6

 神様は俺を見上げたまま、ただ黙っていた。

「あえ、が」

 俺はそう口に出した。初めて神様に会ったとき、神様が喋った言葉みたいなもの。

「あぐ、え、げ」

 神様は自分がそう言ったことがあるのも忘れたみたいに、俺の顔を見ていた。

「最初は、何を言ってるのか分からなかった。てきとうに音を出してるだけだと思ってた。でも、神様。俺が言葉を教える前、発音に癖があったよな。それを思い出して、何て言ってたのか考えたら、こうなったんだ」


 誰、か。

 助、け、て。


 その言葉に反応して、神様はうなずいた。


「誰、か。助、け、て。いった。いった。そう、いった」

「誰が?」

「いつも、山、きて、た、ひと」


「そう」

 俺は微笑んでいた、と思う。

「そうか。やっぱり、そうだよな。肉の味を覚えて、山から降りてきた熊といっしょだよ。神様はさ、俺の父さんを食って、人間がおいしいって分かって、ここまで降りて来たんだな」

 神様は後ろの山を振り返って、それから今座ってる地面を指さした。

「う、ご、けない」口だけを動かして言う。「どこ、にも、行け、ない」

「なんで?」

「うご、け、ない。動、けない」

「人間をもっと食いたいのに?」

 答えは返ってこない。ただ、じっと俺を見ているだけだ。


 神様の前にしゃがみ込む。朝焼けみたいに真っ赤な目を見つめる。

「俺がお前に『神様』って名前をつけたのにはさ、わけがあるんだ」

 化け物じゃなくて。

 怪物でもなくて。

 神様。

「神様は、人間の願いを叶えてくれるんだ」

 表情のない神様の頬を両手で触る。やっぱり、ひどく冷たかった。

「神様。俺の願い事、叶えてくれる?」

「ねがいごと……」神様はつぶやいた。「かなえる……」

 小さく息を吸って、言う。目の前の「神様」に願い事をする。

「神様。俺を食って」


 笑顔を作ったはずなのに、なぜだか涙が出てきた。

「俺さ、もう、家に帰りたくないんだ。父さんがいなくなってから、俺の家、全部ぐちゃぐちゃになって。昨日の俺の顔みたいに、ぐちゃぐちゃで、もう……」

 地面に目を落とす。土の上に、ぽたりと染みができる。

「……疲れた」


 神様の頬に触れたままの俺の手が、どんどん冷たくなっていく。

「……食、う……」

 ぽつりと、神様がつぶやく。

「幹人、を、食う……」

「……叶えてくれる?」

 うなだれたままの俺の頭上から、声が降ってきた。

「その代わり、ほしい、もの、ある」

 ふと、顔を上げる。

 神様の目が大きくなってきている。人間を真似た顔が崩れて、顔の半分を目が覆いつくしている。

「……何? なんでもあげる」

 水滴がひとつになるみたいに、ふたつの目がくっついてひとつの大きな目になる。

 赤い目が、どんどん俺に近付いてくる。いや、俺が近付いているんだろうか。分からない。

「神様、の、ほしい、もの、は」

 視界いっぱい、赤で塗りつぶされていく。

「幹人、の、顔と、身体、ぜんぶ」

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