第7話 エディットの出自


『……う…っ!ふ、うぅ…』


「…姉上…」


 部屋の中で、姉上が声を押し殺して泣いている。廊下で僕とアルフィー様、リーナは静かに聞いていた。


「…エディット…どうして…」

「ですから…姉上は豊かな暮らしより、質素でも自由な暮らしを望んでいると言ってるでしょう…」

「豊かというのは、何よりも自由だろう?彼女は私と結婚すれば、多くのものを手に入れられるのに」


 多くのものと引き換えに、たった1つの願いを失うだろうけどな。


「……………」


 う。リーナの視線が痛い…

 リーナだけでなく、ここ数日姉上の世話に携わった者は皆、姉上に好感を抱いているようだ。主である王太子殿下を睨む程度にはな…

 僕だって。カリアの嘘なんかや、両親の「私達の子供は2人だけだよ」なんていう言葉を鵜呑みにしなければ…!


 …いや。僕の罪は、そんなんじゃ消えやしない…


 ここはリーナに任せ、僕達は移動する。場所はアルフィー様の部屋。




 2人で向かい合いソファーに腰を下ろして、同時にふう…と息を吐いた。


「で…姉上の古傷は、消えないのですか?」

「ああ…医者の話によると。まだ若いから、ある程度は薄くなるかもしれないが…いくつかある焼き印は消せない」

「そうですか…」


 ハァ…

 ……僕も姉上の傷は、以前見た事がある。この人生ではない、6回目で。





 ※





 姉上の誕生日は12月で、その日はいつ雪が降ってもおかしくない気候だった。

 パーティーの直後、カリアが姉上を部屋に呼び。この屋敷を追い出されたくなければ、自分の奴隷として死ぬまで尽くせ、と言ったそうだ。

 姉上はその言葉を拒絶、カリアは激昂した。命じられたメイドが姉上のドレスを脱がし、下着姿で外に放り出した…


 その時僕は、自室でアルフィー様と飲んでいた。


『やっとですね!おめでとうございます、今後は義兄弟としてよろしくお願いします』

『ああ、ありがとう。

 …なん、だが。これでいいのか、と…何故か不安がよぎるんだ…』


 僕はめでたい事だというのに、何を馬鹿言って…と思っていた。結局彼は、すぐ客間に戻ってしまった。




『……ぅ…うわああっ!!?』


 僕は目覚めと同時に全てを思い出した。焦燥感に追い立てられて、姉上を探さないと…!とベッドから落ちるも同然に降りた。



『姉上っ!!どこだ、姉上ーーー!!!』

『ふわあぁ…お兄様。着替えもしないで…姉上って誰?』


 まず姉上の部屋…いない!

 どこだ…!と大声を出しながら廊下を走り回る。するとカリアが、欠伸をしながら姿を現した。


『お前…っ!エディット姉上だ!!』

『ええっ!?姉上って、何その冗談!』


 あははっ!とカリアは声を上げて笑った。沸き上がる殺意を堪えながら、カリアの胸ぐらを掴む。


『きゃっ!?何するのよっ!!』

『どうせお前の仕業だろう…!今すぐ吐け!また殴られたいのか!?』

『な、なんなのよう…!

 ……あの女なら、わたくしの部屋のバルコニーにいるわよ。そろそろ頭も冷えてるんじゃないー?』

『そ、とに…!?』


 この、暖炉が欠かせない寒さの中?僕は急激に頭が冷えて、カリアを突き飛ばして部屋に入った。

 カリアが床に転げて、何か喚いていたが無視した。



 だだだだっ! バタン!!


『姉上っ!!!あね……う……』



 窓を開ければ、息まで凍りそうな風が全身を撫でた。

 僕の足元には。氷のように冷たくなった姉上が…横たわって、いた。逃げられないよう…足に鎖が巻き付いていて、柵に繋がれていた…




 僕はその場に力無く座り込んだ。青白い肌の、姉上に…僕の上着を掛けたら…


 姉上の全身にある、無数の痛々しい傷痕が目に入った。

 カリアが姉上を虐げていた事は、これまでの繰り返しで知ってはいたけれど。実際に目にしたのは…これが初めてだった。



『エディット……?』



 アルフィー様が、僕の後ろに立った。そして同じように、その場に崩れ落ちた。

 こうなったらもう、僕達の運命も決まったようなものだった。


 絶望する僕達を…太陽が赤く染める。ああ……

 姉上が命を落とした朝はいつも。恐ろしくも見惚れる程に、美しい朝焼けが僕達を照らすのだ。





 ※





 これより2ヶ月後には、エリオット陛下がこの国を訪れるだろう。姉上を迎えに…


 姉上…エディット様は、エリオット陛下の実の妹だ。皇国の第7皇女として生を受けた…本人すらも知りはしない事実なのだが。僕達はそれを、最初の人生で聞かされた。

 どうして皇女殿下が孤児院に置き去りにされたのか?それは17年前に遡る……




 前皇帝が我が子らに「殺し合え」と告げた時…エディット様は生後半年だった。御子達は、笑い飛ばす者が多かったが…

 エリオット陛下はいち早く気付いたという。皇室にて…争いが始まる事に。


 第3皇子エリオットは、唯一の同腹である妹エディット様の身を案じた。最も幼くか弱いこの子は、生き残れない…と。

 同時に自分の弱点ともなる。だから、泣く泣く別れを決意した。

 エディット様は死んだ事にして、隣国に逃がす。その為に病気で死んだ赤ん坊の遺体を用意して、皇女として葬儀を行なった。


 彼の読みは正しく…エディット様を逃した翌日に、第2皇子が凶行に及んだのだ。





『いつか必ず、迎えに行きます。何年掛かるかわからないけれど…絶対に。君が安心して帰れる家を、僕が手に入れてみせます。

 その時まで…さようなら、僕の愛する妹。君の幸せを…願っています。………ごめん…ね…』

『う?あぅー』

『……ふふ。きっと君は、美しく成長するでしょうね。困ったな、求婚者が後を絶たないだろう。変な男に引っ掛からないか、お兄ちゃんは今から心配ですよ。

 …君の花嫁姿は。涙が出る程に、綺麗でしょうね…』




 エリオット様は大粒の涙を流しながら、別れを告げた。彼が13歳の時だった。



 僕達の住む王国で、信用できる孤児院を徹底的に調査して…グリースロー領に辿り着き。

 皇宮から動けないエリオット様は、信頼のおける従者に愛する妹を任せた。

『この子の名前はエディットです。よろしくお願い致します』というカードを添えて、孤児院に預け。エリオット様は皇位争いに身を投じた。


 エディットという名は、エリオット陛下と母君が付けたらしい。生後半年になっても、皇帝は名前を贈らなかったそうだ。


 万が一にもエディット様の存在が第2皇子派に知られたら、彼女に危険が及ぶ。だからこそ一切の接触をせず、王国を信じて彼は戦った。


 その信頼を裏切ったのは、グリースロー家だ…

 エディット様が公爵家に引き取れなければ。孤児院か、どこか養子縁組する家で平和に暮らしたことだろう…



「…エリオット陛下は誓い通り、姉上の帰る家を守ったのに。肝心の姉上は…」

「………………」


 僕が言えたことではない、と重々承知しているけれど。陛下の心情を思うと…胸が痛い…



 公爵邸を訪ねた陛下は、父上や僕らと対峙して。姉上の死に納得がいかず、生前の姉上の素行を調べ上げた。


 結果…散財していたという姉上がいなくなって、1ヶ月が経っているのに。公爵家の財政はまるで変わらず。カリアが浪費していたのだから、当然だろう。

 カリアが面倒事を姉上に押し付けていたのは、菓子作りの件もありとっくに知れ渡っていたし。

 男遊びなど、完全にでっち上げ。相手の男など存在もしていなかった。


 姉上に関する悪評は、噂でしかないというのが浮き彫りになり。広めたのがカリアだと…そこまで判明して。姉上に暴行を加えていた、というのも明らかになる。

 もう公爵家は、カリアを庇うことも出来なかったし、しなかった。

 



 姉上の死から約半年後。エリオット陛下が…王国に宣戦布告をした。


『こちらはエディット嬢が皇女であるなど、知りもしなかった!皇国に敵対する意思は無い!』

『それは平民であれば、虐げていいという意味ですか?』

『そうでは、ない、が…!妹の仇を取るためだけに、国民を危険に晒す気か!?』


 こちらの国王陛下は、当然抵抗したが。エリオット陛下は…



『ご安心を。どちらの国民も、巻き込む気はありませんので。自分はただ…貴殿方王族と、グリースロー家の首が欲しいだけなのですよ。


 妹の仇…か。そちらからしたら、些細なものなのでしょうね。ですが。

 戦の切っ掛けなど…いつだって、そういうものでしょう?それは誰か1人の死。権力者の発言1つ、1つの土地や物資を巡って…ね?』


 エリオット陛下は会談の場で…一筋の涙を流しながら、笑った。



 これにより2国間で戦争になった。責任を取る為…僕と父上、グリースローの騎士達は前線で戦った。だが…僕達はそこで死んだ。


 その後、母上と使用人達は全員処刑。

 主犯のカリアは両手足を斬り落とされ火刑。メイド2人も手首を落とされてから絞首刑。

 戦に破れた王国は、民間人にも多少の犠牲者が出てしまったが、全員徴兵された者だった。エリオット陛下は本当に、無関係の者には手を出さなかったのだ。

 アルフィー様含む王族は、全員斬首され。貴族は残らず平民となった…らしい。ここはアルフィー様に聞いた話だから。それが、1回目の人生。



 僕は2回目…姉上が転落死した後。同じように戦争が起きる、僕はまた矢で射殺される!!と怯えた。

 姉上の遺骨を見つけないと…!姉上の死は事故で、どうしようもなかった。遺体は丁寧に埋葬した!と言い訳をしないと!!

 誰の言葉も聞かず、半狂乱になり山に入り。日が落ちても探し続け…暗闇の中足を滑らせ、滑落した。


 足が折れたのか、身動きが取れなくなり。誰かいないのか…!と声を出しても風の音にかき消され。そんな僕に近付くのは…山の獣だった。

 僕は生きたまま、身体を喰われた。激しい痛みと恐怖に襲われながら…どう足掻いても、死ぬという結末は変わらないんだ…と悟った。

 だから3回目は、すぐに自殺した。


 アルフィー様は2回目で、どうにか戦争を回避出来ないか奔走したらしい。だが…未来は変わらず。




「今回は…姉上を無事に、皇国へ帰還させないと」

「そこは私も同意見だ。その後、皇女として私の元に嫁げばいい話だろう?」

「…………」


 この人は…駄目だ、もう。


 僕とアルフィー様は…「姉上を救い、自分達の未来も変える」という一点においては団結しているが。その過程は真逆でもある。

 アルフィー様の目標は、戦争の回避。そして姉上との結婚。

 僕の目標は姉上の望みを叶える事。そして生きる事。

 その為ならば、色々とやらかしてくれやがった妹も見捨てる。僕はただ、死にたくない。平民になってでも…生きたい。



「カリアがしてきた事は、もうどうにもならない。場合によってはあいつを処刑するのも致し方ない。

 皇女の心身を傷付けた…それを償う為なら、公爵家の全財産だって支払う」

「…私も無関係ではない。だからこそ、エディットを娶る事で…」

「もうその話はいいですっての!!ったく…!」


 アルフィー様は首を傾げた。本気で…自分との結婚が最大の褒美(いや賠償?)と考えているようだ。どれだけ自己肯定感が高いんだ…




 僕らは夜な夜な、こうして話し合いをしている。

 ちなみにカリアは謹慎中。当然抵抗しているが、アルフィー様の命令には逆らえない。

 ストレスを発散する相手も失い、相当荒れているようだ。


 次の話題は…来週に迫る、皇国の使節団訪問について…だ。

 これまでの人生でも毎回あった。表向きは2国間での貿易についての会談。王宮にて、歓迎のパーティーが開かれる予定だ。

 代表者はエリオット陛下の腹違いの弟、ヒューバート殿下だ。記憶が戻るまでは思い至らなかったが…


 本当の目的は、十中八九姉上の現状を探る為だろう。この時点で彼らはもう、エディット皇女がグリースロー家に引き取られた事まで知っている。根も葉もない噂が広がっている事も…な。


「どうりでヒューバート殿下がパーティーで、やたらと父上に接触してきた訳だ…」


 僕もその場にいたが。父上は気を良くして、殿下に

「エディット?ああ…困った娘でしてねえ。それよりカリアという娘がいるのですが。親の欲目もありますが、美しく賢く優しい女性でして」

 と、やたらカリアを持ち上げていた。誰がどう見ても、ヒューバート殿下の妃にどうですか?と表していた…

 僕は横で「全く父上ってば、カリアにはアルフィー様がいるのに!」なんて事を考えていた…



 今なら分かる。完全に、皇国の地雷を踏みまくっていたと。



「今回はパーティーに、エディットも参加してもらわないと」

「そうですね。そこで自然に、ヒューバート殿下と引き合わせて…」

「自然に繋がりを作って…」

「「エリオット陛下を、自然に呼ぶ…!!」」



 それが僕らの考える最善。


 実は7回目で、皇室に接触した事がある。先手必勝、皇女殿下が亡くなってしまいました、申し訳ございませんと謝罪する為。

 ただこれは、賭けというか試験的行為だった。予想通りエリオット陛下の反応は…「何故エディットが、我が国の皇女だとご存じなのですか…?」だった。

 彼は皇室にスパイがいるのでは、と考えて。粛清…とはならなかったけど、2国間の仲は険悪になった。そして戦争…



 つまり僕らは、何も知らない体でいなければならない。

 失敗は許されない。またループしたとして、間に合うとは限らないのだから。




「……姉上」



 もう少しだけ、待っていてください。

 必ずあなたを、祖国にお帰しします。

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