明確な殺意
屋敷の廊下でリリアは立ち止まった。
「や、やっぱり、ご遠慮します……」
ライアンも立ち止まって、俯くリリアの横顔を覗き込む。
「遠慮するなって。せっかく、シェリーが用意してくれたんだ。楽しめばいい」
「で、ですが、私は楽しむためにここへ来た訳ではありません。それに、楽しむ資格もありません。だって、わたし悪魔ですし……」
茶会の話が出た時の反応が余程恥ずかしかったのか、リリアは茶会には参加しないと言い出していた。
シェリーたちは宥め役をライアンに押し付けて、さっさと屋敷の中へ消えてしまっていた。
ライアンは渋るリリアをどうにかこうにか宥めながら、屋敷の廊下まで連れて来たのだが、今も幾度目かの抵抗に遭っていた。
駄々っ子のように唇を尖らす少女を見ながら、頭をぽりぽりと掻いた。
今まで言うことを聞かない人間には力ずくで、という方法しか取って来なかったライアンにとって、この状況の打開は困難を極めた。
「なぁ、リリア。お前が来てくれないと、俺が困るんだ。俺が、その、美味い菓子にありつけないんだよ」
「じゃあ、私を置いて行ってください」
「そ、それが、一番困るんだ! お前を置いていったら、シェリーとトリシアになんて言われるかわかったもんじゃない。菓子どころか、メシすら与えて貰えなくなる!」
菓子などには全く興味が無いライアンの悲痛な本音だった。
その感情が伝わったのか、リリアの顔は深刻な表情に変わる。
「ご飯抜き、ですか……」
「そ、そうだ。それに、シェリーとトリシアだけじゃない、ここの他のメイドたちにも、俺は白い目で見られてしまう」
畳み掛ける言葉は効いているらしく、リリアの顔の憂いは濃くなっていく。
細い顎に手を当てて考え込むリリア。
「な? 行って、座るだけでいいから」
懇願するライアンの顔を、リリアはちらっと横目で覗った。
「わかりました。そういう事なら」
そう言って、リリアは歩き始めた。その後姿を見てライアンは胸を撫で下ろした。
皆はもう会場に集まっているのだろうか、屋敷の廊下は静まり返っていた。
心なしか早足のリリアを見ながら、目を細める。
――じゃ、このままでもいいじゃない。
シェリーの言葉が脳裏をよぎった。
しかし、その言葉を頭から追い払うようにかぶりを振った。
――それは駄目だ。
自分が言った言葉を思い出す。身体の内側、胸の奥の方で重い扉が閉まっていくような感覚が響いた。
ふと前を見ると、またリリアの足が止まっていた。やれやれと思いながら声を掛ける。
「おい、リリア――」
リリアの顔を覗き込んで瞠若した。瞳には青い炎が熾火のようにちらついていたのだ。
「ライアンさん!」
「どこだ!」
「こっちです!」
二人は最短の会話で意思を疎通させて走り出した。『脅威』を感知したリリアを先頭にして、廊下を疾駆する。
『脅威』に対して遺憾なく発揮される悪魔の力は、リリアの膂力を超人的に引き上げる。
跳ぶように走るリリアに置いていかれないように、ライアンも必死に走り続けた。
廊下の床を削るように、靴を鳴らしてリリアが急停止した。
そこは大きな扉の前だった。
ここは確か――ライアンの部屋の確認が終わらぬうちに、リリアは扉を力強く開け放った。
その部屋には大勢のメイドと親衛隊の隊員たちが一同に居並んでいた。
彼女らが囲むテーブルの上には、純白のクロスが見えなくなるほどの色鮮やかな菓子類が所狭しと並べられていた。
その光景を見て、ライアンはここが茶会の会場だと把握した。
既に会は始まっているらしく、席を連ねた者たちは色とりどりの菓子を口に運んでいた。
リリアを見やる。彼女はしきりに首を振って何かを探している。双眸の青い光はその輝きが増しているのが見てとれた。
「どこだ、リリア! 『脅威』は誰だ!」
「い、今、探しています!」
視線を四方八方に向けながら、リリアは焦燥を滲ませて応えた。
その時、会場内で大きな歓声が上がった。メイド達の視線の先を見ると、王冠のような形をしたひときわ大きなケーキが運ばれてきたところだった。
ケーキは会場中の注目を浴びながら切り分けられ、最初の一切れが、とある席の前に置かれた。
席に座っているのは優雅に微笑むシェリーだ。袖が力強く引っ張られた。
「ライアンさん、アレです! アレが『脅威』です!」
リリアは部屋の最奥の席を指差す。
「シェリーさんを止めないと!」
青く爛然と輝く双眸を向けてリリアが叫んだ。
次の瞬間、ライアンは弾かれたようにテーブルの上へと跳躍した。
そしてあろうことか、彼は着地したテーブルの上をそのまま走り出した。
喜びと笑顔で満ちていた会場の空気は、一瞬にして叫び声で引き裂かれた。
テーブル上に咲き誇っていた豪奢な色彩を、ライアンは文字通り蹴散らしながら駆ける。ライアンはシェリーへ至る最短路を選んだのだった。
あっという間にシェリーとの距離は縮まり、跳びかかろうとした時、何者かの体当たりで阻止されてしまった。床に叩き落とされたライアンは、そのまま組み敷かれて身動きを封じられてしまう。
「貴様、血迷ったか! 一体何のつもりだ!」
果たしてライアンの暴挙を止めたのはトリシアであり、逆上した彼女は眼を血走らせて咆哮した。
身体をしたたかに打ち付けたライアンは言葉を発することができない。
嵐のような出来事は一瞬にして静寂へと変わった。誰もが何が起こったのかを理解できずに呆然と立ち尽くしている。それはシェリーも同じだった。
「な、何よ。何をやっているのよ、アンタ」
あまりの出来事にシェリーの口からは町娘のような言葉が零れた。
そして、人だかりを掻き分けながらリリアが現れた。彼女はシェリーの方を見て、深い安堵の息を漏らした。
「ちょっと、何なの。説明をして!」
いよいよ混乱が極まったシェリーが声を荒げた。
リリアはおもむろに膝を着いて首を垂れた。
「畏れながら、アンジェリカ様に申し上げます!」
いつになく、はきとしたリリアの声だった。
「その目の前に置かれたモノは、召し上がってはいけません」
シェリーはテーブルの方へ目を向けた。そこには切り分けられたばかりのケーキがある。
ライアンたちがこんな真似をするただひとつの理由に気づいて、シェリーは息を飲んだ。
「ま、まさか、このケーキ……」
「はい。それこそは『脅威』に他なりません」
顔を上げて凛々しく告げるリリアの双眸には、青い炎が爛然と揺らめいていた。
*****************
トリシア隊長以下の親衛隊が厨房に踏み込んだ時には、問い質す相手は既に居らず、もの言わぬ死体が転がっていた。
死体はゲルハルト皇子と共にザウスベルク帝国から来た菓子職人であり、その手には小さな薬瓶が握りしめられていた。
シェリーの命により城仕えの薬師が呼び出され、『脅威』と断じられたケーキが調べられた。
その結果、ケーキには毒と呼ばれる明確な殺意が込められていたことが判った。
そして、その毒は菓子職人の口と、彼が握りしめていた薬瓶からも検出されたのだった。
これらの事実により、ザウスベルク帝国の菓子職人が、皇女暗殺を企てケーキに毒を仕込んだ後に自らの命を断ったのだと、結論付けられた。
ザウスベルク帝国の皇子付き使用人による、リアンダール王国皇女の暗殺未遂。
この騒動に最も動揺を表したのは、他ならぬゲルハルト皇子だった。
エディンオル城下から戻った皇子は、事の顛末を聞くなり顔面蒼白となって倒れこんでしまった。
リアンダール王国の貴族からは、ゲルハルト皇子一行の即刻国外退去を求める声が上がった。
しかし、側近のジークムントはゲルハルト皇子が床に臥していることを理由に、国外退去に猶予を求めた。
シェリーことアンジェリカ皇女はこれを承諾し、ゲルハルト皇子一行が引き続き自らの屋敷に留まることを許可したのだった。
そして、暗殺の標的とされたシェリー自身は、エディンオル市街の北の山裾に位置する、古い砦に一時的に居を移すこととなった。
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