第10話 遠出と変わり者

 なだらかな森の道を、龍暁ロンシャオ月藍ユェランは馬で降っていく。

 今二人が進んでいるのは、龍玄ロンシェンの街から北の方角に広がる森林だ。

 目的地は森を越えたあたりの場所。龍輝ロンフェイたちから言いつかったお使いの先がそこにある。

 けれども急ぐ旅ではない。かぽ、かぽと道を行く速度は緩く、轡を並べてのんびりと二人はお喋りをしながら旅路を進んでいた。


月藍ユェランは馬に乗れたんだな」

「そりゃあ私だって男だからな」


 くつくつと月藍ユェランが笑う。輿に乗って嫁いできたから、龍暁ロンシャオ月藍ユェランが馬に慣れていないと思っていたらしい。


「下界の街だって、男はそこそこ馬に乗れなきゃ生きていかれないんだ。放牧をするし、行商にも行くからな」

「悪い、失礼なことを聞いたな。俺は下界の事情はあまり知らなくて」

「いいんだよ。山や平原の方と比べたら、白麓パイルーはあまり馬術が得意な一族ではないからな」

「そうなのか?」

「戦をするとしても、基本は篭城一択の都市だからなあ。街の周りを深い堀と土塁、それから高い壁で囲んであって、攻めるより守る方が強いんだ」


 龍暁ロンシャオ月藍ユェランの話を楽しそうに聞いている。

 生まれてこの方、龍暁ロンシャオ玄山シェンシャンの外へ出たことが一度もないそうだ。だから白麓パイルーの街の外へはあまり行ったことがない月藍ユェランの話でも、興味津々で聞き入ってくる。

 自分の話に興味を持たれると嬉しいものだ。ついつい饒舌になって、月藍ユェラン白麓パイルーの街や生活の話をたくさんした。

 龍暁ロンシャオは口数が多い方ではないが、話を聞く方が得意だ。相槌を上手に打ってくれるから、月藍ユェランの舌はますます滑らかになった。


「下界はそんなふうになっているんだな」

「はは、白麓パイルーの街へ行ってみたくなったか?」

「ああ。ホンの話とはまた違うあんたの話を聞いて、行ってみたくなった」

ホン?」


 聴き馴染みのない名を、月藍ユェランが繰り返す。


「俺の再従兄はとこだ。下界をうろつくのが趣味でな、一族の中で一番世情に通じている」

「面白そうな人だな」

「面倒で変なやつだ。ちなみにこれから使いに行く先でもあるぞ」


 何を思い出したのか、龍暁ロンシャオが遠い目になる。ホンという人物に思うところがあるようだ。


「まあそろそろあいつの住処すみかに着くはずだ。森を抜けたら昼にしよう」


 空を振り仰ぐと、太陽が中天にかかっている。そろそろ昼時だと納得して、月藍ユェラン龍暁ロンシャオに続いて馬を急かしかけた。


「そうだな、ちょっと急ごう、か───?」

月藍ユェラン?」


 月藍ユェランの手綱を握る手が止まる。

 ぽかんと口を開いて立ち尽くす月藍ユェランを、訝しげに龍暁ロンシャオが振り返った。


「どうかしたのか」

「ろ、龍暁ロンシャオ、あ、あ、あれ」

「あれ?」


 つい、と伸ばされた指の先を龍暁ロンシャオの視線が辿る。

 龍暁ロンシャオたちから見て、左手の白樺の木立の奥。


 白っぽい木々の陰から、おかしな奴がこちらを覗いていた。


 白い帽子に白い服。片手に花をぶらぶらとさせている。そこまではいいのだが、問題は色の白いそいつの顔だ。

 目にあたる位置に、真っ黒で丸い大きな玻璃か黒曜石が二つも張り付いている。目玉が飛び出したように見えて、絶妙に気味が悪い。未知の格好をしたそれに、月藍ユェランがひるんだのも無理はない。

 深いため息を吐いて、龍暁ロンシャオ月藍ユェランを隠すように前へ出た。


「……ホン、あんた、何を着けているんだ」

「よっ、シャオ。こいつは西方で仕入れた黒眼鏡ってやつだ、面白いだろ?」

「薄気味悪い。月藍ユェランが怖がるからそれを外せ」


 すげなく龍暁ロンシャオが言い捨てる。

 ホンと呼ばれた男は口を尖らせ、渋々といった様子で黒眼鏡を顔から外した。

 隠されていたホンの顔が晒される。月藍ユェランはアッと声を上げた。

 婚礼の直前に持たれた話し合いの前に、月藍ユェラン客房へやへ連れて行ってくれた男だ。

 驚いている月藍ユェランに気づき、ホンはにこっと人好きする笑みを浮かべた。


「やあ、シャオの嫁さん。また会ったな」

「あ、はい。その節はどうも」


 慌てて月藍ユェランは馬から降り、帽子を取って頭を下げる。


「ははは、シャオの嫁さんは礼儀正しいなあ」


 朗らかに笑ってホンが歩み寄ってくる。

 龍暁ロンシャオは鬱陶しげに目を眇め、月藍ユェランを背中に庇って立った。過保護というか、必要以上の警戒具合に月藍ユェランは目を白黒させる。


「おい、龍暁ロンシャオ。さすがにそれは失礼だろ」

「失礼ではない。こいつは警戒してもし足りないやつだ」

「警戒してもって、どういう意味だ?」

「いろんな意味でだ」


 頑として警戒をやめない龍暁ロンシャオに戸惑い、月藍ユェランは彼とホンを見比べた。

 しかしホンは気分を害した様子もなく、仕方ないといったように肩を竦めた。


シャオは相変わらず酷いなあ。俺が何をしたっていうんだ?」

「昔から色々してきただろうっ」

「色々か〜。ま、確かにそうだったな!」

「自覚があるなら不用意に近づくなよ」

「そんなつれないこと言っちまってぇ」


 がるがると犬歯を剥く龍暁ロンシャオを気にした様子もなく、ひょいとホンが腕を振り抜いた。

 飛んできた花が一輪、月藍ユェランの抱えた被衣に刺さる。突然手元に咲いた青紫の花に、月藍ユェランは大きく目を瞬かせる。

 それを成功と見て取ったのか、ホンが悪戯っぽく片目を瞑った。


「お近づきの印さ。受け取っておくれよ」

「あ、ありがとう」

「おい、月藍ユェランに何を渡してくれているんだ」


 龍暁ロンシャオが憮然と文句を言うが、ホンはますます面白そうに笑う。


「まあまあシャオ、立ち話もなんだ。続きは俺の家で昼飯でも食べて話そうぜ!」

「……ちっ」


 両手を広げて促すホンを睨みつけ、龍暁ロンシャオが馬の轡を取った。

 反抗的な態度を取りつつも従うのは、たぶん、昼飯という言葉のおかげだ。先ほどから龍暁ロンシャオの腹はきゅうきゅう鳴っていた。

 そういうことなら仕方がないと、くすりと笑って月藍ユェランも馬を曳く。

 そんな月藍ユェランたちに目を細めて、ホンもまた歩き出したのだった。


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