私のバイトは時給300円

さざ波

第1話 初めてのバイト

 放課後、今日もカラオケに来た。


 受付を済ませ部屋に入ると、まず靴を脱ぎソファに横たわる。

 硬くて冷たいソファに体を預け、だらだらとスマホをいじる。

 一通りSNSを周回したら、よいしょと身体を起こしドリンクバーに向かう。

 ウーロン茶をちょびちょび飲みながら部屋に戻り、好きなバンドの曲を2.3曲入れる。

 歌い終わったら一旦マイクを置いて、またスマホをいじる。


 そんなこと繰り返していると、あっという間に3時間くらい経ち、お腹が空いてきたのでそろそろ部屋を出ることにする。

 マイクを戻し、重たいスクールバックを担いで部屋から出る。

 

 受付は静かなBGMが掛かっているだけで、カラオケ店とは思えないほどシーンとしている。

 しばらく待っていても店員さんが現れる気配がないので、横にある呼び鈴を鳴らす。


 ピーンポーン


 ・・・


「はーい」


 小さな返事した後、受付の奥からよく見る女性店員さんが歩いてきた。

 週に2日くらいのペースでこのカラオケ店に来ているけど、今まで見たことあるのは、この女性店員さんともう1人の店員さんくらいだから必然と顔も覚えている。


「お待たせしました」


 店員さんはいつもテンションが低く、とても眠そうにみえる。

 以前、おじさんに「接客態度が悪い!」と説教されている場面に出くわした時も、心の籠っていない「すみませんでしたー」の一点張りでさらに怒りを買っていた。

 そんなことが出来る神経が恐ろしいけど、そのブレない感じに少し憧れる部分もある。


「お会計300円になります」

「はい」


 手前の荷物置台にスクールバックを置き、手の感触を頼りに財布を探す。


 あれ? おかしいな。

 いつもは内ポケットに財布を入れているはずだけど、なかなか見つからない、


「すみません、ちょっと待ってもらえますか」

「あっはい」


 スマホのライトでバックの中を照らして探しても、財布は見当たらない。


 どこかに落としちゃったかな? 


 っていうか、そもそも持ってきたっけ?


 冷静に今日の行動を振り返ると、バックに財布を入れた記憶がなく、たぶん家に置いてきてしまったやつだ。


「あっすみません。えっとQR決済使えますか?」

「使えないです」

「交通系とかは?」

「現金だけなんです」

「あーそうなんですね。すみません、家に財布忘れちゃったので、少し待っててもらえますか?」

「はー・・・分かりました」

「あっバックとか置いて行った方が良いですかね?」

「え? いや、別に大丈夫ですよ」

「ありがとうございます。すみませんちょっと行ってきます」


 店員さんにお辞儀をして、駆け足で出口に向かう。


「ちょっと待って」

「はい?」

「その制服、清女だよね?」

「はい。そうですけど」

「じゃあ結構遠くない?」

「そうですね、でもここから家まで20分なので、たぶん40分くらいあれば帰ってこれます」

「40分か」


 店員さんはなにかを考えるように首をかしげる。


「ならいいですよ、お金は要らないです」

「え?」

「大丈夫です。40分かけて戻るの大変なんで」

 

 そう言って店員さんはポケットから財布を取り出し、レジに小銭をジャラジャラと入れる。


「え?店員さんが払うんですか?」

「うん」

「いやいや、それは申し訳ないです」

「全然大丈夫だから」


 そう言って店員さん的には事が解決したようで、受付の奥に戻ろうとする。


「あの!私やっぱり財布取ってきますよ」

「いや、もう払ったから」

「でも、払わせるのは申し訳なくて。悪いのは私なのに」

「300円くらい気にしなくていいから」

「でも・・・」


 お互い譲らずどうすればいいか分からないまま、見つめ合う時間が生まれる。

 しびれを切らしたのか、あくびをしながら店員さんが切り出す。


「じゃあさ、店番してくれない?」

「店番?」

「そう。お客さんが来たり電話が鳴ったりしたら呼んで欲しい。まあ来ないと思うけど」

「えっどういうことですか?」

「今言った通りだけど」


 よく分からないまま、店員さんはエプロンを脱ぎながら受付を離れ、私の横を通り過ぎる。


「いまから20分でいいよ。なんかあったらノックして呼んでね」


 お姉さんは私が使っていた部屋のドアに手をかける。


「えっ? ちょっと待ってください。その間店員さんは何してるんですか?」

「休憩」

「休憩!? 勤務中ですよね?」

「うん、だから代わりに店番してってこと」

「はぁ。えっと、お客さんが来たらノックすればいいんですか?あと電話来た時も?」

「そうそう。でも多分来ないから心配しないで」

「ていうかこんなことしてもいいんですか?」

「大丈夫大丈夫。あっ受付座ってていいからね」

 

 そう言って店員さんは、部屋に入ってしまった。

 とりあえず待合用のソファに座って、状況を整理する。


 えっどういう状況?

 そもそも私はここの従業員じゃないし、お客さんが来た時どうやって対応したらいいか分からない。

 いや、でも対応はしなくていいらしいから、ただ店員さんを呼べばいいのかな。


 とりあえずお母さんに電話して財布を探してもらうと、どうやらベットの下に落ちていたらしい。


 財布の所在が分かりやることもないので、時間つぶしにユーチューブを開く。

 20分くらいあっという間に過ぎるだろうと言い聞かせたけど、心の中では大丈夫かなという心配が拭えず、動画を見ながらちょこちょこお客さんが来ていないか確認する落ち着きのない時間を過ごした。


 結局、店員さんが言っていた通り誰もお客さんが来ないまま、20分が過ぎた。

 とりあえず何事もなく終わったことに一安心しつつ、youtubeを止め、お姉さんがいる部屋に向かう。

 

 部屋の明かりはついていなくて、歌い声も聞こえない。

 様子を見に行こうとお姉さんがいる部屋に向かい、ドアの小さい窓から覗き込もうとした時、


 プルルルル!プルルルル!


 キャッ!!!


 音がする方を向くと、店の電話が鳴っていて一気に体温が上がる。

 急いでドアをノックし、「お姉さん!お姉さん!」と呼びかけるが全然反応がない。

 「入ります!」と宣言してドアを開けると、視界が暗闇に包まれる。

 手の感覚を頼りに壁を伝い、照明スイッチを探し当て明かりを付けようとした時、プツンと電話が切れた。


 やってしまったと焦りつつ、とりあえず明かりをつけるとお姉さんはL字のソファに仰向けでスースーと小さい呼吸をしていた。


 「あのーすみません!」

 

 結構大き目な声で呼びかけながら店員さんに近づいても、死んでいるかのように寝ていて目を覚まさない。


 私はお姉さんの前にしゃがみ、肩を揺らしてみる。


 すると、「うーん」とうねり声をあげ、仰向けから90℃寝返りを打ち、私の顔と店員さんの顔がぶつかるくらい近くになってしまった。

 その寝顔は普段の様子から考えられないほど優しく、その表情につい見入ってしまう。

 ちゃんと顔を見たことなかったけど、肌は透き通るようにきれいで、唇も艶っぽくプルプルしている。

 髪も綺麗な長い黒髪でほんのり甘い匂いがして、無自覚に手が伸びる。


「え!わぁ!」


 気づけばお姉さんは目を開けていて、驚いた顔をしている。


「なに!?びっくりした」

「あ、ごめんなさい」


 その場からささくさと離れ、ドアの前に立ちぺこりと謝る。


「いや、こちらこそごめん。なに?なんかあった?」


 店員さんは少し暴れた髪を手ぐしで直す。


「いや、あのさっき電話きてて。もう切れちゃったんですけど」

「あーそっか、ありがとうね」

「大事な電話だったらごめんなさい」

「多分大丈夫だよ」


 店員さんはテーブルに置いていたスマホを取り、眩しそうに時間を確認する。


「ごめんね、結構経っちゃってる」

「いえ、大丈夫です」

「とりあえず部屋出ようか」


 靴を履き、のろのろと部屋を出て行く店員さんの後についていく。

 

 受付に着いた店員さんは電話を確認し、手招きをして私を呼ぶ。


「店長からの電話だったみたい。またかかってくるだろうから気にしないで」

「そうですか、それならよかったです」

「店番ありがとうね、休憩できた。これで300円はもういいからね」

「もういいっていうのは?」

「ちゃんとやってくれたからさ」

「店番の分ってことですか?」

「そう。20分でカラオケ代300円分ね。ここの時給900円くらいだから」

「なるほど?」

「これであなたが300円払ったのと同じことになるからね」


 確かにお姉さんの代わりに20分働いたということになるから、妥当なのかな?


「店員さんの代わりに300円分働いたということですかね」

「そういうこと」

「時給300円か、わたし」

「えっ?」

「あっ、いや。なんとなく思っただけです。初めてのバイトだったなって、大したことしてないですけど」


 少し間が開いて、クスっとお姉さんが笑い出すので、私もつられて笑ってしまう。


「じゃあね、ありがとう」

「あっはい、ありがとうございました」


 軽く会釈をして店を出ようとした時、お姉さんに呼び止められる。


「あのさ、また来る?」

「はい?」

「いや、ここにまた来るのかなと思って」

「はい。また来ますよ!」

「そっか。それは良かった」

「良かったですか?」

「うん・・・よく来てくれてるよね?」

「はい。結構来てます」

「だよね、じゃあまたね」

 そう言って店員さんは受付の奥に消えていった。


 私もカラオケを後にして、帰路につく。


 道中、今日の不思議な出来事を思い返し、頬が緩む。

 

 次いつ行こうかな。


 その日からすぐ2日後、私はまた時給300円のバイトをすることになる。


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