第23話 危機
目を醒ますと、
手と足に枷を嵌められた身体を、なんとか起こして辺りを見回す。天井はやたらと低く、座っただけで頭を擦る。四方の壁もやたらと狭く、手足もろくに伸ばせない。
どうやらここは、箱の中らしい。
ずっとごとごとと揺れているので、どこかへ運ばれているようだ。胃がひっくり返りそうな酷い揺れに、気分があっという間に悪くなる。
(どうしよう)
目を閉じて吐き気をやり過ごしながら、頭を抱えようとして失敗する。
現状が何も判断できない。手足がしっかりと拘束されているから、とりあえず逃げることすら無理だ。
(母さんや姉さん、義兄さんはどうなったかな)
特に義兄は酷い怪我を負わされていた。族長たちは無理でも、近所の人が誰かは助けてくれただろうか。あの怪我は手当てが遅れると命に関わりそうだった。
義兄があのまま死んだりしていたら、と思うと恐ろしい。じわじわと押し寄せてくる不安を堪えるように、
(
引き離された
そういえば、と思い出す。
五年の結婚生活において、
大切に部屋に仕舞い込み、出かける時も必ず付き添う。いつでも、どこでもだ。
そうすることが
だから、
「
細く名を呼ぶ声に、返事は当然返ってこない。
がたがたと揺れる箱と、粗末な馬車の車輪の音。隙間から染み込んでくる夜の薄寒さが、
泣いている暇はない。逃げる機会を窺わなくては。そう思うのに、目が熱く潤んでしまう。 そうして涙が収まるまで、
箱の揺れが止まった。
息を潜めて気配を探る。馬の嘶き、人の声、火を起こす音に水の音。どうやら一行は夜営をするつもりらしい。
逃げる隙はないかと考えるが、箱の周りには人が多いようだ。少なくとも、寝静まるまでは何もできない。
しかたなく、できるかぎり楽な姿勢を探す。揺れがなくなって、気分の悪さが少しおさまってきた。
今なら眠って体力の回復に努められそうだ。しばらくもぞもぞとしてからおさまりのいい姿勢を見つけて目を閉じた。
「おい、出てこい」
がたん、と大きな音と衝撃が走る。
箱が突然横倒しになり、
ようやく訪れていた眠気が一気に吹き飛ぶ。何が起きたか把握的ないまま倒された箱の中から、物のように引きずり出された。
顔を上げると、実家にいたあの兵たちが
息を飲んで身を固くするが、松明を片手に持った兵の一人に手枷の鎖を掴んで引き摺られた。地面が
しばらくして、ようやく腕の鎖を引く力が消えた。
瞑っていた目をそっと開く。大きな馬車が目の前にあった。荒れた街道の外れに似つかわしくない豪奢な装飾を、唖然として見上げる。
姿を現したのは、でっぷりと肥えた中年の男だった。絹の着物に深く埋もれ、脇息にもたれつつ
おそらく、これが件の中原の高官だ。ゴクリと唾を飲む。
「これが例の珠を産む男か?」
「左様にございます」
高官と側に控えた者のやりとりに、
たっぷり
緩慢な動きで、
「男が龍珠を産む、のう。あの異民族の族長はそう言っておったが、疑わしいものだな」
固い靴の爪先が、
「まあそこそこ見目は良い。珠を産んでも産まなくても、姫様の玩具にはなるだろうて」
「ひ、め?」
反芻する
「貴様をな、これより我らが御本家様の姫君に献上するのじゃ。姫様は近々太子妃に冊立されるゆえな。美しき品、珍しき品はあればあるほど良い」
高官が巨体を器用に折って、しゃがみ込む。
地に伏す
「儂は御当主様のお指図でそういった物を探しておったのだがな。
目の前に鈴蘭を模した簪が一本転がされる。
花の部分には龍珠が幾つも嵌め込まれ、珠を載せた土台の彫金も繊細で美しい逸品だ。
そしてこれに、
「貴様が親族の娘に与えた品だそうだな?」
嫌な汗が背中を伝う。
高官が言う通り、この簪は従姉妹の嫁入り道具にと作らせた品だ。
黙っていると肯定で判断したようで、男はにやにやと笑って続けた。
「この珠を一粒、当主様にお送りしたところ、いたくお気に召されてなあ。これで姫様のために鳳冠を作って差し上げたいと熱望されておるのだ」
「それが、私となんの関わりが?」
嫌な予感がして、知らぬふりをする。龍珠の採取方法は秘事だ。知られれば、何が起きるかわからない。
「族長が言うことには、この珠、貴様が産んでいるらしいではないか」
「ご冗談を。人が珠を産めるはずありませんよ」
心臓がひやりとするが、必死で平静を装う。高官は探るように
「龍の恩寵、龍の精気……だったかな、族長が言っていたその珠の別名は」
「……」
「その昔、族長の先祖の一人である男が
ぎくりと高官を見返してしまう。
その話は、知っていた。
高官が語った話のごとく、形見の品として。
「貴様も、
肉の分厚い手が、
ひ、と息を飲むと高官はうっそりと笑みを深くする。嗜虐心を隠そうともしていない、気味の悪い表情だ。
「や、やめろ!」
「ならば珠はどこから生じるか教えてもらおうか」
言いながらも高官の手は、
「口か、目か、それとも違う場所からか? そら、珠を産んでみろ」
産めたらやめてやると嘯く高官の手によって、着衣がどんどん乱されていく。
上着も、筒袖も、筒袴さえも。ほとんど裸にされて全身を弄られ、
死んでしまいたい。舌を噛んでしまいたいが、できなかった。
「やだ! やめてくれ!」
「偽りを申してもよいことはないぞ?」
「私に珠なんて産めないっ! 何も知らない! 放してくれ!」
そう訴えて涙を流しながら、自由にならない手足を使って抵抗する。
「往生際が悪いのう……さて、どうしたものか」
暴れる
ややあって、にやりと唇をゆがめた。
「ああ、南海の白珠は確か、人魚の涙が変じたものだったな。ならば……」
「んぐっ、あぁっ!?」
ずぶりと、太い指が
「龍の珠も泣かせればできるのかのう?」
舌を掴まれ、痛みと羞恥が
情事の前戯のような指遣いで縮こまらせた舌をいじられ、反射的にえづくが太い指はぐちぐちと無遠慮に奥を探ってくる。
苦しい。息が詰まる。気持ち悪い。死んでしまう。
苦痛にのたうつ
汚された。汚される。怖気とともに、悲しみが
「
ごめんなさい。
ぼろりと銀灰の瞳から、大粒の涙が溢れた。
その時だった。
「
愛しい龍の咆哮が、夜に轟いた。
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