第42話 母
トクトクと注がれた酒を一気に飲み干し、ほぅと艶めかしい吐息を一つ。非常に絵になっているのだが……実態を見れば義理の息子を呼び出しておきながら目の前で酒をひたすらに飲んでいるアル中なんだよな。
「なんの用なんですか?」
「そう焦るな。妾も久しぶりに人間に会った……もうちぃとばかしだけ余韻に浸らせてくれんか?」
「余韻もクソも、話が一切始まってないんですけど」
ボkを座らせておきながら、彼女はひたすらに酒を飲んでいるだけだ。
「やかましいのぅ……モテんぞ?」
「モテる必要ないですから」
「あの娘がいるから? 妬けるなぁ……最近では反抗期でろくに連絡もくれないあの三姉妹に、どうやって気に入られたのだ?」
「いえ、どちらかと言えば貴女が嫌われているのでは?」
「がーん」
口に出すな。
「ま、確かにそろそろ本題を話すとするか」
だから、本題もなにもそもそもなんの話もしてないんだけどな。
とことんまで人の話を聞かない女性だ。なんとなく、スズの母親であると言われると納得できてしまうな。
「ようこそ、妾の領域へ。他の神々の眼を誤魔化しながら接触するのは少しばかり苦労したが、そこまでした甲斐があったというものだな……まさかこれほど美しい魂を目にするとは思わなんだ」
「魂?」
「普通、神が傍にいれば人間は汚れていく。なにせ万能の力を持った存在が傍にいるのだからな……当然、人のように欲望まみれの存在はすぐに感化されて、神の力をまるで自分のものかのように勘違いし、人を害するようになる」
まぁ、わからないでもない話だ。
人間は弱い。それは肉体的な部分だけではなく、精神的な部分も含めてだ。容易く欲望に支配され、同族を平然と傷つけ、その果てに自らのエゴを貫こうとして……短い一生を終える。神からしたらそんな存在、醜くて仕方がないだろう。
「しかし、お主のように神に影響されづらい存在も稀にいる。そんな人間は魂が美しいと感じるのだ」
「それは、スズも?」
「そうだ。だからこそ、娘もお主に接触したのだろう……人間嫌いのあの娘が真っ先に男を見つけてくるとは思わなかったぞ。妾はてっきり淫蕩長女が一番だと思っておったがな」
「……ん? いや、スズの姉妹は封印されている筈では?」
スズは封印されていたせいで神社の境内から動けないって言ってたのに。
「それはあの娘だけだ。そもそも人間を少し食っただけで何千年も封印されるほど神は厳しくない……それでもあの娘が何年もあそこに封印されていたのは、神格が弱いからだ。姉2人は早々にあの神社から抜け出しておるわ」
「……そのことを、スズは?」
「知らんのではないか? 何処か抜けている所があるからなぁ……我が娘ながらびっくりするぐらい神らしくない」
あれで、神らしくないのか。
確かに、目の前の存在からは計り知れないなにかを感じる。これはスズには感じたことが無いもので……明らかに格の違いがあることはわかる。
人は未知を恐れる生き物だが、同時に認識すらできないものには恐怖を抱くことができない……恐怖とはその存在を認識することが始まりなのだ。僕はスズの気配や力に対して恐怖したことはあるが、その存在を計り知れないと思ったことはなかった。しかし、目の前のスズの母親からは、人間では一生をかけても理解できないなにかを感じるだけで、恐怖を抱くことすらできない。
「妾の娘の癖にあの娘は優しい。で、あるが故に神としての力が薄い……もっと非常になっていればきっと神として成熟できたのだろうが……お主のせいかな? 最近はもっと弱くなっている」
「っ!? 僕が傍にいたら、スズは弱くなっていくんですか!?」
「あー、うるさいうるさい、騒ぐな……ちょっと弱くなっているだけで、神でなくなったりする訳ではない。それに、お主がこちら側に来ればそれも戻る」
僕が……人間を辞めれば。
「……僕はてっきり、人間と神の結婚など反対だなんて言われると思っていたんですけど」
「結婚に反対ぃ? そんなこと言う訳なかろう……仮にそんなこと言ったら、大事な愛娘と二度と会えなくなるではないか! お主と別れよなんて妾が言おうものなら、ぜぇぇぇぇったいに顔を合わせてくれなくなるぞ!」
それは、そうかもしれない。
自惚れみたいに聞こえるかもしれないけど、スズは本当に僕のことを愛してくれてる。それこそ、母親と僕のどちらかを選べと言われたら散々迷ってから最後に僕の方を選んでくれるんじゃないかと思うぐらいに。
「はぁ……それに、人間と神の結婚などありふれた話に反対する馬鹿はいないだろう」
「ありふれた?」
「ん? ありふれた話だろう? 神が人間に恋して添い遂げたいと思うことなど……愛を前にすれば、人間も神も同じ。我慢するなんて考えがある訳もなかろう」
恋は盲目、愛は無敵……神であろうと人間であろうと愛が関わると理性を無視して本能のままに突っ走るのは共通らしい。
「今回、お主を呼んだのは本当に顔が見たかっただけだ。どうせ■■■■は妾に会いたがらないだろう?」
「え?」
今、ノイズで聞こえない言葉があったような。
「む、認識できないか。今は……あー、スズと名乗っていたか? とにかく、あの娘が自分から会いに来るまでは妾も我慢することにしたのだ。しかし、ここでお主を呼んでおいてよかった……お主が娘に相応しい男であると確認できたからな……お主とスズの結構、この妾が許そう!」
「は、はぁ……あの、失礼ですがお名前を聞いてもいいですか?」
「■■■■■■……聞こえなければクレナイとでも呼べ……美しい瞳だろう? 自慢なのだ」
確かに綺麗な瞳だと思います。
また聞こえない言葉を口にしたクレナイさんに対して、俺はどうやって色々な詳しい話を聞こうかと思ったのだが……パン、と手を叩いた瞬間に全ての景色が遠ざかっていった。
「お主とはまた会うこともあるだろう。話は続きはその時じゃな……そろそろ夜が明ける頃……楽しい話もこれまでだ」
「え、ちょっ、肝心な所はなにも聞けてないんですけど!?」
「気にするな……そのうちまた──」
クレナイさんの声がどんどんと遠ざかっていき……暗闇の中に引きずり込まれていく。ひたすら後ろに引っ張られるような感覚に目を瞑り……光を感じて目を開けると、そこは旅館の自分の部屋だった。
「……夢じゃないよな」
あんな夢を見ていたんだとしたら、とんでもない妄想癖があったものだと自分を馬鹿にしていたところだ。手元にあったスマホを起動させると、表示された時刻は朝の4時半だった。
「……まだ夜明けまでしばらくあるじゃないですか」
なにが夜明けが近いだ、なんて文句を言いながら俺は布団から出た。
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