殺人鬼に殺される夢を見た

ぽぽ

第1話

 例えば。

 『目をくじりとる』という文字と、『爪と肉の間を紙で切る』という文字があったら、それを読む人はどちらが痛みを想像できるだろう。

 おそらくは後者だ。なぜなら『目をくじりとる』こと、あるいはそれに類することを体験したことがある人はごくごく少数だからだ。

 一方で、『爪と肉の間を紙で切る』だったら、想像できる人はそれなりにいる。実際にその体験をした人もいるだろうし、紙で切る痛みや深爪の痛みを体験するだけでも痛みは想像しやすくなる。

 だが、私は『目をくじりとる』の方が痛みを想像しやすい。なぜなら、つい最近体験したから。

 私は現在拘束されている。手足を柱に括りつけられ、口に猿ぐつわを嵌められ、その上で肩と膝の関節を外されている。

 無論それは耐え難い激痛だ。叫びたい。だが猿ぐつわのためにくぐもった声しか出ない。叫ぼうとすると振動が肩と膝に行き脳に響く。

 目の前には黒ずくめの大男。フードを深く被っていて顔は見えない。というよりも、フードの奥は闇に見える。男の身長は二百はありそうだ。手にはナイフを持っている。私にはその巨体が山より大きく見えた。

 私の肩と膝を外したその手が、私に迫る。文字通り眼前に。その手は止まることなく、私の右眼球に入り込む。圧迫感が一瞬あったかと思えばすぐ後には脳が弾けるほどの激痛が全身に走り回り、視界がなくなった。いや、まだ右目に光は見えている。だが、それはただチカチカ明滅するだけのものだった。

 指は更に奥へと入っていき、眼球を貫いた。その指を曲げ、外に引き抜く。

「んんんううう!!ぐぐぐっ!」

 視神経が断裂され、痛みに体が跳ねた。外された関節の痛みによって更に跳ね、それによって更なる激痛が。

 残った方の目で男の指を見た。透明と白と赤の液体がついた物体がそいつの指にはまっている。指から乱雑に取り外し、踏み潰された。白い液体が床に染み付く。

 男はナイフをもてあそんでいた。そろそろナイフを使うのか。早く殺してほしい。胸に刺してほしい。そうでなければ、頭。とにかく早くこれが終わってほしい。一秒でも、一瞬でも早く。

 男がナイフを近づけてくる。胸か頭、どっちかにしてくれ。その思いも虚しく、次に狙われた箇所は右腕だった。

 二の腕にナイフが入っていく。ナイフは錆びていて、スッと入ってこなかった。ナイフなのにノコギリで挽かれるようだ。

 腕を貫通すると、そのまま下に降ろされた。腕を縦に裂かれる。肩も外されているしロープでも縛られていてまったく動かせない。

 肘まで来るとナイフが抜かれ、裂かれた箇所に指を突っ込まれた。骨と肉の境目に指を差し込まれ、それを外側へ引っ張っていく。骨の周辺が無くなっていく。

 それが何度か繰り返されると、二の腕の骨が露出した。

 男はナイフを捨て素手になる。何をされるのかと、薄れる意識の中でわずかに疑問に思った。

 骨を掴まれた。その痛みで失いかけていた意識が引きずり戻される。掴まれた骨を折られた。折られた部位は肘に近い部分だった。次は少し上に上がり、また折られる。進んだのはほんの数センチだ。

 骨が露出しているところを全部折られるまでそれは続けられた。普通ならこの痛みでショック死しているだろうが、私はそうはならなかった。これが始められる前に何かの注射をされた。おそらく強心剤。つまり痛みのショックではそうそう死ねない。

 次に狙われた箇所は左足だった。指の先から関節を外され、骨を折られていった。

 次に狙われた箇所は腹だった。横一文字に裂かれ、大腸が引きずり出される。

 次に狙われた箇所は残ったもう片方の眼球だった。注射を刺され、おそらく酸を流された。

 次に狙われた箇所は……


 私はそこでようやく飛び起きた。服が汗でベットリ濡れている。動悸が激しい。呼吸も落ち着かない。

 しばらくは床に這ったままで立つことも出来なかった。さっきまでの感覚がまだ克明に残っている。

「くそ……寝てしまった……」

 ようやく呼吸が落ち着いてきたところで、私はそう吐き捨てた。

 最近、寝る度にあの悪夢を見る。嬲られた末に死ぬという夢を。いや、夢とは違うものかもしれない。なぜなら……

――昨夜未明、S県S町の住宅で人が死んでいると通報がありました。亡くなったのは住人の坂尾達也さんで……

 つけっぱなしにしていたテレビから音声が聞こえてきた。S町は私の住んでいるところだ。

 私があの夢を見た次の日には、必ず人が死んでいる。偶然と言ったらそれまでだが、私にはどうもそうは思えない。なにせ、もうこれで四回も続いているのだ。テレビの情報から死体の状態はわからないが、見るも無残な姿になっているのではないかと思う。

 私が最初にあの夢を見たのはちょうど一月前だった。夢なのに痛みもあってこれはおかしいと思い精神科へ行ったが、結果は何もなかった。

 二回目はその次の日だった。まだその時は偶然変な夢を見ただけだと楽観的に捉えていた。

 三回目は一週間前だった。寝ないように努めてきたが、限界が来て気絶してしまった。

 そして四回目が昨日のやつだ。これも寝るというよりは気絶だった。

 寝てしまってはいたが、それでもまだ眠たかった。当然だ。最近はほとんど寝ていないしここは固い床だし、なによりあんなものを見て熟睡できるはずがない。

「いやだ……もう寝たくない……」

 精神は限界まで削れていた。あと何回かあれを見たら、確実に壊れる。発作的に自殺するかもしれない。

 私は警察署へ行った。藁にも縋りたかった。

「助けてください。殺されるんです」

「どうしたんです?こんな朝方に」

 警官の対応は真面目なものではなかった。おふざけの類いだと思っているのだろうか。

「夢の中で殺されるんです。殺人鬼に。その次の日には絶対人が死ぬんです」

 夢、という単語を出してから、警官の態度はさらに杜撰になった。

「はいはい。わかりました。きっと疲れているのでしょう。良い医者を紹介しますよ」

 私はついキレてしまった。もはやまともな思考ができる状態ではなかった。

「殺されるんだ!なぜ助けてくれない!」

 カウンターを超えて身を乗り出した。直後に他の警官が何人か来て、私は取り押さえられた。

 そこからの記憶は曖昧だが、どうやら私は警官に暴行を振るったらしい。そのため拘置されることとなった。

 警官の対応に怒りを覚えるとともに、わずかに安堵があった。拘置所という法に守られている場所だと、あの殺人鬼から少しは離れられる。根拠もなしにそう思っていたからだ。

 だが、それは大きな間違いであった。

 拘置所に入って五日目、寝まい寝まいと努めてきたが、とうとう眠ってしまった。睡眠の頻度が低すぎたのだ。限界が来るペースも早くなっている。

 夢の中で私は、やはり拘束されていた。今回はベットに括りつけられていた。

 殺人鬼がペンチを持って私を見下ろしていた。

 だが、今はそんなことはどうでもよかった。殺人鬼がいることよりも、問題はその場所だった。

 畳敷きの床。格子状の窓。鉄扉。

 間違いない。ここは私が今いる拘置所だ。扉の窓から見える景色もまるで同じだ。

 今は、夢か現か?今指を潰されている痛みは本物か?

 わからない。判断できない。だが、わかることが一つだけ。

 私は、もうすぐで死ぬ。

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殺人鬼に殺される夢を見た ぽぽ @popoinu

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