第27話 桜川の元カレ⑤
「土井真治!」
桜川が驚いたような声を出した。
「知ってるの?」
俺は桜川に訊いた。
「彼です。この前別れた」
「ああ、そう言えばシンジとか言っていたな」
「でもどうして彼が……」
「奴はユリさんに他に男ができたんじゃないかって言っていたから、調べたんじゃない」
「でも、ここまでするなんて普通じゃないです」
「まぁ、俺もそう思うけど……それにしても、人を雇うってあいつってお金あるんだね」
「彼って土井建設の跡取り息子なんです」
桜川が言った。
「土井建設? それってあの土井建設?」
土井建設っていうのは、このあたりでは誰でも知っている中堅ゼネコンだ。
「そうです」
「あいつ、そんな身分だったんだ」
俺はそれを知って、これまで以上に腹立たしい気分になった。
「ちょっと、訊きたいんだけど、あんたって探偵かなにか?」
俺はつかまえた男に訊いた。
「ああ、そうだ。だから、今回のことはこれで見逃してくれ。もう付け回したりしないから。俺も仕事でやっただけだからさ。もうこの仕事は降りるから許してくれ」
男は完全に白旗状態だ。
「いや、それはいいんだ。それよりも、その土井真治だけど、ヤクザとかそういうのともつながりあるの?」
俺は男にさらに訊いた。
「ヤクザ? まぁ、それはあると思うよ。俺はそっちの人間じゃないからあまり詳しいことは知らないけど、噂はいろいろ聞くよ。土井建設って会社がデカくなったのも、裏社会との関係っていうのはあるって話だし」
男はつらつらと話した。
やっぱりそういうことか。
それなら、以前にコンビニを出たところで襲ってきたのも、やはり土井真治のつながりと考えて良さそうだな。
俺は状況がつかめてきた。
しかし、それと同時に、単なる男女の別れ話が大きな話になってきたと思った。
「彼がそんな人って知ってた?」
俺は桜川に訊いた。
「いえ、単に土井建設の跡取りっていうのは聞いたことはありますけど、それ以上に詳しい話はなにも……。ましてや裏社会とにつながりがあるなんてまったく聞いたことがないですし、いまも信じられない気分です」
桜川は本当になにも知らずに普通に付き合っていたのだろう。純朴な桜川ならそうだろうと想像できた。
男の方もそんなことをわざわざ話すこともないだろうし、知らなくて当然だ。
でも、別れるとなって本性が出たってことなんだろう。
俺は、裏社会の人間は女が別れるというとかなりしつこいようなイメージがあった。
ヤクザものの映画とかを見ているとよくそんなシーンがある。
「もう行っていいか?」
つけていた男が言った。
「あ、もう一つだけ確認したいんだけど、これまで職場に行く時と帰る時をつけてた?」
俺は男に訊いた。
「え、ああ、そうだ。一応依頼内容としては通勤の行き帰りを調べてくれって話だったからな」
男は答えた。
「でも、今朝はつけてなかったよね?」
「男がいるかどうか調べるのに、朝の出社の時なんて調べても意味ないだろう? だから、勝手に今日からはもう帰りだけをつけることにしたんだ。だいたいこの依頼人はいちいち細かいことにうるさいんだよ。異常だよ。別れた女の男のことを調べるなんてさ」
男は面倒くさそうに答えた。
「なるほどね。それでわかったよ」
この男の感じだと、もう付きまとって調べることはないだろう。他の人間を雇うかもしれないが、少なくともしばらくは大丈夫だ。
「じゃあ、もういいな」
男はそう言うと、そそくさと立ち去った。
「ということだね」
俺は桜川に言った。
「ありがとうございました。助かりました」
桜川は頭を下げた。
「とりあえずは解決だけど、このまま終わるかどうかわからないよ。あの探偵はもう来ないだろうけど、他の人間を雇うかもしれないしね」
「そうですよね」
桜川の顔は暗かった。
それも仕方がない。付き合っていた男がそんなややこしい男だったとわかったのだ。
「でも、その男もいつまでも執着はしないんじゃない」
俺は気休めかもしれないが一応そう言った。
「そうかもしれないですね。わかりました。今回はありがとうございました」
桜川はまた頭を下げた。
「じゃ、俺行くよ」
「あの……」
「なに?」
「良かったらうちに上がっていきませんか? お茶でも飲んで帰ってください」
桜川は遠慮がちに言った。
俺にそれを断る理由はない。
「じゃあ、ちょっとだけ」
と言って、俺は桜川について家に入った。
俺はこんなことになるとはまったく想像してなかった。
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