睡蓮の枯れるとき

Nekome

chapter 1

……んの話をすればいいでしょう?やっぱり斎藤君のことですか。違う?それじゃあなんの話をすれば……

私、私の話を聞きたいんですか、そうですか。メモを取らないんでよろしいのですか。ああ、録音しているんですね。それなら安心だ!間違いありません。

早速、話しましょうか。聞きたいことがあったなら、いつでも言ってくださいね。

私、生まれたときから、死の気がまとわりついていました。母によると、私が生まれた日、その近くでは車の衝突事故があって、老人二人が死んでしまったそうです。今でも自分の事、死神かなんかじゃないかしらって、思っているんですよ。

私、可愛げのない子供でした。外で遊ばず、あまり会話もせず、いつも絵ばっかり描いていたそうです。初めは父も母も私に構って、やたらと熱心に接してくれましたがそれも無駄で、私が小学校に入ったぐらいか、それより前ぐらいに弟が生まれてからは、父も母も、私に目配りすらしなくなりました。


私、孤独でした。


ああでも、周りに親しい人が居なかったわけではなくて、これでも私、小学生の時には友達が居たんですよ。サキっていう名前の女の子です。

小学一年生の入学式、私に話しかけてきました。噂話が好きな子で、私は大して相槌を打っていないのに、べらべらと話している子でした。入学式が終わって教室で待機しているときに、横からずーっと話しかけられていたんです。

「でね、A君って言う子、泥だらけでぶわって出てきて、汚いの、やめてーっていってもべたべたべた……」

べらべらべら……ほんとに、うんざりするぐらい話してるんですよ!びっくりするぐらい面白くなくって、私とうとう、顔を顰めて言ってしまったんです。

「うるさい、一人にしてよ」

そう言って、あっと思って、口を手で覆ったときにはもう手遅れ。怒るかしら、めんどくさいな、そんなことを考えていたら、その子、泣きだしたんです。私はもう何がなんやらわからなくて、どうして泣くのかしらと思っていました。

「せんせー!あかりちゃんが、あかりちゃんが!アタシ、話してるだけなのに!」

って言ったこと、一言一句覚えています。記憶力には自身があるんです。私の、唯一誇れることです。あかりって言うのは、私の名前ですよ。……そうでした!知っているに決まっていますよね。

それで……やけに恨みがましくこちらを見るものですから、私、驚いてしまって、どぎまぎしてしまって、とっさに教室から逃げ出しました。あんなに騒がしかった教室と違って、廊下はしーんとしていて、私はその中を走りました。走って、走って、走りました。後ろから担任の先生の怒号が聞こえて、やっと立ち止まりました。

「あかりちゃん!!」

私の担任の先生は女の人でした。最初に甲高い声で私の名前を叫んで、私は、酷く怒られたような記憶があります。仁王立ちして、私を見下ろす先生。

「もう、二度とあんな言い方しちゃダメよ」

そう最後に言われて、腕を引かれて、教室に連れていかれました。涙で顔を真っ赤にしたサキを目の前にして、謝りなさいと言われたので、謝りました。サキは良いよと言いました。先生は満足そうに笑って、私とサキの頭をわしゃわしゃと撫でます。サキは照れたように笑って、どこか自慢げでした。

何が悪いのかもわからずに謝って、何をされたのか、もうどうでもいいかのようににやりと笑う。馬鹿馬鹿しいと思いました。私はすっかり失望してしまって、俯いて、ぼんやりと床を見つめていました。

「さあ!みんな、手遊びをしましょうか!近くのお友達と、二人組になりましょう!」

私の薄暗い気持ちなんて気にもしないで、先生はそう言ったんですけれど、酷いと思いませんか。

「あかりちゃん、一緒にしようよ!」

サキはにっこりと、目元にある赤の痕跡など無いかのように笑って、私を誘ってくれました。だけれど、私はそれすらも恐ろしかったんです。まあ、先生のわざとらしい笑みの前に、拒否権何てものは無くて、私は大人しくサキの手を取りました。

それからも、本当に不思議な話なんですけれど、サキは私のことを気に入ったようで、毎日話すようになりました。

「Cちゃんって、B君のこと絶対好きなんだって!昨日、Cちゃん言ってたの、耳が真っ赤で……どこが良いんだろうね」

こんな感じで、サキはちょっと口が軽くて、かなり失礼な子でした。ですから、皆から嫌われていたんです。表立っていじめるだなんてことはありませんでしたが、皆遠くからサキを指さして、性格悪い、デブ、ブサイクだの、色々と好き放題言っていました。

サキって、気を遣うということを全くしない、無礼な子でした。例えば、学年でちょっとおませな子がピアスを開けたとき、面と向かって「似合ってないから、開けない方が良かったよ!」と馬鹿正直に真正面から言うような、そんな子でした。

これだけ聞けば、とっても意地悪で、最低な子だと思うでしょう?私もそう思っていたんです。でもね、違ったんですよ。

小学四年生の頃です。私はサキに無理やり連れられて、学校近くの河川敷に来ていました。いつも明るくにぱっと笑っているサキが、その日は珍しく表情に陰りがありました。それに、頬が真っ赤に膨れていて、ガーゼが張られていて……痛々しかったですよ。

「あのね、今日Sちゃんに殴られたの、話してたら、殴られちゃった」

サキは私に事の顛末を語りました。私は河川敷に腰を下ろして、サキは真っすぐと突っ立って、私を見下ろしていました。

「今日ね、Sちゃんのお母さんを初めて見たの。眼鏡かけてね、そばかすもいっぱいで、参観なのに、ダサい服着てエプロン姿でね、それでね、だからねSちゃんにね、あれがお母さんなんてやだよねって言ったの。そしたら、ぶたれた」

その頃、サキとはクラスが違ったので、Sちゃんという子のこと、私は知らなかったんですけれど、サキが完全に悪い内容なのだと分かりました。私、いつも通り何も答えないで、ただ頷いてその場をやり過ごそうと、そう思っていたんですけど、でもね、その日は言葉を返しました。

「大丈夫?」

そうやって、思わず声を掛けてしまったんです。どうしてかって、サキ、泣いてたんです。今でも鮮明に思い出せます。夕暮れ時でしたから、川が斜陽に照らされて、キラキラと光っていました。それを背後に抱えて、サキは手を震わせていました。いつものような、怒っているような様子はなくって、ただただ震えて、何かに怯えているような感じ。どうしてそんなに覚えているかって……私、記憶力が良いって、さっきも言ったでしょう?サキは、紺色のスカートをはためかせて、こう言いました。

「私、何か悪いことしちゃったのかな。Sちゃんに嫌われちゃった」

そう言ったんです!一言一句、間違いありません。そう言われた時の、衝撃たるや!私、唖然としました。目を見開いて、口を少し開けました。私、かなり滑稽な顔をしていたと思います。サキはそんな私の事なんか気にしないで、べそべそ泣いていました。信じられますか。彼女、自分がすでに嫌われているということに気づいていなかったんですよ。初めて本気で怒りをぶつけられて、やっと理解していたんです。何て馬鹿な子なんだろうと思いました。良いように言えば、何て純粋な子なのだろうと思いました。

「サキ、それはたぶんね……」

私は立ち上がって、出会って初めてサキの名前を呼びました。サキの肩を支えながら、サキになにが悪かったのかを説いて聞かせました。

サキは、おそらくSちゃんのことを本当に心配して、悪意何て全くなしに、ただ一人のクラスメイトとして、Sちゃんを励ますために言ったのでしょう。これまでした傍若無人な行動も全て全くの悪意がない、自分の言動で相手がどう思うかを気にしていないのではなく、わからない。何て可哀そうな子で、何てかわいい子なんだろうと思いました。無知は罪ということをこれほど体現している子、後にも先にもサキだけでした。

サキは私の懇切丁寧な説明を聞いて、頬をぐっしょりと濡らして、驚いていました。手を差し伸べていたつもりが、ナイフを刺し向けていたことにようやく気が付いたのです。涙は枯れて、みるみる顔は青ざめて、サキはその場で立ち尽くしてしまいました。日も沈みかけていて、辺り一面薄暗い光で満たされて、夏にしては涼しい風が私とサキを吹き付けていました。

「ごめん、あかりちゃん、ごめん」

何故か私に謝りだした彼女を、責めることなんてできません。私はサキを抱きしめて、背中を撫でました。このときは、今まで全く揺れ動かなかった心がハッキリと動いていて、サキのためだけに、一筋の涙を流しました。サキに対して抱えていた鬱憤が、川のように流れていきました。私はやっとサキを友達だと思えたのだと思います。

「もう、暗くなっちゃったから、家に帰らないと」

抱き寄せていたサキの身体を突き放して、ポンポンと肩を叩いたものの、サキはまだショックを受けていて、とても帰れるような状況じゃありませんでした。

そのとき、私、サキの涙に当てられて、ちょっと変になっていました。だから、私が普段到底しないようなことをしたんです。

「サキ、おいで」

そんな、年下に使うような言葉で誘って、私は自発的にサキの手を掴み、引っ張って、近くにある池に行こうと言いました。サキはぽかんとして、一瞬何が何だかわかっていない様子でしたけれど、しっかりと頷きました。私、知っていたんです。池に、とてもきれいな睡蓮が咲いていることを。私は知っていました。サキは花が大好きで、中でも睡蓮が一番好きな花だということを。

「あかりちゃん、まって、まって」

私、走りました。サキの制止も聞かずに、引っ張って、走りました。この河川敷に来たときは、サキが私の手を引いていました。たった数時間でこんなに変化が起きるだなんて、不思議ですよね。

池のほとりまでやってきて、私とサキは仲良く座り込みました。水面、月光に照らされて、睡蓮がぷかぷかと浮かんでいます。確か、桃色でした。

「きれいだね、サキ」

「サキ」

そんな言葉を並べ立てて、綺麗な睡蓮と一緒になって、サキを励ましました。私はいつまでもそうしていたかったのですけれど、さすがに辺りが真っ暗になって、そろそろ帰らないと親に怒られてしまう時間になったので、私とサキは別れて、帰路につきました。手を振って、さよならを言う時に、サキはいつものお転婆な様子では想像もつかないほど小さく、弱々しく、ふんわりと笑っていて、もう、えも言われぬ感情になったんですよ。本当に、儚かった。

その日から、サキは頑張って変わろうとしていたんですけれど、人間そんな簡単に変われるものじゃありません。そうでしょう?皆に謝って、訳を説明しようとしても、周りはすっかりサキのことを邪険にしていますから。声を掛けようとしても、さーっと逃げて、避けられてしまっていました。

「あかりちゃん、アタシどうしたら良いんだろ」

ますますサキは私の所へ来るようになって、たびたびそんな相談を投げかけてきました。

「どうしたら良いんだろうねえ」

あの夕暮れ時にいた私はいませんでした。いつも通り適当に頷いて、サキの言ったことをそのまま返すだけで、励ましの言葉も、何も言ってあげられませんでした。

わからなかったんです。友達ができたのは初めてのことで、どう関われば良いのか、私にはわからなかった。あの日のように話すことが、私にはできませんでした。

それから一年して、学年が上がって、私とサキは同じクラスになりました。

「あかりちゃん」

サキは休み時間が来る度、私の所へ来ました。周りを気にしながら、ちょっとだけ申し訳なさそうに、おどおどしながら来て、子犬みたいで可愛かった!貴方にも見せてあげたいぐらいにね。

「これ、新しく買ってもらった服なんだけど、似合ってるかな?もうちょっと丈が長い方が良かった?」

「ううん、可愛いよ。良いと思う」

その頃には私も友達との接し方というものがなんとなくわかってきて、やっと自然に愛想よく話せるようになりました。

「ほんと?よかったあ」

サキは私以外と関わることを諦めたようでした。明らかにサキの言動は改善されて、人のあれこれに口を出すことは無くなりましたが、やっぱり失礼な言動は相変わらず。長年の価値観や習慣を変えることは、やっぱり難しいんでしょうね。私も、ダメだなと思いながらしていること、たくさんありました。

私とサキは随分と仲良くしました。それもあって、サキはその年私の誕生日を祝ってくれたんです。

日曜日の事でした。休日ですから、もちろん学校なんてありはしません。真昼間、私は家の二階の自室で本を読んでいました。さあ、眠くなってきたし、そろそろお昼寝をしようかというときに、家のチャイムがピンポーンとなりました。はーいと言って、母が出ていく。てっきり、弟の友達かなにかが遊びに来たのかと思っていたんです。ああ、うるさくなるなあとそう思って、目を閉じたときでした。ドタドタと階段を上る音がして、断りもなく母が部屋に入ってきました。

「あかり、サキちゃんっていう子が来ているけど、知り合い?」

私はサキが家に来たのだと知って、とても驚いてしまって、びっくりして、ベッドから勢いよく起き上がりました。

「友達だよ」

小さな声でそう言うと、母はとても驚いた様子でした。早く行ってあげなさいと言っておきながら、その足、どこか覚束ないようでした。てっきり、私には友達が一人もいないと思っていたようです。私は家で学校や自分のことに関しての話を一切しませんでしたし、母は学校の参観に来たときも、授業が終わって休み時間となったら、私に声もかけないでそそくさと帰っていましたから、知らないのも無理はありませんね。

私は部屋の窓から顔を出して、下に居るサキに手を振りました。サキも、手を振り返してくれました。母がいると分かっていたからか、いつもより控えめでしたけれど。

階段を降りて玄関に来て、ドアを開けました。サキはプレゼント袋をこう、わざわざ両手で持っていました。もじもじして、なんだか恥ずかしそうでした。

「どうしたの?」

私ね、そのとき、今日が自分の誕生日だって忘れていたんです。友人がリボンで飾った袋を持って、恥ずかしそうに立っている。これだけで、何が起きるか察しがつくものだと思うでしょう?でもねえ、わからなかったんです。家を教えた記憶はないのに、どうして知っているのだろうとか、そう言うことしか頭に思い浮びませんでした。

「あのね、今日誕生日でしょ?プレゼント持ってきたの。これ」

当時の私、そりゃあ驚きましたよ。私自身、まったく記憶していなかったことを、教えた記憶も無いほど昔に教えたことを、サキは覚えていたんですから!

「ありがとう、サキ」

「ううん、友達だもん。当たり前でしょ!」

私がお礼を言って、にっこり微笑むと緊張が解けたようで、私に抱き着いて、くすくすとわらっていました。くすくすくすくす、随分と長いこと笑っていたと思いますよ。

「それじゃあね、ばいばい!」

満足したのか、サキは手を振りながら走り去っていきました。

私待ちきれなくなってしまって、その場でサキがくれたプレゼントの袋を開けました。真っ赤なリボンをそーっとほどいて、巾着袋を開けました。……何が入っていたと思います?まずね、最初に目に入ったのは、手紙。そして、小分けされたラムネやらチョコやらグミやら……よくもまあこんなに入れたなと思うぐらい、結構な量でしたよ。最初はそれで全てだと思って、部屋に戻って大事に食べようとしました。でも、袋の奥で何かがキラッと輝いているのが見えたんです。

なんだろうと思って、手を突っ込んで、取り出してみるとね、指輪でした。指輪です。それが分かったとき、私は部屋に戻ることも忘れて、その場で手紙を読み始めました。

どんなことが書かれていたのか、せっかくだから教えてあげましょうか。実物はありません。家に置いてきました。けれども、私何度も読み直しましたから、全文暗記しているんです。……聞きたいですか?良いですよ、特別に教えてあげましょう。他の人には内緒ですよ。

 あかりちゃんへ

誕生日おめでとう!いつもアタシなんかの話を聞いてくれてありがとう。あかりちゃんがいなかったら、アタシ一人ぼっちだったと思う。あかりちゃんが話を聞いてくれてるとき、アタシ楽しいなって思ってるよ。いつもいやなこといっちゃって、ごめん。一緒にいてくれてありがとう。これからもずーっと一緒にいてほしい!あかりちゃん大好き!

 サキより。

……って、書いてありました。手紙と、指輪を照らし合わせて、私、玄関口だってのに思わず泣き出してしまって!指輪、そんな豪華なものじゃありません。ビーズで作った輪のまわりに、小さな花のスパンコールがついていて、どうやら手作りのようでした。今思えば、小学五年生にしては、やけに幼稚な中身だったと思います。きっと受け取ったのが私じゃなかったら、何の気無しに捨てられていたでしょうね。

手紙は、恋文といっていいような内容で、そして、指輪。まさに、プロポーズと言って差し支えないようなものでしょう?久しぶりに感じる愛情は、どこかくすぐったくて、それでいて、暖かかった!私、サキの純粋な好意に、すっかり絆されてしまったんです。

指輪を左の薬指にしっかりとはめて、ぎょっとしたような顔でこちらを見る母を振り切って、自室に戻りました。その日は晩御飯も食べず、自室でサキから貰ったお菓子を、一つ一つ、大切に食べました。

それからも、サキと話す日々は続きました。サキからの愛情を受けて、それを返すことは何だか恥ずかしくて、いつもいつも、したり顔で微笑んでいました。

そんな風に日々を過ごしていたらですね、とうとうサキの誕生日がやってきました。私は一ヵ月前から準備をしていたんです。誕生日プレゼントになにをあげたらいいか相談する人なんて、私にはいませんでしたから、図書館へ行って、色々と調べたりして……ハーバリウムが良いんじゃないかということになったんです。キラキラしていて、可愛くて、特別感がある。サキもきっと気に入ると思いました。手持ちのお金を全部使って、用意しました。しかも、手作りで!ぼんやりとしか覚えていませんけど、大変だったと思います。色々な雑貨屋さんを渡り歩いて、容器を買って、オイルを買って、花材を買って。その甲斐もあって、手のひらサイズで小さい物でしたが、かなり立派なものが出来ました。それを手紙と一緒に黄色いプレゼント箱の中に入れて、真っ赤なリボンで結んで、机の隅に置いて、サキの誕生日が来ることを心待ちにしていました。

三月三日。それがサキの誕生日でした。プレゼント箱をランドセルに詰めて、私は学校へ行きました。私は意気揚揚と渡そうとしていたんですけれど、結局渡せませんでした。サキ、学校を欠席していたんです。教室を見渡してもどこにもおらず、酷く落胆しました。学校の授業も、その日ばかりは身に入りませんでした。一時間目、二時間目、三時間目、四時間目……刻々と時間が過ぎて行って、ようやく終わりました。先生が号令をかけるやいなや、ランドセルをとっつかまえて、急いでサキの家へ向かいました。曲がり角でこけても、そのまま気にせず走り続けられるほど急いでいました。擦り傷ができるぐらい、頑張ったんですけど、サキにそのプレゼントを渡すことはできませんでした。どうしてだと思いますか。わかりませんか。焦らして話すというのも不思議な話ですから、はっきりと申し上げますね。

サキね、死んじゃったんです。自殺です。……思っていたより驚かないんですね。こういった話、やはり聞きなれていますか。特にこれと言った感想も無いようで……そりゃあ良かった。私、人を嫌な気持ちにさせる趣味はありませんから。

サキの家の前には数台のパトカーが止まっていました。何人かの警察官が家の前に突っ立っていました。私が状況を確認できずにいるとね、あるおばあさんが話しかけてきたんです。

「サキちゃんね、死んじゃったらしいわ。ほんと可哀そうな子でねえ、お父さんは随分前に出て行って、お母さん一人で。苦労したでしょうねえ……あの子、鍵がなくって真夜中に家の外へほっぽり出されていた時だってあるのよ。……まあでも、死ぬなんてねえ、生きてたら、何かあったかもしれないのにね、可哀そうに」

おばあさんはあけすけに何でも話しました。かなりぼけてしまっている様子で、私が大人にでも見えたのでしょうか。普通子供に話すべきでないようなことも、つらつらと話し続けました。ずーっと長い間話されていたと思うんですけど、殆ど覚えていません。サキが、死んだ。死んだ、死んだ。そのことで頭がいっぱいで、他の事なんて考えられませんでした。完全に一人ぼっちになってしまった私。涙は出ませんでした。ただただ困惑するばかりで、私に話しかけるサキの姿が、ぐるぐるぐるぐると頭の中を回っていました。

「あなた、あかりちゃん?」

どれぐらいたったかわかりません。目の前に、サキのお母さんが立っていました。まさに、信じられないとでもいった様子で。私と同じく、まだ現実を受け入れられず、困惑するばかりだったのでしょう。

「サキがね、あなたにこれをって」

そう言って差し出したのは、封筒。手紙ですよ、手紙。誕生日の時に貰ったときはあんなに嬉しかったのに、不思議とね、その時はそれが地獄への招待状かのように思えたんです。そうして、気づいたときには家の自室でベッドに腰かけて、手に封筒を持っていました。目の前にある机には、サキに渡すはずであったハーバリウムが置いてあって、不気味なほどキラキラ、キラキラ……封筒を丁寧に開けて、中身を見ました。もの凄い量の手紙でした。到底サキが書けるとは思えないぐらいのね。前半の内容は、私に対する惜別の言葉。そして後半は、サキが今まで生きて来た一生と、懺悔の言葉。……何を書いていたかは、教えませんよ!個人情報です。サキはね、寂しかったんですね。孤独というもの、サキには耐えられなかった。今でも、後悔してます。例えば、もし、もしですよ!サキにたいして、有り余る愛情を与えていれば!もっと早く、サキの間違いを正していれば、サキは純粋な良い子だから、きっと今頃友達に囲まれて、笑っていたんじゃないかしら。あの、睡蓮を見た夜、少しでも、サキは悪くないよと言ってあげていたのなら!ああ、私は死への渇望の足枷ぐらいには、なれたんじゃないかと思うんです。私が殺したんです。あの時サキと関係があったのは、私だけだったんですから。もうどうにもなりません。後悔先に立たずとは、よく言ったものだと思います。

それから私、何をするにもぼんやりとするようになりました。元からサキ以外の友達はいませんでしたから、学校で何か話すということも無くなりました。

「高崎さん、放課後空いてる?少し話したくって、職員室に来てもらえないかな」

当時の担任、T先生は私のことを凄く気にかけていました。男の先生です。背が高くて、きっちりとした服装に、特徴的な白い縁の眼鏡をかけていました。真面目な先生で、サキが死ぬ前から、いつも私のことを心配していました。サキが死んでからは、今まで以上に眉間にしわを寄せて、私に対して励ましの言葉を掛けてくださいました。サキしか友達のいない私は、後を追うとでも思ったんでしょうね。何度も何度も私に死んではいけないよ、生きてたらいいことがあるよと言い聞かせていました。正直、鬱陶しかったです。サキが死んでしまったからといって、私もだなんて、そんなドラマみたいなことをする気は一切ありませんでしたし、先生に呼ばれるたび教室内の注目を浴びることが、嫌で嫌で仕方が無かった。しかし、やめてと言えず、なあなあとT先生に付き合って話を聞いていました。なんと、進級して私の担任から外れても、T先生は私を見るなり話しかけて来たんです。驚きですよ!毎度毎度、私に全く違う話をするんです。どこから話のネタがやってくるのか……今でも不思議です。私は特になんとも思いませんでしたけれど、聞く人によっては、大笑いしていたかもしれません。それぐらい凝った話を私に言って聞かせました。私、T先生に感謝しているんです。迷惑だと思っていましたが、確実に、私の孤独を癒してくれていたのも、確かですから。小学校を卒業してから、一度も会っていませんけれど、元気にしていますかね。若い先生だったので、まさか死んでいるということは無いでしょうけど……私の事、覚えていてくださっているでしょうか。

 ……早く話せと言いたげですね。違いました?それは失礼!そう見えたんです。随分とお疲れのようですね。私の話、退屈でしょう。できる限り縮めて話しましょうか?かえってそちらの方が不都合ですか。では、このまま話続けますね。

 中学生になってから、私は人に飢えていました。寂しいという感情を、顕著に感じるようになったんですね。サキのせいで私、一人で生きられなくなってしまった。愛されることを知ってしまったせいです。友達が欲しくなりました。どれだけ愛想笑いであろうと、私に微笑みかけてもらいたくなりました。幼い頃の私では思いつきもしなかった感情です。私、頑張りました。まず、見た目を気にしました。人って、第一印象が肝心だというでしょう?伸ばしっぱなしにしていた髪の毛を、バッサリと肩上まで切りました。前髪も作りました。せっせと母のヘアアイロンを使って、くるっと緩やかなカールを作りました。顔がぱっと晴れやかになって、別人のようになりました。第一印象を整えたのなら、後は話しかけるだけ。

「ねえねえ、何書いてるの?めっちゃ絵上手いよね」

ふんわりと笑って、人生で一度も出したことが無かったような明るい声を使ってね、他の小学校から来た子に話しかけてみたんです。背が低い子で、どこかおどおどとしていて、どんよりとした空気を漂わせている子でした。

「ん、えっと、キャラクターとかじゃなくて、女の子だよ、ただの女の子。」

絵を描いている所を邪魔されたのにも関わらず、Mちゃんはなんだかうれしそうでした。第一印象を良く見せることには成功。あとはどれだけMちゃんの懐に入れるかどうかでした。

「自分で考えたの?すっごいね。ねえ、他の絵も見せてよ!」

「良いよ、はい、これ」

そんなこんなで、休み時間が終わる頃には、Mちゃんは私に、キラキラと美しい笑顔を向けていました。チャレンジは成功したんです。私、友達ができました。コツを掴んだおかげか、その日を境に、どんどん友達が増えていきました。同じ小学校だった人たちは、最初は訝し気に私を見ていましたけれど、明るく元気にふるまう私を見て、過去の事なんて忘れてしまったようです。皆、友達になりました。学校の中では私、明るく元気な優等生でした。……自分で言うのは、自惚れでしょうか?いや、本当に優等生だったと思いますよ。生徒会長に推薦されるぐらいでしたもの。断りましたけれど。

そうして、中学二年生のときに私、運命的な出会いをしました。

「今日からよろしく!私高崎。名前何ていうの?」

始業式が終わって、昼頃。何気なく、隣の席になった男子に声を掛けました。斎藤君。そう、彼と出会ったのはこのときです。もっと長い付き合いだと思っていました?それは大間違いですよ。私たち、そんなに深い関係じゃありません。カッと眉を寄せて、私、初対面なのに睨みつけられたんです。まるで、憎んでいますとでも言うかのような目。キンコンカーンという終了のチャイムと同時に、斎藤君は私のことを見もしないで、何も言わず立ち去りました。

「あかり!あいつ、ああいう奴なの。気悪いよねえ……気にしなくていいから。それよりさ!今日カラオケ行かない?」

肩に友達の手がポンと置かれて、遊びに誘われたんですけど、私、どうしても斎藤君のことが頭から離れなくて……心底仲良くなりたいと思いました。あの眉が緩んで、ハの字を描くことはあるのかしらと思いました。

「ごめん!今日放課後予定あってさ、また明日行こうよ!」

友達の誘いを断って、斎藤君を追いかけました。彼、丁度下駄箱のところに居て、靴を履き替えていました。上靴を脱いで、スニーカーに履き替える。たったそれだけのことなのですが、その動きの一つ一つ、とても荒々しくて……日頃かなりのストレスが彼に降りかかっていることは、間違いないようでした。

「ねえ、斎藤君!一緒に帰らない?」

出来るだけ柔和な声と顔で言ったんですけど、彼は顰めっ面のまま、何も言いませんでした。今の私だったら、ここで引き下がっていたと思います。ですが、私はおそらくあの時頭がどうかしていてですね、無言は肯定であると受け取り、彼の後ろを着いていくことにしました。数メートル離れたところからてくてくと着いていきました。……今思えば、完全なるストーカーですよね、私。今更になって申し訳ない。後悔は微塵もしていませんけど。薬局、スーパー、家、家、家……前から後ろに流れていって、その間、私達は無言でした。

十七軒目の家が流れていった頃、彼はようやっと私を見ました。

「邪魔」

そう一言、こちらに投げかけられました。邪魔とはっきりと言われたからには、引き下がらなければいけませんよね。私は大人しく引き下がりました。そのとき、彼が歩いていた道は私の家と全く正反対で、私は踵を返し、彼に背を向けながら帰路に着きました。

はっきり拒絶されたわけですけど、私全く落ち込んでいませんでした。彼が発した声、幾分かトゲが抜けていたんです。

勝機あり。

そう思ってから、私は彼に話しかけ続けました。さすがに、私も人付き合いというものがありましたから、毎日というわけにはいきませんけど、かなりの頻度で一緒に下校しようと誘っていました。彼は、是と言いません。ですが、否定もしなかったんです。二ヶ月もたった頃には、彼に睨み付けられることもなくなりました。無言で歩く後ろを、これまた無言で着いていく。必死でした。斎藤君の友人になりたいと、その一心でした。今思えば、どうしてこだわったのかわかりませんけど……まあ、魅せられたんでしょうね。今も昔も変わらず、不思議なオーラがある人ですから。

こんな単純な逢瀬を繰り返し、あるときから、彼との関係が変わりました。

夏が終わり、蝉の鳴き声が途絶え、涼しげな風が吹いていたときのことでした。

「どこに住んでるの」

今までなにも話さなかった彼が突如、私にそう言いました。

「あっちの、裏門の方だよ!坂登ってって……そう、駄菓子屋あるところで……わかるかな」

「真反対じゃん。なんでこっち来てんの」

「そりゃあ、一緒に帰りたいと思って」

「そうなんだ」

ただ、二言三言会話をしただけです。相変わらず、私は彼の後ろを着いているだけで、それだけです。でも、何だか愛の告白をしている気持ちになったんです。あのとき、彼が私の前を歩いてくれていて良かった!きっと私、顔を真っ赤にしていたでしょうから。

会話が生まれました。彼と私の関係は、確実に前進しました。彼との会話。彼、お世辞にも話が上手だとは言えませんでした。今でもそうですが、昔はもっと酷かった!ぶっきらぼうで、不愛想。まあでもね、そんなこと気にしていませんでした。彼が私と友達になろうとしてくれている。それだけで、天にも昇る気持ちでしたから。

あれを恋と言うんでしょう。彼の一挙手一投足に期待して、彼が近くにいると、思わず背筋をピーンと伸ばしてしまうんです。友達と話しているときでも、彼が視界に映ると声がしぼんで、どこをみて良いかわかりませんでした。

あきらかに、恋してるでしょう。でも私、彼に対する感情が恋情だっただなんて、露ほども思っていなかったんですよ。そんな思い知る由もありませんでしたから、ただただ、魅力的で素敵な彼とお近づきになりたいというだけでした。

「俺なんかと何で友達になりたいの」

あるとき急に、彼はそんなことを口にしました。丁度、初雪が降った頃。サクサクとした雪が一面に広がっていました。

私、困りました。なんといったら良いものかしら。どうして友達になりたいのか……話が面白いからというのは、それは嘘になってしまいますし、私パニックになっていました。これが、彼と私の運命を決めると思って、考えて考えて、思い付かなくて。

「いい人だから」

何も言わない私を不審に思って、彼が振り向いたときですね。焦って焦って、目が回るような感覚を覚えながら、何とか紡ぎだした言葉。あんまりにも稚拙で、今思いかえしても恥ずかしくなってしまうぐらいなんですけど、彼、そんな私の幼稚な言葉を聞いて

「なにそれ」

笑ったんです。笑ってくれました。想像していた通りでした!眉間の皺がほどけて、眉はハの字になりました。粋な返しが出来れば良かったんですけど、嬉しさと恥かしさで、ただただ微笑するばかり。

私がなにも話せず、ニコニコと黙っていたから、彼も何も言わず、そっぽを向いてしまいました。冬だっていうのに、なんだかポカポカとして、落ち着かなかった。それに、冬だからだったんでしょうか。彼の耳は、赤かった!

そうして、彼と恋仲になったかというと、そうではなくて。後ろからついていくのではなく、隣で歩くようになりました。ですが変わらず、歩幅を合わせて住宅街を闊歩するだけの関係。

「斎藤と付き合ってるの?」

「ううん!どうして?」

「いつも二人で帰ってるじゃん!付き合ってるのかと思ってた。……じゃあさ、好きなの?」

何て名前の子だったか、覚えていませんけれど。急に言われて私は、なんと答えたんでしたっけ……きっと素直に好きだと言ったような気がします。

「絶対辞めといた方がいいって!あんなやつ」

皆口々にそう言いました。まるで怪物だとでもいうように。その時の私は少しだってわかりませんでした。今思えば、あの子達が正しかったですね。

何か、飲み物でも飲まれますか?普段話さないものですから、喉乾いてしまって。

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