眼の前の黒幕
晩餐会の会場へはトリシアが姫殿下の護衛の権限を主張することで、何とか潜り込むことができた。
立食形式である晩餐会の会場内で、ライアンたちは目立たないように壁際に位置取った。
リリアは会場の人の群の中に消えていったが、ややあって飲み物を持って戻ってきた。
そして、飲み物を振舞うふりをしながら告げてきた。
「あそこです。右側の壁の近く、金髪の女性と話をしている、背の高い男の方です……」
ライアンは視線をそこに向けるが、誰かは判別できない。
「ち、近づいてきますっ」
リリアの背後に、背の高いひょろりとした男が近づいてきていた。
「おい、君、その飲み物を貰えるかな?」
男はリリアの横に来ると、トレイの上のグラスを指差しながら言った。
リリアは何も答えず、無言のままトレイを差し出した。
愛想の無いメイドに、男は怪訝な表情を見せるが、グラスを受け取ると立ち去っていった。
ライアンは抜け目無く、リリアの双眸の青い光を確認していた。
「あの男はレーゼマイン卿だ。主に外交の任に当たっている」
トリシアが忍び声で伝えてきた。
「助かったぜ。俺じゃ誰だか判らなかったからな」
ライアンは不敵に笑った。
トリシアは小さく鼻を鳴らした。
「どうするライアン? 当初の目的は達成された。いったん帰ってアンジェリカ様の指示を仰ぐか?」
「何を言っている。今日を逃すと、俺たちが奴に近づくのは難しいぞ」
貴族であれば貧民上がりの騎士が簡単に会える相手では無い。
シェリーの皇女としての権力を使えば会うこと自体は可能だろうが、それでは逆に警戒される恐れがあった。
「あ、外に出ます」
レーゼマイン卿を監視していたリリアが告げた。
長身の貴族の男が会場から外のテラスへ出て行くところだった。
ライアンは隣のトリシアに目で合図をして動き出した。
***********************
レーゼマイン卿はテラスを抜けるとそのまま庭の奥へと歩いていく。
ライアンたちは気づかれないようにその後を付けた。
外はすっかり暗くなっていたが、月明かりのお陰で見失わずに尾行することができた。
晩餐会のざわめきも届かない建物の陰でレーゼマイン卿は足を止めた。
そして、夜を照らす月を見上げていた。ライアンは周囲を確認して、忍び足でレーゼマイン卿に近づいた。
「どうかされましたか?」
「な、なんだ。ここの警備なら不要だ。下がっていろ」
レーゼマイン卿は声を掛けてきたライアンを警備兵と勘違いしているらしい。
「そうはいきません。最近は何かと物騒ですから。油断は禁物です」
「要らぬと言っておるだろう。どこの兵だ、貴様」
レーゼマイン卿は鬱陶しそうにライアンを睨みつけた。そして顔を驚愕に歪ませた。
「お、お前は」
「申し遅れました。ラウンド騎士団のライアンと申します」
恭しく礼をするライアン。
しかし慇懃な身ごなしとはうらはらに、その顔には敬意の欠片も無かった。
「なぜ、お前がここに! い、一体、何のつもりだ!」
「なぜと言われましても、警備です。国を守るのが騎士の務めですから、国の脅威は排除しなければなりません」
そう言いながらレーゼマイン卿との距離を詰める。
「例えば、怪しげな薬の開発に加担するような輩とか……」
レーゼマイン卿の眼の前に迫り、猟犬のような眼光とともに告げた。
「なっ、なぜだ、なぜ、私だと……」
レーゼマイン卿の表情とその言葉だけで充分だった。
あとは力ずくにでも白状させるだけ、ライアンがそう思った時だった。
「そこで何をしておる」
暗がりから男の声が聞こえた。深みを持った良く通る声だった。
声の主は暗がりからゆっくりと現れて、その姿を月明かりの元に晒した。
現れたのは痩身矮躯ながら鋭い眼光で威を放つ老人だった。
「ク、クロムウェル卿」
ライアンはレーゼマイン卿から身体を離して、反射的に跪いた。
「お前はライアンか。騎士ライアンではないか」
「クロムウェル卿!」
ライアンが身を離した隙に、レーゼマイン卿がクロムウェル卿に駆け寄った。
「聞いてください! こ、この男が、私に訳のわからぬ言い掛かりをつけてくるのです!」
「待て! 逃げるのか、レーゼマイン卿!」
ライアンは叫んだ。レーゼマイン卿はクロムウェル卿の背に隠れる。
逃がすかとばかりにライアンが腰を上げようとした時――。
何者かに背中を蹴り飛ばされて、つんのめってしまった。
そして、そのまま地面に顔を押し当てられ、身動きが取れなくなった。
「いい加減にしろ! この酔っ払いが!」
叫びながら頭を押さえつけるのはトリシアだった。
「申し訳ありません! この男の無礼をお許し下さい!」
トリシアは髪が地面に触れるほどに深く頭を下げた。そして、彼女は何かを訴える視線をライアンに向けている。
「そなたはパトリシアか。姫殿下の親衛隊、そうだったな?」
一人平静を保っているクロムウェルが問うた。
「は、はい。本日はアンジェリカ様の御付で」
「そうか。それでは、姫の護衛がなぜこんなところにいる」
「この男が護衛の身でありながら、酒を呑んだ挙げ句、持ち場を離れてしまい……」
「連れ戻しに来たと」
その言葉に、トリシアは「はい」と搾り出すように応えた。
「斬れ、パトリシアよ! その男を斬れ!」
クロムウェル卿の背中から顔を出したレーゼマイン卿が叫んだ。
トリシアの手の震えがライアンに伝わってきた。
「聞こえないのか! 斬れと言っている! その男は護衛の身でありながら酒に酔い、あまつさえ私に無礼をはたらいたのだ!」
ライアンは今にも飛びかかりたい衝動に駆られたが、トリシアの必死の形相を見ると身体が動かなかった。
クロムウェル卿が片手を挙げて、わめき散らすレーゼマイン卿を制した。
「レーゼマイン卿よ。無礼をはたらいたとはいえ、この男はこの国の騎士ぞ。そう簡単に斬り捨てては、この男を騎士に叙任した王家の立場はどうなる? そなたは王家の威光に傷をつけたいのかの?」
「いえ、そ、そのようなことは」
レーゼマイン卿は気勢を削がれて黙りこくった。
ようやく耳元の騒音が止んで、クロムウェル卿は息を吐いた。
「パトリシアよ。この件に関しては、ここで罰するようなことはせぬ。だが、姫殿下にはきっちりと諫言させてもらう。良いな?」
「承知しました……」
クロムウェル卿はその言葉に頷くと、レーゼマイン卿を連れて闇に消えていった。
二人の足音が消えて気配が完全に無くなった頃、ライアンの拘束は解かれた。
解放されたライアンは騒ぎ立てることはしなかった。
トリシアが嘘をついてまで自分を止めたのは理由があると感じていたからだ。
「なぜ止めた?」
乱れた髪を撫で付けているトリシアに聞いた。
「ふん、お前の従者に聞け」
無愛想に彼女は言った。そこへ物陰に隠れていたリリアが駆け寄ってきた。
「ごめんなさい。私がトリシアさんに頼んだのです。ライアンさんを止めてくださいと」
「なぜ止める必要があった? あのままレーゼマイン卿を問い詰めれば、アイツは落ちていた。それに、クロムウェル卿というこれ以上に無い証人までいたのに」
リリアは神妙な面持ちでかぶりを振った。
「そこなのです。そこが問題なのです」
「問題だと?」
「はい、暗がりから現れたあの御方。クロムウェル卿も――この国の『脅威』なのです」
「ば、馬鹿な」
「間違いありません。確かにレーゼマイン卿にも私の力――魔法は反応しました。しかし、クロムウェル卿が現れた時にも反応を感じたのです」
その説明を聞いて、ライアンは不機嫌そうに頭をぐしゃぐしゃと掻いた。
「どうするライアン。クロムウェル家は代々王家の片腕とも称される名門。クロムウェル卿自身も、財界はおろか軍にも計り知れない影響力を持つ御方だ。一筋縄ではいかぬぞ」
苛立ちを隠せないライアンとは対照的に、トリシアが冷静に問うてきた。
「ちっ、だったら、まとめてやっちまえば良かったじゃねえか。レーゼマイン卿もクロムウェル卿もよ!」
「正気かお前は! こんなところで事を荒立ててみろ、お前を連れてきたアンジェリカ様の立場はどうなるのだ!」
ライアンは再び頭を掻きながら苦悶の表情を滲ませた。
「私はアンジェリカ様の護衛に戻る。お前たちは………………先に帰れ」
『脅威』に手の届くところまで迫っているというのに、これ以上は進めない、進むことは許されない、そう宣告されたのだった。
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