TS転生した元社畜絵師とVTuber達の話

二幕ナミク

プロローグ

 いつから間違えたんだろう、と。ここ最近はいつもそんな事ばかり考えている。


 高校生の頃に趣味でイラストを描き始めて、大学生の頃にはSNSのフォロワーも増えて度々依頼を貰うようになった。

 けれどそれで飯を食っていく覚悟も自信も無くて。妹――咲希の大学費用を工面するのに父さんの収入だけでは心許なくパートを始める気だと母さんから聞き、絵を描く頻度を落として就職活動に比重を置いたのは果たして良い選択だったのか否か。


 就職してから二年が経った今でも分からないけど、少なくともその選択に後悔はしていない。



「……ふぅ」


 キーボードの打鍵音と雨音だけが響く誰もいないオフィスで一人、目頭を押さえ溜息を漏らす。


 ふと窓の外に目を向ければ白驟雨が絶え間なく降り注いでいて、いつにも増して片頭痛が酷い原因はこれかと今更ながら察しがついた。

 ……一番の原因はここ一週間家に帰れていない程の仕事量と疲労だとは分かっているけど、ここまでの連勤は入社から二年経った今でも滅多に無いし、これを乗り切れば当分はその日の内に帰れると思えばまだ気力が出てくる……気がする。



 やっとの思いでコーディングと動作確認を済ませ、USBメモリにデータを移して上司のデスクに提出する。

 IT企業の癖に妙な所でアナログなのはどうにかならないのかと常々思うけど……まぁ、上層部の頭がアナログなんだから変わることは無いだろうな。


「これで……やっと、帰れる」


 ……帰ったら帰ったで、やらなきゃいけない事は沢山あるけど。

 最近は食事も手軽に食べれる物ばかりだったから異臭を放つようなゴミや洗い物は無いものの、溜まった洗濯物に部屋の掃除やゴミ捨て……流石に今日は無理でも、明日から少しずつ終わらせていかないと。




「よし、っと……」


 きちんと施錠したことを確認してからオフィスを後にし、階段を降りる度に足腰に響く衝撃に身体の衰えを痛感しながらビルを出て――


「…………あぁ、そうだった……」

 さっき見た時とまるで変わらない勢いの雨に、少しの間立ち尽くした。

 当然傘なんて持ってなければ終電ももう無いし、見た限りタクシーも近くにはなさそうだ。……あったとしても高いし使うかは悩んだだろうけど。


 とは言え、数時間経っても止まないのだからこれ以上ここに居てもどうにもならないのは明白。唯でさえ疲労と眠気が限界だというのに、晩秋の夜半にこの雨と来ると寒気が痛いほど身に染みる。端的に言えば切実に早く帰りたい。


 覚悟を決めて一歩踏み出せば、スーツが瞬く間に雨を吸って重くなる。肌に張り付くシャツが気持ち悪くて、体温と共になけなしの体力も奪われていく感覚に早くも生じた後悔の念を、思考の端に追いやって走り続けた。






「ヒュー…ヒュー…ゴホッ……」


 走り始めてから何分、何十分が経ったのか。視界の悪い中薄ぼんやりと霧がかかったようにはっきりしない意識を頼りに走っている内に、いつの間にか見覚えのない路地に入り込んでいた。

 頭痛は絶え間なく殴られ続けているような激痛へと変わり、その上寒気、耳鳴り、立ち眩みが加わって既に身体は満身創痍。


 ふらつく足でなんとか電柱に背を預け、そのまま崩れ落ちるように座り込んだ。

 時折明滅する街路灯と何の店かも分からないネオンサインが目に眩しくて、厚い雲に覆われた空に視線を逃す。

 耳に入るのはアスファルトを削る勢いの雨音が殆どだけど、大通りが近いのか微かに車の走行音も聞こえてくる。

 あと少しだろ、立てよ、と自分に言い聞かせても……立ち上がる気力は、出そうにない。


「――っは……これは救急車を呼ばないと、不味いかな」


 他人事のようにそんな考えが浮かぶ。スマホを取り出そうにも腕は動かないし……そもそも充電も残ってないから呼ぼうにも呼べやしない。

 声を上げて助けを呼ぼうにも、この深夜の大雨の中。人が居るであろう大通りまで届くような声を出す気力は、もう無かった。






 ……気づけば先程までの頭痛も無くなっていて、空を見上げていたはずの視界にも、もう雨の影すら映らない。


 ただザアザアと、雨音か耳鳴りかも分からない雑音だけが聞こえる中。

 そう言えば、死ぬときに最後に残る感覚は聴覚だなんて話をどこかで聞いたことがあるな、なんてどうでもいいことを思い出して……




 俺の意識は、そこで途切れた。




 ◆◇◆◇◆◇◆




 ――最悪すぎる内容の初夢見たんだけど、私これからどうすれば良いの? 絶対今年厄年じゃんこれ。


 昔から変な夢ばかり見るなとは思ってたけど、とうとう死の瞬間まで夢に見るなんて。

 ……良いように捉えたら、これでこんな変な夢とももうおさらばだー、なんて言えるかもしれないけど……こんな社会の闇を体現したようなリアリティある社畜の過労死シーンなんて追体験二度も体験したくなかった。


「――ん?」


 なんか、一瞬思考にノイズが混じったような感じが……いや、気のせいかな。


 新年早々縁起悪いなぁ、と溜息を吐きながら、取り敢えず顔を洗って気分を入れ替えようとベッドから立ち上がり――寝てる間に床に落ちてしまった掛け布団を踏んずけて思いっきり転び、床に頭をしたたか打ちつけた。


「うぐっ……!? ぐ、ぐおおぉぉ……」


 さっきの夢での頭痛とも引けを取らない程の激痛に、一応は女子高生の端くれとして我ながらどうかと思うような呻き声を上げて打った場所を抑えて蹲る。

 ……いやマジでヤバイ、冗談言ってる場合じゃない奴だこれ! きゅ、救急車……!


「ス、スマホどこやっ――いや、充電切れてるんだった……違う、昨日寝る前にちゃんと充電して――寝る前? そもそも最近禄に寝れてないのに何言っ……何言ってるの? 冬休みだし最近寝てばっかじゃん――冬休み? 社会人なのに何馬鹿なこと…… は??」


 頭を打ったせいで夢と記憶が混濁したのか訳の分からない言葉が次々に口を突き、そんな自分自身に混乱していると、ふと何がカチリと嵌まるような感覚がして――


「あ、ぅえ……?」


 脳内に溢れかえった膨大な量の記憶に耐えられず、そのまま意識を失った。





「……あ゙ー、頭痛い。死ぬかと思った……いや、まぁ実際死んでるんだけどさ……」


 慣れない……訳でもない身体に奇妙な感覚を覚えながら、私――俺? ……どっちでも良いか。

 とりあえず私は、起き上がった勢いそのままベッドに寝転がり、目元を覆うほど長い前髪をかき上げながら額を押さえた。顔を洗いに行く気力なんて無いよもう!


 ……ていうか、本当に新年早々なんなの? 16年……と26年生きてきた人生で一番驚愕の事実が頭にブチ込まれた衝撃と転んだ衝撃で頭の中がぐちゃぐちゃだ。


「滅茶苦茶意味不明だし混乱してるけど……ずっと見てた『夢』の謎もこれで解けたし……良かった、のかな」




 少しだけ、昔の話になる。


 私――柴咲しばさき藤香とうかは、小さな頃からずっと身に覚えのない変な夢を見続けてきた。

 仲の良い両親と、いつも自分――紫宮しのみや樹季いつきの後を着いてくる妹。温かな家族に囲まれた、どこにでもあるような普通の光景。……私にとっては、何より遠い。


 夢の中で紫宮樹季になっていた私は、その人生を追体験するように色々な場面を夢に見た。

 誕生日、入学式、卒業式、夕暮れ時の何でも無いような帰り道。

 ……時に喧嘩もして、その度仲直りして。テストの結果に一喜一憂したり、俺より結果の良い成績表を誇らしそうに見せてくる咲希に苦笑しながら頭を撫でたり。



 そんな幸せな夢を見るにつれて、夢の中では自分自身を紫宮樹季本人だと無意識に思い込むほど入り込んでしまって……目が覚めて我に返り現実を直視する度に、夢との相違に何度も何度も吐いた。死にたくなった。

 だけど、こんな私の後見人になってくれた叔母さん――母親の妹である凛花さん――が居たから……自ら死を選べる程心が強くなかったから。結局、惰性で今まで生きてきた。





「――それがまぁ、こんなのが真相だったなんて」


 思わず苦笑いを浮かべて頭を掻く。分かる訳無いでしょこんなの。

 柴咲藤香として生まれる前。元々私――俺は、紫宮樹季として生きていた。それが今朝見た夢でのように過労と衰弱で死んで、こうして私として生まれ変わったんだと思う。

 生まれ変わりなんていうものがあり得るのかは今こうして体験している身でも疑問だけど……夢のこともそうだし、思い返してみれば一度もしたことが無かった家事を初めから出来たのも、魂に記憶が染み付いていたからなんだと思う。


 前世では転生先の人格を上書きしてる転生憑依モノのネット小説を読んだことがある――というかネッ友の一人のラノベ作家が、そんな雑な設定の作品はド三流だと蛇蝎のごとく嫌って扱き下ろしてたから良く知ってる――けど、私の場合はそうじゃない感じだし俺的にも一安心……ややこしいなこれ。


 兎に角。前世の記憶を思い出したっていうのはまぁそれはそれとして、これからも自分なりに生きていくことに変わりは無い……っていうのが私としての考えなんだけど。


「社畜生活の後遺症で何もしてないと落ち着かないし、かと言って私は私ですることなんて何も無いんだけど……冬休みの後1週間、どう過ごそう」


 3週間弱の中期休みではあるけれど。宿題は早々に終わらせてるし、趣味なんて無いからすることが何もない。

 強いて言うなら家事とか? とは言え一人暮らしだからそれもすぐ終わる程度しか無いし。


 ……これを機に、何か趣味でも作ろうかな。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る