一条戻り橋に霧雨が降る

出水千春

第1話    祇園会の夕涼みでの狂騒は……


               一 


 文久三年(一八六三年)旧暦の六月九日、新暦でいえば七月二十四日。夏も真っ盛りの夕暮れどきだった。


 京は、四方を北山、東山、西山の三つの連峰に囲まれた盆地である。夏の暑さは強烈で、京の洛中は相も変わらず、朝から蒸し暑い一日だった。 

 日が落ちかけても、湿り気が深情けの醜女のように、もやもやと肌にすがりつく。

 陶次は四条河原を目指し、流れて行く人の波に混じって、お蔦とともに四条通を東に歩んでいた。今夜は京都町奉行所のお役目絡みでの市中見回りではない。陶次には魂胆があって、四条河原まで夕涼みとしゃれ込んでいた。

 なんとしても納得させなければと、陶次は半歩後ろを歩くお蔦を横目でちらりと窺った。

 我が子ほども歳の違うお蔦に頼みごとをするのは沽券に関わるが、唐犬の権三の仁王のようにいかつい顔が、目にちらついた。五十を過ぎて、ますます凄みを増した権三の黄色く濁った目で睨まれると、陶次はどうも分が悪かった。

 権三は陶次の兄貴分で、それなりに目をかけてくれているが、金には異常に厳しい。目明かし仲間だとて容赦はなかった。陶次にすれば、女房に逃げられて大坂でぶらぶらしていた三年前に、京に呼び寄せてもらった恩があるから、なおさら頭が上がらなかった。

 さきほどお蔦の家を訪ねたとき、すぐに切り出すべきだったが、つい腰が引けてしまったことが悔やまれた。

 陶次は『二人して夕涼みに行く』という約束すら忘れていたのだが、お蔦は団扇片手に頬を上気させ『早ぅ、早ぅ、行きまひょ』と戸口で待ち受けていた。無邪気にはしゃぐお蔦に急かされ、言い出せなかった。

「なあ、お蔦。実は……」

 思い切って声を掛けたものの、お蔦は灯が入って華やぐ通りを眺めるのに夢中と見えて、一向に気付かない。

 良い答なら早く欲しいものの、お蔦にあっさり断られる見込みが大きい。刻が経つほど状況が悪くなると思うものの、陶次は難題に逃げ腰になっていた。

「この頃は、世の中も様変わりしよったからのぉ」

 陶次は、暮れかかる東山の山並みに目をやった。

 昨今では、ご公儀の御威光にさえも翳りが出始めている。ご公儀と細い糸で繋がる、末端も末端の目明かしの威勢の凋落は、なおさらだった。

「そもそも手先っちゅうたら、正規の雇いやない」

 陶次は自嘲気味に、もごもごと呟いた。

 もともと岡っ引や手先、御用聞きなどと呼ばれる目明かしは、与力や同心の人手不足を補うため、犯罪者の中から気の利いた者を選び出して使われたのが始まりで、同心の私的な配下でしかない。ご公儀からは鐚一文たりとも貰ってはいない。

役得で、それなりに良い実入りがあったからこそ、陶次は子分を三人も持てて『親分、親分』と立てられてきた。

 だが、黙っていても、十手の威力だけで付け届けが転がり込んでくる時代ではなくなりつつあった。

「ただでさえ世知辛い暮らし向きになってきたのに、権三はんの賭場でこないに負けが続くて、どないやねん」陶次は口の中で、なおもぼやいた。

 先月末の大負けを取り戻すつもりが、なおさら負けが込んでしまったのは、いつになく欲をかいたために勘が鈍ったせいだった。

 陶次には、別れた二度目の女房お長との間に、七つになる一人娘のお光がいた。

お光の〝帯解〟に結構な祝いをしようと思いついたのが、そもそもの間違いだったと、陶次はお光のあどけない顔を思い浮かべた。

 お長の実家は、近江八幡で蚊帳や畳表を手広く商いしている。お長とともに実家に引き取られたお光は、何不自由なく大事に育てられていた。

 帯解の日には、付け帯びを解いて、大人のような幅広の帯を締める。

 昔から『七つ前は神のうち』といわれるように乳幼児の死亡が多かったから、十一月十五日の帯解の儀は格別の行事となる。お光の祖父母とて、目出度い祝いの品を無下に突き返しはできないだろう。この前のように門前払いはせず、お光の顔くらいは見せてくれるだろうと、陶次は胸算用したのだが、殊勝な心持ちが運の尽きで、娘に会いに行くどころか、目先の生活にも困ってしまった。

 昨日も本能寺門前の一膳飯屋の前で出会った権三から、脅し紛いに露骨に催促された。明後日には、権三に利子だけでも払わねばならない。

「わいの生き甲斐は、博打だけやさかいな。権三親分の賭場に出入り禁止になったらえらいこっちゃがな」と、お蔦に聞こえぬよう口の中でぼそぼそ文句を垂れた。

 賭場は、洛中、洛北、洛南、洛西、洛東――何処ででも開かれるとはいえ、陶次には目明かしという立場がある。

 突如、町方に踏み込まれては、大恥をかくどころで済まない。お上からお目こぼしになっている目明かし権三の賭場は、陶次たち目明かしにとっては貴重な遊び場だった。

なんとかお蔦には、今月分の〝給金〟を待ってもらわねばならない。

 酒代やその他の支払いは、相手先を半ば脅して、無理矢理、来月や再来月回しにさせた。三人いる子分への奢りも、このところ控えている。残る交渉相手は、妾のお蔦だけだった。

 今夜には給金が入ると思い、お蔦の心の中はほくほくだろうから、正反対のことを言い出せば、お蔦は怒り狂うに違いない。

 旦那としての面子もあるが『給金が払えんのやったら、旦那でもなんでもおへんがな』とお蔦のほうから妾奉公を辞退されかねなかった。


                二


 四条京極の辻にある、広大な祇園御旅所を右手に、左手に神明社の杜を見ながらそぞろ歩く。

 歩きながら込み入った頼みごとなどできそうもない。刻ばかりが疾風のごとく過ぎる。

「京は大坂と違て、暑さも寒さも半端と違(ちゃ)うな。冬は乾いて寒い。けど夏は、もっとあかん。湿気が酷うて堪らんで」

 陶次は、せわしなく扇子を使いながらお蔦を振り返った。

「ほんま、風もあらへんし、敵いまへんどすなあ」

 目を合わせたお蔦は、切れ長の瞳を細めた。

 薄闇にお蔦の顔が、一際ぐんと白く浮き出て見える。

 お蔦の白さは、誰よりも抜きん出ていた。人混みでも異様なほど目立つ。大勢の中でもお蔦の姿だけが目に付き、はぐれても容易に見つけ出せた。

 旦那と妾という関係とはいえ、陶次の立場は弱かった。

 なにしろ旦那は陶次一人でなく、他に二人もいるのだ。

 お蔦は〝下直(けちき)なる囲女〟と言われる安囲いの女で、陶次と権三と大店の大番頭である喜助の三人一組で囲っていた。

 三人で日にちを割り振ってお蔦を妾にし、給金と称する手当を毎月、支払っている。妾とは名ばかりで、有り様は遊び女に近かった。陶次が一人いなくなっても、お蔦の器量なら、すぐに別の旦那が決まるだろう。

 お蔦は、安囲いの女にしておくには勿体ない美形だった。事情が重なって、陶次は上手い具合に旦那の一人に納まれたが、そのような僥倖が二度と訪れるわけもなかった。

 高瀬川を越えると、鴨川に架かる四条大橋は近かった。

 京を代表する花街である先斗町の細い通りを越えると、人通りはますます多くなった。

 お蔦の顔には、「早う、給金を渡しとくれやす」と書かれている。妙にいそいそしている理由(わけ)は、陶次と夕涼みに出かけるからではない。

 金があれば、陶次は決まった給金に上乗せして渡していた。特別な行事ごとがある日にお蔦を訪れる場合、別に祝儀を渡していた。他の二人の旦那に差をつけたかったからである。

 お蔦は若い喜助に〝ほの字〟だった。陶次は端から負けているが、せめて金の力でお蔦の気を引きたかった。

 先月の五月は賀茂の葵祭という名目で祝儀を弾んだ。

 賭場で勝って気が大きくなっており、いくら渡したかさえ覚えていなかった。

 今は、祇園会が始まったばかりである。お蔦にすれば、月の給金の他に多額の割り増し手当が上乗せされると、当然ながら期待しているだろう。

 上乗せと延期では、晴天と沼地の開きである。陶次は、ますます言い出しにくくなっていた。

「わいは三十七で京に移り住んで、もう三年やけど、一向に、この暑さに慣れんゎ」

 豆絞りの手拭いを懐から取り出した陶次は、首の後ろをごしごしこすった。   

「京の人かて、暑さに閉口してますさかいに、みんなして鴨川へ、夕涼みに来てますのんえ」

 お蔦は汗一つ掻いていない白い首筋を、ゆるゆると京団扇で扇いだ。


                三


 四条大橋の袂に出た。昼間なら、橋の向こうに北芝居、南芝居(南座)の幟が見えるはずであるが、今は薄闇に溶け込んで見えない。

 四条大橋は六年前の安政四年に架けられたばかりだった。

 三条大橋と五条大橋の間にある四条河原は、京一番の遊興の場だが、つい最近まで粗末な仮橋しかなかった。

 鴨川は広大な中州を擁し、普段から中洲には歌舞伎や浄瑠璃などの大小の芝居小屋や見世物小屋が立ち並んで賑わっている。

 下部が石造りになった四条大橋の上を、さも楽しげに夕涼みの人が行き交う。

「賑やかどすなあ」

 陶次の思いを他所に、二十一歳になったばかりのお蔦の声は華やぎ、童のようにはしゃいでいるように思えた。

「京も、この御時世で落ち着かんようになったもんの、京の者は、動じんっちゅうのか……。『〝四条河原の涼〟は物騒な世の中と関係あらしまへんえ』とばかりに、えらい人出やがな」

 昨年、文久二年閏八月の京都守護職設置あたりから、政の中心は江戸から京へ移った感があった。雄藩の藩士をはじめ、尊攘派志士など様々な人間が京の都で入り乱れるありさまとなった。

 四月には、薩摩藩国父の島津久光が藩兵を率いて上洛して、伏見の寺田屋で藩内の過激分子を一掃するという、血なまぐさい出来事があった。

 久光が五月に京を去るや『重石が退いた』とばかりに、密かに京に流れ込んでいた不逞浪士が天誅と称して好き勝手に暴れ回るようになり、京の治安は乱れる一方である。

「一年前の七月には、この橋で島田さまの首が晒されてたちゅうのに。皆、忘れてけつかるんかい。まあ、島田さまは京の皆に嫌われてたさかい、関係ないか」

 余所者の陶次は、苦笑しながら河原を見渡した。

「あれが天誅の始まりどしたなあ」

 お蔦も陶次と話を合わせるつもりか、感慨深げに頷いた。

 島田左近の通称で知られる、九条家に仕えた島田左近正辰は京で絶大な権力を誇り、安政の大獄では幕府から賄賂として一万両以上が贈られたと噂されている。

 井伊大老が桜田門で暗殺された後も、さらに左近は権勢を拡大し、和宮の降嫁にも深く関与して『今太閤』などと持て囃された。

 だが、土佐勤皇党の武市瑞山の台頭とともに旗色が変わり、薩摩藩の田中新兵衛らによって愛妾宅で襲われ、首が四条河原に晒された。首のない死体は、鴨川の横を流れる高瀬川に浮かんでいたという。

ともあれ陶次にとっては、こんな硬い話より、目先の頼み事が大事だった。

 陶次の頭の中を、眉間に皺を寄せた権三と目を釣り上げて怒り心頭なお蔦の顔が、交互に駆け巡った。汗が背中を、百足のようにぞわぞわ這いながら流れる。

「過激な尊攘派どもを刺激して、もっと大事(おおごと)が起こるとあかんさかい、所司代さまでさえも、天誅やいうと取り締まりがなかなかでけへん。土佐勤王党にええようにされとる。今の京の都は、治安もへったくれもない。先行きは、ますます分からへん」

 心ここにあらずながらも、陶次は当たり障りのない世相談義を続けた。

「こないな時季やからこそ、京の人は毎年の行事を大事にしてはるんと違いますやろか」

 お蔦が穿った見方をしてみせた。

「偉そうに抜かすんやない」

 陶次はお蔦の生意気さを苦々しく感じ、ついつい、いつものように切り返した。

『安囲いの女のくせに』と言いたかったが、喉元まで出かかった言葉を飲み込んだ。

「すんまへん。堪忍どすえ」

 陶次の口の悪さにお蔦は慣れっこなので、気に掛けるどころか、小馬鹿にしたふうに巫山戯た様子で、ぺろりと舌を出してみせた。

本来なら蒸し暑さもなんのその。機嫌良くそぞろ歩きとしゃれ込んでいたはずだったのにと、陶次は情けなくなる。これが最後の道行きとなるかも知れない。

とはいえ、唐犬の権三親分も怖い。

 陶次は中州の賑わいを、恨めしく見渡した。

 鴨東――鴨川の東側の祇園町、川西の先斗町の、両岸に川床が設けられていた。

 対岸の鴨東や祇園の灯りが川面を照らす。両岸に並ぶ四百軒もの茶屋が川床を出し、中洲に板の橋を渡している様子が見える。

「見下ろすだけで目眩がしそうや」

 陶次はお蔦の首筋のほつれ毛を、まじまじと眺めた。

 お蔦の横顔は絶品だった。仇で蓮っ葉な外見の奥に、何処か品が見え隠れする。

 零落した貧乏公家の血筋を引いているという本人の話も、あながち嘘ではないのかも知れない。

 陶次はすたすたと前を歩き、お蔦が小走りで後を追う。先斗町側の茶屋と茶屋との間を抜けて河原に向かった。


              四


鴨川の河原での夕涼みは、祇園会に合わせて御輿が四条寺町の御旅所に移っている六月七日から十八日までの十二日間のみ行われる。

 祇園会は七月一日の吉符入りに始まり、二十九日の神事済奉告祭まで続く。三十三基の大型の山鉾が絢爛豪華な装飾をされて華麗を競う山鉾巡行だけが祇園会ではない。

「息をするのも苦しい、ちゅうんは、このこっちゃ」

 息苦しいのは、京の夏の湿気のせいではない。陶次は開(はだ)けた襟元に扇子で風を送りながら、お蔦が亀薬師裏の西洞院川沿いの家で大事そうに飼っている金魚を唐突に思い起こした。今頃は庭先に置かれた陶器の水面に顔を出し、苦しげに口をぱくつかせているだろう。

 この暑さで、ぜんぶ死んでいるかも知れないとの意地の悪い想像が、陶次の心の隅に湧き上がった。

 巷では金魚の飼育が流行っているが、何がおもろしろいのか、陶次にはまったく理解の外だった。鯉でも飼うほうが、金がないときに食えるだけましではないか。

 お蔦の世話が行き届いているのか、金魚は二冬を越し、飼い始めて二年近くも生きていた。陶次がお蔦を妾にした直後から飼い始めた勘定だった。

 百年ぐらい前までは、金魚などは庶民には縁のないお宝だった。昨今では〝蘭虫〟や〝朝鮮〟と呼ばれる、三~五両もする高価な種類もあるものの、量産されるようになって値がぐんと下がった。

 夏の間は白木綿の手っ甲脚絆甲掛け姿の金魚売りが、金魚を盥に入れて町中を売り歩くようになった。庶民までが金魚を買い求め、金魚玉と呼ばれるガラス製の丸い入れ物に入れ、軒下に吊して一夏の涼を楽しむ。金魚玉を眺める美女の大首絵の浮世絵なども出回っていた。

 お蔦が大事に飼っている金魚のうちには、高価な蘭虫が一匹いた。背鰭がなく、ずんぐりとした体で、頭に瘤のような隆起があり、更紗と呼ばれる紅白模様が鮮やかな金魚だった。

 お蔦は、亡くなった母親の在所に預けられた、年の離れた弟妹三人に『食い扶持の足しに』と銭を送っているから、値の張る珍しい金魚を買う余裕などない。蘭虫は、文吉親分に買ってもらったに違いなかった。

 文吉親分といえば……。

 文吉親分が亡くなって、もう一年近く経つと陶次はあらためて気付いた。

 京の町で羽振りを利かせていた〝猿(ましら)〟の文吉も、かつては、お蔦の旦那の一人だった。

 喜助が陶次の家に、島原に売られそうになっていた幼馴染みのお蔦の相談に来たのが発端で、権三を経由して文吉にお蔦を引き合わせたのが陶次だった。

 給金が、文吉親分の分だけ少なくなっているから、今のお蔦の実入りが良いはずはない。

 陶次は、ごつい指で左頬を撫で上げながら苦笑いした。

「京のもんは、暑ないのんかい。みんな涼しい顔しくさって」

 陶次は河原の小石を蹴った。浅瀬に落ちたはずの小石の行方は闇で見えず、喧噪の中で水音さえ聞こえなかった。

 汗を掻いているのは、陶次だけに思えてくる。胸の奥が落ち着かず、なおさら暑い。

 広大な中洲には見世物小屋も出ており、〝大カラクリ〟の小屋が一際ぐんと目を引く。的に当てると硝子鏡などの景物を出す矢場なども見える。

 まずは、お蔦の機嫌取りとばかりに、陶次は土手を下りた。中洲へ続く板張りの急造の橋を渡り始める。

 黒い流れは意外に速い。手摺りはあるものの、はなはだ心許なかった。陶次は手を繋いで渡ってやろうかと、お蔦を見返した。

 だが見知った誰かが見ていれば照れくさい。お蔦は子供ではないと思い直した陶次は、出しかけた手を引っ込めた。

 高く掲げられた丸い提灯に灯が点る。背景に東山が黒く霞む。

 屋号の入った提灯が下がり、行灯が置かれた縁台に陣取って飲み食いしている一行が、羽目を外して騒いでいた。

 西瓜の切り店と風鈴売りなどの物売りの叫び。夜店を冷やかして廻る客の笑い声に、何かを買えと強請(ねだ)る子供の泣き声。小屋掛けの芝居の呼び込み……。種々雑多な喧噪が混じり合う。

 川のせせらぎの音は涼しさを感じさせるどころか、騒がしさを増すだけだった。

 豆腐田楽を運んでいく女が、陶次の前を横切り、串に刺されて焼かれた豆腐の上に載った白味噌の香りが鼻腔を擽った。

 豆腐田楽は流行りの食べ物で、豆腐は後世と比べて固めだった。

 若い女が手早く切ってみせる曲切りを呼び物にする、八坂神社鳥居下二軒茶屋の中村屋が〝祇園豆腐〟として有名で『都名所図会』に描かれている。

「床机に座って豆腐田楽でも食うか。食いながら酒でも飲んで、話を切り出してみよかい」

 陶次が覚悟を決めたとき。

「喧嘩や。喧嘩どす」

 俄に、甲高く騒がしい叫び声が後方から響いた。


                五


 数人の男が揉み合っている。川の流れに張り出して組まれた、一際ぐんと大掛かりな川床前の河原で騒いでいた。

 とっぷり日が暮れた河原は、各店が目一杯、灯りを点しているとはいえ、かなり暗い。遠目で、男たちの顔形までは判別し難かった。

「陶次はん……」

 お蔦の目は困惑の色を宿し『どないしはります。今は市中見回りと違(ちゃ)いますえ。わざわざ面倒に巻き込まれることは、おへんやろ』と問いかけている。

「ちょっと待っとれ」

 義務感や責任感からではない。陶次は揉め事を見れば、放っておけない気質だった。

「待て、待たんかい」

 お蔦を残したまま、陶次は人ごみを掻き分け、騒動の渦中へと駆け出した。

 御店者ふうの男三人と、上半身裸の男、片肌脱ぎの男、一本差の男が入り乱れて掴み合っている。茶屋の名入りの浴衣を着て腕捲りした巨漢が掠れた声を上げながら、懸命に制している。

〝平さこ〟という茶屋の屋号の入った丸形の提灯が河原に転がり、燃え上がっていた。

 喧嘩をしているのは、双方合わせて十人もいない。あとは老若男女の野次馬や、囃し立てる京童といったところだった。

 浴衣を両肌脱ぎにした男たちから「天誅や」「天誅を下したれ」などと無責任で物騒な暴言が聞こえた。

「あほんだら。天誅とは穏やか違(ちゃ)うやないけ。冗談もほどほどにしくさらんかい」

 陶次は男たちに向かって罵声を浴びせながら、いざこざの渦中に飛び込んだ。 

「おい。どないした」

 陶次は手近にいた男の振り上げた腕を掴んだ。

「何処のどなたはんどす。関係あらへんお人は黙っとくれやす」

 御店者ふうの若い男が、突っかかった。

「あ、おまはんは……」

 男の顔を見て、陶次は目を見開いた。

「なんや。陶次親分はんやおへんか。すんまへん。新手が現れたんかと……」

 お互い暗がりでよく見えなかったのだが、よく見れば八幡屋の喜助だった。

「この人混みで、お蔦の旦那同士が鉢合わせかい。京の町は狭いのぉ」

 陶次の笑いに、喜助はバツが悪そうに苦笑した。

 喜助は、三十になったばかりの小才の利く男で、京で屈指の大店、八幡屋で大番頭にまでのし上がっていた。

 八幡屋は、目明かしである陶次に、毎月、付け届けをしていた。陶次の家まで喜助が持参している縁で、陶次と喜助は、たまに酒を飲む仲になった。お蔦に関する相談に乗るうちに、さらに親しくなった。

 見かけは優男だが気骨がある人物だと、陶次は憎からず思ってきた。

 だが、お蔦と連れだって来ている今は、一番に顔を合わせたくない相手だった。

 喜助を見て目の色を変えるお蔦の姿など見たくもない。お蔦の今晩の旦那は、喜助ではなく陶次なのだ。

 ましてや、今晩で縁が切れないとも限らぬ陶次は、喜助とお蔦を会わせて二人の仲を見せつけられるような惨めな思いは、絶対したくなかった。


                六


「なんや。この親父は」

 陶次の登場で、争いの場は一転して模様見がてらの睨み合いになった。

「聞いとくれやす。陶次親分はん」

 喜助は、子供が親に訴えるように捲し立てた。

「旦那はんを羨むもんは多おすさかいな。せっかく川床で機嫌良うくつろいでたら、たちの悪い京童どもが『八幡屋卯兵衛がここにおる』っちゅうて、なんやかやと囃し立て始めたんどす」

 喜助は陶次を兄貴分のように慕っている。京の人間は本心を出さないので、陶次を上手いようにあしらっているだけかも知れなかったが。

「そのうち、そこにおる一本差が許せへんような酷いことを言いよりまして。どないもこないも腹に据えかねたもんでっさかい、うちが……」

 喜助は興奮に唇を震わせている。仮橋を渡って河原に下り、真っ先に手を出したのは、どうやら喜助らしかった。

「威勢のええこっちゃ。そんで、肝心の卯兵衛はんは……」

 陶次は川床に目をやった。

 広い縁台に御馳走の入っているらしい大鉢がいくつも置かれ、取分皿が散らばっている。銚子や煙草盆も目に入る。

 渋い色目ながら、明らかに値が張りそうな羽織を羽織った男が八幡屋卯兵衛だと、夜目にもすぐわかった。

 顎骨が滑稽なほど目立つ初老の卯兵衛は、肝が据わっているらしい。『雇い人どもが何とかするやろ』と髙を括っているのか、上座にどっかと腰を下ろしたまま、おろおろする芸妓たちに酌をさせていた。

 仏光寺高倉西入に店を構えている八幡屋は、もともと油問屋だったが、開国以来、手広く外国と交易して巨利を貪っていた。

「卯兵衛らのせいで、生糸の値がだだ上がりで、西陣の職人の中には職がのうなって、首ぃ吊るもんも出とる。恨みやら妬っかみやらで、ええようには言われてへんわなあ」

 買い占めた物を諸外国との交易に回せば、畿内の物資が不足する。京坂を始めとして近在の諸物価は高騰するから、庶民は堪らない。

『天誅』などと叫ぶ輩の気持ちも、わからなくはなかった。尊攘派の藩士や不逞浪士による天誅の矛先は、今のところ商人には及んでいないが、一寸先のことはわからない。

 卯兵衛の脇に、影のように付き従う浪人姿の二人が見えた。闇に溶けたように顔が影になり、いい知れぬ威圧感を悪臭のごとく撒き散らしている。

「はあん。なるほど。心強い〝先生方〟がいたはるてか。そら、安心やろ」

 陶次は妙に納得した。浪人たちは帯刀せぬ雑魚どもの諍いが眼中にないのか、酒を口に運んで高見の見物らしかった。

「一条戻り橋詰の、陶次親分や」

 野次馬の一人が叫んだ。京童どもの中に、陶次の名を知っている者がいたらしい。

「岡っ引きや」

「お上のお犬さまの登場どすえ」

 薄暗い中で誰が言うのかわからないのを良いことに、囃し立てる声があちこちから湧き起こる。

「岡っ引きがなんやいな。怖いことおへん。ついでに懲らしめたろやないか」

 さらに威勢の良い男もいる。

 岡っ引きや目明かしという呼び方は蔑んだ呼称で、目明かし自ら称するのは、自嘲的な場合などに限られ、他人から言われると腹が立つ。陶次の頭に、かっと血が上った。

「大概にせんと、しょっ引くぞ」

 陶次の脅し文句も今は昔で、効果は薄い。だが、もう後には引けない。遠くからお蔦が、事の成り行きを見守っている。

 陶次は「言うてわからんやつは、こうじゃ」とばかりに、頬被りした男を殴り飛ばした。ついでにもう一人、侠客気取りの一本差の腹を蹴り上げた。

「目明かしが怖いもんかい」

「いてまえ」

 数人が陶次を取り囲んだ。


                 七


 喧嘩の輪は、次第に人のいない川の中に移った。

 河原は大賑わいとはいえ、場所が少し外れれば真っ暗闇に近かった。どんな男が殴ったか蹴ったかもわからない。

 目明かしは日頃から肩で風を切り、威張り散らしている。目障りな目明かしを殴るには良い機会と踏んだ頭の軽い京童が、どやどやと乱闘に加わった。

 陶次はめっぽう強いから、数人相手でも負ける気遣いはなかった。

 とはいえ、相手は二十人ほどに膨れ上がっている。味方は喜助くらいのものだった。他の八幡屋の雇い人たちは、大勢の敵を目の前にして、尻に帆を掛けてとっくに敵前逃亡してしまっていた。

 多勢に無勢。腕に覚えのある陶次はともかく、喜助はたちまち満身創痍、袋叩きに遭い始めた。

「大番頭が酷い目に遭(お)うてんのに、旦那は知らん振りかいや。あの二本差どもが刀ぁ抜いて、ちょっと振り回したら、簡単に蹴散らせることやろが」

 用心棒たちは駆けつけてきそうになかった。どうやら卯兵衛を守るためだけに飼われているらしい。

「殺生なやっちゃ」

 ぼやく陶次の後頭部に衝撃が走った。棒で殴られたらしい。

「しまった。抜かった」

 頭を押さえ、陶次は浅瀬に膝をついた。川底の砂利が膝に食い込んだ。這いながら辛うじて次の攻撃を避ける。

「ひょっとして、ひょっとしたら……。こないなしょうもないことで、わいの一生が終わってまうん違(ちゃ)うやろか」

 いつの間にやら、ただの喧嘩ではなくなっていた。

「天誅や」

「猿の文吉と、おんなじ目に遭わせたれ」

 無責任に煽る者がいれば、いい気になって応じる阿呆が出る。

 日頃の憤懣の捌け口として、目明かしというだけで命を奪われぬとも限らなかった。

「わいが天誅に遭うて、どないやねん」と、陶次は自嘲した。

 天誅という言葉は便利だった。主義主張や立場が違えば、相手を即、抹殺したとしても、むしろ賞賛される、狂気の護符である。

 文吉に天誅を下した三人のうち、有名な人斬り以蔵は、のうのうと逃げおおせている。

 島田左近とつるんで悪行を重ねた文吉は、手に入れた悪銭で妓楼まで建てて、我が世の春を楽しんでいた。

 文吉のように良い目をしていないのに、罰だけ同じとはいただけなかった。

「返り討ちにしたる。覚悟せんかい」

 陶次は喜助を庇いながら、河原に落ちていた木ぎれを拾って引っ掴み、必死に応戦を始めた。

 喧嘩が長引けば、さすがの卯兵衛も重い腰を上げて浪人どもを差し向けるはずである。

だが、なかなか救いの手は伸びない。

 ふと振り向いた中洲の彼方、遠巻きに眺める群衆の中に、お蔦の白い顔がぽつんと浮かんで見えた気がした。


            八


「静まれぃ」

 居丈高に一喝する声が響いた。

 東町奉行所の文字が書かれた御用提灯とともに、東町奉行所同心、市原長一郎の登場だった。雑色四人を引き連れての見回り中に騒ぎを聞きつけて駆けつけたのだろう。

 市原は、権三を目明かしとして犯罪の探索や盗賊などの捕縛の際に使っている同心だった。今夜はただの町廻りなので、当然のことながら権三を同道していなかった。

 五十を過ぎて世渡りの疲れも溜まった市原の馬面は、ここ一年あまりの多忙さでさらに老け込んでいた。黒い絽の羽織に、足許は雪駄、朱房の十手をちらつかせる姿は、江戸の同心も京の同心も同じである。

「行こ行こ」

 男たちが蜘蛛の子を散らすように四方に散らばり、雑踏に紛れて姿を消した。

「偉そうに言うたかて、明日はどないやわからん同心のくせして」

 誰かの捨て台詞が、陶次の耳元を掠めて遠ざかった。

 逃げ遅れた男が、雑色たちに寄ってたかって取り押さえられている光景が、陶次の目の端に映った。

 市原の旦那なぞに礼など言いたくないが、助けられたには違いない。

「危ないところを有り難うございました」

 陶次は尻を端折っていた着物を着流しに戻して整えながら、丁寧にお辞儀をした。

 市原は芝居がかった身振りで「うむ」と鷹揚に頷いた。手にした十手の房紐が、闇に揺れる。

 市原は陶次が従っている同心の松来正右衛門と同じく『東御役所』と呼ばれる東町奉行所に伺候していた。江戸町奉行所の南北ならぬ東西の京都町奉行所には、与力が各二十人、同心が各五十人もいる。市原と陶次との馴染みは薄かった。

 用向きを無難にこなすことだけに汲々としている小心者のくせに、下の者には居丈高になる横柄さは、なんとかならぬかと、陶次は暗くて見えぬのをよいことに、ぺろりと舌を出した。

 権三も不平不満を漏らしながら、市原からの御用を仰せつかっている。

 目明かし稼業は、権三にとって箔付けの意味しかなかった。

 賭場の目こぼしを始め、強請(ゆすり)たかりを働く際に都合が良いので、市原の言うことを何でも「へえへえ。ごもっとも」と聞き流し、真剣に探索などしているわけではない。

「権三の朋輩で陶次と申したかの。わしらがしっかり目を光らせているゆえ、出過ぎた真似は無用じゃ」

 市原は『目明かしなど雑魚に、これだけの言葉を掛けてやるだけでも、わしは慈悲深い』とでも言いたげに鼻を鳴らすと、くるりと踵を返して与太者を捕縛した雑色どもの指図に向かった。


              九


「陶次はん。大丈夫どすか」 

 お蔦が河原の砂利の上を転がるように駆け寄ってきた。

「真っ白な足袋が黒ぅなってしもたがな。もっとも、暗いから、よう分からんけどな」

 目明かしは決して古い足袋を履かず、毎朝、新しい足袋に履き替える。陶次は川の水をたっぷり含んで心地が悪くなった足許を指さした。

「ほんまに心配しましたえ」

 陶次の顔を見上げながら、お蔦は猫のように滑らかな動きでぬるりと抱きついた。

お蔦の体の温もりを感じながら、陶次は目だけ動かして喜助の姿を探した。だが、八幡屋の者に助けられて立ち去ったのか、河原に喜助の姿はなかった。

 陶次は(喜助はこの場におらんかったことにしといたろ)と着流しの裾の汚れを払った。

「京の男はんちゅうたら、喧嘩ちゅうても、口喧嘩で収めはるのが常道どしたのに」

 お蔦は暗がりで見にくそうに目を開き、汗と血で汚れた陶次の顔を手拭いでそろそろと拭き始めた。

「そないいうたら『東海道中膝栗毛』の伏見街道の下りで、江戸っ子の弥次さん喜多さんかて、京の男が滅多に力ずくの喧嘩せえへんことに呆れとったわな」

「いつの間にやら京も様変わりしたようで、怖(こお)おすなあ」  

 お蔦は吹き荒ぶ寒風の中に立っているかのように、両の手で腕をさすった。

「今じゃ京の都かて、公家はんの住む雅な町とはとうてい言えへん。政に関係なかったはずの当のお公家はん連中が、やれ『攘夷や』なんやいうて騒いどる。騒げば騒ぐほど、そんだけお上から金が流れてくるっちゅうこっちゃ」

「うちのお父はんは、時流に乗るのがちょっとだけ早過ぎたのどっしゃろなあ。安政六年に……」

 お蔦の話は湿っぽくなりそうな風向きになった。

「身の上話は、もうええがな」

 陶次は「めんどい」とばかりにお蔦の言葉を遮った。

 ――お蔦は、藤井尚弼という公家の娘だった。

 藤井尚弼は公家の中では地位が低く、昇殿を許されていない〝地下人〟だったが、熱心な尊攘派だった。安政の大獄で捕えられ、安政六年に送致先の江戸小倉藩邸内で重度の脚気により獄死した。

 生活に窮してお蔦は聖護院近くの水茶屋に出ていたが、母親が病に倒れた。薬代のために借金が嵩み、島原に売られそうになった――

 これが以前に喜助から説明された、お蔦の〝哀れな〟半生だった。

「世が世ならばっちゅう話は、止めにしよや。わいかてほんまやったら、大坂で大きな商いをしてる大店の主やったんや。今頃は八幡屋みたいに大儲けしとったかも知れん。思うようにならんのが、この世の習いや」

 陶次はすたすたと明るい方角へ歩き出した。

「そない言うたら、陶次はんの大坂での話、聞いたことおへんなあ」

 小走りに追いかけてきて陶次に並んだお蔦は、興味深げに小首を傾げた。

 お蔦には小首を傾げる癖があった。陶次は、お蔦が態とかまととぶっているように思え、見るたびに身体中がむず痒くなる。その都度しつこく注意するのだが『すんまへん』と素直に応じながらも、一向に改める気配はなかった。

「水の底から浮かび上がって、いよいよ陸に這い上がって……。この先、立派な羽が生えて、空に飛び立つばかりかと思(おも)た途端に深い淵に突き落とされた。そないな過去、思い出しとうもない」

 陶次は、少し大袈裟な例えで煙に巻いた。

「そない言わんと、話しとくれやすな」

 お蔦はいつになくしつこくせがんだ。よほど他人の不幸話を聞きたいらしかった。

「わいは大店の旦那の妾腹に生まれたんや。母親とは幼いうちに死に別れた。手広う薬問屋をやっとった父親に引き取られたものの、上に三人も正妻の息子がおったんや」

 お蔦の小さいが肉厚な唇が薄く開いて、身の上話の続きを待っている。

「わいは端から、店を継げるやて思てもおらへん。奉公人同様に扱き使われて、虐められながら育ったんや。けど風向きが変わってきよった。兄貴二人が死によったんや」

 天保八年の大塩平八郎の乱の際の〝大塩焼け〟の大火で長兄が亡くなり、嘉永四年には次男が流行病で亡くなった。

「おまけに残る三男坊は、勘当されよった」

 三男は、江戸の吉原や京の島原と並んで三大遊郭の一つとされる新町の太夫に入れ上げて店の金を持ち出し、激怒した父親に勘当された。陶次が三十になったときだった。

「ほんで、ほんで」

 詰まらぬ結末を迎えたことは、目の前の陶次を見ればわかるはずだ。なのにお蔦は、出世譚を期待する無邪気な子供のように目を輝かせた。

「思いがけず、大店の主の座が巡って来たもんで、わいかて『とうとう運が向いてきよった。夢と違うか』て大喜びしたがな。けどや……」

 陶次はお蔦の反応が可笑しくなって、勿体ぶって意味もなく声を潜めた。

「別嬪の嫁はんも迎えた。ほんで、親父の隠居を機に、店を継ぐ段になってやで。なんと。……いよいよ親父の隠居する日が二十日先に迫ったちゅうときに……。親父が急死してしもたんや」

 陶次は盛り上げようとためを入れてやった。

「そら大変どしたなあ」

 お蔦は同情した様子で、陶次の顔を覗き込んだ。

「本妻が三男を呼び戻し、わいは目腐れ金を貰(もろ)て店を追われて、ちょんや。大店の旦那になる男に嫁いだつもりやった女房かて、その日の内に実家に逃げ戻りよった」

 お蔦は目に涙を浮かべんばかりに眉根を寄せた。

 当人にとったら不幸な話でも、お蔦にとっては所詮は他人事だ。本心から気の毒に思っているはずがない。

 陶次には、お蔦の哀れみ深い瞳の色が、態と臭い小芝居に見えた。

「わいも、たいがい運の悪い詰まらん半生やったて思とる。けど、おまんまが食えたらええっちゅう意味では、まあ、よしとせなあかんけどな」

 陶次は投げ槍な気持ちで、適当に締め括った。


                   十


 お蔦に頼み事をするはずが、すっかり水が入った陶次は河岸(かし)を変えることにした。

「辛気くさい話は、もう、ええやろ。ちょっと歩こか」

 陶次はお蔦を連れて、鴨川の土手を三条大橋へと北に上がった。

いよいよ言い出そうか。いやいや、もう少し後にしようか。

 お蔦とそぞろ歩きしながらも、陶次の魂は酒も飲んでいないのに、ふらふら千鳥足だった。

 喧嘩の余韻で、全身の気がびんびんとささくれ立ったままである。それでも刻が経つに連れ、末端にこもった熱が徐々に下がりつつあった。

 お蔦は大仰に同情した振りをしながら、心の中では興味津々で他人の不幸話を楽しむような女子である。いったい、どう答えるか、皆目、見当もつかない。

 陶次の心の振り子は、左右に大きく振れる。

 大坂人は言いたいことを本音でぶつけ合い、がめつく、えげつない。だが、開けっぴろげである。言葉の裏を考えずとも、暮らしていける。

 京都人は万事につけ、大坂人とは正反対だった。

 京には『ぶぶづけの慣わし』があるという。長居する客に『ぶぶづけ(お茶漬け)でも一杯どうどす』と勧めて逆に早く帰らそうとする、究極の〝技〟である。客は〝ぶぶ漬け〟の一語で相手の気持ちを察し、丁重に辞退して帰宅するらしいが、陶次はいまだかつて目の当たりにした験しがなかった。

 京都人は馴れ馴れしい態度やはっきりした物言いを避け、相手との距離を置いて持って回った言い方をする。イケズが京都人の本性であり、矜恃でもあるらしい。

京では男もはんなりした物腰や口調をしているが、内心は『柳に雪折れなし』どころか、裏表があり過ぎる。

 生粋の京育ちのお蔦も、外面如菩薩内心如夜叉の口だろう。

 人々は何が楽しいのか、団扇片手にふらふらと歩いている。陶次だけが憂鬱を背中に背負い、足取りも重かった。

 東海道の西の起点である三条大橋の上に差し掛かった。

 橋の欄干には、公儀によって架けられた橋であることを示す擬宝珠が付けられている。

 お蔦は橋の真ん中で立ち止まった。欄干に人形のような手を置き、鴨川を見下ろした。

 三条大橋の北まで茶屋がびっしりと立ち並び、どことなく色っぽい灯りが続く。

 普段の三条河原では農作業をする長閑な光景も見られるが、この時季だと夕涼みの場として華やいでいる。

 三条大橋の辺りで鴨の夕涼みは切り上げとなる。お蔦が名残惜しげに立ち止まった気持ちもよくわかった。

 だが、何もここでなくともよいだろうにと、陶次は苦々しく思いながら、お蔦と並んで欄干に体を預けた。

 三条大橋は、東海道の名所双六でいえば『上がり』の場所であるが、陶次にとっては、気持ちの良い場所ではなかった。

 四条大橋で昨年七月に島田左近が梟首されていた出来事は、陶次と島田に直接の接点がないので、あくまでも他人事だった。

 だが、翌々月の閏八月二十九日に目にした光景は違った。

 ざんばら髪になった文吉の苦痛に歪んだ恨めしげな目を思い出すだけでも、背筋を冷たい虫がぞわぞわと這い上った。

 目明かし文吉は斬り殺されたのではなく『切っては刀の汚れになる』と絞殺された。全裸で串刺しにされた死骸が無残に貶められ晒されていた。知らせを聞いて駆けつけ、屍を目の当たりにした陶次にとっては激烈な衝撃だった。

 文吉は、目明かしの中では別格だった。陶次は直接親しかったわけではないが、権三と二人して相伴に与(あずか)った験しが幾度かあった。島原の藤屋の高楼での月見や、借り切った正法寺の珠阿弥坊から京の町一帯を見下ろしての宴席など、豪勢なものだった。

 元が博奕打ちだった文吉は、養女を島田左近の妾に差し出して気に入られた。安政の大獄では大いに暗躍し、京の人々に嫌われ恐れられた。

 死体の横にあった捨札に書かれていた『非分の賞金を貪り(分不相応な大金を贅沢に使い)』の文言はその通りだったが、見物人が文吉の無残な死体に石を投げるのを見て、そこまでせずとも良かろうにと、吐き気がした。

 お蔦は、旦那の一人だった文吉親分があんな目に遭っていた場所なのに、なんとも思っていないのかと、陶次は中洲の賑わいを見詰めるお蔦の表情を窺った。

 お蔦の瞳に羽毛の軽さほども憂いはなかった。何を考えているのか、口元は微笑んでさえいる。

 陶次は、島原遊郭に身売り直前の有様だったお蔦と文吉との経緯を思い起こした。

 ――喜助に『幼な馴染みのお蔦ちゅう女子(おなご)を助けてもらえしまへんやろか」と相談されたが、陶次に用立てられる額の金子ではなかった。

 お蔦の借りた金子は大した額ではなかったが、高利貸しからの借金だったため、ご多分に漏れず、雪達磨のように莫大な金子に化けていた。

 陶次からすれば、見ず知らずの女に情けを掛けるつもりなど毛頭なかったが『弟分みたいな喜助に土下座されて頼まれたのに、断ったっちゅうたら男が廃る』と軽い気持ちで、金回りの良い権三に相談した。

 権三もぽんと出せる金子ではなかった。結局、金回りの桁が何桁も違う文吉に頼むことになった。

 文吉は、お蔦を一目見て自分が囲う気になったらしい。気前良く『ある時払いの催促なしでええ』と大見得を切って、大枚の金子を出した。

 だが、お蔦は何故か『一人の旦那に縛られるのは嫌どす』と我が儘を言い出し、文吉の『妾の一人』になることを頑なに拒んだ。

 中に入った喜助が泣きつくうえ、陶次も乗りかけた船だった。今さら「なら、やっぱし島原へ行け」とも言えなかった。

 文吉、権三、陶次、喜助の四人が頭を突き合わせ、結局、四人で金を出し合って囲うことに決まり、お蔦はようやく納得した――

 当時の陶次は『なんでやねん』と腑に落ちなかったが、お蔦にしてみれば、文吉は親の敵の仲間うちだったから、文吉をよほど嫌悪していたのだろう。

 お蔦には文吉の死が、いろいろな意味で喜ばしかったに違いない。文吉から用立てて貰った金子も、永久に返さなくてよくなったのだから万々歳だろう。

 お蔦の着た白地に細かな小紋散らしの単衣の袂が、一陣の川風に揺れる。

陶次の心に突然、雷が落ちた。

 お蔦は、喜助と所帯を持つ約束でも交わしているのではないか。

 喜助は今はまだ店住まいだが、望めば通いの番頭として店の近くに所帯を持たせてもらえるだろう。数年のうちには暖簾分けしてもらって独立するかも知れない。

 文吉親分が死んで、今のお蔦に借金は一文もない。病気で金の掛かった母親も、先々月に亡くなったと聞いた。弟やら妹やらへの仕送りくらい始末すれば簡単だろう。

 お蔦がその気になれば、すぐにでも妾奉公を辞められる。喜助が両腕を広げてお蔦を抱き留める光景が、鮮やかに目に浮かんだ。

 給金の支払いの引き延ばし云々で迷うどころの話ではない。陶次の体が熱くなり、いたるところから汗が噴き出した。

 

           十一


 お蔦は翡翠の玉簪を細い指で弄びながら、突然くるりと振り返った。紅の濃い口の端に薄笑みが浮かんでいる。

「さっきの陶次はんのお話どすが、おかみさんとすぐ離縁しはったんなら……」

 陶次は自分から女房を〝離縁〟したのではなく、女房に逃げられ、後日になって女房の親族の求めで三行半を書かされた。惨めな陶次を気遣っての妙な〝言い換え〟が、却ってお蔦のしたたかさの表れに思えてくる。

「確か、陶次はんにはこまい(小さな)娘はんがおいやしたと、喜助はんから聞いたことがおす。さっきの離縁の経緯(いきさつ)と話が合わへんみたいに思うんどすけど」

 お蔦が何気なく口に出した喜助の名前には、やはり特別な感情が籠もっているように聞こえた。

 お蔦は時期を見計らって、陶次との縁を切りたいはずだ。陶次には恩があるので、まだ切り出せず、ぐずぐずと関係を引きずってるだけに違いない。

 陶次はますます頼み事を切り出せなくなり、顔中を手拭いで、ぐいぐいとこすった。喧嘩の際のかすり傷が、思い出したように痛んだ。

「陶次はんの娘はんは、今、いくつどすか」

 陶次の心の内など知るよしもないお蔦は、陶次があまり触れて欲しくないお光についての〝詮索〟をし始めた。

「あ、ああ、今、七つや」

 お蔦の無神経さに少し苛立ちながらも、陶次は〝難題〟から遠ざかる話題に食いついた。

「三十一で最初の女房に逃げられたあとすぐ、三十二でまた所帯を持ったんや。二度目の女房との間にできた子ぉや」

 陶次は(わいが言いともない昔語りを、根掘り葉掘り聞き出そうとするんか。ほんまに今日のお蔦は、井戸端で噂話するんが好きな長屋のおかみさん連中とおんなじやがな)と身構えたが、

「うちがその歳くらいの頃は、うちも幸せどした」

 お蔦の話は、畑の中に潜んだ雲雀が飛び立つように逸れていった。

「お父はんも『やれ勤王や、やれ攘夷や』て熱うならはる前どしたさかいな」

 お蔦は昔を懐かしむように、夜空を見上げた。

 またも、公家の娘だったという自慢話を始めたお蔦に、陶次はうんざりした。嘘か誠かといえば嘘色が勝っている。法螺である証拠に『お父はん』なる呼び方は公家の出とすれば、げせなかった。上級の公家なら『おもうさん』であるし、下級の公家なら『おでいさん』と呼ぶ慣わしのはずだった。

 陶次の苦笑に気付かないお蔦は、往時を懐かしむような目で言葉を継いだ。

「お父はんは毎年『平安の都では、昔から正月の行事いうたら若菜摘みどっしゃろ』ていわはって、紫野へ家族揃うて行ったもんどした。紫野ちゅうても名ばかりで、広い敷地の大徳寺はんがあって、野原はそないに広うないんどすけど、蒲公英(たんぽぽ)やら菫(すみれ)やらが綺麗どした」

 お蔦は下唇に〝笹紅〟と呼ばれる碧に近い紅を塗っていた。お蔦の男を誘う唇が、一瞬だけ幼女の笑みを宿した。

「あの頃の、おたあさん……。いえ、お母はんは、丸ぅ描かはった眉が淡ぅて儚ぅて、菫やら蒲公英やらの野の花に負けんように、凛として綺麗どした」

 お蔦は遙かな瞳で、比叡の山並みの方角に視線を巡らせた。むろん比叡の山影は、闇と同化していた。

 藤井尚弼という公家の娘という話は真実だったのだと、陶次は納得した。嘘八百、手練手管――己の〝商品価値〟を高めるためのいい加減な出任せではなかったらしい。

 お蔦が、つい〝おたあさん〟と言いかけて〝おかあはん〟と言い直していたのは、芝居には思えなかった。父親を〝お父はんと呼ぶのも『下々の暮らしにどっぷり浸かった今のうちには〝お父はん〟〝お母はん〟のほうが相応(ふさわ)しい呼び方どす』と意識して言い換えていたのかと、陶次はお蔦が少し不憫になった。

 お蔦が陶次ら旦那に、愛想のために書いてよこす文の文字は、寺子屋の師匠も顔負けのいやに達筆だったと思い起こした。

 京の識字率は江戸にも大坂にも引けを取らない。全国一という。

 水茶屋にいたお蔦が字を書けても不自然ではなかったから、さほど意識していなかったが、今にして思えば、きちんと名のある師について習っていたのだろう。

「わいの娘はお光て言うんやが……」

 陶次の口から自然に身の上話が、雪解け水のように流れ出した。


             十二


「お光はのぉ。二度目の女房――お長の子ぉなんやが……」

 石積みの護岸の上には、料理茶屋や旅宿が軒を連ねる。陶次は石組みを黒い川波が洗うさまを闇を透かすように見詰めた。

 ありのままの事情を明かすつもりだった。

 ――何度も近江八幡まで出かけ、お光の愛らしい姿を盗み見することはあっても、会わせる顔がなかった。だから、お光に話しかける機会は、ついぞ来なかった。

 三ヶ月前、どうにも我慢できなくなって『少しだけでも話をさせてくれ』と門口に出て来たお長の腕を掴んで頼んだものの、毛虫の大群にでも集(たか)られたかのような悲鳴を上げられた。

 愛娘お長の叫びに、血相を変えた父親や店の者が大勢すっ飛んで来た。父親は『わしの大事な孫のお光は、今の婿がほんまの父親やと信じてるんや。ややこしいこと聞かせんといておくれやす。二度と来んとってんか』ときっぱり言い放った――ことなども。

 そのとき、どこかから刻を告げる鐘の音が聞こえてきた。懐かしさを感じさせる音色は多分、空耳だったかも知れないが、陶次は釣鐘屋敷の並びにあった家を唐突に思い出した。幼い頃の陶次は、その一軒家で、父の囲い者だった新町芸子上がりの母と二人して住んでいた。

 粋な佇まいの家は、八軒屋船着き場にほど近い高台に建てられていた。八軒屋船着き場は、京と大坂を結ぶ伏見からの三十石船が発着して、大いに賑わっていた。

 母とはそれなりに楽しい暮らしだった。陶次が五つになった春までは。

 ある日突然、母は陶次を置き去りにして旅役者と欠落ちした。今も行方は知れぬままである。

『あんなに可愛がってくれた母親やったのに、自分より男を選びよった』という紛れもない事実は、幼い陶次を惨めにした。自分という存在を根底から否定されたようで、人に問われれば「母親は病気で亡くなった」と語ることが習い性になっていた。

堂島川に面した、父親の商う米問屋に引き取られてから、陶次の暮らしは一変した。釣鐘屋敷近くの家で暮らした思い出が、陶次の半生のなかで一番の宝だった。

 釣鐘屋敷の脇には、聳え立つ火の見櫓があった。

 二つか三つの頃だろうか。遙か昔、父親だか誰だかに抱かれて櫓に登らせてもらう機会があった。櫓の上から見た大坂随一の見晴らしだけが幼心に焼き付き、今でも淡い灯火のように残っている懐かしい光景だった。

「お長とお光は、今も母と子二人して、大坂の長屋で暮らしとる。大江阪の釣鐘屋敷の近くや」

 自分でも思いも掛けぬ言葉が、陶次の乾いた唇からころりと転がり出た。

「そうどすか……」

 お蔦は眉根を僅かばかり寄せた。

「お長はな。わいが店を追い出されて良からぬ連中とつるんでたドン底のときに、惚れてきた女やった。近江八幡の豪商の娘やったが、難波新地で偶然に出会うて、向こうから一目惚れしてきよった」

 陶次の言葉に、お蔦は落ち着かぬ素振りで笄を抜き、またすぐ挿し直した。

 難波新地は明和年間に開発された土地だったが、相撲や店物の興行が定期的に行われ、夕涼みの名所にもなっていた。

 陶次は商家の者に似合わず、若い頃から喧嘩っ早くて負け知らずだった。大柄で頑健な陶次は腕っぷしを見込まれ、難波新地一帯を取り仕切る親分から見回りを任され、肩で風を切って闊歩していた。玄人筋の女によく持てた。

「お長は、近江八幡では名の通った、ちょっとした大店の一人娘やったさかいなあ。近江から難波新地まで、大勢で物見遊山に来とったんや。女子は相撲見物でけへんさかいな。親父らが相撲見物しとる間に、女やら使用人やらであちこちぷらぷらしとった。ほんで、絡まれたとこをわいが助けたとせんかい」

「陶次はんの男ぶりやったら、大勢の中でも目立ってはったんやろなあ。その色男が救てくれはったんやったら、惚れへん女子はおへんえ」

 お蔦が気持ちのこもらない間の手を入れた。

「お長はわいの身元を何処でどう調べよったんか、近江八幡の家を飛び出てわいの住んでる長屋に転がり込んで来よったんや」

 お長はまずまずの器量だった。お長に押し切られた陶次は二度目の所帯を持った。

「お光も生まれて『ちゃんとせなあかん』と思うのに、わいは阿呆やった。博打が止められんで、お長を泣かせてばっかしやった」

 陶次は思わせぶりに口調を落とした。

 お蔦は小袖の袖口の端をそっと噛み、息を呑むように陶次の口元を見詰めている。

ありのまま言えば惨めではないか。お蔦には良い恰好をしたい。

 陶次はいよいよ興が乗ってきた。

 お蔦の眼差しが食い入るようで痛い。

「実家に意地を張って頑張ってたお長も、とうとう愛想を尽かして『三行半を書いてください』と迫りよった」

 陶次は一旦、言葉を切って、

「……その頃にはもう……お長には次の男がおったみたいや」

 途切れ途切れに吐き出すように語った。

 真実を織り交ぜた嘘が、さらに卑しい嘘を呼ぶ。

 大坂人は、話し相手に期待されれば期待に応えたくなる。いや、面白おかしく嘘をついてでも話を盛り上げたくなる習い性があった。

 お長はお光を抱いて実家に逃げ帰っただけだったが、陶次はお蔦の同情を引くように、どんどん脚色を加えた。

「わいと別れたお長は、すぐに他の男と所帯を持ったものの、男がお光に辛う当たるもんやさかいな。結局は別れてしもうた。今さら近江八幡の家にも帰れんと、今も大坂に住んどる。……わいらが最初に所帯を持った長屋に舞い戻ってな」

 本当のお長は陶次を毛虫扱いしている。露天神前の通りを一本入った長屋での暮らしなど人生の汚点でしかなく、消し去りたい過去に違いなかった。

「そうどしたか。今も同じとこで、娘さんと二人で……女子の細腕一つやったら暮らしも大変どっしゃろなあ」

 お蔦の口ぶりには、同情というよりも何処か探るような意地の悪さが感じられた。

「わいかて、多少の金子は送っとるがな」

 陶次の即答に、お蔦は白い喉を小さく上下させた。

「お長はんて人は、勝手に惚れて押しかけはって、可愛い娘も授かりはったのに。そないやのに、添い遂げる覚悟ものうて他の男はんに逃げはった人でっしゃろ。陶次はんはほんまに律儀なお人どすなあ」

 強い口調で一気に捲し立てたお蔦の切れ長な目は、批難の色に彩られていた。

女は女に対して厳しいものである。

「逃げた女房はともかく、生まれたお光に罪はあらへん。お光はわいの子ぉでもあるんやさかいな。あくまで責任を果たなあかん」

 陶次は胸を張って大見得を切った。

「男はんの足なら、京と大坂は近こおすさかいな。ときどきは、お光ちゃんに会いに行かはるんどっしゃろ」

 お蔦は何かを推し量るように小首を傾げ、陶次の目の底を窺った。

「いや、お長にしたら複雑な心持ちやろ。お光の幸せのためにも、親子二人の暮らしを乱しとないさかいな。お光とは顔を合わさんように、物陰から遊んでる姿を見るだけや」

 嘘が混じるとはいえ『お光に会って話をしたい。『髭が痛い』と嫌がられても頬擦りして可愛がってやりたい。何処かへ遊びに連れて行ってやりたい』という望みは真実である。言葉に気持ちがこもった。

「それがええのかも知れまへんなあ」

 お蔦はあっさりと答えた。何故か急にお蔦の表情が消え失せ、能面のようになった。どうやら、陶次の昔語りに対するお蔦の興味も尽きたらしい。

 陶次はここで身の上話を終わらせようと思ったが、

(ものはついでや。身の上話に引っかけて……)と妙案を思いついた。

「実はやな……」

 陶次は一つ大きく吐息をついてみせた。お蔦は『何を言い出さはるんやろ』と真剣な眼差しに戻り、陶次の顔を上目遣いに見上げた。

「いや。ええ。やっぱりやめとこ。お蔦には関係ない話やさかいな」

 陶次はもったいぶった。

「え。なんどす? うちに隠し事せんとっとくれやす」

 案の定、陶次の策に釣り込まれたお蔦は、またも目を輝かせ、首を前に突き出した。

「困ったことが起こったんや。お光が先月から、なんや原因もようわからん重い病に罹りよってな。そのぉ……。薬代が馬鹿にならんのや。お蔦、おまはんかて、おかんの病気で懲りてるやろ。……ほんで、わいは、できるだけのことをしてやろと……」

 面白いほどに、真に近い嘘が繋がっていった。出任せの身の上話が、いつしか心の中で真実に擦り替わっていく。

 今年の正月に物陰からこっそりと盗み見たお光の愛らしさが、昨日の出来事のように陶次の瞼に浮かんだ。

 晴れ着を着せられたお光は、くるくると良く動く円らな目を輝かせて、近所の子供と羽子板に興じていた。

 可愛い盛りのお光が、もしも本当に、死病にでもなったら……。

 我が言葉に酔って想像を膨らませた陶次は、鼻の付け根がつんとなり、目頭が熱くなった。

「そら、大変どすなあ」

 お蔦は大きな吐息をついて何か言いかけようとしたが、押し黙ってしまった。

 口元に袖口を押し当て、何か思案しているように見えた。

 お膳立ては整った。上手い具合に同情を引けた。

 もう一押しで、給金の先延ばしが出来そうだった。

「それでやな……」

 本題を持ち出すべく意を決した陶次の言葉を、「それ以上は言わんといとくれやす」と、お蔦が遮った。

「ようわかりましたどす。祇園会てことで余分にくれはるはずやったお手当を、お光ちゃんの薬代に回しておくれやす」

 お蔦はきっぱりと言い切った。いかにも『善行を施してあげるんどす。うちは優しい女子どすやろ』といった慈悲深い笑みを浮かべながら。

 考えが甘かった。『敵も然る者、引っ掻く者』である。お蔦のほうが一枚も二枚も上手だった。

 この上は、さらに踏み込んだ手段を講じねばならなくなった。

 最近は目明かしとて安泰ではない。目立つのは拙いから脅しも極力控えている。

 まさか天誅の矛先が陶次にまで伸びるとは思わないが、阿漕な稼ぎは自重していた。

 以前のような大きな〝商い〟は無理でも、何か銭になる細かな〝タネ〟はなかったかと、陶次は心のうちで思案投げ首した。

(そうや)と、陶次は頭の中でぽんと手を打った。

 昨日の晩に先斗町通でしょっぴいて町番屋にぶち込んだ掏摸(すり)がいた。締め上げて、金子に換えてやろう。権三親分への利息の支払いくらいは工面できるだろうと、陶次は胸算用した。

 ――掏摸を脅して締め上げ、掏った相手や金子だけでなく『掏り盗った金子でいつ何処の煙草屋で煙草を買った』だの『いつ何処の飯屋に立ち寄った』だのと買い物や飲み食いした店の名前まで逐一、詳しく吐かせる。

 煙草屋や飯屋や小間物屋など、それぞれの店を一軒一軒訪ねて『掏摸が……と口が開いたが』と持ちかけて『引き合いをつけたる』と脅す。

 詰まらぬ引き合いでいちいち奉行所に呼び出されては、店の主人は敵わない。店主は『どうかこれで、引き合いを抜いてください』と泣きつく。絞り取れる金子の多寡は相手との交渉次第となるが、何軒も当たれば結構な実入りとなる――

「おう。お蔦、すまんのぉ。気を遣わせてしもて。恩に着るで」

 陶次は忸怩たる内心を押さえて爽やかな笑みを浮かべながら、この月の給金として一分銀四枚を、紺色の無地八条絹の紙入れから取り出した。 

 

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