第34話 帰還
俺が魔法を詠唱した瞬間に師匠の身体を伝って杖の先へと魔力が注がれる。すると、瞬く間に魔法が行使される。いつも通りだ。
すると、闇色の光の膜が師匠を中心に姉弟子殿とクリス先輩を包み込む。その瞬間、グニャリと視界が歪み、目が回るような感覚に襲われた。気持ち悪くて吐きそうになるが、幸い俺には胃もなければ口もないのでゲロを吐きようがなかった。でも他の三人は大丈夫かな?
酷く目眩がするが、次第に視界がはっきりとしてきた。
うーん、ここは……見覚えがある。四方をぐるりと取り囲むように並べられた壁一面の本棚に、天蓋付きの古びたベッド、そして使い古された机とその上に積み重ねられた魔法書。うん、師匠の部屋に無事帰ってこれたらしい。
しかし、闇魔法は便利な魔法が多いよな。他にも覚えた魔法がたくさんあるので機会があれば使ってみたい。うん、魔法というものは戦闘なんかに使うんじゃなくて、皆の生活を豊かにするために使いたいものだ。だけど、そうも言ってられない状況だ。姉弟子殿を取り巻く陰謀に巻き込まれているのだから……。
はぁ、とため息を漏らしながら、師匠とクリス先輩、そして姉弟子殿に無事屋敷に到着したことを告げる。
『無事に師匠の部屋に到着したぞ』
「うむ、そうじゃの……うぇっぷ……」
「確かにザンテの部屋じゃな。懐かしいのう……うぶっ……」
「な、なんですか、この気持ち悪くなる魔法は……おぇ……」
『まぁ、気分が落ち着くまでゆっくり寛いでくれ。俺の部屋じゃないけどな』
吐き気に耐えながらも、師匠とクリス先輩がそれぞれ背負っていた荷物を床に置くと、姉弟子殿と一緒に旅装束を解き始める。といっても、着替えるわけにもいかないので、一旦は胸当てや籠手などを外した程度だ。師匠がよろよろとしながらも、クリス先輩と姉弟子殿の椅子を用意すると言って部屋の外に出る。それと同時に、クリス先輩もお茶の準備をするために一階のキッチンへと降りて行った。その間、姉弟子殿は師匠の椅子に腰かけて休むらしい。
隣の部屋に向かうと、掛かっていた鍵を開けて中に入る。物置のようになってはいるが、すべての調度品に埃が被らないよう白いシーツが掛けられていた。もしかして、奥さんの部屋だろうか? そこから椅子に掛かっていると思わしきシーツをぺらりと捲って、品のいい客人用と思わしき造りのいい椅子を二脚手で抱えると、再び師匠の部屋へと戻って来た。
そして、その椅子を姉弟子殿が座っている師匠の椅子の前に並べると、師匠自身が座るのだった。どうやら師匠の椅子は引き続き姉弟子殿が座るらしい。
しはらくすると、ノックの音とともにクリス先輩がトレーの上にお茶の入ったティーポットとカップ、それに焼き菓子のようなものを乗せて持ってきた。流石に姉弟子殿の手前、お茶だけというわけにはいかないようだ。
それを机の上に乗せると、それぞれがカップを手にする。姉弟子殿は客人用の綺麗で品のいいカップだが、師匠とクリス先輩は普段使っているマイカップだ。茶渋の付き具合ですぐにわかる。皆に行き渡ったところで、師匠とクリス先輩が口にすると、姉弟子殿も口にした。もしかして、何かマナーでもあるのかな。
「無事に王都まで戻ってこれましたな」
「うむ、ユーマのおかげじゃな。検問所を通っておらぬことはあまり良くないが、今回は緊急の事態じゃし、陛下と宰相も見逃してくれるじゃろう」
「殿下、この時間では検問所はもう閉まっております。もし正規のルートで入ろうとすると、門の外で一夜を明かすことになったでしょう」
「クリスよ、私がこの国の王女であることを忘れておらぬか? 貴族側を使えば問題なく通ることができたであろうよ。あそこは緊急時に備えて朝晩関係なく使えるようになっておるからのう」
「しかし、御者役のリーナス様がおられない中で夜分の帰還ともなれば、検問所を通ると要らぬ騒ぎが起こりかねません。結果的にユーマの拠点移動の魔法で帰ってきたのは正解だったと思いますよ」
「むぅ、確かに騒ぎになるのは避けねばならぬの……」
「さて、殿下。これからのことを話し合わねばなりません。考えねばならぬことは大きく三つございますぞ。まずひとつ目ですが、殿下が無事王都へ帰還なされたことを一刻も早く国王陛下と宰相閣下にお伝えせねばなりません。リーナス殿は馬車で王都を目指しているとして、三日後、いや二日後には戻ってくるでしょう」
「うむ。このあとすぐにでも王城に戻り、陛下と宰相に帰還の報告を行おう。もちろん、其方らにも同行してもらうからの。この時間じゃと城門前の跳ね橋は既に上がっておるし、要らぬ騒ぎにならぬように中に入るにはどうしたものか、方法は考えねばならぬの」
「では、まずは国王陛下と宰相閣下との面会ですな。このような夜分に事前のお約束もなくお会いすることなど通常できませんが、そこは殿下にご対応頂きましょう。ふたつ目ですが、御二方に此度の洗礼の儀の顛末をお伝えしなければなりません。その際にはリーナス殿が殿下を裏切った可能性があることもお伝えすることになりますぞ……」
「仕方があるまい。じゃが、それも我らがそう考えているだけで、真実は異なるかもしれん。リーナス本人や他の者の意見も聞いてみないことには判断はできん。とはいえ、祠の間で起こったこと、魔寄せの瞳が見つかったこと、そして巨岩により入り口が塞がれていたこと。これらを考えれば疑念は深まるばかりじゃがの」
『とはいえ、どれも決定的な証拠はないからなぁ。リーナスに問い質しても、祠の間に岩巨人がいるなんて知りませんでしたとか、魔寄せの瞳なんて私は知りませんとか、巨岩は偶然洞窟の上から落ちてきただけですとか、すっとぼける可能性は十分に考えられるな』
「うむ。そこで三つ目になるのですが、リーナス殿が王都を目指しているのであれば、早ければ二日後には到着するでしょう。その際、リーナス殿がどのような報告を国王陛下と宰相閣下に行うか、殿下は気になりませぬか? 真実だけを伝えたのであれば、まだ信頼できるかもしれませんが、ありもしないことを報告したとなれば……」
「なるほど。例えば、私が洗礼の儀に失敗したとか、私が死に護衛役を務めていた其方らは逃げ出したなどと報告したならば、確実にクロと言えるのう。じゃが、どうやってそれを確認するつもりじゃ?」
「まずは誰にも知られずに王城へと入り、国王陛下と宰相閣下の御二方とお会いする必要がございますな。そして、事前にこちらの事情をご説明した上で、リーナス殿が報告に上がった際に同席させて頂くのです。もちろん、こちらの姿を隠して。そして、報告を終えたリーナス殿に種明かしをする。というのはいかがでしょう?」
「おぉ、面白そうじゃの! よし、その案で行こう!」
「しかし、どうやって誰にも知られずに王城内へと入るのですか? 城門には衛兵がいますし、国王陛下と宰相閣下にお会いするにも約束を取り付けないといけないのでは? それを殿下が行うとなると、王城にお戻りになられたことが周囲にバレてしまいますよ?」
「うむ、そこで相談役のユーマに相談じゃ!」
『え、俺に!?』
「其方の拠点移動で移動できる場所に限りはあるのか?」
『いや、たぶん制限はないと思う。ただ、拠点移動はさっき初めて使ったばかりで詳しくないんだ。師匠は何か知ってるか?』
「うむ、拠点移動の魔法を使うには移動先のイメージが明確であることが重要じゃ。それが出来ていないとそもそも成功しない。よくぞ、この短い期間に儂の部屋をイメージできるようになったのう!」
『いや、なんかこの身体になってから、目にしたもののイメージが鮮明に記憶に残るようになったみたいで。まるで、長大な動画ファイルのように記憶に残ってるんだよなぁ。理屈は分からないけど』
「どうがふぁいるというのは良く分からんが、見たものをすべて記憶しておるということか!?」
『簡単に言うとそうなるな』
「つまり、ユーマが一度訪れた場所ならば、すべてを記憶しているということで良いのか。流石はインテリジェンス・アイテムじゃのう。それならば、魔法師の訓練場に拠点移動できんかの?」
「殿下、王城内は内外からの魔法を無効化する強力な対魔法結界が張られていると聞いたことがあります。ユーマの拠点移動では王城内に移動できないのではないですか?」
「うむ、通常はな。じゃが、魔法師が訓練をする日中の限られた時間だけは一部の結界が解除されるのじゃ。そうでなければ、王城内で魔法の訓練などできぬじゃろう? 因みにこれは国家機密じゃからの、決して口外するでないぞ」
『でもさ、魔法の訓練中の訓練場なんかに移動したら、魔法に巻き込まれたりしないか?』
「確かに、訓練中の魔法に巻き込まれたくはないのう。それに魔法師たちにも見つかる可能性もある。防護結界とあわせて認識阻害の魔法を使った上で拠点移動を使うしかないか……」
「その辺りはザンテに任せるのじゃ!」
「しかし、そうなりますと王城への移動は明日ということになりますが、殿下、今夜はお師匠様の屋敷に泊まられるおつもりですか?」
「うむ、よろしく頼む!」
「では、早速客間の準備をしましょう。お師匠様も掃除を手伝って下さい。ユーマも魔法で手伝えることがあればお願いします」
「それでは客間に向かうかの。殿下にはご不便をお掛け致しますが、今しばらくこちらでお待ちくだされ」
『師匠、俺に手伝えることがあるなら何でも言ってくれよ!』
「もちろんじゃ! さぁ、ゆくぞ!」
こんな感じで、無事に王都にある師匠の屋敷へと戻ってきた俺たちは今後の行動方針について簡単に話し合ったのだった。
リーナスが本当に姉弟子殿を裏切っていたのかは確証はまったくない。まぁ、姉弟子殿への裏切り行為≒王家への裏切り行為だからな。リーナスがそんな軽率なことをするようには思えないけど、俺も彼の人となりを知らないから何とも言えない。
もしかして、また誰かに弱みでも握られてるのだろうか。とはいえ、それで王家を裏切っていたら、近衛騎士失格だと思うけど。
だからこそ、師匠の三つ目の話に繋がるんだけど、はたしてどうなるのか。俺の言った話の通り、偶然の事態が重なったという可能性も否定はできないんだよなぁ。まぁ、確率的には相当低いと思うんだけど、ゼロではないというのが厄介だ。まぁ、それが事実だとしたら、リーナスがとんでもなく不幸体質ということになるんだけどな。
何にせよ、国王と宰相に状況を説明する必要があるな。そのためにも、まずは王城の中に入る必要がある。それが、拠点移動の魔法に頼ることになるとは。しかも、魔法師が魔法を訓練している最中に、訓練場へと拠点移動しなければならないとか、本当に大丈夫かよ!?
これは思ったよりも面倒というか、師匠の言う通り魔法に対する結界が必要だし、自分たちの姿を隠すための魔法も必要だと思う。
だけど、そんなことは俺たちが直面している問題に比べれば、どうということでもないと言える。そう、この屋敷に姉弟子殿が宿泊するということのほうが大事件なのだ。
師匠とクリス先輩の様子から、初めてのことではないように見えるが、一国の王女が男しかいない屋敷に宿泊するんだぞ!? 何か間違いがあっては大問題になるぞ!? え、間違いがどんなことかって? そんなこと、俺から口に出せるわけがないだろ!
そんなことを思ったが、そういえば、洗礼の洞窟でも姉弟子殿は師匠とクリス先輩の三人で行動していたし、そもそも姉弟子殿は成人もしていないことから、気にする必要はないのかもしれない。いや、知らんけど。まぁ、世間の一般的な評価を考えれば、俺たちは王女殿下から信頼されているのだとも言える。
俺もこちらの世界に転生してからは、最早ただの片眼鏡でしかないようで、異性に対する感情はかなり削ぎ落とされたように思う。いや、そもそも普通に考えて十歳も迎えていないような女児に変な感情を抱くわけがないだろ。そもそも俺のストライクゾーンは自分の同年代からプラス十歳くらいなんだからな! そうだ、俺は年上のお姉さんが好きなんだ。悪いか!?
ふぅ、少し話が逸れたな。ともかく、面倒なことではあるが男しかいない師匠の屋敷に姉弟子殿という王女殿下がお泊りになられるのだ。下手なことがあっては二人の首が飛ぶぞ、物理的に。
とはいえ、これから十歳式を迎えるような幼子に変な感情を抱くなんて奴は俺の周りには居ないはずだ。そう思ったが、クリス先輩は年が近かったのを思い出した。もしかして、何かあったりするのか!?
そんなことを考えながら、俺は師匠と一緒に客室の掃除を行うことになった。いや、掃除にも有用な魔法があるようで勉強になったよ。俺も是非覚えたいところだけど、それは洗礼の儀がすべて終わってからになりそうだな。早く片付けば良いんだけど……。
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