お試し契約
二人の間にしばしの沈黙が落ちた。両者とも時間が止まったように動かない。
「………………は?」
騎士は少女の言葉が理解できずに、疑問の言葉を発した。
「あぁぁ、やっぱりそうなりますよね。す、すいません、説明を省いちゃって。あ、あの、ライアンさんが死ぬ覚悟だというのは解りました。それでしたら、その命を、その魂を捨てるつもりなら、わたしに頂けませんか? ということです」
「間接的には、お前に捧げる形になる」
「あぁぁ、そ、そうではないのです。わたしと魂の契約をして欲しいのです! 願いと引き換えにライアンさんの魂を頂く契約を!」
上手く伝わらないもどかしさか、リリアの口調は段々と熱を帯びてくる。
「魂の契約……?」
「そ、そうです。契約です。わたし、魂と引き換えに願いを叶えることができるのです」
「なんだ? いきなり、魂とか、契約とか。なんなんだお前?」
「わたし、悪魔なんです。悪魔やってます! 魂と引き換えに願いを叶えるアレです!」
上気した顔をずいっと近付けて、リリアは言い切った。
ライアンはリリアのおでこをぺちりと叩いた。
「あうっ」
「……いいか、お嬢ちゃん。さっきも言ったが、この廃屋もいつまでも安全というわけじゃない。それに今俺は死ぬほど忙しい。頼むから悪魔ごっこは街に無事に着いたらやってくれ」
目頭をつまみながらライアンは嘆息した。せっかく騎士らしく決死の覚悟をしたつもりなのに、思わぬ形で水をさされてしまったのだ。
「うぅ、ごっこ遊びではないのです。本当なんです……」
おでこをさすりながらリリアは涙目で呟いた。
ライアンが再び大きなため息をついた時――重たい衝撃音が廃屋を揺るがした。
二度三度とその音が続いた後、壁が破壊されて砕けた木材が転がる音が響いた。
「マズい!」
ライアンは瞬時に音の方向を確認した。幸いにも今居る部屋とは違う部屋が破られたらしい。だが人ではない者が徘徊する気配が、廃屋の中を満たしていくのを感じた。
「くっ……こっちだ!」
「きゃっ!」
リリアの手を強引に引いて、二階へと続く階段へと走った。
そしてそのまま階段を駆け上がり、二階の最奥の部屋へと駆け込む。
その部屋も一階と同じくがらんどうとしていた。
「ちっ、もう少し待てば、こっちから行ってやったのに」
苛立ちを滲ませてライアンは呟いた。
「す、すいません。わたしの所為で……」
「…………」
「でも、本当なのです。わたし、本当に……」
「今は、生き残ることだけを考えろ」
ライアンの冷淡な声音に、リリアは父親に怒られた幼子のように悄然とした。ライアンはその様子を見て取って、苦笑いを浮かべた。
「ま、冗談としては面白いが、今じゃなかったな。街へ着いたら酒場で言ってみたらいい。誰か奢ってくれるだろうよ」
ぎこちない笑顔でライアンは言った。彼としては、この少女だけでも何とか逃げ切ってもらわなければならない。少しでも気分を和らげる意図がそこにはあった。
「あの、それでしたら、『重器契約』などいかがでしょうか?」
「じゅうきけいやく?」
「はい。『魂の契約』の下位の契約にあたるのですが、契約者の大切な品物と引き換えに、それ相応の願いを叶える契約があるのです」
それは静かに真理を語るような声音だった。
「あのなぁ、お前……」
「冗談ではないのです。本当なのです」
いい加減しつこいと思いながらリリアを見たが、少女の澄んだ黒い双眸には遊興に耽る色などなく、神聖さすら感じる力強さがあった。
ふっと肩の力を抜いた。
「大切な物、それをお前にくれてやればいいのか?」
「は、はい! 思い出の品とか、肌身離さず着けている品とか、契約者が大切だと思っている品物であれば何でも!」
おもむろにライアンは首元の頸飾を引きちぎった。
「騎士である証の首飾りだ。一番大事なのは剣だが、剣はまだ使うからくれてやるわけにはいかないから、これで勘弁してくれ。遊び終わったら売ればいい。少しばかりの金にもなるだろう」
ライアンは頸飾をリリアに差し出した。
「騎士の証、いいのですか? こんな大事な品」
「かまわない。どうせもうじき必要無くなる」
一瞬、リリアの顔が曇った。しかし、すぐに凛とした顔となって頸飾を受け取る。
「願い事を、一つ言って下さい」
その時、何かが階段を駆け上がる音がした。
二階に到着した荒々しい足音は、二人の居る部屋へ近づいて来る。
「じゃあ、俺が魔獣に殺されないように頼むよ」
ライアンは笑いながらそう言うと、リリアを背中に隠して扉の前で剣を構えた。
部屋の外から聞こえてくる床板が軋む音は、明らかに人では無い者の接近を告げている。
足音が部屋の前――扉の外に到着した時。
突如としてライアンの背筋に冷たいものが走った。何か強烈な気配が唐突に部屋に出現したことを、彼の本能が告げていた。
――なんだ、この感覚。どこから……後ろ?
気配の方向――背後を振り返って瞠若した。
はたして部屋の奥にはリリアが立っていた。
彼女がこちらへ差し出している手は眩く光り、その手の先には青白く光る魔方陣の紋様が空中に描かれている。その中心には騎士の証である頸飾が浮いていた。
「リリア……?」
問いかけはリリアに届いていないのか、彼女は瞑目して微かに唇を動かしている。空中の魔方陣が一際大きく光を放った。すると頸飾は光に飲み込まれるように跡形もなく消えていった。
ふぅ、とリリアが息を吐いて眼を開けた。その双眸の虹彩は蒼く光り輝いていた。
「契約の儀、終わりました。今から貴方を守ります」
その言葉を待っていたかのように、扉が激しく揺れた。簡素な木の扉は呆気なく倒されて、人型の魔獣が雄牛のような頭を部屋に覗かした。
血と獣の匂いが部屋中を満たし、死の気配がにじり寄ってくる。
魔獣が部屋に踏み入ってきた。
後ろに気を取られていたライアンは反応が遅れてしまった。慌てて剣を構えるが、魔獣の拳は唸りを上げながら眼前に迫っている。
ライアンの頭に死が過ぎった瞬間――。
疾風のようにリリアが魔獣との間に割り込み、華奢な手で魔獣の拳を叩き落した。その衝撃で魔獣は大きく体勢を崩す。
呆気に取られるライアンをよそに、リリアは更に一歩踏み出して、魔獣の身体にそっと手を触れる。牛頭の魔獣は威嚇とも恐怖ともとれる咆哮を上げた。
それが断末魔だった。
リリアの手から青白い炎が燃え上がり、それは生き物のように魔獣を飲み込んでいく。やがて、魔獣の身体は白い灰となり砂のように崩れた。
ゆっくりとリリアが振り返った。
「契約を履行しました」
可憐な唇が優美に告げた。
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