祀られた男

兎莵兔菟

祀られた男

その村は、山に囲まれていた。そしてさらに、森に囲まれていた。

「はぁ、はぁ、はぁ、っ……!」

男が森を走る。

ぬかるんで足場の悪い。泥がピシャピシャと履物に跳ねて気持ちが悪い。

この森は、何故かどんなに走っても抜けることが出来なかった。

奴が来る、その恐怖心が足をさらに前へと進める。

「――ぐわぁっ!」

なだらかな斜面だった。普段ならばどうってこともない斜面であったが、しかし、滑りやすい上走っていた勢いを止めることも出来ず、そのまま下に落ちていった。

二間3.2メートルほどの高さから右半分を強打する。ぼきっ、と骨が砕ける。

「っ、痛ってぇ……」

右腕の肘に激痛。曲げることも伸ばすことも出来ない。

ああ、俺は今、なんでこんな目にあっているんだろうか。

薄暗い木々の向こうで、灰色の雲が空を覆う。まるで自分の心の内を表したような色だった。

全身の力が一気に抜けてしまう。泥に背中を預け、目を瞑った。

ぐるる。

遠くから唸り声がした。

村長が言っていた。俺達の村の周りには、太古の昔から神様が住んでいるらしい。俺たちは、その中に住まわせてもらっているのだと。

だから、定期的に供物を捧げる。

「村でいちばん綺麗な娘、村でいちばんの長老、村でいちばん賢い子供……そして村でいちばん健康な男、か」

父と母は自分たちの息子が殺されると言うのに、名誉な事だと泣いて喜んでいた。

頭がいかれてしまっているとしか思えない。

右腕を抑えて、また歩む。心のどこかで呟いた、もう諦めてしまってもいいのでは無いかと。

逃げ続けて丸一日だ。歩みを止めればそれまで。奴に捕まって死ぬ。しかし、人間は休まなければ死ぬ。

どっちにしろ、生き延びることは出来ないのだ。

振り向く。斜面の上から、射抜くように俺を見つめる。

「こんなバケモノが、神様?」

どろりと落ちてきそうな丸い目、触れただけで肉が裂けてしまいそうな牙、血のような毛。

俺の目を、覗き込むように。

「ハハッ、ハハハッ、ハハハハハ、アハハハハハハ」

嫌だ。

「アッハハハハハハ」

嫌だ。

「ハハハハハハハ、アハハハハハハハハ」

嫌だ!

「アハハハハハハ、ア」

俺を、覗き込む。


男は供物となり、村は守られた。

男は、村で祀られた。

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祀られた男 兎莵兔菟 @usagi-rabbit

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