りてないってことは本当はお父さんに見つけてほしいんじゃねぇの? ……図星?w」
「ねぇ」
「そんでその木から降りられなくなったパターン? 助けたげようか」
「ねぇ、お願いがあるの。私を助けようとなんて思わないで」
「どうしたの?」
ギギの顔が真っ青だ。
ヒトシの位置からはギギの表情は逆光になってよく見えなかった……。
(ワンピースが汚れている。それに手に怪我が。まるでなにかから逃げるため必死になってそこまでよじ登ったかのような……)
ヒトシは視線を頭上から水平方向に戻す。
自分が今まで進もうとしていた緩やかな坂道のむこうを見た。
そこには四足歩行する獣の姿があった。ヒトシとの距離は20メートルもないだろう。
薄黄色の毛皮。デカい割に短めの手足。突き出た鼻。
「クマじゃん……」
(動物園に帰れよ……。サイズ的には
(ギギはこいつから逃げて木に登ったのねぇ。一度姿を消したところに俺が通りかかったと。はいはい)
巨熊は木登りなど簡単に成し遂げる。ギギが一度見逃されたのは幸運にすぎない。ヒトシがいなかったら十中八九喰い殺されていただろう。
「もっと早く言えよ!!」
ギギにむかってそう叫びたくなったがやめた。
少女を傷つけたくなかったこともあるし、
なによりこの超危険生物を刺激したくなかったからだ。
巨熊はこちらにゆっくりと近づいてくる。
そのつぶらでキュートな目を見るに、ヒトシを殺す気マンマンの気配であった。
(俺の危機察知能力も鈍ったもんだ……)
「私にかまわず逃げて!!」
そう頭上の少女が命じるが無視。
その選択肢はヒトシのなかで、億に一つ、兆に一つ、京垓𥝱穰に一つありえないことだった。
たった数分間話をしただけの少女を救うために命を懸ける。ヒトシは秒速で覚悟を決めた。
ヤンキーは後先のことなど考えない。
(人助け、かぁ。今まで誰かを守るために戦う機会はなかった……。正義の味方みたいで小っ恥ずかしいが、ま、やってやるさ)
俺がここにいるからだ。
歩み寄る巨熊から視線を切らないまま、ヒトシはギギに話しかける。
「仮に俺が死んでも気にするなよギギ。仮の話だ。もしかして、一応、念の為。こんなザコに俺が死ぬなんて100億%ありえねぇが」
初対面の少女にむかって
続けて巨熊につぶやく。
「んーおまえなんか調子乗ってね? 険悪な雰囲気かもしてっけどよぉ、このまま立ち去ったら追わないでやるぜ」
巨熊は一瞬歩みを止め、ヤンキーにむかって太く鈍い唸り声をあげる。
「ヴォオオオオオオ!!」
「うるせぇよ。ま、そうだよな。おまえも生きるのに必死だし、これしか選択肢はないよな」
そう言ってヤンキーは両の拳を胸のまえでかまえた。
戦。
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主人公は魔術の才能があるのですが、しばらくの間は素の力で戦うことになります。
週2回くらいの更新を予定しております。
次の更新予定
王立魔術学院のカワサキ・ヤンキー @tokizane
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