蛇女双紙
海山 紺
第一段
第1話 見捨てられた親子
欧歴一八六八年、一月。
けたたましい怒号や苦悶の叫び、大気を裂く銃声。さらには地を揺るがす砲弾音も鼓膜をつんざくなか、一人の少女が息をきらしながら過酷な戦場を駆け抜けていた。
紺色の組紐で一括りにした
「早く、上様に報告しないと……!」
戦場から少し離れたところへ偵察に向かうと、輪皇軍の援軍がこちらに進行しているのが見えた。それでも兵数はまだ幕府軍のほうが上だが、相手は大陸から伝来した新兵器を多く所持している。
――それに、輪皇軍はこちらより神器の所有者が多い。
少女こと、
神器は文字通り、神の力を扱うことができる物象である。
輪国には八百万の神がおわし、太古の昔、神々は人間に己が分身ともいうべき神器を授けた。それが代々受け継がれ、現在でも神器を巧みに使いこなして
幕府軍にも神器所有者や自分たちのような例外は存在するが、数が少ない。そのうえ一般兵が武器を手にして敵軍に突っ込むという無謀な古式戦法を重視しているあたり、もう長くはもたないだろう。
「もう、降伏したほうがいい」
勝ち目の無い戦に屈服を許さぬ意地と矜持を抱き続けていては、そのぶん自分たちのような一兵卒の命が虚しく失われていくだけ。これ以上、味方の犠牲を増やさないためにも早々に現状の深刻さを将軍に奏上しなければ。
すると、前方から発砲音がいくつか聞こえた。桜夜は人並外れた動体視力と反射神経で難なく銃弾をかわし、己が血に宿る水の神力を用いて手中に青白の打刀を創成する。
「〈
空を横薙ぎすると、三日月型の水状攻撃が敵にめがけて繰り出された。
神器〈
「桜夜!」
突如、自身の名を呼ばれ、桜夜は声の主を振り返る。後方から同じ黒装束を身に纏った男性が駆けつけた。
同じ髪色に、桜夜に似て整った面立ち。彼の衣服もぼろぼろで、これまでたくさんの傷を負ってきたことが容易に察せられる。
「父上!」
「良かった。ちょうどお前を探していたんだ」
ついてこい、と父の
「父上。頬に傷が」
「ああ、どうせすぐ治る。気にするな」
「それで、私を探していたとは?」
「桜夜。落ち着いて聞いてほしい」
上様が、武京に戻られた。
低く発せられた言葉をすぐに呑み込むことができず、桜夜の花唇から「は……?」と掠れた音吐が零れる。武京は東の島・輪東にあり、輪国の統治機関である幕府の所在地だ。
「武京に戻られたって、それはどういう……」
「そのままの意味だ。こちらの戦況が芳しくないことを悟って、陣営を立て直すために一部の御庭番や臣下たちを連れて戦場を発たれたんだ」
「……つまり、我々を見捨てて戦場から逃亡されたということですか?」
「言葉を選ばずに言えば、そういうことになる」
「そんな……!」
言葉を失い、花顔が伏せられる。そして、奥歯がぎりっと不吉な音を立てた。
「……ふざけるな」
腹の底から強い怒りと憎しみが沸々と湧いて、ついには氾濫する。
「我々は他でもないあの方のために戦っているというのに! 見捨てられたことさえ知らぬまま戦場で果てるなんて……そんなの、あんまりではないですか!」
許さないッ‼
すると、桜夜の碧い瞳孔が徐々に細くなっていき、頬や腕には蛇の鱗のようなものが浮かび上がった。歯も先端が尖っていき、剣呑な鋭さが増す。
「待て桜夜!
桜夜の両肩を掴み、柳夜は必死に呼びかける。
裏切りに神の血が反応して、人では無くなろうとしている。人としての理性を失い、半蛇になれば敵味方問わず命を奪ってしまう。
「落ち着け!」
それでもなお、桜夜は怨嗟の闇に囚われ続けたままだ。髪も白くなり始めていく。
「桜夜!」
柳夜は激しく両肩を揺すり、再び名を叫んだ。
柳夜の宥めがようやく功を奏し、桜夜は我に返った。それと同時に瞳孔や皮膚、髪色も元通りになった。
「申し訳ありません、取り乱してしまい……」
「いや、神血を受け継ぐ者は誰だってそうなる。私も自制できるようになるのに随分と時間がかかった。それと、上様がここを発たれる前に私たちに命を下した」
「……命って、まさか」
柳夜は重々しく頷く。
「
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