隣のクソ真面目には友達が必要なんだと思う。

じゃんけんで銃を出すタイプの人

# 001 Push Play

「五番、小田おだ」 「アイ」

「六番、角丸かくまる」 「はい」

「七番、久間村くまむら」 「はーい」



 誰もいない階段を駆け上がる。三階に到着、教室まではあと十歩。息はとっくに切れて苦しい。根性で重たい足を動かし一、二、三、四、五、六、七、八、九歩――


「出欠確認よし、大体いるな」


 ――走りっぱなしで付いた勢いを十歩目でグイっと殺す。そしてドアの隙間に手を差し込み、腕に力を込めて横に押し飛ばす。


「すみませんでした! バスでトラブルがあってですね!」


 嘘だ、バスの運行はむしろ順調ってくらいだったよ。本当は寝坊だよ、いつも通り。

 クラスメイトは全員姿勢よく座っていて、鬼塚はちょうど名簿を畳んだところ。まぁ、薄々分かってはいたよ。


「見直したぞ佐上、今日は早いな!」


 担任の鬼塚から珍しくお褒めの言葉を預かった。いつもなら走っても十分遅れ、遅くとも二限までには間に合うといった具合。つまり、今日はなかなかの好成績。

 こんなに調子がいいのは昨日ゲームで徹夜せずに早く寝たからか、それとも朝の星座占いで一位だったからかな?


「ハァ、ハァ……見直してくれました?」


「あぁ!」


鬼塚は満足そうに笑顔を浮かべている……笑顔?


「五分遅刻だ、一限が終わったら職員室に来い」



 上下する俺の肩を鬼塚はポンと叩き、青筋ぷっくりの恐ろしく爽やかな笑顔で教室を去った。


 数学教師にして我らが一年B組の担任こと鬼塚武おにづか たけ先生は学年、いや学校一恐ろしい叱り方をすることで有名な教師だ。

 叱る前触れに微笑みを浮かべる、通称『鬼塚スマイル』は皆から恐れられている。その恐ろしさの前にある者は泣き出し、ある者は茫然自失、過去には失禁した奴もいたらしい。


つまり何が言いたいか――鬼塚の笑顔は死を意味する。


「はッ、ハハッ……」


 これからどんな説教をされるのかを考えると、膝の震えが止まらない。あれだ、武者震いってやつだ、多分。

 大半のクラスメイト達は『アイツやりやがった』とニヤニヤしている。

 全く、どいつもこいつも良い趣味をしているな? クソッタレ。



「というわけで、ここの指示語は――」


 入学してから、現代文の授業でこんなに頭を使うのは初めてだよ。もちろん授業とは関係はないことにだけれどね。


 この後の説教をどう切り抜けようか。それを考えるためだけに、この時間はある。現代文なんか、真面目に受ける人間がどこにいる? 時代はグローバルだ、話すならイングリッシュだ。


 そんな訳で先生は熱心に教科書の内容を解説しているが無視して、この後の鬼塚への対応へ意識を向ける。備えなしに行けば吐くぐらい怒られるだろうから、この足りない頭で策を考えないとね。



 まず、謝罪は逃れられないだろうね。こんな軽めの頭でいいなら、いくらだって下げてやる。

 ご機嫌取りに渡せる賄賂は手元にない。今からコンビニで買うか? タメだ、抜け出したことで余計キレられる未来しか見えない。

 いっそ、誤らないなんてどうだろう……論外。



 解決策が浮かぶより先に、時間切れを告げるチャイムが鳴った。

 挙がった案から良いものを吟味する間もなく、俺は教室を飛び出した。廊下は走っちゃいけないらしいが、どこのバカがそんなことを決めたんだかね?

 緩いネクタイをきつく締めながらただ走る。一秒でも遅れたら鬼塚がどうなるか分かったモンじゃない。


 とにかく、現状のミッションはただ一つ。 何としても鬼塚の機嫌を損ねないことだ。


 学年でもそこそこ速い方の足で走り続けて大体三十秒、職員室に到着。元気いっぱいに扉を開け、大きな声で名前を呼ぶ。


「鬼塚先生はいらっしゃいますか!」


 叫んで間もなく鬼塚は現れた。全くといっていいほど怒気のない様子。むしろ穏やかと言える。青筋が見えたさっきのことが嘘みたいだ。

 最短距離を最速で走ってきたんだ。職員室RTAがあるなら、今の俺は世界一位と言えるくらい自信はある。だから遅いと小言を言われる謂れはない。

 身だしなみも多分大丈夫。『ネクタイが緩い』とネクタイで絞め殺されることも、『襟が曲がっている』と襟首を掴まれることもないだろう。


 最善は尽くしたんだ、最悪の事態は避けられたと思いたいね。


「六十五」

「はい?」


 鬼塚のデスクへ連れられながらの緊張の第一声、口にしたのは謎の数字だった。


「なんの数字か分かるか、佐上?」


 クソッタr……数学教師だからかね?

 まぁ、考えてもどうしようもない。こういうとき用の深刻そうな表情をしてみる。


「さぁ……なんでしょう?」


 ゴミを見る目をした鬼塚の口角はよく見るとわずかに上がっている。最悪の事態は避けられてないな。


 とにかく、地雷を踏み抜かないため知らん振りを通すことにした。


「今学期にお前が遅刻した回数だ」

「へ、へぇー、そうなんすか?」


 分かりやすく『知らなかった』といった反応をして見せる。それに対し鬼塚は笑みを溢す。笑っているのに笑ってない。俺は何かえげつない地雷でも踏んだのかな?


 だが大丈夫、こっちには秘策がある。


 俺は姿勢を低く、考えておいた構えをとる――


「こんな回数、高校が始まって以来だぞ。先生は心配だな、お前が次の学年に上がれるかどうか――」


「――誠に申し訳ございませんでした! 以後は遅刻のないよう気をつけます!」


 立った姿勢から、勢い良く膝を床に! 背は丸め、額を地に押し付け、両手の人差し指を合わせる! その角度は直角!


 必殺、早めの土下座!


 さぁ、どうだ! これ以上、どう謝れと? 叱ってみろ! そっちが悪者になってもいいならな!

 土下座っていうのはそういう意味のものだって、偉い人が言ってた。許さないなら、泣くまで謝ってやる。


 鬼塚は俺の渾身の謝罪に納得したのか「よし」と言って、座っているイスを回してパソコンに向かう。チョロいもんだ。

 俺が土下座の姿勢から起き上がると、鬼塚は岩のようにゴツゴツした指で画面を指差す。


「お前の成績だが、今のところ中の下だ。 ものすごーく、良く見積もった上で、だ」

「は、はぁ……そうなんすか?」

「その上にこの遅刻回数なわけで、生活態度もお察しだ。高校が始まって一年目で留年候補筆頭だ。これは救いようがないな?」


 留年!? 一学期の時点で留年なんて、そんな馬鹿な!

 鬼塚の目的が分からないまま脅しは続く。指の先には太字で『六十五』とある。どうも土下座が効いていないようだね。

 もう一押しと自分を奮い立たせ、声のトーンを落として「そうですね」と言ってみる。うまく同情を誘えれば救済措置が取られる、はずだ。


「さて、そこで先生は一つ名案を思いついた」

「そ、それは一体?」


 その質問を待っていたとばかりに分厚い両手をパンッと叩き、鬼塚は椅子をグルっと回して俺の方を向いた。どうやら狙いは上手く行ったみたいだ。


「佐上、お前の隣に角丸っているだろ? 角丸菊乃かくまるきくの

「あのいけ好かない女子ですか?」

「お前そんな風に……そっ、そうだ、それでだな――」


『そっ、そうだ』って、なんでテメェが同意してるんだよ……

しばらく動揺していたが、気を取り直した鬼塚は俺を指差して言った。


「――佐上京介君。お前、角丸と仲良くなれ」



「……は?」

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