第3話 最初
エディット・グリースローは、17歳の誕生日に婚約者に捨てられ、公爵家からも追い出された。
「ふっ、いい気味だ!最後に絶望の顔を拝んでやろーっと」
「やっとカリアと正式に結ばれる…!」
エディットを毛嫌いしていた義弟カロン。彼は幼馴染で友人でもある王太子アルフィーを連れて、夜の公爵邸を歩く。
エディットはパーティー後すぐに、王国内でも辺境に位置する村へ送られる。そこにはグリースロー家の面目もあり、小さな家が用意されている。エディットはこれから1人で生きていくのだが…
彼女が噂通りの悪女だと信じている2人は、メイドも料理人もいない生活などできまい!と思っていた。
「(…しっかし、泣き叫んで乞うなら下っ端メイドにでもしてやったのに。カリアもそれを望んでいた…なのに。
どうしてパーティーであの女は、最後まで冷静だったんだ…?)」
「?どうした、カロン」
「いえ…おっと!隠れましょうアルフィー様」
突然表情を曇らせるカロン、アルフィーは疑問に思うも特に言及はしなかった。
彼らは屋敷の裏手までやって来た。当然のように、エディットを見送る者などいなかったが…
「「……え?」」
カロンとアルフィーの視線の先には。
「(辺境はどんな所かしら?暖かい場所と聞くけれど、美味しい果物がいっぱいあるのかしら!?
ああ…私の胸は、こんなにも弾むことができたのね!ドキドキして落ち着かない!)」
2人が裏口から、敷地の外に停まっている馬車を見ると。その中に…頬を桃色に染めた、晴れやかな笑顔のエディットがいた。
「な…なんで…」
「………………」
それは噂とは程遠い、無邪気な少女の微笑み。カロンは困惑し、アルフィーは見惚れていた。
更にいつも施されていた適当な厚化粧ではなく、数年ぶりに見る素顔。横顔だけしか見えないが、普段の様子からは想像もつかない。
「……エ…エディッ…」
思わず、と言った風にアルフィーが一歩踏み出した瞬間。
「ハッ!」
ヒヒィーン… ガタガタ ガラガラ…!
「あっ…!」
御者が手綱を引き、馬車が走り出す。
2人の前から去って行くエディット。彼女は最後まで2人に…屋敷に目をくれることはせず。ただただ、前だけを向いていた。
それから半月が経った。
エディットの最後の笑顔…あれはただの強がりだ!と思い込むことで、どうにか納得したカロン。
対してアルフィーはあの日から、心ここに在らずな状態が続いていた。
今もカリアと楽しいお出かけのはずなのに、どことなく上の空。
「アルフィー様、どうなさったの?」
「……あっ、すまないカリア、何か言ったかい?」
「むー!もうっ、さっきからぼーっとしちゃって!カリア怒っちゃうわよ?」
「はは、ごめんね」
ぷくっと頬を膨らませるカリア。アルフィーはそんな仕草も愛らしいと思っていたが…どうしても最後に見た、エディットの横顔を思い出して比べてしまう。
「(まるで聞き分けのない幼子のようだ。年明けの忙しい時期、合間を縫って会いに来たというのに…エディットとは程遠い…と、いけない。私の婚約者はこの子なのだから)
そうだ、来週開かれる剣術大会なんだが。君のハンカチが欲しいな」
「!…えっと〜…はい、頑張りますね♡」
「?」
令嬢の刺繍が施されたハンカチ。これを恋人や意中の男性に、狩猟大会や剣術大会に贈るのが慣わしだ。
カリアは毎年アルフィーに贈っていた。対して、エディットは1度も渡さなかった。
翌週…
「はい、殿下!わたくしの為に優勝してくださいね!」
「ありがとう…(え?なんだこれ…子供の練習か…?)」
大会にて、カリアが手渡したハンカチは。素人目で見ても、前回までより明らかに質が落ちていた。描かれているのは王家の紋章…なのだが。拙いどころか形が間違っている。
言葉にせずとも、アルフィーの反応が悪いと気付いたのだろう。カリアは慌てて口を開いた。
「えとえと、実は昨日まで高熱で寝込んじゃって!意識も朦朧として…でもでも、どうしてもわたくしの手で刺繍した物を贈りたくて…!」
胸の前で手を組み、うるうると上目遣いになるカリア。アルフィーは焦りつつ「そうだったのか。無理をさせてすまない、ありがとう」とその場を収めた。
「(ふう、危なかった。メイドにやらせたけど…全然下手じゃない!はあ、これからは自分でやるしかないわね。
まあ、あの女ができるんなら、本物の公女のわたくしなら余裕ね!練習はそのうちにしましょう)」
無事アルフィーを送り出し、ほっと胸を撫で下ろすカリア。
同時刻アルフィーは、会場でカロンと顔を合わせていた。
「カリアが体調不良?はは、まさか!寝込むどころか、昨日も一昨日も食後のデザートをお代わりしてましたよ。
きっとアルフィー様の気を引きたくて、可愛らしい嘘でもついてしまったんでしょう。どうか許してやってください」
「………そう、か」
アルフィーはこの件について、カリアに何も言わなかった。この頃からカリアを不審に思い始めていたが、もう遅い。
澄み渡る青空を見上げて、遠く離れた彼女を想う。
「(……エディット。どうして今になって、きみを思い出す。初めて会った時の、愛らしいきみを…
…今度、訪ねてみよう。会ったら…この胸のつかえも取れるだろうか…)」
だが、その願いは届かない。
エディットがいなくなろうとも…何も変わらない日常。そのはず、だった。
「……?カリア、今日のデザートは失敗したのか?」
「どういうこと、お兄様?」
公爵邸のサロンに集まった面々は、一口食べては首を傾げた。
「(この為に一流のパティシエを雇ったのよ!?見た目も味も、あの女に劣るはずがないわ!)いやだわ、お砂糖の量を間違えちゃったのかしら。どこが変だったの?」
カリアは背中に汗が流れるのを感じながら、頬に手を当てて困った顔をしてみせた。
「どこって…僕は甘味が苦手だから、いつも甘さ控えめにしてくれるじゃないか」
「あ、あらやだ…(何それ…聞いてないわよ!?)」
カロンが苦笑しながら言うと、カリアは蒼白になった。それでも微笑みは崩さない。
そう…エディットは毎回、各々の好みに合わせて作り分けていたのだ。
カロンは本人の言う通り。
公爵夫人は逆に、甘さを足して。
公爵のケーキのスポンジは、他の物よりしっとりめ。
そしてアルフィー…
「…カリア。私がバラ科のアレルギー持ちなのは…知ってるよね?」
「え?いえいえ、薔薇の花なんて使っていませんよ?」
「カリアっ!?なんというミスを…!」
アルフィーがフォークで持ち上げて見せたのは、ケーキの中から出てきた桃。公表こそしていないが、彼がアレルギー持ちであるのは、近しい者ならば当然知っているはず。
最近雇ったばかりのパティシエは、カリアに何も聞かされていなかったが。
アルフィーは火を加えたり、加工された果物ならば症状は出ない。エディットはそれでも徹底して避けていたが、生のまま入れるなど言語道断。
だがカリアは人任せで、何も覚えてはいなかったようだ。
「……………」
「あ、ご、ごめん…なさ…」
アルフィーは何も言わず、普段と違い絶対零度の視線をカリアに向ける。
茶会の空気は重苦しく、カリアは白い顔で全身を震わせている。
「申し訳ございません殿下!決して娘は、御身に危害を加える気などありません!」
「「申し訳ございません!!」」
公爵夫妻とカロンは、慌てて席を立ち頭を下げる。使用人はその場に跪き、アルフィーの沙汰を待つ。
数分の沈黙…アルフィーが大きく息を吐くと、カリアは肩を跳ねさせた。
「……うん。次は気を付けるように。
では、私はこれで失礼するよ」
にっこり笑い、静かに席を立つ。
公爵家の面々は助かった…と安堵する気にもなれず。アルフィーが完全に帰った後、カリアに詰め寄った。
「どうしたんだカリア、最近おかしいぞ!?」
「そうよ!今までこんなミス無かったじゃない!」
「はあ…!殿下が寛大なお方で助かった…」
そんな家族の注意も、カリアの耳には入っていなかった。
「なによう…大丈夫だったんだからいいじゃない!もうケーキ作ってあげないんだから!」
「そういう問題じゃない!」
「あーあー聞こえないー!お兄様、お説教はいらないわ!」
カリアは両手で耳を塞ぎ、全てを投げ出し部屋に戻る。
家族は頭を抱えて、どうしてこうなった…と嘆いた。
「もうっ!これならやっぱ、あの女を下働きで残しておけばよかった!!いなくなってもわたくしをイラつかせるんだからっ!!」
ボフン! と枕を叩き付けるカリア。綻び始めた日常は、誰にも繕えない。
「エディット…きみに会いたい…!」
アルフィーは茶会以降、カリアに会いに行かなかった。
以前は少なくとも1日置きに通っていたのに、もう1週間が経つ。
どうしてこれほどまでに、エディットの顔が見たいのか。失ってから気付く…愚かな男。
護衛や従者の制止を振り切り、馬に乗り辺境へ向かう。
村が近付くにつれ、逸る心を抑えられない。彼女はまだ自分を愛しているはず。会えばきっと、涙を流しながらこの胸に飛び付いてくる!
などと妄想しながら2日かけて到着、エディットが住む家は。
「ここ、か…?」
まるで人の気配を感じず、ノックをしても無反応。
アルフィーは状況が飲み込めず、同行した護衛2人が近所に聞き込みをした。
「そこの家ですか?んー…5年前まで老夫婦が住んでいましたが、もう他界してますし」
「あ。若い女性が越してくる、とは噂で聞きましたけど」
「1回も顔見てないよね、あなた何か知ってる?」
「確か…引っ越してくる予定の人が、事故で死んだと聞いてます」
「との…ことです…」
「こちらも同様です…」
「え…?」
報告を受け、その場に膝を突く。
エディットは公爵家を追い出されたあの夜、馬車の事故で他界していた。誰が仕組んだ訳でもない、不幸な事故により馬と御者もろとも。
自由な新生活を夢見た少女は、もうこの世にいないのだ。
公爵は不幸を…「どうでもいい」と一蹴した。御者の家族には弔慰金が支払われたが、世間に知られることは無かった…
「嘘だ…違う、そんなはずない…!!
う…うああああああああっ!!!」
アルフィーは人目も憚らず、空き家の前でうずくまり叫んだ。
村人が「なんだなんだ」と集まれば騎士が対処する。だが傷付いた主人に掛ける言葉は見つからず…拳を握って見守る。
「……グリースロー公。彼に…話を聞かなくては…
これは何かの間違いだ。そうだ、彼女が住む村はここじゃないんだ。事故で亡くなった女性は別人だ。エディットは…どこかで私を待っているはずだ…!!」
「「…………」」
1時間後。立ち上がったアルフィーは虚ろな目で、遠くを見ている。フラフラと馬に乗り…
「エディット、今迎えに行くからね…
今度は、きみの全てを受け入れるから。勉強なんてできなくていい、欲しい物はなんでも買ってあげる。どんな我が儘も聞いてあげる…でも浮気だけは許せないかな。
そうだ…私はきみの笑顔に惹かれたんだ。私の隣で笑っていてくれればいい。それ以上望まない、エディット…!
ふふ…あはは…はははははっ!」
脳裏に浮かぶのは、最後に見たエディットの横顔。カリアのことなど欠片も思い出さず。
何故ならエディットを失ってからのカリアは…天真爛漫で、愛くるしいと思っていた彼女は。
アルフィーには我が儘でお子様で、面倒な女性にしか見えなくなっているから。実際その通りだが。
騎士は、泣き腫らした顔で笑うアルフィーに若干の恐れを抱く。
同時に「本当にエディット様が生きている、という奇跡が起きますように…」とすら祈っていた。
再び2日かけ、グリースロー公爵領までやって来たアルフィー。
「……?なんだ、先客か?」
手綱を引き馬を止める。彼の視線の先、公爵邸の門の前に1台の馬車が止まっていた。それは普段アルフィーの使用している、王室の馬車と勝るとも劣らない豪奢なものだった。
それを引く馬も、毛並みは艶やかで鍛えられており。それだけで訪問者の家格が窺い知れる。
更に馬車を囲む、20人を超える騎士。彼らの鎧はこの国のものではない…だがどこかで見たような?と首を捻った。
まあいい、自分は王太子だ。この国で、自分以上に優遇される客人はいないだろう。
そう判断し、馬を歩かせようとしたその時。
馬車から降りて来た男性を見て。喉をヒュッと鳴らし動きを止めた。
「ん…?」
「あ、貴方は…いえ貴殿は…!」
「…これは王太子殿下。お久しぶりです」
眩しい金髪の、アルフィーより頭1つ分は背の高い男性。よく鍛えられた肉体に、微笑んでいるがどこか薄ら寒い眼差し。年齢は20代半ばか、中々の美丈夫だった。
彼らは顔見知りのようで、握手を交わして挨拶を…
「…っ!?」
「…………」
男性は笑顔で、アルフィーの手を強く握った。アルフィーが顔を歪めようとも離さない。
男性はよく見ると、額に青筋が浮かんでいる。更に彼らを囲む騎士達も…恐ろしい形相でアルフィーを睨んでいた。
不穏な空気にアルフィーの騎士が彼の両隣に立ち、男性はやっと手を離す。
「これまで事情があり、挨拶が遅れてしまい申し訳ない。
我々は…こちらで世話になっている、エディット・グリースローを迎えに参りました」
「……………へ?」
アルフィーは予想外の名前が出てきたことに、呆けた声を出した。
男性は構わず続ける。
「確か殿下は、あの子の婚約者でいらしたか。であれば他人事ではありませんね。
さて、どこから話したものか…。一先ず、ここからは公爵閣下も交えてに致しましょう」
「え……あ、はぁ…」
男性は背を向け、公爵邸に歩を進める。
が…ぴたっと足を止めて。背中越に言葉を放った。
「…実は、変な噂を聞いてしまいまして。グリースロー公が…エディットを虐待し、追い出したと…」
「ぎゃ、虐待…?」
「ええ。なので…この目で、あの子の無事を確認しなくては安心できなくて。
もちろん、これまでお世話になった礼はするつもりです。が…
噂が真実であれば。私は…───」
これが、アルフィーとカロンの知る限り、エディットの最初の人生だった。
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