Paradise FOUND
泉野ジュール(Jules)
The Story
Chapter 1: Paradise LOST - 失楽園
Paradise LOST - 1
エマニュエルは壮大な夜の草原にひとり佇んでいた。
夜空を見上げると、視界に広がるきらめく無数の星々。
裸足の足から伝わる、土と草の柔らかさ。たったそれだけなのに心が満たされる。
無心になって夜空を仰ぎ続けていると、大きな金色の流れ星が空を横切った。
胸に溢れるのは優しさだけ。与えられる愛と慈しみ。
毎日はただ幸せに……夢に抱かれ、自然に守られ、大切な人に包まれて過ぎてゆく。
そう、ここは たった一つの楽園だった。
*
「いよいよこの地方にも検索の手が伸びてくるらしい。今度こそ王は本気だ、と」
エマニュエルの父、サージュはそう言うと、机の上で拳を握った。
普段は過ぎる程に優しい彼だが、その時だけは目に見える怒りを身に纏っていた。
「そんな……嫌よ、あの子は私達の娘なの。なぜ王だからと言って、私達からあの子を奪う権利があるの?」
「その通りだ、エミリー。いくら王とはいえ、僕達の娘を差し出すわけにはいかない」
ここは小さい木造の家。
寒さをしのぐためレンガの暖炉の中では、火が、パチパチと音を立てつつ燃えている。
「……幸せになってくれるのならいい」
サージュは自分の拳を睨みがら、そう呟いた。
「王があの子を大切にして下さるのなら、喜んでお預けするくらいだ。けど、違う……」
強く握られた拳に、妻であるエミリーは優しく手を重ねた。
そしてサージュを見つめる彼女の表情は、穏やかでもあったが、疲れも見え隠れしている。
「どうして……こんな事になってしまったのかしらね」
エミリーの青の瞳には、涙が溢かけていた。
しかし、儚くとも、そこにはまだ失われていない力強さがある。母の力、だろうか。
「それでも私は、あの子が私達の娘で良かったと思うの。もし過去に戻って選べたとしても、きっと私はあの子を生むわ……そして、こうして逃げ続ける事になっても、私はやっぱりあの子を育てるの」
エミリーはそう言うとサージュの肩を撫でた。すると、彼は少し落ち着いた様だった。
少し情けない表情をしながら、エミリーに顔を向ける。
「そうだな、僕もだよ」
二人は向き合うと見つめ合い、決心を確かめるように、手を握り合った。
ふと視線を上げると、部屋のガラス窓が水滴で曇っている。
それは、この北の果ての大地に吹く、冷たい風のせいだ──。春の初めだというのに、ここはまだ冷え込んでいた。
17年間、逃げ続けてきた彼らが見つけた、最後の安らぎの地。
二人の娘エマニュエルは、若さも手伝ってか、この寒い夜も裸足で草原に出て行ってしまう。
普段は大人しい彼女が、奔放になる瞬間だ。
制限の多い生活を送る彼女の、唯一の息抜きなのかも知れない。
「もう遅いわ。ねぇ、エマを呼んで、そろそろ寝ましょう」
「そうだな。移住を考えた方がいいが……それは明日だ。明日ゆっくり二人で考えよう」
サージュは溜息を吐くと立ち上がって、玄関に向かった。
外に出ているエマ──エマニュエルの愛称──を家に呼び入れる為だ。
サージュが扉を開くと、冷たい風が肌に当たる。
エマニュエルは、小さな家の前に広がる草原に、一人佇んでいるところだった。
「エマ! もう遅い、家の中に入りなさい!」
サージュが叫ぶと、エマニュエルは振り返った。
金の絹のようにまっすぐで、細い髪が、風に踊る。澄んだ青い瞳が、極上の笑顔を覗かせた。
「お父さん、あのね、今すごく大きな金の流れ星を見たの」
──少女らしく。
自分が今見てきたものを、褒めて欲しいとでも言うように、父親に報告する。
そして言われた通り、エマニュエルは家に向かって歩き出した。
純白のロングドレスが、彼女の動きに合わせて夜の闇の中で美しく揺れる。
人目に付かないよう世間から隔離して育てたせいか……もう17になるこの娘は、まだまだ無邪気で純粋だった。
素直で、自然を愛する美しい娘。
(あんな予言さえなければ……)
サージュは、エマニュエルの姿を眺めながら思った。
あんな予言さえなければ、もっと自由に、世界を見せてやれた。
もっと素晴らしいものを、与えてやれた。
こんな北の果ての枯れた大地ではなく、緑豊かな村、活気付いた街で。学校に友人──。
けれど今更どうする事も出来ない。
もしかしたら明日には、この最果ての地さえ捨てねばならないかも知れないのだ。
「エマニュ……」
そう、サージュがもう一度娘の名前を呼びかけたところだった。
──突然、森の先から馬の蹄の音が響く。
「! ……エマニュエル!」
ごく小さく響き出したその音は、息をつく間もないほどの速さで、地を揺らすほどの轟音へと変わっていく。
サージュは反射的に、娘のもとへ走り出した。
「エマ、走るんだ! 振り向くんじゃない!!」
サージュの叫びを上げた瞬間、エマニュエルもその異様な音に気付き、後を振り返った。
そして"振り向くんじゃない"、その言葉の意味を、悟った。
数騎の馬が、草原の中央に立つエマニュエルを一直線に目指し、もの凄い速さで近付いてくる。その姿が視界にはっきりしてくるのに時間は掛からなかった。馬の上には 、鉄の甲冑を身に付けた騎士達が。
──自分に向かって走ってくる、父。
そして後ろからは、明らかに自分を目指し進んでくる、騎士達。
どちらに進むべきか、何に縋るべきかは明らかだった。エマニュエルは震え出しそうになる足を奮い立たせ、必死に走り始めた──父の元へ。
「……お父さっ……!」
「エマニュエル!!」
しかし駿馬の足と、人のそれが対等に走れるはずもない。
蹄の音がエマニュエルのすぐ後ろまで迫ると、突然身体が乱暴に宙へ浮く。
「きゃ……っ!」
最初は手首を、続いて腰を強く掴まれ、まるで振り回されるような荒々しさで馬上に引き上げられた。
「嫌! 放して、お父さん、お父さんっ!」
蒼白な顔をして、こちらに走ってくる父が見えた。そして、突然の轟音に気が付き玄関を飛び出してきた母の姿も。
「やだっ、お母さん、お父さんっ! 助けて、放してーっ!」
エマニュエルの叫びと同時に、エミリーの悲鳴が空に響いた。
しかしそれに続くのは、エマニュエルを乱暴に捕らえたまま、走り去る馬々の地面を蹴る音だけ――。
*
どれほど進んだだろう。
エマニュエルはずっと馬上で抵抗し続けていた。
自分を捕らえている腕を振り払おうと、必死でもがいた。
しかしどれだけ大きい声を上げても、抵抗しても『それ』はビクともしない。それどころか、エマニュエルを抱いている力はますます強くなるばかりだった。
「放してっ! 帰して、お父さんの所に! 早く、早く……っ!」
そして何十回目か、何百回目かも知れぬ叫びを、エマニュエルが上げた時。
その時、まるでふと何かを思い出したように突然、馬が速度を緩めた。エマニュエルを抱いていた騎士が、彼女を見下ろす。
「──帰りたいか」
兜の中から、落ち着いた低い声が響いた。
低く、重厚な声──。鉄兜に覆われている顔は、エマニュエルに畏怖と恐怖を与えた。
「と……当然ですっ! 帰して、放して……!!」
エマニュエルが叫ぶとに、彼らが乗っていた馬は完全に歩を止めた。
周りの騎士を乗せた別の馬たちも、それに合わせて止まる。
短い静寂が、夜の乾いた空気に流れた。
「残念だが、諦めた方がいいだろう。お前はこれから、私のもとで予言を成就する」
男、の声だ。
そして、エマニュエルの父のような、柔和な声とは余りにもかけ離れた冷たい響き。
四方を震わすほどに低く、他人を平伏せさせる、絶対的な強者の声──。
エマニュエルは身体を強張らせた。
(この、人……は)
ただの騎士ではない……その声、その気迫、その喋り方──。
『私のもとで予言を成就する』
エマニュエルの抵抗が止まったのを見ると、騎士はゆっくりと首元に手を掛け、その兜を脱ぎ去った。
その顔の全様が、エマニュエルの前に現れる。
──濡れるような、漆黒の髪。
飲み込まれてしまいそうな、澄んだ灰色の瞳。
「私はダイスの王、ジェレスマイア。お前の命と引き換えに願いを叶える──この国の王だ」
──楽園は失われた。
天は地へ、人は罪と咎を知っていく。
引き換えに得られるものは、地上の、人々の愛……。
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