愛憎の遺書

亜諭

第1話

ここに僕の人生の全てを印す。

凡庸な人生だった。

だが最後に生まれた瞬間からの夢を叶える事ができた。

その夢を達成する事こそ、僕の凡庸な人生が存在していた意味なのだ。



彼女の描く物語を愛していた。

自由で、奇抜で、儚くて。

恋愛物語を描くことが多く、それが話題となり一躍時の人となったのは間違いない。

彼女の描く恋愛物語はありふれるただのお涙頂戴の物語ではないのだ。

世界で一番愛しているが故に世界で一番憎らしい、憎く愛おしい貴方に殺されたい_。

愛する貴方の姿を自分以外の生き物の目に写らせるのは耐えられない、それなら貴方を殺してしまおう_。

貴方の瞳に恋をした、その瞳と口づけを_。

と、このように、恋愛物語でありながら決して二人を結ばせず、人間の醜い部分を露骨に表現した歪な恋愛劇。

僕は当然彼女の描く恋愛劇を愛している、彼女の掌で踊らされ、醜い男女を演じ、苦悶の表情を浮かべる役者達がたまらなく愛おしいのだ。

だが僕が恋愛劇以上に惚れ込んで抜け出せないのは、彼女の描く喜劇だった。

喜劇もまた恋愛劇と同じように歪であり、救いようの無い程滑稽で美しい_。

そう、彼女は天才だった。

どんなに華やかなお題であっても、ぶちまけられた吐瀉物を見せられているような気分になる代物に変えてしまう。

それは彼女自身もそうであった。

彼女の役者顔負けの美貌の裏には隠しきれない醜い傷痕があり、それすらも美しく見せようと踠いている彼女はなんて哀れで滑稽なのだろう。

しかし、それこそが人間の美しさなのだ。

人間の美しさが作品全面に現れているのが、彼女の描く喜劇なのである。

そもそも喜劇とは本来そういう物だ、人を笑わせたいのなら人を酷く醜く滑稽に見せればいい、単純な事だが僕は彼女の作る物以外で喜劇を喜劇として描けている作品を見たことがない。

そもそも喜劇というのは人によって基準が違いすぎる。

それ故に作り手は誰の目からみても明らかに喜劇と呼ばれるものを作らなければならない。

それが出来ている脚本家はこの世界に何人存在しているだろう。

僕はまだ彼女以外の天才に出会った事はない。

人間の滑稽さ、醜さ、美しさ、それを良く理解している彼女にしか作り出せない独特な世界を僕は愛してしまった。

愛してしまったら最後、抜け出すことはできない。

抜け出そうとも思わない。

彼女と僕はよく似ているのだ。

生に絶望し死を望む。

凡庸を嫌い非凡を好む。

そして醜悪を何よりも愛している。

彼女が僕の唯一の理解者であり。

僕が彼女の雄一の理解者だ。

そう、だから、だから僕は__


だから僕は、彼女を殺した。


彼女こそが喜劇の主人公に相応しい。

僕の人生は喜劇と呼ぶにはあまりにも凡庸であり、歪みが少ない。

だが彼女の人生ならば十分だ。


『真の喜劇を造り上げる』

僕の夢は叶った。

これにて閉幕_。


1947年5月10日 3時42分31秒:  亡

1948年5月10日 4~5時  :  亡  

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愛憎の遺書 亜諭 @ryomga519

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