第5話 約束

 スズ……白沢鈴奈が僕の実家に突撃してきてから数日が経った。あれから一度も顔を合わせていないが、本当にあの出来事は現実だったのだろうかって思う日が増えた。だって、普通に考えて神様が自分と結婚する約束を守りに家にやってきました、なんて信じられる訳がない。本当は夢で、高校でも1人寂しく過ごしている僕が見た淡い馬鹿みたいな妄想だったんだと思えば……まだ理解できると言うものだ。


「……来てしまった」


 あの日の出来事が本当のことだったのか、それとも僕が頭の中で練り上げたリアルすぎる妄想なのか……それを確かめるために、僕は昼間に神社まで足を運んでしまった。

 子供の頃、僕が遊んでいた時と変わらず……いや、それ以上に寂れてしまっている神社の姿に、少しだけ僕は心が痛んだ。神社がこうして放置されているのを見ると、日本人の神への信仰心が薄まったって話も本当なんだなって思う。僕が子供の頃は、お爺さんお婆さんがこの神社を綺麗にしていたりもしたものだが……10年も経てばこの場所に来れなくなってしまう人も多い、ということだろう。


「ふぅ、ふぅ、んぐ……はぁ」


 運動不足の現代っ子である僕にとって、山の斜面に作られた石の階段を上るのはそれなりにきつい。なにせ、基本的に誰にも管理されずに放置されている場所なのだから……観光地として人気の神社なんかとは違って整備されていないから、手すりだってないし階段の石もかなりボコボコになっている。おまけに落ち葉なんかが溜まって滑りやすくもなっているので……かなり危ない。

 真夏なこともあって汗を流しながら上がった階段の先には……やはり記憶にあるよりも古びてボロボロになった神社。白い石で作られた鳥居は苔が生え、年季を感じさせる。

 少しその鳥居を眺めてから、足を踏み出して境内に入ろうとしたのだが……踏み止まった。


「ルールは、ルールだからなぁ……」


 いくら知り合いが祀られている神社とは言え、やはりルールはルール……親しき仲にも礼儀ありってことだ。

 鳥居の前でしっかりと頭を下げてから、中央を通らないようにして境内に入る。


「会いに来てくれたのっ!? 嬉しい!」

「まだなにもしてな、ぐはっ!?」


 神社に入ったら次は手水舎でしっかりと手を清めよう、なんて考えていた僕に向かって、何処からともなく現れたスズが突撃してきた。神社の神様が、これからしっかりと作法を行おうとしている参拝者にそんなことをしていいのかと思ったが、彼女にとっては神社そのものが封印みたいなものなのだから、あまり関係ないのかもしれない。

 それにしても……やはり現実だったらしい。


「スズ」

「名前……名前で呼んでくれた」


 僕の上から退いたスズは、きらきらと目を輝かせながら僕のことを見つめていた。

 ここまで来て現実だったら、もう受け入れるしかない。神に愛されるということがどういうことなのか……これでも僕は理解しているつもりだ。人間ではない者と、物心ついた時から関わってきたのだから……彼女がどんな考えを抱いているのかもわかっているつもりで……既に僕と言う人間は彼女の手中に収められたようなものなのだと。彼女のことを名前で呼んだのも、その覚悟を決めたからだ。


「……ところで、君は封印されていたんだよね?」

「は、はい」

「どうして、僕の家まで来れたの? そもそも、こうして姿を現しているのは君が力を取り戻しているからなの?」


 人ならざる者に関してはそれなりに詳しいけれど、別に神様に対しても詳しくなった訳じゃない。封印された存在がどうやって姿を現しているのかなんて、僕には理解できない話なので、その真相を知るには彼女に直接聞くしかない。


「私の封印は……元々そこまで重いものではありませんでしたから。数百年以上前にちょーっとお腹が空いた時に人間を何人か頭から食べただけで、そこまでお咎め受けていませんし」


 もっとお咎め受けた方がいいよ。


「お姉様2人はここら辺の村々に疫病と不作を恨みだけで齎したから未だにあの本殿から出てくることもできませんが、私は神社の境内ぐらいなら好きに動けます」

「うん、蛇神って怖いね」

「そんなことありませんよ? お姉様2人が特別怖いだけです」


 認めてるじゃん。


「ん? 神社の境内ぐらいならって……この間は外に出てたじゃん」

「はい、貴方のお陰です。子供の頃から一生懸命に何度もこの神社でお願い事をしていたでしょう? 貴方は私の夫であると同時に、最大の信奉者でもあるんです」


 子供の頃の僕、余計なことしかしてないな。

 いや、それにしても……そうだな。確かに僕は、神社に行ったらしっかりとお祈りするのがマナーだと思っていたから、来る度にしてた。しかも、小学生2年生の時なんて、スズに会いたくて夏休みの間は毎日来てたからなぁ……財布の中にあった小銭を全部投入する勢いで貢いでた訳だ。


「ところで……蓮太郎さんは何故ここに? 自分で言うのもなんですが、先日の話し合いの感触は悪かったのですが」

「その……約束、だし」

「え?」

「結婚するってのは、子供の約束であっても、約束だから……神様と約束したら、しっかりと守らないといけないかなって思って」


 神と安易に約束なんてするものじゃないと、今の僕なら思うけれど……子供の頃にしてしまったものは仕方ない。それに……なんだかんだ言っても、僕の初恋であるスズが相手ならいいかな、なんて思ってしまっているのだ。


「今すぐ結婚ってことはできないけど、まずは清いお付き合いから始められればいいなと思って……ここに来て、もしスズに出会ってこの間のことが現実のことだったら、しっかりと受け入れようと思ったんだ」


 誠意、と言えばいいのだろうか。とにかく僕は、スズに対してあまり後ろめたいことをしたいと思わなかった。初恋の相手だからだろうか……僕は、スズを悲しませるようなことはしたくなかった。

 僕の話を黙ってきているスズが、息を呑んだ音が聞こえた。それから数秒間……スズに全く動きがないので、僕は恐る恐るとスズの顔を見たら、彼女はその真っ赤な瞳から涙をポロポロと流していた。これには僕も動揺してしまって、慌ててハンカチを取り出した。


「ご、ごめん! 僕なにかした!? その、謝るから──」


 涙を拭こうと伸ばした手を掴み取られ、そのまま力づくで頬へと移動させられた。ひんやりと、夏なのに清涼な水に触れているような冷たさをスズの頬から感じる。


「ありがとうございます、蓮太郎さん」


 涙を流しながら嬉しそうに微笑むスズの表情を見て、僕は自分の頬が赤くなっていくのを自覚した。

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