星を求めて飛び立つとき

道化美言-dokebigen

星を求めて飛び立つとき

 憧れの空中ブランコ。

 昔見たカッコイイ飛び手の人みたいに飛んで、誰かの光になってみたい。俯いた顔を、思わず上げさせてしまうような。

 まだ半年の付き合いの、少し触れ慣れてきた撞木バーを握れば心が沸き立つ。

 俺も、もっともっと練習して、サーカステントの中で一等星とか太陽みたいに輝く飛び手になるんだ! って。

 思わず強く握った撞木から手を離して安全ネットに、そこから地に足をつければ、サーカス学校の先輩にタオルを差し出された。

和起かずき、お疲れ様。今の体勢しっかりできてたよ。本当に、成長早いよね」

「ほんとですか! やった! 練習付き合ってくれてありがとうございます、先輩!」

「ううん、俺もさっきジャグリング付き合ってもらったし」

「へへっ、数少ない高校生仲間だし、助け合わないと! です!」

「和起は元気だね、でもまずはちゃんと休んで」

「は、はい!」

 休めと言われても、やっぱり動きたくて仕方がない。大好きな空中ブランコが目の前にあって、将来同じ舞台に立つかもしれない仲間たちがいる中で。じっとしているほうが難しい!

「は〜! 早く俺もカッコイイ飛び手になりたいな! すっごいんだ、踊るみたいに飛んで、観客みーんな笑わせちゃうパフォーマンス!」

「おーおー、和起はまた星越ほしこしさんの話か? 好きだなぁ」

「あ、先生!」

「お前と星越さんだったら、かなりタイプは違うように見えるがなぁ」

「えっ!」

「だってほら、星越さんは夜って感じで、和起は真っ昼間って感じだろ? 星越さんの後に続けたら絶対カッコイイだろ!」

「あ! 髪色ですか! 確かに、星越さんは青に黒の差し色が入ってるオシャレさん……。俺、真っ赤ですもんね、髪! この前美術で出てきたやつだ! えっと、補色?」

「和起、青の補色は橙色とか黄色だよ」

「え」

「ははっ。さて、休憩はこのくらいにして……。和起、朗報だ。今日からお前に同級生のペアができるぞ」

「ぺあ……」

 同級生。ペア。それは多分、空中ブランコで相棒になれるかもしれない人……⁈

「午後から練習に加わると思う。それまで体あっためて準備しとけ〜」

「あ、はい!」

 休憩が終わって滑り止めの粉を両手につければ、再び飛び台に登って撞木を握る。

 しっかりと握る拳に力をこめて、空中に体を預ける。振り子みたいに揺れ、秋風が全身を包む中、妙に心臓がバクバク音を立てていた。

 今まで、空中ブランコを習う人は俺以外にいなかったから、練習は現役の受け手である先生が指導してくれてた。けど、ついに俺にも一緒に世界に羽ばたく相棒が……!

「あ!」

 興奮して、変なタイミングで目を瞑り、変な顔の角度で目を開いてしまった。

 視界に映るのは、地上からずっと離れた位置にある自分の足先。

 奴が、きてしまった。

 高所恐怖症。

 俺を地に縛りつけようとする縄。最近は、改善されてきたと思ってたのに!

 喉奥から、ひゅっ、と変な息が漏れる音が鳴った。全身が硬直して、手に力が入らなくなって、顔面から安全ネットに落下する。

「いぎゃ、っでで……」

 痛みはない。ネットが衝撃を吸収してくれて、鼻先がぴりぴり痺れる程度で済んだ。

「和起! 大丈夫か⁈ 怪我は——」

「うわ、顔面から落下とかありえない……。これだからセンスも知識もない凡人以下は」

 突然、先生の声を遮った聞きなれない凛とした、ちょっと刺々しい低音が降ってくる。嫌味な言葉にムッとして顔を上げて、威圧感に少し、ほんの少し息を呑んだ。

「はあ⁈ いきなりなん……な、な」

 先生や俺よりも長身で、細い体。睨みつけるみたいに見下ろしてくる眼光の鋭い金色の目。

 そして、肩までのぱっつん髪は青がベースでところどころに黒い差し色が入ってる。

「僕、こんなへなちょこチビと練習とか絶対、嫌なんだけど。はあ、こんなことなら急いで準備せずに公演の打ち上げにでも行けば良かったかなあ」

「うおい! お前、いきなりなんなんだよ! ふほーしんにゅーってヤツじゃないのか!」

「僕のこと呼んだのはそっちでしょ?」

「え」

「あー、和起、こちら今日から授業に参加する——」

「星越由弥ゆうや。よろしくしたくないけど、せいぜい僕の練習の邪魔、しないでくれる?」

「はぁ〜⁈ しないし! そっちこそ、俺のパフォーマンス見て驚けばいい! って、え?」

 星越由弥。俺の憧れの人と同じ名字、よく見れば同じ独特な髪色の男。こいつの第一印象は「なんかすっげぇ嫌なヤツ」だった。



「君さ、いつまでやってんの?」

「うわっ⁈」

 由弥と出会って早くも一週間。

 練習が終わって誰もいなくなった夜の体育館。本当はダメだけど、むしゃくしゃして一人で練習してた。次第に思考がごちゃごちゃしてきて、撞木から手を離してネットに、ネットから地に降り、深呼吸したところで聞こえた声に思い切り顔をしかめる。

「高所恐怖症なんでしょ? 才能があるわけでもないし。なんで空中ブランコなんかやるのさ。辞めたらいいのに。今だって顔、真っ青だよ」

「俺は! どんな人も笑顔にする星越さん見てカッコイイって思ったから、星越さんみたいな飛び手になりたくてやってんだ! たしかに、高いところは怖いけど、でも、俺だってできる!」

「うざ。君もあんな人に憧れるんだ。はー、気軽に勝手に憧れて、羨まし。……ふふ、いいよ。この学校、一ヶ月後に発表会あるんだってね。どうせ君と何かしら披露しなきゃいけないし、僕が恥かくのも嫌すぎるし」

「……?」

 不気味に笑った由弥は着ていたジャージを脱いで体操服姿になる。手に滑り止めをつけて、真っ白な人差し指を俺に突きつけてきた。

「君、受け手やって」

 受け手。空中ブランコで、飛んできた相手をキャッチするポジション。今まで先生や由弥にやってもらって、俺はやったことがない……少し、苦手意識のあるポジション。

「俺が⁈」

「僕さ、授業で君のこと受け止めるときすっごい負担なんだよね。下手すぎて。こっちの感覚も知っててくれない?」

 普段、二人でやる練習は最低限だからこうして由弥から誘われたことにちょっと鳥肌が立つ。でも。

 チャンスは無駄にできない。

 少しの間で思い知らされた。由弥は上手い。俺も、早くあのくらい自由に飛んでみたい!


「よしっ、いくぞー!」

「……ふぅ」

 向かい側の飛び台から、集中して目の色が変わった由弥を見ながら深呼吸をする。撞木を握り、宙で撞木に足を掛け。天と地が逆さになった状態で、向かい側で揺れる由弥と合わない息をなんとか揃える。

 振り子みたいに揺れながら、手が、一番近づいたとき。

「今!」

 普段なら先生が出す合図を由弥が口にして、由弥が大きく飛ぶ。

 タイミングがぴったりではなくて、少し下だったけど手のひらが思い切りぶつかり、掴んだ! と、思った。

 なのに。掴みきれず指先どうしが触れて、離れる。

「由弥!」

 ネットに落ちていく由弥の姿が、恐怖の象徴に重なって世界が真っ暗になった気がした。



 小学二年生の、夏。両親と双子の弟とキャンプに行ったとき。

 川の近くで遊んでいて、はしゃぎすぎた俺は家族とはぐれた。はしゃぐと周りが見えなくなるのは、俺の悪い癖。

 はぐれたらその場から動かないのが家族との約束だった。だから、高校生や大人が泳いでる川を、川の上にかかった橋から一人で座り込んで見てたんだ。

「かずき! 探したよー!」

 ほどなくして俺を探しにきてくれた弟が走って近づいてきて。立ち上がって駆け寄ったとき、弟が濡れた橋で足を滑らせた。

 手を伸ばして、少しだけ指先が触れ合ったあと。ぼしゃん、と小さな体が川に沈んだのを見て、息が止まった。

 多分、橋の高さはそれほどなかったと思う。弟も怯えていたけど怪我はなくて。でも、まだ小学生だった俺たちするとビルの上から地上を見下ろしたくらい、高くて、怖い場所だった。

 高い場所は、それほど、死に近い場所。



「ほんっと、下手くそ! なんであそこで掴めないの⁈」

 動けず、逆さで撞木に足をかけてぶらぶらと揺れたまま、ぼんやりと由弥の声が耳に入った。

「聞いてる? はあ、もしかしてその体勢だと床が見えて怖いとか? 辞めなよ。凡人以下がいくらやったって、できるようにはならない。憧れはいつまでも憧れのまま。越えられないんだよ」

 ぶら下がったままの俺に、ネットから降りた由弥はいつも通り拒絶の言葉を投げてくる。

 由弥は、怖がってない。それに、怪我もさせてない。由弥は、俺よりずっと上手いから。

「ちょっと、その顔やめてくれない? 気味悪いんだけど。何?」

 体勢を整えて、ちゃんとお尻からネットに落ちる。

「由弥! 俺、お前とならできる気がする!」

「は? 何が」

 すぐに立ち上がって、由弥に詰め寄れば細められた金の目を見上げて思い切り笑って見せた。

「星越さん超え!」

「……ぷはっ! バッカじゃないの。僕でさえ無理なんだよ? 失敗ばっか、僕以下の君にできるわけないじゃん」

「あー! また出た!」

「ちょ、何」

「お前、なんでそんな上手いのに無理って言うんだよ! この前も言ってた!」

 由弥はよく、自嘲するように無理だと口にする。俺にばっか、できないとか凡人とか言うから目立たないけど、俺を子供がおもちゃを欲しがるような……なんだろ、なんか、羨ましそうな目で見てくることだってある。

「お前さ、なんかよく分かんないけど、星越さんの話すると機嫌悪くなる! 俺にも自分にも無理無理って言うけど、お前も星越さんみたいになりたいんじゃねーの!」

 由弥の顔が怖かったから最後は少し冗談混じりみたいになったけど、ずっと、引っかかってたことが言えた。

「……じゃあ、逆に聞いてあげる。父親がすごいパフォーマーで、サーカス一家で。あんな風になれってプレッシャーかけられたら、憧れもただの重荷になると思わない?」

「……!」

 初めて、由弥が上辺だけの笑いを引っ込めて話してくれた本音。

 それは、俺には想像できないくらい重くて、怖そうなものだった。でも。

「でも、やっぱりお前も憧れてんだろ! そりゃそうだ、あんなすっごいパフォーマンス、憧れるなって言うほうが難しい! な、由弥!」

 ついさっきまで、由弥のことはすごいけどムカつく嫌な奴だと思ってた。それなのに、今まで出会った誰よりも、俺に似てる気がしてきて。

「一緒に飛ぼう! 俺、由弥よりずっと下手だけど、由弥を引っ張れる自信はある! あと、俺に飛び方教えてください!」

「うわっ、え、何」

 勢いよく腰を九十度に折って、頭を下げる。すると、上からくつくつと笑い声が聞こえてきた。

「ははっ、君、ほんと馬鹿でムカつくね」

「なん⁈」

「でも、父親目当てで僕に媚びないのは好ましい。馬鹿みたいな潔さも気に入った」

 肩に手を置かれ、顔を覗き込まれる。由弥は年相応に悪い顔を浮かべていた。

「和起、僕の特訓についてこられる?」

「……! 当ったり前だろ! 半年でお前くらい上手くなってやる!」

「あっそ。まあ、まずは一ヶ月後の発表会に向けてだね。せいぜい僕のこと驚かせてみてよ」

 秋風が吹き抜ける、夜の体育館。滑り止めまみれの白い手で交わしたハイタッチは、手が痺れるくらいに痛い、性格の悪く、でも活の入るハイタッチだった。

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