第1話 昼下がりの雑誌社

 合衆国シアハニー市。

 かつてシアハニー大通りを境目に“天国ヘヴン”と“地獄ヘル”に別れているとまで言われたその街は、大不況の煽りを受け、どちらでもないイーヴンな者で溢れ返った。かつての天国、地獄はより富んだ者か、より堕ちた者が行く場所となり、這い上がろうとする者、あるいはそれ以上堕ちまいとする者がしのぎを削っている。

 そんな昼下がりのビジネスタウン。少し肌寒さを感じるようになった季節だ。乾いた風が街路樹の葉を揺らしている。


 立ち並ぶビルディングからはぞろぞろと蟻のようにビジネスピープル達が這い出てきていた。

 皆、早くランチにありつきたいのだろう。

 車道にはみ出すように広がった歩行者の波に、クラクションが何度も鳴らされているようだが誰も気にした様子もなく、我先にと足を動かしていた。


 その人波に逆らうように進んでいる一人の女性がいた。

 ダークブラウンの髪をボブカットにした若い女性だ。年の頃は20代前半といった風に見える。


 右手で黒革のハンチング帽を、左手で紙袋を2つ押さえ、「すいません」と口に出しながらすれ違う人に邪険にされながらもその足は止まる様子はなく、ブラウンのコートの裾が風を切ってはためいていた。


 ようやくといった様子で人波を抜けると女性は少しずれた黒ぶちのオーバルメガネを直しながら駆け足で道を急ぐ。やがてたどり着いたのは5階建ての古いテナントビルだった。

 故障中の張り紙が貼られてから2年が経つエレベーターの脇を抜け、非常階段を駆け上がると女性は4階にある雑誌社『Criminal』社の事務所の扉を勢いよく開いた。


編集長デスク、お昼ごはん買ってきましたよ。 原稿もちゃんと届けてきました」

「ごくろうさんな、ジャニス」


 事務所には『Criminal 』社の編集長デスクであるラッカムがいた。

 黒髪に無精髭の中年男性だ。

 よれたワイシャツの袖をまくりながらジャニスと呼んだ女性に手渡された紙袋を受け取るとベーグルサンドを取り出しかぶりついた。

 ジャニスもまた同じように自分の席につきベーグルにかぶりつく。2人だけの事務所には表面をこんがり焼いたベーグルと新鮮なレタスを咀嚼するパリパリという音が響いた。


「ごちそうさん、やっぱりトパーズのベーグルサンドは生ハムの塩気が効いてるな」

「もう2つ食べてしまったんですか? 私がわざわざ片道30分も歩いて買いにいってるんですからもう少し大事に食べてくださいよ」


 ラッカムはボサッとした黒髪を搔きながら「トパーズのベーグルは旨いからな」と悪びれもせず、あらかじめ沸かしてあったお湯でインスタントコーヒーを2人分淹れると片方のカップに角砂糖を3つ放り込むと、ちょうど自分の分のベーグルサンドを食べ終えたジャニスに片方を手渡した。


「ほれ、ブラック」

「ありがとうございます。デスクは砂糖を控えるべきですよ、そろそろいい歳なんですから」

「頭脳労働には砂糖が必要なんだ」

「私ばかりに外回りさせてるからお腹もこんなにプヨプヨに」

「そんなに太ってねえ。お前はもっと肉をつけろ、薄い胸しやがって。ストリートの頃からたっぱだけしか変わってねえじゃねえか」

「それセクシャルハラスメントですよ」

「お前にゃセクシーが無いからいいんだよ」

「何ですかそれ」


 軽く憎まれ口を叩きあうと互いにコーヒーを音を立てすする。

 そうして一息ついた頃、おもむろにジャニスは切り出した。


「編集長、あの記事どうでしたか?」


 少し緊張した面持ちのジャニスにラッカムはあっけらかんと答えた。


「ん、ボツ」

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