第25話 出発式

 模擬試合からあっという間に五日が経ち、瞬く間に姉弟子殿が洗礼の儀に向かう日を迎えた。それまでの五日間は国王の言っていた通り旅支度に費やされることとなった。


 洗礼の儀が行われるのは王都から馬車で北に三日ほど行ったところにある、ラーウォイ山の中腹に建てられた王家が代々管理するという小さな祠だそうだ。その祠、ただの祠ではない。なんと、ダンジョンの中にあるのだとか。


 ダンジョンというと、魔物が跋扈する恐ろしい洞窟をイメージするが、概ねその認識であっているらしい。


 一体どういう謂れがあるのかは分からないが、十歳になったばかりの子供をそんなところに向かわせるなんて、どうかしてるとしか思えない。それに、道中の護衛も一人しか付けられないなんて、ちょっとやばくない?


 王子や王女の身の安全も気になるところだが、護衛役に掛かるプレッシャーも半端ないよね? 難度D級がどれほどのものかは分からないけど、師匠やクリス先輩、それに姉弟子殿が傷つくところなど見たくはないんだが?


 そんな俺を安心させるかのように、師匠とクリス先輩は難度D級であれば、それほど危険ではないと口を揃えて言う。本当かな?


 俺は半信半疑だったが、師匠とクリス先輩だけでなく、姉弟子殿まで「心配無用じゃ」なんて言ってきたので、俺もそれを信じることにした。でも、何かあった時のために備えはしておきたい。


 ということで、旅支度の合間を縫って暇があれば師匠に魔法の詠唱を教わることにした。初級魔法だけではない。中級から上級の魔法の他に、役に立ちそうな特級と呼ばれる魔法まで、気になる魔法は片っ端から詠唱を教わることにしたのだが。


 残念ながら俺はインテリジェンス・アイテムという特別な片眼鏡になっても頭の出来は以前と変わらなかったようで、覚えられたのは僅かな魔法だけだった。いや、似たような詠唱が多かったし、勉強時間も短かったから仕方がなかったんだ……。


 もちろん、手元に魔法書があればどんな魔法でも詠唱できるのだが、それでは戦闘で役に立たないだろう。何百、何千もある魔法の詠唱を空で覚えるなんて、普通は無理じゃないだろうか。そう考えると、本当に魔法師って大変な職業だなぁと改めて思う。


 そんな大変な職業に就いている師匠や、それを目指しているクリス先輩は本当に凄いなと感心した。うん、俺も漠然と魔法が使えるようになりたいなと思っていたけど、ちょっと心が挫けそうだ。


 そんな詠唱の勉強の合間に、師匠とクリス先輩からこの世界の事情とかについても色々と学ぶことができた。


 まず、この国は『スティールド王国』というらしく、国王はフェーヴル・オルフェリア・スティールドという名前らしい。正直、国王の名前はどうでもいいんだが、姉弟子殿はその正室の娘なのだそうな。姉弟子殿って国王になる資格が十分過ぎるくらいにあるんだな……。政争にも巻き込まれるのも仕方がないことかもしれない。


 また、気になっていた様々な単位も確認できた。この国で一般的に流通しているお金の単位はルメルらしい。他の国も基本的にはルメルが使われており、辺境などでは別の通貨単位も使われることがあるのだとか。


 重さはやはりダーレというらしい。長さの単位はフィン、かさの単位はタークというそうで、それぞれ、ルメル=円、ダーレ=グラム、フィン=メートル、ターク=リットルと考えてよさそうだ。


 キロとかミリとかは前世と変わらないようなので、単純に単位を置き換えればいいだけなので覚えやすいと言えばそうなのだが、それならば単位も前世に合わせてほしいところだ。この辺りは言語翻訳スキルの影響が出ていそうだが、匙加減がよく分からないな。


 それから、この世界独自の単位として、魔素量を表すアルコ、魔力量を表すシーズなどもあるそうだ。うん、一アルコとか、一シーズがどれほどのものなのか全然想像がつかない。というか、そもそも魔素量とか魔力量とかってどうやって測るんだ? と思って聞いたら、それ専用の魔道具があるらしい。はぁ、そうですか。


 ところで、魔道具って何? ということから確認をしたところ、人が持つ魔素を勝手に魔力に変換して何かしらの効果を発揮する道具を魔道具と言うらしい。それって、魔門が少ない人は使いづらいんじゃないのと聞いたら、その通りだと言われた。魔門が少ないって、結構デメリットが多いんだな……。


 そんなことを確認しながら、師匠とクリス先輩の旅支度にも付き合った。食料はやはり日持ちのするものを用意し、固く焼き締められたパンに、干し肉、干からびたチーズという感じだった。水は魔法で創り出すし、火も魔法で起こすので水や火打石のようなものは不要のようだが、薪は何束か購入していた。


 てっきり、道中で枯れ枝でも拾い集めるものだと思っていたが、そう都合よく落ちている可能性がないことや、拾い集める時間を節約することも踏まえると購入したほうが手間が少ないということだった。マジックバッグに仕舞っておけば、荷物にもならないという話を聞いてなるほどと思った。まぁ、ダンジョンに薪なんて落ちてないだろうし、確かに買っておいたほうがいいな。


 その他、テントや敷物、金属製の鍋や皿にマグカップ、それにスプーンやフォーク、革製の水筒といった雑貨の他、もしもの時の革袋など、様々なものを買い集め、準備を万端に整えた。それにしても、革袋ってまた生首を入れるとかじゃないよね……? もう盗賊騒ぎはこりごりなんだが。因みに、ワインは買わないようだった。まぁ、水が魔法で出せるなら不要か。それに大事な護衛の仕事中に酒なんて飲めないよね。


 そうして、準備が整った師匠とクリス先輩は再び王城へと参上し、謁見の間で国王と宰相を前にして現在は出発前の式典を行っていた。前回王城に来た時と同様に、三人揃って国王と宰相に向かい頭を下げて跪く。その後ろには貴族たちが立ち並んでいる。


 やっぱり貴族は暇なんだろうか。それとも、仕事中に呼び出されて迷惑してるのかな? 貴族の他には何人かの騎士も姿を見せていた。イネスとリーナスの姿もあるし、近衛騎士団の偉い人たちが集められたのだろう。


「これより、ライラ・レーンス・スティールド王女殿下の洗礼の儀の出発式を執り行います。王女殿下にはラーウォイ山にある祠に向かって頂き、祈りを捧げて頂きます。また、祈りを捧げた証として紋章石を持ち帰って頂きます。ここまではよろしいですか?」


「問題ありません」


 姉弟子殿が答えると、宰相が再び話し始める。


「この度の護衛役には、宮廷魔法師ザンテ・ノーザ、荷運び役にその弟子のクリス・ブレイブが加わります。また、道中の御者には第一近衛騎士団より、リーナス・メナスが付きます。リーナスはここへ!」


 宰相がそう言うと、騎士の中からリーナスが前に出てきて、クリス先輩の隣で一礼してから跪いた。ほう、第二近衛騎士団の元団長、リーナスが御者に選ばれたのか。何か忖度があったのかな? こちらとしては実力のある騎士が御者に付いてくれるのは助かるが、そこに何らかの意図が絡んでいるとしたら面倒だな。


 国王が立ち上がって姉弟子殿たちに声を掛ける。


「ライラが洗礼の儀を終えて、無事に王城に帰ってくることを期待している。ザンテ、クリス、リーナスの三名は何事もなく洗礼の儀を終えられるよう、ライラの面倒を見てやってほしい」


「ははっ、お任せくだされ!」


「この命に代えましても、殿下をお守り致します!」


「洗礼の儀が無事に終わるよう、殿下の御者として、殿下を守る近衛騎士として尽力致します!」


 師匠が胸を叩いて答えると、クリス先輩が声を張り上げて誓った。それに続いてリーナスが答えた。


「必ず無事に王都へ戻ってくることを誓います! それでは、洗礼の儀に出発致します!」


 三人の言葉に続いて、姉弟子殿が最後に出発に向けた挨拶を行うと、それに国王が大きく頷いた。それを見た貴族たちから割れんばかりの拍手が送られる。その後、宰相から王女殿下に旅に持っていく荷物の内容が目録として読み上げられた。特に目立ったものはなかったが、姉弟子殿が使うということで特別製なのだろうと想像する。


 しかし、王女である姉弟子殿にテントなんて組めるのだろうか? もしかすると、その辺は御者役となったリーナスが対応するのかもしれないが、メイドもいないわけだし、姉弟子殿の世話は全部リーナスが見てくれるのだろうか? 多分、師匠とクリス先輩も手伝うことになりそうだよな。男同士なら気にしなくていいことも、姉弟子殿と一緒となると色々と気を遣わねばならなくなる。この辺はちょっと面倒だなと思った。


 そうして一通りの儀式を終えたところで、姉弟子殿を先頭に、師匠、クリス先輩、リーナスの順で謁見の間から退出したのだが、貴族たちの拍手で送り出されることになった。


 謁見の間を出ると騎士たちによって扉が閉ざされると、それを確認した姉弟子殿がぐうっと腕を伸ばして背伸びした。それに対して「はしたない」という声は誰からもない。何故なら、姉弟子殿の衣装は既に旅装束で、前回のパンツルックに金属製の胸当てに籠手、ブーツという、いかにもこれから戦場に向かうという出で立ちだったからだ。そこには王女らしさは全くなく、完全に冒険者と言えた。


「さぁ、いよいよ冒険のはじまりじゃ! くぅ、今からワクワクするのぅ!」


「殿下は護衛対象ですからな、大人しくしていてくだされ」


「出会った敵はすべて私たちで対処致しますので」


「殿下、無茶なことはお控えください。特に戦闘に加わるようなことは絶対にされないようにお願い致します」


 師匠とクリス先輩とリーナスの三人から戦闘への不参加を要求されて、「むぅ」とむくれる姉弟子殿。俺が姉弟子殿というからには、恐らく彼女も魔法は使えると思うが、今回は護衛対象なのだ。護衛役の師匠だけでなく、クリス先輩やリーナスとしては彼女に大人しくしておいてもらいたいと思うのは仕方のないことだろう。


 とはいえ、ワクワクするというのは同意する。俺も初めてマジックバッグの外に出て王都や王都の外の景色を見たり、恐らく戦闘にも加わることになる。それを考えると、好奇心が抑えられない。中身は中年のアラフォーだけど、心の中はいつだって少年なのだ。


 さて、そんなやり取りをしている間に王城の外に出た。すると、そこには二頭の立派な馬に繋がれた豪華な馬車があった。まさか、これに乗っていくつもりか……? 絶対途中で盗賊に襲われるやつじゃん! 黒塗りに金細工が施された馬車の扉を執事が開くと、そこには革張りの豪華な赤い椅子が前後に付いていた。窓には板ガラスが嵌っている。板ガラス、あるんだな。もしかして、高級品なのか?


「さぁ、出発じゃ!」


 姉弟子殿が意気揚々と馬車に乗り込んだ。先ほど宰相が読み上げた荷物は全て彼女の腰にぶら下げたマジックバッグの中に入っている。先ほど師匠に言われて姉弟子殿が中身を確認していたが、問題なくすべて揃っているようだった。うん、宰相は味方のようだが、念のため用心しておくに越したことはない。出発してから、実は中身が空だった、という事態は避けたい。


「それでは、失礼致しますぞ」


「あの、私も乗っていいのでしょうか……?」


「もちろんじゃ!」


 荷運び役だからといって、クリス先輩が徒歩なんてことにならなくて良かったよ。流石は姉弟子殿だな。そして最後にリーナスが御者の席に着いた。よし、いよいよ出発か。


「それでは、出発致します」


「うむ、道中は頼むぞ」


「お任せください」


 リーナスが御者台から馬を促すと、ガラガラと馬車が進みだした。まずは王城から出る必要があるんだよな。これがまた長いんだ。庭園を抜けて凱旋門を抜けて、さらに庭園を抜けると跳ね橋のある御堀へと辿り着いた。やっぱり、馬車で移動する距離だよな。徒歩なんて庭園を眺める余裕があるときだけで十分だろう。


 リーナスが王城の門番に話しかけると、衛兵たちが揃って挙手の敬礼で送り出してくれた。この馬車に乗っているのがただ王女だからという理由だけではないだろう。洗礼の儀に向かう姉弟子殿へのエールのようなものを感じた。


 こうして、馬車が貴族街を通り、貴族門を通り抜けて、今度は市民街へとやってきた。貴族街では王城から遠くなるにつれて敷地の広さや屋敷の大きさ、豪華さが変わっていくが、市民街は貴族門から遠くなるにつれて、徐々に屋敷から家、そして集合住宅のように変わっていき、人口密度も高くなってきた。


『おぉ、賑わっているな!』


「ここは北の街道に向かう大通りでな、王都の中でも比較的治安もいい地域じゃ。東西の大通りよりは人通りは少ないほうじゃぞ」


「王都は東西南北に伸びる街道に向かって大通りが十字に伸びています。北部は広大な農地が広がる地域だからですからね、そちらに向かう者は少ないせいか、比較的穏やかで治安のいいところです」


「お、ユーマへの説明か? 南部は隣国との玄関口でもある。それ故に商人たちが多く集まっておるな。大店も多いし、様々な商品ごとに小さな店が連なる専門店の通りが幾つもあって面白いぞ」


「儂のおすすめは魔道具通りに、骨董品通りじゃな。魔法書通りなんかもいい。暇つぶしにはもってこいじゃ」


『ほう。ウィンドウショッピングか、それもいいな!』


「東西の大通りは王都のメインストリートで、ここが一番賑わっています。ですが、人が多い分だけ犯罪も多く、注意が必要です」


「西はドリージアから東はゴルシードまでを結ぶ街道に続く通りじゃからな、様々な者がおる。主には商人と冒険者じゃが、その中には良からぬことを企む者も少なくはない」


「もちろん、それらは第一騎士団が取り締まっておるが、全ての犯罪を取り締まるには彼らの手をもってしても対応が追いついていないというのが現状じゃ。陛下も頭を悩ましておられるよ」


『なるほど』


 師匠とクリス先輩、それに姉弟子殿からの話を聞いた感じだと、王都の北と南は比較的安全な感じな印象だ。ただ、東西のメインストリートがある地域は人通りが多い分だけ犯罪も多いようだ。


 それにしてもドリージアって王都の西側にあったんだな。そして、反対の東側にはゴルシードという街があると。ゴルシードって言うと宰相の名前だし、彼が治めている領地だろうか。大阪、名古屋、東京のイメージで合ってるのかな? いや、王都が中心にあるのだし、大阪、東京、仙台とかのイメージか。分からないな。


 しかし、第一騎士団とはなんぞや。第一近衛騎士団とは違うのか。そんな話を聞いてみたところ、近衛騎士団はあくまで王族の護衛を行う騎士団であり、第一近衛騎士団は国王と王妃、第二近衛騎士団は王子と王女、第三近衛騎士団は側室、第四近衛騎士団はそれ以外の王族の護衛を務めているのだとか。なるほど。


 それで件の第一騎士団がどういう存在かと言うと、主に王都近隣の守備と警護を任されている騎士の集団らしく、その規模は各近衛騎士団よりも大きいのだとか。つまり、騎士団と言うよりは警察とか軍隊に近い存在なんだろうな。


 そして、それらの組織が東西南北に分かれて存在していて、北部を第二騎士団、南部を第三騎士団、東部を第四騎士団、西部を第五騎士団に割り当てられているらしい。その他、必要に応じて各地の領主が個人的に雇っている騎士もいるのだとか。


 正直、「ふーん」という感想しか出てこないが、そういうことならば、魔法師ってどういう扱いなのかと聞いてみたところ、姉弟子殿から答えを聞いて驚いた。


「魔法師は魔法を扱えるという特別な能力を持った集団じゃ。それを独立した組織とするのは王国としても危険じゃと判断しておる。また、近衛騎士団を含む各騎士団に所属させるのも危険と判断した。その結果、国王陛下直轄の部隊となっておるのじゃ」


『魔法師って、超エリートじゃん!』


「うむ。それ故に様々な特権が与えられておるのじゃ」


「ですから、例え狭き門であっても、魔法師の道を諦めぬ者が多いのです。私も含めて……」


『なるほどなぁ』


 そういうことならば、先日の模擬試合でバーシャが国王に呼ばれたのも分かるというか。というか、魔法師って、生まれつきの魔素量もそうだし、身体にある魔門の数も必要だし、数々の詠唱も覚えないといけないわけで。それに加えて魔素を魔力に変換する技量も問われる。うん、普通に考えるとなり手がいないじゃん……。前世の伝統工芸師よりも人材不足なのではないだろうか?


 姉弟子殿の専属魔法師になった際の師匠の月の給金が二百五十万ルメルだっけ? ……もっと増やしても良いんじゃない? いや、確かに実務だけを考えれば相応かもしれないけれど、魔法師って人材発掘とか人材育成とかも考えないといけないじゃん。それも踏まえて考えると、もっと高給取りになっても不思議じゃないと思うんだが。


 その辺は師匠が賢者になれば待遇も変わってくるかもしれないし、今は先ず目の前の課題に対して成果を出すときだ。よし、まずは姉弟子殿の護衛をしっかりとやり遂げるぞ。

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