神に愛されるということはその人生を捧げることである

斎藤 正

第1話 誰が何と言おうとも普通の高校生

 僕は誰が何と言おうとも普通の高校生だ。

 クラスの中では存在感がなく特別に親しい人はいないが、かと言って喋る相手が全くいない訳でもない。きっとクラスメイトに聞いても僕の「やなぎ蓮太郎れんたろう」という名前もすぐには出てこないだろう。目立たない立ち位置でひたすらに高校生活という青春の時間を無駄に消費していく、将来的に特になにかやりたいことがある訳でもない、ただの学生だ。

 ただ、そんな僕にも他人に言えない秘密というものが幾つかある。

 たとえば、家に帰って学校の課題も終わってしまった後に、暇つぶしとして体験談を混ぜながら人にはとても見せられないような稚拙なちょっとした小説を書いていたりする、とか。

 たとえば……悪霊にすぐ取り憑かれて体調を崩したり、何もないところで怪我したり、とか。


 霊感が強いなんて、他人に言えば面白がられるか頭がおかしいと思われるかのどちらかだ。少なくとも僕はそのどちらも小学生、中学生の時に体験している。不幸中の幸いとして、友達と呼べるほどに親しい人がいない僕は昔から勉強に使う時間が多く、勉強が人並み以上にできたことで結果的に小中学校に通っていた地元から離れた高校に進学できたことで、自分が頭のおかしい人間だとバレてはいないのだが。それはそれとして、自分の全てを隠して生きているようで息苦しいのだが。


『あァ……ウぁ亜ぁ……』


 部活にも所属していない僕は学校の授業が終わればそのまま1人暮らしをしているマンションへと向かって歩いて下校しているのだが……高校生にもなれば、そのまま家に直帰しても帰りの時間が夕方になっているなんてよくある話だ。それが、僕にとっては割と死活問題なのだ。

 逢魔が時……昼と夜が入れ替わる時間はこの世とあの世が混ざるなんて言われているが、その通りに夕刻に外を歩いていると僕はよくそんなものを目にしてしまう。下校しているだけで、僕にとっては生命の危機になりかねないのだ。

 今だって、空は快晴で美しい夕焼け色に染まっているのに、真っ赤な傘を差して人間の言葉とは思えないような呻き声を発しながら電信柱に向かって頭をひたすらにぶつけているスーツ姿の男性が見えている。


『亜』

「ひっ……」


 急に頭がグルんと回転してこちらに顔が向いたので、僕は口から洩れそうになった声を我慢しながら視線を地面に向けた。

 幽霊と、視線を合わせては駄目だ。これはどんな幽霊にも共通したことであり……僕はそれを忠実に守りながら横を通り抜ける。目さえ合わせていなければ、幽霊を認識していないと同じなのだ。たとえ声が聞こえようとも……僕は幽霊を見ていないのだ。


『ア亜亜ぁ……』


 一瞬だけ、こちらに視線を向けてきた幽霊だが、俺と視線が合わなかったことでそのまま再び電信柱に頭をぶつけていた。なんとか、こうして幽霊なんかに影響されないように生活しているのだが……それにも限度がある。いい加減……憑り殺されてしまった方が楽なのではないとも考えてしまうけれど、そうしたマイナスの感情にこそ悪霊は寄ってくるのだ。なんとか気合を入れてプラスに考えなければ。

 楽しいことを考えよう……そうだ、来週から夏休みなんだ。僕が高校生になって2度目の夏休み……人によっては大学受験のことを考えて猛勉強する時なんだろうけど、僕には大した夢もないのでそんな必死になって努力をするような気力は湧いてこないけど。でも、楽しみが無い訳ではない。

 なんと今年の夏休みは、実家に帰る予定があるのだ。

 片田舎からマンションの1室を借りて都会で学校生活を送っている僕だけど、やっぱり生まれ故郷が好きだ。僕の生まれ故郷は畑が広がっていて、近所にはコンビニだってあんまりないような場所だし、放課後に学生が遊べるような施設だって隣町の大型ショッピングモールぐらいしかないけど、それでも僕は生まれ故郷が好きだ。それこそ、この体質のせいで地元の人から頭がおかしい人として認識されていなければ、近くの高校に通っていたんじゃないかと思うぐらいには、故郷に愛着を持っている。今時、生まれ故郷にそこまでの情を抱く人間は少ないと両親にも苦笑いをされてしまったが……好きなものは好きなのだ。

 僕にとって生まれ故郷は、僕らしく生きていた場所だから。





 電車に揺られながら窓の外の景色を眺める。電車の中には僕以外の人はいない……まぁ、こんな田舎に電車でわざわざ来るような人もいないだろうし仕方ないのかもしれない。

 窓から入ってくる太陽に照らされながら、無人の車内でうつらうつらと船を漕いでいた僕は……近くに気配を感じて寝ぼけまなこを持ち上げた。


『わ……起きた?』

「……誰、ですか?」


 白いワンピースの少女……服装は凄い幼いのに、感じられる気配はとてもしっかりとしたもので……その歪さと、人のいない車内の雰囲気も相まって幻のような光景だと思った。


『ねぇ……私とした約束、覚えてるよね? 覚えてないって言ったら……大変なことになっちゃうけど』

「やく、そく」


 駄目だ……意識が、ぼんやりとしている。

 なんとなく、目の前の少女がなにかを言っているのはわかっているのに、頭に入ってこない。耳から耳へとすり抜けていくような感覚で、なんだか酷く眠たい。


『覚えてない訳じゃないんだね。じゃあ……約束の場所で会いましょう? 私の──』



「お客さん、終点ですよ?」

「え?」


 瞼を開けて少女の姿を確認しようとしたら、心配そうにこちらを覗きこんでいる車掌さんの姿があった。

 現実を受け入れられないって感じで目をパチクリとさせていたら、苦笑いをされながら肩を叩かれてしまった。


「寝過ごしてない?」

「あ、はい……終点で降りるつもりだったので」

「それはよかった。もう終点だから、忘れ物しないように降りてね」


 起こしてくれた車掌さんに頭を下げて礼をしながら、僕は電車から降りる。

 真っ先に目に入ってきたのは、青々と茂った畑の緑色。この駅には雨をちょっと凌げるだけの屋根があるだけで、壁なんて用意されていない……田舎にはありふれた駅の構造をしている。一応、無人駅ではないので駅員さんに頭を下げながら交通系ICカードを使って駅から出て……僕は田んぼ道を歩き出す。

 学生にとっては夏休みとは言え、世間的には平日の昼間ということもあり、普段より更に車の通りが少ない道の歩道を歩きながら、僕はさっき電車内で見た夢のことを思い出していた。


「約束って、言ってた……そんなもの、思い出せないんだけどなぁ」


 夢の中の少女には申し訳ないけど、僕にはあんな神秘的な少女と交わした約束なんて……そんなラノベ展開みたいなものはない。幼少期の僕は今以上に悪霊に追いかけられていた過去しかないのだから……いや、でもそう言えば、僕が小学生の時に……一時期だけ、悪霊が近寄ってこない時期があったような気もするな。あの頃になにか……なにかあったような気もしなくもないけど、実際になにかあったかな。


『ふふ……私は嬉しかったなぁ、あの頃の君は凄くかっこよかったよ。今もかっこいいけど、ね?』


「ま、いいや……ただの夢かもしれないし、アニメを見た影響でそんな設定が頭の中に生えてきたのかもしれないし……そういうこともあるよね」


『あにめ? よくわからないけど、貴方の頭の中には確かにあの頃の記憶はあるもの……絶対に私の元に戻ってきてね』


 今の季節、畑は青々と茂っている。残念ながら僕に農業の知識も植物の知識もないので、目の前に存在している畑に生えている植物がどういうものなのか、これから収穫したりするのは何時になるのか、なんてことはわからないのだが……青い空に白い雲、緑の畑に人のいない道路……全てが田舎って感じの場所だ。でも、僕はこの田舎が好きだ。それはやはり、都会で生活しても変わらなかった。



 いざ、実家の前に帰ってくると少し緊張してしまう。生まれてからずっと過ごしてきた場所で、高校に入学してから外に出たとは言え……1年半前は普通にここで生活していたのに、人間というのはかなり適応能力が高いのか、僕は目の前の実家を懐かしいと感じていた。


「ただいま」


 がらがらと引き戸の玄関を開けて中に入ると、奥からどたどたと足音が聞こえてきた。


「お兄ちゃんっ!? 本当に帰ってきた!」

「……帰るって連絡してたでしょ?」

「それでも、去年は帰ってこなかったじゃん!」

「そりゃあ、向こうに行って半年で帰ってくる訳ないじゃん」

「年末も帰ってこなかった!」

「それはごめん。でも、雪降ってたし電車が止まるかもって話を聞いて、ね?」


 奥から飛び出してきたのは妹の「由衣ゆい」だった。


『ふーん……なんか、面白くないわ』


 昔からお兄ちゃん、お兄ちゃんと言いながら俺の背中を追いかけていた由衣だったけど、中学生になっても相変わらずお兄ちゃんらしい……もうちょっと反抗期みたいなものがあると僕は思っていたんだけど、それは親に対してだけなのかな。


「お帰りなさい、遠かったでしょう?」

「ただいま、お母さん……まぁ、ちょっとだけ遠かったかな」


 嘘だ……本当は結構遠かった。泊りの為の荷物もあってそれなりにここまで来るのに苦労したのだが、久しぶりにあった母親にいきなり心配させるようなことはしたくなかったので、大丈夫だと見栄を張った。 

 たった1年半程度ではなにも変わらないかもしれないけど、やはりお母さんの姿を見るとほっと安心してしまう。家族が僕の帰りを歓迎してくれたことに安心したのか、それとも単純に生まれ故郷に帰ってこれたことに安心したのか……僕自身にもわからないことだったけれど、取り敢えずは電車旅に一息がつけて安心って所かな。

 家族に近況を報告しながら、僕はこの田舎に住んでいた昔のことを思い出していた。中学生になると自分は大人だと思って子供扱いしてくる周囲の大人に対して、ある程度反発したがるものなのに、それから数年経ってから自分を思い返してみると、随分と子供だったんだなと思ってしまうものだ。僕も例にもれず……なんて言いたいところだけど、僕の場合は霊感とかの関係であんまり反抗的な態度を取ることもできず、かと言ってそれを隠して偽りの笑顔を張り付けて社交的な生活をすることもできなかった。僕はやはり子供だったのだ。



 実家に帰ってきたからと言って別になにか特別なことをしなければならないとかではない。僕が出ていった後もそのままにしておいてくれた元自分の部屋に客用の布団を敷き、荷物を整理する頃には夕暮れが窓から見えた。

 山の向こうへと沈んでいく太陽をぼーっと眺めていたら……ふと、その山にある鳥居が目についた。僕が子供の頃からあそこにある神社で、怖いもの知らずだった子供の頃はあの神社の中でずっと遊んでいたものだと思い出した。

 そう言えば、小学生の頃に綺麗な女の子とあの神社でいつも遊んでいたことを思い出した。綺麗な白色の髪の毛に、特徴的な赤い瞳だったような気がするのだが……今思えば、彼女はアルビノだったのだろうか。だから、あんな鬱蒼とした森の中にある神社にいたのかな……アルビノとして生まれた人間は強い陽の光によって肌が焼けると大変って聞いたことがあるし。


「……気になる」


 一度気になり出したら、なんとなく気になってしまってまともに眠れる気がしなかった。部屋着の上に薄い上着を羽織ってから、僕は階段を降りていく。


「お母さん、ちょっと出かけてくる」

「こんな時間から?」

「あー、うん……多分、すぐに戻ってくるから」


 別に人に会いに行く訳でもないし、買い物に出かける訳でもないのだから本当にそこまで時間をかけるつもりはない。ただ、あののことが気になって仕方がないから、行かないと気が済まないってだけの話だ。それ以上でもそれ以下でもない……とにかくあの神社に行きたかった。

 母への説得もそこそこに、僕はサンダルを履いてから歩いて神社の方へと向かっていく。太陽が沈む逢魔が時……こんな時間に出かけたいなんて、普段の僕なら絶対に思わないのに……どうしてもあの神社が気になってしまう。

 しかし、田舎の街だからと言っても、普段と比べて異様なほどに静かな気がした。この世の物ではない存在が見えないのはいいのだが、人間の姿も気配も感じないのは何故なのか……それ以上に、どうしてこんな不気味な雰囲気の街を見ても足を止めたいと思わないのか。



 家から10分も歩けば目的の神社には辿り着いた。逸る気持ちを抑えながら丁寧に階段を上っていくと……思い出の中にあった神社がそのままの姿で残っていた。そして……鳥居の向こう側、境内の中で立っている1人の女性を見つけた。

 見つけて、しまった。


「あら、お帰りなさい」

「え?」


 純白の髪に赤い瞳……思い出の中にある少女と同じ特徴を持つ女性が、微笑みながらこちらに手を伸ばしていた。

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